【横須賀】国鉄70・80系電車2【湘南】
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前スレが980を超えてからDAT落ちしたので、新たに立てます。
横須賀色3ドア70系、湘南色2ドア80系を懐かしむスレッドです。
旧型国電の最終タイプで、その後の電車全盛時代到来の足掛かりとなった名車を、まったり語り合いましょう。
前スレ
【横須賀】 70系・80系電車 【湘南】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1224929188/
※バイブル的存在のサイトは、>>2に記載。
鉄道雑誌の特集で取り扱われたぶんの一部を、>>3に記載。
【注意】
●何か質問をする場合は、>>2に掲載のサイト等を活用したり、Google等で検索したり、過去レスをよく見るなど、独力で調べる努力をしてからにしましょう。
[例]80系電車の東京乗り入れ:1977(昭和52)-3-28の327M(東京11:33→13:53沼津)が最終
●荒らしは放置でお願いします。
また、荒らしにみだりに反応するのも、無駄なレス消費につながり、荒らしになります。
●sage推奨ですが、重大事項とはいえず、あえて規定しませんので、sage進行の強要はおやめください。
●モハ80001とクハ86001が保存をされていることを除けば、完全に過去形の車両で、スレ進行が遅めでも当たり前です。
活性化などと称して、レス数稼ぎにスレ違いの話題を延々と続けるのはご遠慮ください。 >>497
大垣電車区の80系4連は浜松以西のみで、浜松以東は臨時を除いて6連のみ。
静岡運転所にも、波動用を除いて7連もしくは12連しかない。開設時の36-10から数年間は10連(4M6T)があったが…。
以上を総合すれば、7連×2か7連+6連であった可能性が高い。
80系末期であれば、恐らくサハ87改造のクハ85100番台か?
>>499
グリーン車制定は昭和44年からだ。
それまでは一等車。
昭和35年までは二等車。
あと、昭和38年に113系が横須賀線に入った頃は、70系は3M3Tのクハ76−モハ70−モハ70−サロ75(一部サロ85)−モハ70−クハ76が基本。
モハは、70系以外の戦前形(セミ)クロスシートMc車の場合あり。
これを×2した12両なら4号車と10号車が一等車。
湘南電車と違い、当時は横須賀線一等車は2両が連続していなかった。 >>500
そういえば70・80系でサロがグリーン(1等)として使われたのって、いつごろまでだったんだろう?
11クハ化改造はS41〜42年ごろから始まったらしいが
1系でも非冷房のサロがずいぶん後まで残ったから、80・70系だって残ってたのかな? >>500 へぇそうだったんだぁ。確かに東海道本線80系はグリーン(1等車)が2両連続していたような覚えが…。
グリーン車が当時は1等だったのは時間が経ち過ぎてすっかり忘れていました〜。
そう言えばみどりの窓口も昭和38年頃はまだ事務的な名称の窓口だったかも。 >>499
横須賀線でサロの二両連続は昭和26年12月に、
クハ76-モハ70-モハ70-サロ46-サロ45-モハ70-クハ76の編成が在る。
もっともサロ45だから70系族では無いけど、二等車が連続したのはこれが最初で、
翌年の昭和27年にはクハ76-モハ70-モハ70-サロ46-サロ46-モハ70-クハ76の70系だけの編成が登場、
その後、順調に増備され昭和32年にはサロ46の連続は4本在った。
他4本がサロ連続だが、この編成はサロ46にサロ15・サロ45・サハ48(代用サロ)を連結していた。
これが一変するのが昭和34年2月1日の改正で、基本・付属編成とも6両化され、
サロ連続は見られなくなった。
ちなみに横須賀線の全車両が70系のみ、70系だけになった事は一度も無い。 80系の場合、東海道線登場の編成、東京口(東京-熱海・沼津間)の編成、
クハ-モハ-サハ-モハ-サロ-サロ-モハ-サハ-モハ-クハの基本編成に、
クハ-モハ-サハ-モハ-クハの付属編成だった。
この編成は東海道線東京口の普通運用で終始変わる事は無かった。
東京口から転出したら編成は違って来る。 昭和25/1950年3月1日の80系営業開始時から翌年夏ごろまでは、編成は下り神戸方より、下記の通りです。
基本10両〈クハ86偶数-モハ80-サロ85-モハ80-サハ87-サハ87-モハ80-サハ87-モハ80-クハ86奇数〉
付属4両〈クハ偶-モハ-モハ-クハ奇〉
翌昭和26年にはサロが多めに製造して、順次既成の基本編成の中央に組み込み、サハを移動させ、付属編成を5両化しました。なお、この際に一部余剰となったサハ87が80系で初めて田町から宮原に転属となり、急電4連の5連化がはかられています。
