仙石線 仙山線
両線は似て非なるもの
方や直流電化元私鉄買収の郊外電車線
方や汽車の走る列車路線を交流電化黎明に電化した路線 路車板のスレが落ちて懐かし板にスレが立ったでござる 青と茶色の旧型客車が走ってた頃、
熊ヶ根鉄橋を渡ってる最中を狙って便所に入り、
渾身の力を込めて大便して喜んでた、そんな奴は俺だけでいい
>< 仙石線の東名駅のプラットホームを保存する運動を始めませんか?
かつてここに東名駅があったという記憶を残す意味でも、
東日本大震災の記憶を残すという意味でも。 作並駅の無人化がやたら早かった気がするがどうしてなのだろう。
連続乗車券が3区間以上でも発券できたとき時刻表のピンクページで
連続乗車券の発券例として登場していたんだけどな。(というより
それで作並駅を始めて覚えた) 東日本交流電化発祥の地 作並
かっては、試験車両の基地や技術者で賑わっていたのに・・・
まさしく・・・夏草やつわものどもが夢のあと・・・ダナ。 もう10年以上前だが中学生の頃に仙山線にハマってよく乗ったわ。
北山形の仙山ホームで待ってたら、磐越西線用の赤い455が入線してきて、
なんで仙山線に?って驚きと興奮を感じたっけな。
クロに乗車したら確か半室グリーンになってて、普通車との仕切りはブラウンの色味が掛かった
ガラスの自動ドアで、客はおらずガラガラ。グリーン券は不要で普通車として開放されていた。
中学生ながらぜいたくだと思ったよ。 ウグイスに黄色の警戒帯の73…屋根には押し込みベンチレター いい加減、中江のファミマのとこの踏切なくせや!
あそこだったら仮線用の用地(旧JT跡地)あるんだから
余裕で高架線工事出来るだろ。 踏切があるのはともかく、一時停止無くしてほしい。
信号機つけるとかして。 運転室直後の窓は、タブレットキャリアの衝撃から守るため、塞がれていた >仙石線の電車 七十年代、仙台在住の俺は年に数度だけ仙山線に乗った。
当時は北仙台の次が陸前落合だった。急行の停車駅とかではなく、その間に本当に駅がなかったんだよ。
陸前落合まで来ると、雰囲気は「奥地」だったな。 松本清張「山峡の章」を思い出すな
まだ作並が仙台になる前 >>19
BRT?
>>18が言いたいのは仙台臨海鉄道みたいに踏切の車道側に信号機つけて一時停止しなくてもよくしろってことでしょ
まぁ交通量が多くて無理だろうけど 新石巻街道踏切って3車線から2車線に変わるとこの近くだから一時停止しないと、
踏切から出れなくなる奴多発しそうだな 昔の塩釜付近の仙石線高架橋が強烈だった。特に西塩釜〜本塩釜の単線鉄橋。 単線時代の本塩釜行きって、閉塞はどうなってたんだ?票券式? 八十年代に、一度だけ八ツ森に停車する便に偶然乗り合わせたことがある。
当時すでに地元民にも幻扱いされていて、「何でこんなとこに停める?」と思った記憶がある。もちろんその時も乗降ゼロ。
何かの本で見たが、今では板張りのホームに穴が開いてるらしい。 仙台駅本屋の左端に「国電のりば」という看板があったとか? ノンストップ快速の初期には、石巻の電車駅で乗車人員を計数器でカウントしていた アコモ車のモハはツリカケなのに1両ごとに側面にユニット故障表示灯がついていた 奥羽本線の信号故障で、何で仙台〜愛子間が終日運休に?
分からん… 仙台〜作並間はほぼ通常通り、その他は運休でいいんかい?
全く勘弁してほしいな
北山形での故障なら羽前千歳位まで頑張れよ 1980年の春、親戚の結婚式で山形に行くことになったが、ちょうど国鉄ストとぶつかった!
