ひかりこだまの分離はさほどでもなかったが、万博前の共通予備あたりから編成替えが複雑化した
その後はこだま売店車組み込み、こだま変則編成のひかり転用などゴチャゴチャに
それに輪をかけたのが博多開業の食堂車組み込み
1両もムダにせず、最終的に保留車を発生させなかったのはさすがだが…

1000番台置換も最初は規則性があったが、こだま編成削減のあおりでグチャグチャに
2000番台は最小限の製造に抑えられ、国鉄末期の苦心が伺える