仙石線 仙山線
昔の仙石線仙台駅のホームは東北本線や常磐線のそれとは違う独特の雰囲気があったよね 旧型国電がよく似合っていた。
1976昭和51年に乗ったが昭和
30年代タイムスリップの感じ。
快速電車に吊り掛けモーターが何ともいい感じで似合ってた。 時代を彩った鉄道たち〜鉄道伝説〜
11/30 (日) 22:00 〜 22:55 (55分)
BSフジ
「仙山線 交流電化試験〜日本初の交流電化〜」
宮城県仙台市と山形県山形市を結んで走るJR仙山線。東北地方の山の中をゆったりと走るこのローカル線は、
日本で初めて交流電化路線開業の試験が行われ、開業したしたことでも知られている。蒸気機関車ではじまった日本の国鉄だが、
資源の少ない日本では鉄道動力の電気化が早い段階から望まれていた。日本の交流電化の技術は、昭和30年代にヨ ーロッパの
技術を参考にし、国内外の最新技術を採用。国鉄とメーカーの協力により日本独自に開発した技術である。
交流電化試験の成功で得られた成果は、その後の日本の鉄道技術に多大な影響を与えた。
後の北海道・東北・九州各幹線の電化だけでなく、世界初の超高速電車・新幹線の誕生にもつながっている。
日本の鉄道の近代化はまさにこの仙山線でから始まった。その開発の裏に秘められた鉄道伝説を紹介する。 40年前、床だけでなくボックス席も木製だったのは、仙石線のクモハ54かな。
東京からやってきた小学校6年生はこれを見て、青梅線の旧型国電よりダサい、田舎と感じた。
本塩釜付近の単線ガードも見ていてボロッちかった。乗務員扉の後ろの窓についている鉄柵、何のためにあるのだろうと不思議に思った。
仙台出発して、複線区間がずっと続くのかと思ってたらそうでもなく、松島海岸まで行くとローカル線の雰囲気。
車両の質や、複線区間の距離からして、青梅線の立川・東青梅間並みかと思っていた小学生の予想を裏切るものであった。 仙石線の103系、スカイブルーではなく、中央線のオレンジや、中央総武緩行線のイエローだったら、もっと汚れは目立たなかったのではないかと・・
松島の海沿いを走る電車にオレンジ塗装はふさわしくない、という苦情が出そうだが・・ 自己レス、武蔵野線や南武線からの転属車がオレンジやイエローの塗装のまま、走っていたことがあるんだな。
中古車両の吹き溜まりという感・・ >>57
これらの3ドア車は,仙台市電が廃止になった頃に運用から外れ,多賀城の中線や駅舎側の側線に留置されていた。
観光地も走る路線からクロスシート車が消えるのはちょっと残念だった。
仙石線では73系でも,地方では三段窓→下段の桟を撤去したサイズでアルミサッシ化した程度の,首都圏より格下の更新しかなかったし。
自分は地元民だが,茶色い手動ドア客車の東北本線よりは,仙石線の方が遥かにましだと思っていた。 103系青一色から白紫系になったとき
何も知らない自分は新しいのになったんだすげーとか思っていたな。
実際は同じ車両なのに。
90年代末まで青一色103が走っていた記憶はあるが、いつまであったんだろ。 国鉄時代に日根野電車区から陸前原ノ町電車区に転属してきた旧国改造の
クモヤ90があった 40年位前の仙石線の七不思議
1 なぜ、ここだけ直流電化?
2 起点と終点で線路が他の国鉄線につながってない
3 仙台駅は地下ホームだったのが地上ホームになったのは何故?
4 松島海岸付近で、東北線の線路に比べて曲がりくねっているのは何故?
5 見ていておっかない、本塩釜付近のガード
6 乗務員扉の後方の窓についている鉄柵は何のため?
7 何となく、地方私鉄の香りがするんですけど・・? >>64
大正14年に宮城電気鉄道としてスタートしてるよ >>62
単なるテキストじゃなく、わざわざ小さく あやし と振り仮名まで付けてるんだな。 >>64
40年前は地上ホームだったよ
伯養軒の蕎麦とkioskがあった頃 単に複線化で幅が狭くなったから地上に出た。
かつての地下通路が、初代単線時代の仙台駅ホーム 終電後に下半分の陸前原ノ町、多賀城、東塩釜等で集配した
仙台機関区のC11が牽く貨物列車が走っていた。
上半分は石巻駅経由で小牛田機関区のC11が担当。
どこが分水嶺だったんだろう。 >>105系の改造投入って何故途中で挫折したの?
仙山線を交流にしたけど、その後の成果次第(隣接他線区との車両共用が出来る)で仙石線の交流変更とか何故考えなかったの?