基本10両〈クハ偶-モハ-サハ-モハ-サロ-サロ-モハ-サハ-モハ-クハ奇〉
付属5両〈クハ偶-モハ-サハ-モハ-クハ〉
この編成は、付属が大船電車区受け持ちになったり、基本の一部が静岡運転所(昭和36年10月より)受け持ちになったりしましたが、昭和40年頃まで続いたようです。
クモユニ81+基本+付属の16両編成320mは、当時電車列車としては世界最長でした。
例外として、対伊豆方面の準急運用のために基本に3両サロを組み込んだり、付属に1両サロを組み込んだ変則編成も昭和30年前後に発生しており、当時の写真にて確認しています。
この両方を組み合わせてサロ4両という列車は、さすがになかったようです。
80系は、しばらくは固定編成で使われたと誤解されがちですが、実際には臨時運用に変則編成を組んだりする必要性から、もとの原形の編成を大きく崩さない範囲で、案外アクティヴに組み替えがあったようです。 >>501
昭和43/1968年10月改正直前までは高槻電車区の東海道・山陽関西地区快速用3M4Tにサロ85が1両組み込まれた編成が運用されていました。
以降は、他地区を含めて、1等車としての営業運転実績は不明ですが、サハ化改造は昭和45年夏までに及んでいます。
改造と言っても、車掌室の一部設備の撤去と、車体のグリーン帯塗装工程の省略程度なので、未施工のまま二等(普通)車代用として使われた例もあるかと思われます。 >>499-503
昭和35/1960年6月1日「つばめ」「はと」電車化に伴う旧1等廃止で、2等級制になったのが翌7月1日。
また、等級制廃止とグリーン車の制定は昭和44年5月10日。
当時の旧型国電には、サロ85等に数両の「ロ」の在籍はありましたが、いずれも格下げまたは廃車前提の休車、もしくは普通車代用だったようで、正式にグリーン車として稼働した記録はないようです。
少なくとも、(シャレ・お遊び・ウソ電は除いて)旧国で正式にクローバーマークやグリーン車標記を施した車は、1両もありません。 >>504
違うじゃんよ
調べてみたら登場時は505の編成で合ってるみたいだよ
間違うなら偉そうに知ったかぶらないでくれ嘘になるから
知ったかぶるなら調べてきっちり確認して間違えないでくれ
無駄でいい加減な情報は邪魔
このスレ偉そうに知ったかぶって後のレスでひっくり返される奴多すぎワロス >>505の訂正
×(翌昭和26年にはサロが多めに)製造して→○製造され
【補足】
昭和32年度債務車以降のクハ86(133&135〜)は両渡り式となり、奇数偶数は必ずしも一致しない場合もありました。 >>506
やはり大阪でもそうだったのですか、田町の80系.70系は111系に追い出された時ですから、やはり同じころだったのですね
すると最終増備車(300番台)などは優等車であった時期がわずか10年前後だったというわけですね。で、もっぱら先頭車改造の種車になったと、 サロ85300番台にも、一旦サハを経たのもあったはず。
結果的にはクハ85ばかりになったけど… 80系はややこしくて難しい。
屋根上のベンチレーターがバラエティに富んでいる。一応3・4種類に分けられるが、デッキ部分のベンチレーターがなかったり違ったりしている。
交換や改造も、一部の車にあるみたい。
ほかの旧型は多くはグロベン化により標準化されたから、原型がどうだったかを別にすれば案外屋根上はわかりやすかった。
こういう研究は、実物がもうないから難しいのは確かだが、80系はかなり面白そう。 >>449 >>450
下りは糸崎行きだったが、上りは確か広島始発。運用は確か岡山運転区持ちだった。
47-3改正で運転区間から大阪〜西明石間がカットされた。 https://www.youtube.com/watch?v=DRCw1Hv-R2sなぜドーファーの悲劇売れ続け定義(なぜサッカーだけ)
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一流企業 80系のデッキ部分を含めたベンチレーターの詳細に関しては、非常に長くなるので、レスを分けて触れます。
長文レス連続をご了承下さい。
また、参考に引用する写真画像は、該当部位が製造年次タイプ区分と共に明確に把握できなければならず、既出多数です。 【昭和24年度(一次形)及び昭和25年度車】
客室には「大湘式」と呼ばれるカマボコ型のベンチレーターが採用されましたが、クハの運転台側のデッキ上に同じ大湘式があった以外、デッキ上のベンチレーターは当初は省略されていました。
大湘式は、原則として交互に向きが逆になるよう取り付けられましたが、変則的に端の2個が同じ向きのものが続いたり、車両により向きに相違がありました。