当時塩釜在住だったが、不思議なことに仙石線だけは動いていて、実際に本塩釜から仙台まで乗った。仙台からは宮城交通バスに乗ったが、あれは一体なんだったのか(全線運休ではない?) 仙台地区、国電輸送と言うプライドが仙石にはあった。 JR運賃値上げされると
路線図入れ替えとなるので
その際に八ツ森、西仙台ハイランドを廃駅にしそうで怖い
>>30
コンクリートの上にベニアを敷いている
数年前の夏訪問したときコンクリだけだった。 >>43
岩泉線を廃止にするJR東日本だからなあ・・・
東北の秘境駅は絶滅寸前だ 作並のグリーングリーンは今でも健在ですか?七十年代にはテレビ宣伝も流れてましたが。 仙石線に一時期101系が在籍していたけども、オールMなのですごく加速良かったの? >>45
ttp://www.ohshokaido.co.jp/hotelgg/
いろいろ変わったけど
ホテル自体は健在です。 今だから白状しますが、小学校の頃、朝は郵便車に乗ってました。
客車では押しつぶされそうだった。
デッキからほろけて死んだ友達もいたから、郵便車に乗せてくれたのかなあ、と。
いい時代だったのかも。 ほろける=(振り)落とされる、落ちるの意味です。
この言葉をスッと使うということは、50代より上の方でしょうか。 >>43
本当にそうなるとは・・・
JR東日本2013年度で秘境駅容赦なく切り捨てた。 103系から205系に置き換わって、なんだか仙石線に魅力を感じなくなってしまった。
決して205系が嫌いというわけじゃないんだが・・・でも仙石線には似合っていないんだよなぁ。
205系より209系とかE231系の方が似合いそうな気がする。
根拠はないんだが。 昔の仙石線仙台駅のホームは東北本線や常磐線のそれとは違う独特の雰囲気があったよね 旧型国電がよく似合っていた。
1976昭和51年に乗ったが昭和
30年代タイムスリップの感じ。
快速電車に吊り掛けモーターが何ともいい感じで似合ってた。 時代を彩った鉄道たち〜鉄道伝説〜
11/30 (日) 22:00 〜 22:55 (55分)
BSフジ
「仙山線 交流電化試験〜日本初の交流電化〜」
宮城県仙台市と山形県山形市を結んで走るJR仙山線。東北地方の山の中をゆったりと走るこのローカル線は、
日本で初めて交流電化路線開業の試験が行われ、開業したしたことでも知られている。蒸気機関車ではじまった日本の国鉄だが、
資源の少ない日本では鉄道動力の電気化が早い段階から望まれていた。日本の交流電化の技術は、昭和30年代にヨ ーロッパの
技術を参考にし、国内外の最新技術を採用。国鉄とメーカーの協力により日本独自に開発した技術である。
交流電化試験の成功で得られた成果は、その後の日本の鉄道技術に多大な影響を与えた。
後の北海道・東北・九州各幹線の電化だけでなく、世界初の超高速電車・新幹線の誕生にもつながっている。
日本の鉄道の近代化はまさにこの仙山線でから始まった。その開発の裏に秘められた鉄道伝説を紹介する。 40年前、床だけでなくボックス席も木製だったのは、仙石線のクモハ54かな。
東京からやってきた小学校6年生はこれを見て、青梅線の旧型国電よりダサい、田舎と感じた。
本塩釜付近の単線ガードも見ていてボロッちかった。乗務員扉の後ろの窓についている鉄柵、何のためにあるのだろうと不思議に思った。
仙台出発して、複線区間がずっと続くのかと思ってたらそうでもなく、松島海岸まで行くとローカル線の雰囲気。
車両の質や、複線区間の距離からして、青梅線の立川・東青梅間並みかと思っていた小学生の予想を裏切るものであった。 仙石線の103系、スカイブルーではなく、中央線のオレンジや、中央総武緩行線のイエローだったら、もっと汚れは目立たなかったのではないかと・・
松島の海沿いを走る電車にオレンジ塗装はふさわしくない、という苦情が出そうだが・・ 自己レス、武蔵野線や南武線からの転属車がオレンジやイエローの塗装のまま、走っていたことがあるんだな。
中古車両の吹き溜まりという感・・ >>57
これらの3ドア車は,仙台市電が廃止になった頃に運用から外れ,多賀城の中線や駅舎側の側線に留置されていた。
観光地も走る路線からクロスシート車が消えるのはちょっと残念だった。
仙石線では73系でも,地方では三段窓→下段の桟を撤去したサイズでアルミサッシ化した程度の,首都圏より格下の更新しかなかったし。
自分は地元民だが,茶色い手動ドア客車の東北本線よりは,仙石線の方が遥かにましだと思っていた。