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【夢をみた】0系新幹線13号【東海道 山陽】

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001回想774列車
垢版 |
2012/05/04(金) 03:11:31.27ID:bxzaeHcg
日本の原風景となった『夢の超特急』の想い出と現在を語る場所はこちら。

前スレ
【一緒に、夢を見た】0系新幹線12号【東海道 山陽】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1243951589/

過去スレ(鉄懐板時代)
【東海道】0系新幹線9号【山陽】 ----- 路車板からの通算で実質11号
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1229354118/


◆KANONeY3Gk氏ご提供 さよなら動画・画像のまとめ(仮)
ttp://www.occn.zaq.ne.jp/hibiki/0kei/newpage1.html

JRおでかけネット:ありがとう0系新幹線
ttp://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/
残存コンテンツはあるもののリンク切れ


>>2以降に過去スレ(路車板時代)
0933回想774列車
垢版 |
2020/11/12(木) 18:57:57.49ID:qzEopWvZ
今から30年くらい前
東京駅行き最終の博多駅発が17時13分
現在は18時59分
ずいぶんと遅くなったね
その分福岡県の滞在時間が長くなった
でも今の博多駅行き最終の新幹線って新大阪駅から出る最終を博多駅まで引き延ばした形

1997年、JR西日本でも、500系新幹線車両の運用開始当時は
500系のぞみ号は新大阪駅発車出発から岡山駅、北九州市の小倉駅停車だけでも、新神戸と広島は通過する速達列車が構想されていた。
この、途中駅が岡山駅と北九州市の小倉駅だけの停車だと、新大阪から博多まで2時間10分程度での到着を目標にしていた。
また、東京駅から博多まで最速で4時間40分前後の到着を見込んでいたそうである。

また、新大阪、新神戸を発車したら北九州市の小倉駅まで通過する速達の500系のぞみ号が構想されていた。
この最速達の500系だと、新大阪駅から博多まで1時間55分前後、東京駅から博多駅まで4時間30分前後を見込んでいた構想があった。

特に、大阪府内から福岡県内は山陽新幹線と航空路線が競争関係にあったから理解可能である。


1997年、JR西日本でも、500系新幹線車両の運用開始当時は
山陽新幹線でも、500系のぞみ号を運用するに当たって、航空路線の乗客獲得競争の観点から鑑みて
岡山、広島、新山口駅の3駅は名古屋駅と東京駅方面に主眼に置かれていた。
0934回想774列車
垢版 |
2020/11/12(木) 19:48:56.63ID:qzEopWvZ
新幹線でサントリーオールドの380mlを駅で買って飲みながら、博多まで出張で行ったことあるよな。

当時は0系ひかりで7時間以上掛かった好い思い出だ。

男が社会的に成功したかどうかが、クラウンに乗ることと
サントリーローヤルを寿司屋でボトルキープできるか、で 目安にされてた時代があったんだよな。
うちの親父は脱サラして商売やって、7〜8年でようやくクラウンに乗って、寿司屋でローヤルをキープした時、本当に嬉しそうだった。
バブル崩壊直後は持ちこたえたが、その後の長引く不景気で会社は傾いて最期はみじめな人生の終わり方だったが、
サントリーローヤルを見ると、あの時の誇らしげだった親父の顔を思い出す。

つまりサントリーローヤルはバブル凋落の象徴。

サントリー 響も安くて薄っぺらな酒になったし、ユニクロみたいなブランド価値。


人手不足と言いながら、賃金はあまり上がっていない。少子高齢化で、高齢世代の扶養に金が注ぎ込まれ、
日本経済全体に余裕がなくなっているからだ。
新興国との競争も厳しくなっているから、非正規雇用の比率が大きくなっている。
0935回想774列車
垢版 |
2020/11/12(木) 20:25:14.07ID:qzEopWvZ
昔は日本の東海道本線も終夜運転だったな。
50年前のダイヤは沼津か静岡まで15両があったから、下り終電熱海着が2:05だったんだね。乗客どれだけ乗っているのか気になる。


50年前の1970年は通勤電車に冷房車が入りテレビも民放に関してはカラー化率がほぼ100%になってた
50年前の1970年は地方も最低2局は民放テレビが映るようになりまた北陸本線では快速電車が既に走っていた
50年前の1970年は公害のピークであり翌年から四大公害裁判が相次いで提訴されるようになった


50年前の日本列島が大阪万博に沸いた1970年(新幹線が開業して6年目)に、東京→新大阪はいくらだったのか。
 ・ 東京都区内から大阪市内までの運賃 → 2,230円。
 ・ 東京から新大阪までの特急券(超特急ひかり号を利用)→ 1,900円で、合計4,130円。
 ・ 東京から新大阪までの特急券(特急こだま号を利用) → 1,500円で、合計3,730円。
 ・ 東京から大阪までの急行券(桜島・高千穂号を利用) →  300円で、合計2,530円。
ちなみに1970年の大卒初任給は37,400円(これは公式発表の数字)。
仮に現在2020年を220,000円とすれば、ほぼ妥当な数字だろうから、その比率は6.15倍となる。

さて、ここで計算(×6.15)をしてみよう。
 ・ 当時ひかり号利用だと現在の金額に直して → 25,400円。
 ・ 当時こだま号利用だと現在の金額に直して → 22,900円。
 ・ 当時、急行利用でも現在の金額に直すと  → 15,600円。

新大阪〜東京は新大阪〜博多より距離が短いのに実勢価格が高い

客数も多いし東海は確かに儲けすぎだな
まあ、人それぞれ感じ方や意見が違って当然だろうけど、こういう一面も参考に見るとよい。
尚、手元に1970年の時刻表があり、現実その時代に新幹線を利用していたのでちょっと触れてみた。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。

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