●クハ86046(1959-3高槻電車区/更新修繕前⇒正面窓はHゴム化されたが、更新修繕未施工のため、木枠戸袋窓や3段式客扉の残存や後位デッキにベンチレーターがないなどの特徴がある)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-2/Tc86046miha1.59.3Tatuden.59m-b3-04.jpg 更新修繕における屋根標準化において、のちに採用された小型化されて丸みを帯びた「小湘式」に換装した車両があり、特に関西地区の急電〜快速用(宮原電車区)の大湘式の車両は、ほぼ全車が小湘式になりました。
いずれもクハ86運転台側デッキのベンチレーターは、必ず四角い押し込み式になりました。
●クハ86044(1975-3-2広島)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-2/Tc86044hiro1.75.3.2Hiro.75c-27-02b.jpg 【昭和26/1951年度車】
クハ86の運転台側デッキのベンチレーターはやや小さいものが2個、左右離れて配置。
デッキ以外のベンチレーターは全車両が四角い押し込み式になり、以降しばらく続くことになります。
あわせて、サロ85とモハ80パンタ側を除いたすべてのデッキに、より小さいベンチレーターが2個、接近して置かれるようになりました。
これら26年度車は、約半数が更新修繕対象外になり、該当車には原則としてベンチレーターの増減はありません。
ただし、下例のクハ86058のように、更新修繕を受け、もとは小さめのものが2個並んでいたデッキのベンチレーターが、両側とも通常の四角い押し込み式に変更され、併せて客室のベンチレーターも小湘式に換装された車両も存在しました。
●モハ80090(1975-3-2広島)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80090hiro1.75.3.2Hiro.75c-27-04a.jpg
●クハ86058(1975-3-5名古屋)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-3/Tc86058kaki1.75.3.5Nako.75c-32-20.jpg 【昭和30年度車】
名古屋地区用として製造されたもので、27・29年度車と外見は似ていますが、押し込み式ベンチレーターの開口部が前後のいずれか片側がふさがれ、その意味では大湘式・小湘式に近い仕様でした。
開口部とふさいだ部分とは互い違いでした。
●モハ80117(1975-3-5名古屋)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-2/M80117kaki1.75.3.5Nako.75c-33-11.jpg 【昭和31年度〜32年度本予算】
マイナーチェンジでクハ・サハは100番台、モハは200番台となりました。
客室部分のベンチレーターは、昭和26〜28年度車とほぼ同じものに戻されたかたちでしたが、デッキ部分のベンチレーターも客室部分と同じものに変更されました。
また、モハのパンタグラフ部分にも避雷器をやや脇に寄せて、同じ押込式の四角いベンチレーターが製造時から設置されるようになりました。
●クハ86103(1975-6-14戸塚/870M通過)
http://tnk-ko.a.la9.jp/gallery1/80K/kuha86-103-G2_19750614bw_s1024_I15t_Totuka_870M.jpg
●モハ80206(1977-9-4塩尻)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-3/M80206moto1.ps23.77.9.4Hoshi.77c-24-22.jpg 【昭和32年度債務(半鋼)】
予算年度が昭和32年度債務となる80245〜・86133&86135〜・87115〜は、客室部分のベンチレーターが「小湘式」と呼ばれるタイプに変更になっています。ただし、サロにはこの変更はありません。
小湘式とは言いながら、同様のベンチレーターを、昭和28年のキハ45000(キハ17)以降の一般型気動車が、先んじて標準装備していました(キハ55やキハ20等の初期バス窓車まで)。
●クハ86133(1975-3-1広島)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-86top/sub80-86-4/Tc86133hiro1.75.3.1Hiro.75c-23-18.jpg 【80系デッキ部分ベンチレーターの特例】
昭和26〜30年製のモハ(サロ以外の他のデッキには小型ベンチレーター2つが基本のタイプ)のパンタ部分には、製造時にはベンチレーターはなく、26年製の一部を除いて更新修繕対象からもはずれたため、増設もされませんでした。