(宮お電気鉄道時代の変電設備だっていずれ更新の機会を迎えただろうに・・・) >>72 交流電化にしたら、仙台市内や塩釜の街中にある仙石線を跨ぐ跨線橋や道路の高さが問題になってくると思うんだけどなあ
跨線橋架け替えだけで、相当な費用がかかるわな。水戸線が現在になっても、小山駅構内まで交流に切り替わらないのも同様な理由。 いよいよ石巻〜陸前小野のキハ110系ともお別れか
葬式鉄が沢山あつまるんだろうなあ
地元民としては震災前まで都会の路線だったのが
DCの定期運行で一挙にド田舎臭くなってしまった(泣)
というのが本音だったらしいが >>74
4/18に震災以後初めて矢本-石巻乗車してきた。
代行バスから矢本前後の壮大な高架橋が見えた。
暫定運行のキハ110はステップ埋めてるし,本線も走るHB-E210もステップレス高床。
これだったら,E721なんて無理して低床にしなくても良かった思うた。 小学生の頃旅行で関西から仙台に行ったとき
仙石線原ノ町で72系アコモ改造車に出会ったときは衝撃だったな
まだ鉄道誌をあまり知らなかったし、まず関西でこんなのは無かった アコモ改造車と呼ぶのかどうか知らんが
車体は新品で足回りが旧品というのは
どこの鉄道会社にもあったけどな 103系並みのボディにイコライザー式台車か。
乗ってみたかった 真正の103系もそんな乗り心地の良い物じゃなかったよな フツーの国電が走ってただけだもん、趣味的には面白くも何ともない んだな、面白くないな
国有化されずに宮城電鉄のままで残っててくれたら
と妄想してみたくもなる 日曜になったら太田見踏切でアコモ73の往来を飽きもせずに眺めてたっけな
上を跨ぐ貨物列車との奇跡の共演も楽しめた
ネットがなく趣味雑誌も容易く買えなかった時代、これしかすることがなかった 73系は人気だったのか
通学で毎日乗ってたが窓やドアが汚れていて
悪い思い出しかない >>96
車齢が高ければ汚れが着いてしまうのは仕方ないかもよ
都市圏ではまだ新製後一、二年なのに例えば窓ガラスが磨りガラスみたいになっちゃってるのがそこかしこに走ってたから。 国鉄時代は本当にサービスがなってなかったな
大学進学で上京して大手私鉄に乗った時
あまりの落差に驚いたものだ。
山手線や中央線はこっちと大差なかったがw 薄緑みたいなカラーリングだから草臥れ感が出てしまうんだろ
どうせなら京急みたいに真っ赤にしたら良かった >>100-101
赤い73系と言えば名鉄ALみたいな雰囲気になりそう >>98 仙石線は海風の影響をもろに受けるから、風に巻き上げられた砂や埃が付着して汚れやすいのでは?
京浜東北線塗装の103系もそうだった。 >>93 私鉄のままなら部分廃止くらいはあったと思う。
で、震災で止め。 >>80
古いには違いないがイコライザ台車ではなかっただろ
>>18
PTPSの信号機があったらいいな >>96
あの当時の本線に比べればマシ。
当時,本線は手動ドアの客車列車ばかり。
利府発DE10牽引の客レなんか,暖房すら入らなかった。 んで
仙山線はいつ複線化するの?
仙台ー愛子間は複線化しないとキツイ
遅延が当たり前はおかしいぜよ
土地ないなら地下化するのはどうだろうか?? 仙石線に入ってきた電車の中で、唯一生きて他所に出て行ったのがモハ70が2〜3両あったな、黄緑色のまま松本ローカルにはいってた。後にスカ色になったがベンチレーターは押込み方ぼままで、妙な雰囲気だったな、一緒にいたクモハ54とクハ68はどうしたんだか・・・
あとは72系更新車か、まさか103系化されて生き返るとは思わなかった。 仙石線のスカイブルーの103系の初期転入車は、乗務員室扉とドアと間の戸袋窓が塞がれ、
ドアに取っ手が取り付けられたり、運行番号窓は白地、前面窓にデフロスタ設置、暖房強化、
ワイパーの追加、前面下部に回送用の赤円板を取り付けるためのフックが設置されているなど、
同じ103系でも温暖な首都圏や関西圏の103系とは雰囲気が違って見えたな >>108
クモハ54が大糸線と飯田線に行っていなかった? >>109
わざわざ戸袋窓塞がなくっても、気動車みたいにプロテクタつければ良いのに…
と子供心に思った。
塞いだ方が金かからないのかな? 旧型電車の足回りに103系の車体を載せた72系970番台は、
車両知識に弱い人や鉄道好きでも幼い子供から見たら京浜東北線の103系の高運転台先頭車が
仙石線に回ってきたとか、同系がウグイス色に黄色の警戒色塗装だったころは関西線のウグイス色に
前面窓下に黄帯の入った車両が仙石線に転属してきたと思った人もいるだろうね >>112
デビュー当時は"新型電車"としてマジで実際紹介されていたからややこしかった
あの頃は阪急1200系や1600系のようにあるいは小田急4000型のようにそんな吊り掛けモーターの新型電車いや新型に見える電車は結構あったから実際の所はあまり違和感とかそういうのはなかった