※モハ80089〜80117が該当
●モハ80096(1975-11-2熱海/327M)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/46/d3c17288d9c20e9dcf834c52ab478c1b.jpg 【異端車モハ80027】
モハ80027だけは、パンタ側とは反対のデッキにもベンチレーターは取り付けらませんでした。
80系の第一陣24年度車として新製直後の昭和25/1950年2月、3月からの営業運転開始前の試運転の際の火災で焼けて、翌年に大井工場で26年度新製車とほぼ同様の仕様で復旧した車両ですが、ベンチレーターは1次型原形の大湘式のままでした。
ところが、他の部分が広範囲で26年仕様だったこともあり、更新修繕の対象からはずれ、戸袋外窓もHゴム化されませんでした。
しかも、後年のアコモ改造でも唯一戸袋外窓が木枠のままで残されるなど、様々な意味でまさに珍車中の珍車です(アコモ改造を受けたほかの戸袋外窓木枠車は、すべてHゴム化)。
●モハ80027(1975-2-28岡山)
http://www.kokuden.net/mc53/sub.htm/sub80.htm/sub80-80top/sub80-80-1/M80027oka1.75.2.28Oka.75c-17-36.jpg 以上、
>>517-531
の15レスに、80系のベンチレーター(おもに外見上)の概要をまとめました。
筆者自身、おおよそ把握はしていたつもりですが、状況を把握しやすい写真がまとまって、整然と整理されたサイトには、確認をするうえで助かりました。
特に、最後に取り上げたモハ80027が、実はここまでブッ飛んだ珍車(笑)だったことには、改めて勉強になりました。
自身で立てたスレとはいえ、15+2=17レスもの長文連カキ占拠、申し訳ありません。
とはいえ、過去レスにて取り上げたカバーつきのベンチレーターや、モユニ81初期の異形など、まだ興味深い部分や研究材料は残されているのも、80系の奥深さではあります。 >>533
だから何?
藪から棒すぎて意味不明なんですけど‥ せっかく落ち着いてきたと思ったのに
>>534 みたいなアフォが出て来て
又荒れるのは勘弁だ お前は533か?
違うなら、お前もいちいち反応して取り上げなければ荒れない
反応するなと1にも書いてあるだろ?
荒れるとすればお前が出てきたからなんだよ いやいや最強の荒らしは>>469でしょ?
こいつだけは殺しても無罪ということにして欲しい最低最悪の荒らし野郎 >>534->>538
このきんぎょのうんち、みんなあらし 80系の走行音って
最晩年の飯田線の音が中心で
僅かしか公開されて無いんだね
あの
貫禄の加速音が聞けないのは残念だ >>540
つ>>269
ちなみに少し補足
ほかに、高崎線だか信越線だかの80系も元音源は当然アナログな訳だがCD化されたのがあったはず
飯田線(と中央線辰野〜上諏訪)のCDと269とあわせて、少なくとも3種類のCDが80系に関しては発売されたはず
残念ながらどれも持っていないが、飯田線のはYouTubeにもうpされている
あと、ネット上では、両毛線前橋〜駒形のモハ70052が割と飛ばしていて、80系と同一ギヤ比だから雰囲気がほぼ一緒
信越線のモハ70043はそれよりやや大人しい走りかな? 旧国の現物はしってるの見たことないが
GMの旧動力の模型を轟音で走らせながら
うーむ旧国ってこんな感じかな?
と想像している じゃあ80系の音
置いときます
保存期間は3日間らしいです
ttp://fast-uploader.com/file/7011798366701/ もういっちょ
ttp://fast-uploader.com/file/7011798877904/ MT40が吠えてる
どんな豪華な列車に乗るより、これに乗りたい せっかくうpするんだったら、糞ロダやめて、つべかなんかにして欲しいな
3日たったら消えるうえ、ファイル変換ツールがファイルだと認識しないから使えない
それにデータも何もないから、いつの、モハ80の何番の、どこからどこまでかもわからない
モーター音はモハ70もギヤ比同じだから変わらないわけだし 思ってたよりキーキー甲高い音だね
重低音なのかと思ってた ちなみにこれがつべにある80系モハ80342飯田線。CD化もされているやつね
http://www.youtube.com/watch?v=7SW1mhpQ6SY
あまりスピード出さないのが残念
ただCDには辰野〜上諏訪も収録されている
この区間、特に岡谷〜下諏訪〜上諏訪は飛ばしていたはずだから、CDのを聞きたい
あと>>269(>>270)も山陽本線とは魅力…つか売れ残りまだあるなら買おうかとも思う
誰か、東海道(山陽も可)の80系爆走とかをつべにうpしてくれないかな?
本当は、CDとかになればいいんだろうけれども、製作費に売り上げが見合いにくいかも知れないから、難しいかも…。
とにかく、糞ロダはいろいろ使いにくくてダメだ アップしてくれてるだけでも有難いのに
あげ方悪いとか………
すげ〜やつだな ここでは感謝すべきという方が間違いなく正論だが、あげ方悪いとほかの一部の板なんかでは平気で叩かれるケースもあるから、その感覚だったのかも。
実際、こんなの以上に使えないロダも沢山あり、そういうロダに限って、やたらとリンクつき広告だらけとか、だからよけい叩かれるんだろうけど、このロダは明らかにまだまし。
70系も80系ももう二度と走らないのだから、貴重な音を上げている人には感謝すべき。
ただ、親切で上げるなら、半永久的な掲載も可能なつべに投稿とか、より使える方法が好ましいということは言えるかも。
ということで、これに懲りず先輩諸氏の70系80系音源のうpお待ちしておりますw >>547
>思ってたよりキーキー甲高い音だね
夏か冬か(要は窓が開いてるか、開いてないか)で録音に相当な影響がある
窓を開けないとどうしてもこもってしまう
>>552
じゃあもう一回
ttp://fast-uploader.com/file/7012135635464/
中津川出発〜
ttp://fast-uploader.com/file/7012135940899/
田立〜南木曾間から (前回upしたものと同じ)
ttp://fast-uploader.com/file/7012136070569/
倉本〜
※冬なので窓締め
南木曾〜十二兼が一番中央線西らしいけど(曲線でノッチオンオフの繰り返し)
かなり長いので倉本〜にしてみた
ユーチューブはアカウント持って無いし、持つ気無いので勘弁 アドレスが違ったみたい
中津川出発〜を再度
ttp://fast-uploader.com/file/7012137466013/ 落合川〜中津川は、カーブはゆるめで、上り列車(中津川・名古屋方面行き)も若干下り坂気味ではあるのだが、95キロギリギリまで一気に力行して飛ばすから、たいてい中津川行きだった木曽路の80系のラストスパートとして爽快だった。
この地域は、全金以外でも比較的新しめ(最古参でも昭和27年製)の車両ばかり。
また十二兼〜日出塩の大部分が単線でR300の急カーブ(80系等は60キロ制限)の多い線形ではあった。
飯田線からの上諏訪行きでも、特に岡谷〜下諏訪〜上諏訪は90キロ超えの力走があって、往年の片鱗をかいま見せていた。
この区間、飯田方面行きとなる逆方向の走りは、やや大人しめに感じた。たぶん80キロ台どまりだったのではないか?
(当時25mレールがほとんどで、ちょうど1秒で通過すれば90キロだから、おおよその速度がわかる) 平坦線を単に飛ばすのは面白くないな
やっぱ山岳線をそこそこの速度でノコギリ運転
吊り掛け電車はノッチのオンオフの繰り返しが醍醐味だよ
飯田線は80系はダメだけどクモハ54なんかは良かった 平坦線で80km/hくらいまでは釣掛音、ノッチオフしてからはバックラッシュの音を楽しむのが旧国 東海道線の80系の特に飛ばす区間(駅間長めで直線が多い用宗〜島田、掛川〜磐田、幸田〜岡崎、稲沢〜岐阜、穂積〜大垣)の激走は、ほかの区間や車両では類を見ない雰囲気だった。
最高速度自体は他と変わらぬ95キロに抑えられつつも、高速の維持具合が東海道の80系はまるで違った。
特に初夏から秋口、窓を開け、ヨロイ戸を少し下げた状態の初期車では、座席が狭いことを差し引けば、爽快だった。
これは山岳区間とは別の楽しさではあった。 東海道の80系は知らないけど
153系は函南〜三島間が良かった 旧国のほとんどが、高速運転では乗り心地が悪くなる傾向にあったのに対して、80系は座席のほとんどがクロスシートだったせいもあるかも知れないが、90キロくらいの高速でも乗り心地が悪化せずに、むしろ滑るような快適な感じがあった。
高速で走っても、あまり揺れがひどくはならない。
初期のDT16では、枕バネの板バネの踏ん張りの限界なのか、たまにゴツゴツ突き上げるような軽い揺れが発生するものの、ひどくはない。