ただなぜかその"新型電車"が各駅停車で昔ながらの63系電車が快速電車の運用が多かったのは当時も今もミステリーだが アコモ車はドアの幅が広いから各駅停車向きだと考えられていたのでは 民営化後、武蔵野線や常磐線などから状態の良い103系が仙石線に転入するまで、
使用されていたスカイブルーの103系は雪や潮風などの影響もあって色褪せや
車体の傷みがかなり目立ってたな 西塩釜〜本塩釜間にあった通称「オンボロガード」は仙石線名物だったとか 特別快速が止まるのに緩急接続どころか行き違いもできない本塩釜は圧巻だった
友達の家の庭のベランダでよく本塩釜駅電車ごっこをして遊んでいた記憶がある
>>112
そうそう阪和線とごっちゃになっていた >>108
76年4月頃,当時折り返し列車がなかった多賀城駅の中線と,駅舎西側側線に留置されてた姿を見たことがあった。
>>109
シート地は新しくなり,座席下の暖房蹴込,ドアレールがステンレス化。
蛍光管やつり革,荷棚上の幕板部の帯状の金具も新品に。
しかし,床のリノリウムは変色したような灰色のままのに,ワックスだけ分厚く塗ってた。
化粧板は水色が色褪せたような感じ。
天井板の白塗装も塗り替えたが,剥離したところに塗り重ねたのでボコボコだった。
>>114
両開扉だが,半自動のため把手がついてたため,有効幅はたいして広くない。
手で開ける際は凄く力の要るドアだった。
その点,転入してきた103系はドアを開けるときも割合軽く開いたし,72系に比べ走行音も軽快で,
都落ちの古い車とはいえ,さすが新性能電車だと思った。 JRになった後今のボタンになったのは
701系電車と部品共通化のためなのか? 仙石線に浦和区から転入してきた高運転台のクハ103は前面窓が2枚化されたり、
運行番号窓が拡大されて種別幕窓に改造されていたが、高運転台クハ103のシンボルともいえる
前面窓下のステンレス製の飾り帯が撤去されたため、間延びしたような前面スタイルになったのは
残念だった >>121
時代じゃね?
更新車は全部首都圏からの転入だったから半自動回路は新設する必要があったし。
現場では郡山で冷改、特保をしたMc144の編成に愛着があって、更新させたかったらしい。
老朽化がひどくて見送られたが。 地下鉄東西線も出来たし次はいよいよ仙山線複線化だな 30年以上前だが、陸前落合から北仙台まで駅なかったんですよ。当時中学生で
たまに落合から乗ると次北仙台で10分位。あの頃は仙台愛子間の便あまりなかったし、通勤通学としてそんなに使われてなかった。仙台地下鉄もなかった
次代ですから。 《《 311から5年目突入!! 被爆死者、静かに増加中!! 対中戦に備え、核武装強行か!? 》》
下町ロケットで話題を盛り上げて、翌日はイプシロン
政府や三菱が狙ってるのは、民生用ロケットのオブラートに包まれた悪魔のICBMミサイル
今や、安倍晋三政権=三菱は核ミサイル開発を政権の命題としている
原発推進は核ミサイル開発だ
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信 三菱重工の重役でもあるらしい
これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
安倍晋三の兄が関与している三菱重工 核開発疑惑についていくつかツイートしたが、
反応がないから変だと思って、自分のタイムラインを調べてみたら、完全に削除されていた。
私のツイートで、安倍政権に都合の悪い情報は速攻削除されている これは驚いた ここまでやるのか
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
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マイトレーヤは原発の閉鎖を助言されます。
日本もさらに多くの原子力発電所を作ろうとしています。
多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。
マイトレーヤが公に話し始めるとき、彼はこのことについて話されるでしょう。
マイトレーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。 地理的にポテンシャルはあったでしょう
時期がもう少し早くて高度成長期の投資熱が東北にも及んでいたら、
仙台近郊の鉄道体系ももう少し変化があったかも知れない 昭和51年頃首都圏の国電103系高運転台
おれが体験したのは、京浜東北線でのこと
サンバーザーに新聞挟んで読みながら運転
恐怖を感じたっうか
順法闘争で電車が詰まっていてよく駅間で停車が日常茶飯事だったな むかしの本塩釜駅のどぶ川の上に建っていた
食堂で食べた(なんて言う店か思いでせない)焼きそばが懐かしい >>117
本塩釜駅(仙台方)の手回しの踏切開閉なんか
かなり懐かしい 仙石線も仙山線も戦前、戦後しばらくは、電化区間の孤島だったけど、
定期検査整備は郡山?(仙石線の場合は買収後まもなく?)
送り込みとか面倒だし、資材の乏しい時代だから相互に融通とか試走とかあったの?
仙石線に限らないけど、昔の国鉄は機関士の立場が強かったみたいだけど、
電車の運転士は格下?
地方に散在した国電区間だと採用人員も限られるが、機関士ほど作業環境(特に蒸機)悪くないし、徒弟制度とかも
比較的厳しくなさそうなので電車の運転士の希望者が多かったような・・・。 昭和30年代の東北線利府〜鹿島台(小牛田)の運行形態
知りませんか
”利府駅で機関車増結解結して利府丘陵越えしていた”とか・・・ 仙石線は、やっぱり西塩釜〜東塩釜間が高架複線(ルートも変更)が
開通してから運転本数も利用客も伸びているんだね。
仙台から塩釜までの路線バス撤退も、以降検討対象になって
宮城交通と仙台市営バスのどちらが先に撤退したかは
記憶にないが時間7〜8便の路線バスを廃止に追い込んだ
鉄道っうのはすごいですね。 アイワ♪ カセット♪ ヤングサウンド♪ アイワ♪
三十数年前 仙石線のアコモ電車でアイワの仙台営業所(たしか鉄砲町)
へカセットレコーダーの持ち込み修理に行った記憶が甦った♪♪♪ 仙石線の青葉通りから延伸して北仙台経由で愛子まで複線の地下路線にするのはどう?
http://ayahanamizuho.jimdo.com >>138
電車線の活きる道が見えた気がした
喜ばしいことです 元私鉄線だけあって随所にうねうねとカーブが挿入され
車輪を軋ませながらゆっくり走ってた72系が思い出されます
私の地元ではまず見られなかったもので。 なんで19時仙台行きは1本しかないの?
帰宅ラッシュでしょ。馬鹿なの? >>138 そのうち、高城町で完全系統分離。あおば通発は高城町まで。
石巻行は仙台からの東北線経由直通快速と、高城町・石巻間の区間各停となるんでは?
40年位前は、時刻表見ると多様な系統があったなあ。特別快速に、快速でも本塩釜辺りから全部停車と、いくつか飛ばして行くのと。
特別快速、快速だけ、全列車掲載だった。 仙石線の103系 スカイブルーの塗装のミストがマスキングしてないのか?
屋根まで塗られていたな。郡山での定期施工がアバウトだったの?
それとも予備車確保に余裕が無いから工期短縮やっつけ作業だったの? 本塩釜駅で手回しの遮断機を操作していた
国鉄職員さん元気かな〜 >>147
京浜のクルマでも、妻面の押さえ金を越えて屋根にしぶきが飛んでたものだな。 >>147
確か455系でも屋根の肩まで赤くなってたのがいたから郡山の施工がアレだったんじゃないか 先週塩竈市杉村惇美術館「なつかしい昭和の写真展」
http://rail.hobidas.com/news/info/sp/article/post_797.html
見てきました
それほど広い展示場所ではないですが
鉄道絡みの写真は全体から考えると割と多く感じました
仙石線旧線の本塩釜駅付近や
塩釜港駅の貨物ヤード
大晦日の営業らしい塩釜港駅での塩釜神社参拝客向けDCなど
興味深かったです
説明が何も無いのが残念
美術に興味が無い人は2F廊下右側受付で支払い後
廊下に戻り左側です >>151
ありがとう。
きょう見てきました
懐かしいカットもありました
旧東塩釜駅の空撮もありましたね
むかしから東塩釜駅には電留線があったんですね
2編成分くらいの留置線ですかね
あと、本塩釜駅前のバス停にいたのは
前が仙台市営バスで後ろは山交バス(モノクロで断定はできませんが)ですかね?? よく仙山線複線化っていうけど、仙台の公共交通の主役は市バスよ。
鉄道沿線にない学校や企業に通学通勤する場合、
自分の家が沿線にあってもバス定期単体のほうが安い。
特に学徒仙台フリーパスなんて月5140円で市バス乗り放題
7500円で地下鉄のり放題もつく。
仙山線は、北山以外 仙石線は福田町周辺 東北線は岩切と南仙台までバス網は網羅してる
この状況下は時間以外は市バスに分がある。
ちなみに、760系統で西花苑から一番町に出ると仙山線使うより断然早い。
車が強い仙台市内だけ見ても、現状以上に鉄道に客は乗らないよ。
仙山線複線化してその費用をペイできるだけの集客が望めるのか。
鉄道以外に目を向ければよく分かる