DT17やDT20はオイルダンパ併用のコイルバネで、そのような揺れの発生もなく、無駄に揺れる感覚はほとんどない。
クハやサハは騒音や振動も少なく、不快感はなかった。サロやその改造車は、コイルバネがより柔らかい設定で、快適。
録音を聞けばわかるが、80キロを超えるとモーターの唸りは小さくなり、90キロを超えるとかすれるようにかすかな唸りになる。
もちろん、性能的には90キロ域でも充分に加速するから余裕はある。高速度試験では1955年2月17日に125km/h(屋外計測値124.1km/h)の記録もある。
初期車のシートピッチは113系等の初期車と同じ1400mmだそうで狭かったが、狭い垂直背ずりなりに、それまでと違い、下半分の布団が徐々に厚みを増す構造を本格採用するなど、開発当時なりの工夫が、体にフィットする感覚をもたらしていた。
このスレで、80系はたいした車両ではないという論調を見かける時があるが、それは一面真理ではあるけれども、キメ細かい工夫と高速運転にも勾配区間にも使える性能こそ、この80系のキモだ。
そんなことを感じながら、走行音数種を楽しませてもらった、 >>560
戦前型のDT12・TR23の吊りリンクが310oしか無かったのに対し戦後製造のDT16以降の台車は
吊りリンクが500oオーバーとなって左右動特性が別物だものね。 >>560
確かに阪和線に103系登場で一部70系快速が103系になった時、がっかりした人が多かったそうな >>562
話の流れに乗っていないのにアンカーをつける意味不明レス。
つけられた方が迷惑。
しかも、70系にかこつけても、微妙にスレ違いと言わざるを得ない。
確かに、昭和51〜52年に70系をはじめとする阪和線旧型の最終置き換えにやってきた代替車には103系だが、運用的には普通や区間快速が主体。
区間快速は、旧型の中の70系率は少なく、70系以外はすべてロングシートだったし、快速の70系運用は朝や夕方以降に若干の103系運用があった以外は、113系運用になっている。
70系は4連基本が末期はモハ72を2両組み込んだ6連に組み替えられており、その辺は初心者もどきさんやモハ80373さんの過去レスで触れられている。
セミクロスシート率が僅かに下がったのは事実としても、特にそれ以上の話ではない。 >>556
山岳線じゃなくても、姫路→岡山の上り坂はノッチオンオフが多かった記憶がある。
結構勾配が連続していて、カーブが多かったためだろうか。 >>565
スレ違いやめてくれ
阪和線引退で廃車になった70系はほとんどないし…(ほとんど福塩に行ったはず) >>566
70系、半鋼車はほとんど廃車だよ。
福塩線に行ったのは3輌だけ。
全金車が全数。
阪和線で新車が大量投入されたのは、
快速用70系から関空対応までは一気に飛ぶ。
103系、113系とも、冷房車が少数投入されただけでオシマイ。 >>567
天オトでの70系廃車は、半鋼4両だけ
当初天オトに投入された70系半鋼の約半数は、阪和線快速への113系投入の段階で長モトに転属しており、天オトでの廃車は少ない 阪和線から横須賀線にきた76は、前面サボ掛けがチャームポイント 松本(当初は長野)の70系はスカ色。当初は横軽越えなしの信越線用だったが、篠ノ井線乗り入れのためにパンタグラフのPS23化が行なわれ、50-3改正で松本に転ずる。
その運用区間のうち、妙高高原〜直江津には、PS13のままで新潟色の長岡の70系も使われていた。
ともにほとんど半鋼で、クハ68も交えていた。
また同区間のごく一部に、80系(湘南色)運用もあった。
急行の末端や間合いの165・169系を別にしても、ローカルは何気にカラフルだったわけだ。 >>568
正確には長ナノ。
長モトには50-3改正で80系とともに転属して、篠ノ井線はその時から運用区間に入ったが、基本的に軽井沢〜柏崎間で使われた。 >>572
押し込み通風器のものは仙石線からの転入車で数両いた。
写真はモハ70047かと思われる。 >>569
阪和から横須賀に移動した70系なんてあるの?
横須賀は43-10改正で113系化完了したはず
阪和の70系代替車(103や113)投入は47-3以降のはず >>574
阪和じゃなくて東海道山陽緩行から追い出された連中が
正しいかと。 >>574
まとまって押し出されたのではなくバラで何両か
というレベルで、しかも昭和30年代の転属だったかな
阪和線じゃなくて京阪神緩行線(茶坊主)だったかも >>576
だったら>>569の
「前面サボ掛けがチャームポイント」
が違うことになるな
いや、単なる他と勘違いだろうから責めはしないけど、ちと混乱したので確認しただけ 中央のモハ71は阪和に行ったと思っていたら
福塩だったのね そう言えば、70系末期は広島へ集結(呉71、福塩70)という感があった。
呉線は80系とともに昭和53年に早々に置き換わったが…。
71系に押し出された可部線73+79がそれから約5〜6年生き延びたのは皮肉な話。 高校の修学旅行で広島に行き、そこで71系に再会!「おまえ!こんな所に来てたのか!!」と。 呉線は、本当は1970年の電化で80系にしたかったらしいが、絶対数が足りず、おもに広島方で73系を、WC設置改造したうえで多用することになった。
1975年に広島では大船や静岡から111系の転入を受け、捻出された80系に73系の一部が置き換えられたが、73系全廃は翌年の山スカ転入においてである。
これらの置き換えによる73系の一部が可部線の17m車置き換えに充てられたが、こちらは山スカ含む70系や80系よりも長く使われ、なんと1984年まで現役で生き残った。 呉線の山スカ編成に、モハ72850〜はなかったの? >>585
「茶坊主の70系の一部は、当初はスカ色で横須賀線で走っていたらしい」
なら正しいが、そうでないならなに言ってるんだっちゅう話だな >>586
鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション34
湘南電車時代
4ページ目を見ましたか?。 京都鉄道博物館に展示されてる80系の検査標記はどうなってるのかな 80系は300番台で完成されたのに1両も保存車が無いとは! 300番台のラストナンバーが“完成形”としてのこされるべきだった。 >>588
検査標記以前に、前面がHゴムからの中途半端な復元はそのまま・・・ >>590
クハ86336だっけ?
関西の個人病院に置かれた、ダルマのレプリカ…。 >>590
全くその通りだよね。
一世を風靡したと言われる湘南型の原型が残っていないなんて… 保存の話をするなって!
ヴァカが気が付いたら、また荒らすから…!
もう残ってないものはどうにもなんないんだからウダウダ言うなよ!
2両も保存されてても、動かさない(動かせない)以上、ただの鉄の塊だしね? だいたい、輸送力増強ならロングシート化すべきだったから、東海道でもローカル向けには80系なんか作らずに63形→72・73系でよかった。
長距離もやるなら扉間に、ワンボックスずつクロスシートを置くと、いまの231・233系セミクロス仕様みたいでうまくいく。
一部だけ、有料の準急急行専用として完全クロスシートでデッキ付き車を80系とすればよかった。戸袋部は座席にしない。シートピッチは広げる。最低でも1500mm。これで旧客に負けない水準にはなる。
昭和20年代の電車開発は精鋭が戦死したためか、こんな素人でもわかる輸送力増強の施策すらほどこせないバカばっかだったんだな。
80系なんか半端な構造。
こんな失敗作保存したら、末代までの赤っ恥ww
今ある2両もうざったいから早くぶっ壊してくれない?
いや、どうしても保存したい奴は買い取って展示用地確保して勝手にやれ!
他人(鉄道関係者含む)に一切手間をかけず、金も負担させずにやるぶんには、たとえどんな糞車両でも文句はない。
80系みたいな最低最悪の車両なんか、こっぱみじんにぶっ壊されても、お前ら誰一人として金も出さないで出すのは口だけなんだから、指くわえて見てろ!
ふざけるな! >>593
ふざけるな!
そんなこと断固許されない!
今の2両も俺からすれば糞。 >>590
ふざけるな!
それより一歩先に試作とはいえすでにモハ90が出てたんだから釣りかけのボロなんて糞。保存なんてもってのほかなんだよ。
ついでに大井のモハ90→101系試作もぶっ潰しちまえww >>564
80系が低性能で一気に駆け上がれなかっただけだろww
70系はさらに設備が劣る糞。茶坊主じゃなくて糞坊主ww >>597
お前一人だけ何を怒りまくってるんだ?
血圧あがるぞ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています