【夢をみた】0系新幹線13号【東海道 山陽】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日本の原風景となった『夢の超特急』の想い出と現在を語る場所はこちら。
前スレ
【一緒に、夢を見た】0系新幹線12号【東海道 山陽】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1243951589/
過去スレ(鉄懐板時代)
【東海道】0系新幹線9号【山陽】 ----- 路車板からの通算で実質11号
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1229354118/
◆KANONeY3Gk氏ご提供 さよなら動画・画像のまとめ(仮)
ttp://www.occn.zaq.ne.jp/hibiki/0kei/newpage1.html
JRおでかけネット:ありがとう0系新幹線
ttp://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/
残存コンテンツはあるもののリンク切れ
>>2以降に過去スレ(路車板時代) 杜撰すぎ…
現場で時間かけてきちんとボルト外してあげて(´・ω・`) 今更ながら貼っておく
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141118-35056704-cnn-int
これを機に車内チャイムを・・・・。 443です。鉄博の21-2の台車見てきた。
問題の箇所と>>442の画像と見比べたけど、仮に同じ箇所でぶった切ったとしても全く分からない。
間近で見れたけど、細かくやるなら横の棒(ダンパ?)の先端でナットを回して外せそうだけど
塗料で固着されているから外しにくそうなのは容易に想像出来る。
それに動かさないのだからいっそのこと切っちゃっても簡単に復元出来る方法を選択したのだろう。
まあ21-1も京都が開館して下回りが見れても多分言われないと分からないと思われる。 弁天町に搬入当初も数日は露天状態だったね。
館内保存でも、車両の間なんてカビかホコリか判らないもので覆われていたし。 6年経過…。
0系と先人たちに、感謝と敬礼を。
∠(・○・) 今月号の鉄道ファンに0系1次車が244km/h出したとあるが平坦線均衡速度は235km/hであるため下り坂で加速付けたか弱め界磁搭載したかのどっちかだな >>387
東海道区間に行かなくなっても、あの写真の中では最後まで走っていた… 0系の加速度が1992年から1.0km/h/sから1.2km/h/sに引き上げられたのはMT200Bへの統一の他に加速度引上げでのぞみから逃げるためというのもあるかと 走りゆく勇姿が永遠の記憶になって6年。
33年の差はあれど国鉄最後の蒸機牽引の定期旅客列車と同日でもある。 500系と一緒に神戸まで船旅したんだな。
京都まではトラックかな?
整備されても、もう鉄路は走れないか… >>466
500系(521-1)と一緒に行ったのは
100系(122-5003)じゃね? 咆哮のような警笛を鳴らして団子鼻は走り去っていった 新幹線0系は軸重が電気機関車並に重かった
951形で枕木折損事故を起こしてから軸重を軽くする方向に行った
300系では11.3t以下にする事で静粛性と高速化を両立させたが さよなら運転最終日、大都会のビルから見送ったことは忘れない 先月の鉄道ファンにC編成が244km/hで高速試験を行ったってサラッと書いてあったが、検索しても何処にも載ってないし驚いた
久保敏さんの記事だから確実なんだが、いつも弁天町で見てたあのトップナンバーが最速の0系だったとは… 俺もそれは初耳だった
しかしなんで244みたいな中途半端な記録にしたんだろ
250だとキリが良かったのに 昨日、NHKドラマで鴨宮試験線を再現していたけど十河総裁役の
伊東四郎が運転席から手を振っていたのは博多の22-1047かな。 リニア鉄道館で0系と100系を比較して気付いたんだけど、スカートの塗装が100系では光沢があるのに対して0系はツヤを消しているのは何でだろう? 2000番台のリクライニングシートは結局黒歴史だったな
全座席の3割位後ろ向きになってしまったがマルスでは前向きから優先的に割り当ててた
100系ではシートピッチを1040mmに広げて3列側も転換可能にしたが
その後シートピッチ980mmでも転換可能な座席(両端の肘掛を残して回転させる)が開発されてJR西車に取り付けられた
東海車の指定席や西日本車のWR編成の2+2シートは後ろ向き座席対策だったという見方もあるはず 笛吹きサンケイフリー運転バイト宿ラーメン
笛吹きサンケイフリー運転バイト宿ラーメン 富士の0系新幹線の保存車に「こだまモデル」と書いてあったが、この車両は「ひかり」として走ったことはなかったのかな? 試験で0系タイプの922型が0系の中間車を編成中に組み込んで走行したこともあった 黛チャイム大好きだけどな
いかにも大阪万博の「動くパビリオン」に位置付けられた感じがして 488
登場する100系の屋根上に特高圧引き通し線を搭載するため、922型と0系中間車を
連結して屋根上に特高圧引き通し線を搭載しての試験走行だったと思う 0系で特高圧引き通しはJR西でやろうとして頓挫しなかったか?
準備工事してたものの実際は物理的に不可能だったとか この話、なかなか面白かった
ttp://n2ch.net/r/x_E-----F/jnr/1430407574/l127?guid=ON#b 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:39828eafcc6c2073b074103bd7eecdc9) >>493
博物館入りリストからスルーされた22-86が残ってるなら 911型DLも運転台は0系とまったく同じだった
最近、浜松工場の一般公開では同機は展示されなくなったが、解体されたのだろうか >>497
博物館開館前のなるほど発見デーで収蔵される為綺麗にされて展示してあった21-86他4両と100系2両・300系2両・300X先頭とは別に 参加せずにシャトルバス車内から見える工場端っこに機器搬入口から錆が出たまま放置されてたからなぁ >22-86 >>498-499
詳しくありがとうございます。
やはり解体されてしまったのでしょうか? 浜松のイベントも最近の新幹線の展示ばかりになったからつまんないな 503
そして、イベント会場で売られてる鉄道グッズも最近は子供向けの品物ばっかりで、
あまり買う気になれなくなったな >>500
今年もチラシ見たら展示無いっぽいから消滅かな? 小倉商事にいるトップナンバーたちは何時になったら京都に行くんだろう >>506
やはり解体されてしまった可能性が高いですね
同じ静岡県内にある富士の公園の0系が大事にされているのとは対照的ですね 前は浜松駅からの送迎バスから見えた気がするのですが、残念です 日本で最初にゴム製の転落防止幌を開発したのが新幹線0系だったな
しかも転落防止ではなく気流の乱れの防止による空気抵抗低減が目的だったがまさか転落防止用に在来線にも波及するとは思わなかった
151系やキハ80系はジッパーで止める全周幌だったが脱着に手間が掛かる上に大して効果が無く撤去された トイレは最初貯留式だったが東京〜新大阪1往復しただけで満杯になるので循環式に改良されたな
トイレの水が青かったが薬液を混ぜてるために家庭用のトイレ洗浄剤よりも色が濃いが使ってるうちに黒くなっていったはず
N700系は航空機と同様の真空式で水が最小限で済む上に透明になった 車体重量がとんでもなく重かったな
乾燥重量が60トンくらいある車両があった
帰省ラッシュの時なんか乗客の重量が重くて総重量70トン超えてたんじゃね?
もっと凄かったのが新幹線E1系で鋼製で2階建てだったので0系より重かった
新幹線は軌道が頑丈なのでどんなに重くしても大丈夫だと思ってたら951形で枕木割損事故を起こしてしまいそれから軸重を軽くする方向に行った 1/2次車の1編成全車のサボ受けに萌えな俺w
ただし行先サボは先頭車にしか付けなかったけどな。 行先サボが先頭車だけにされたのは、サボに列車の号数まで入れたために、
異常に差替えの手間がかかるシステムになったのが敗因だが、
そこまで号数表示こだわったのはなんか理由があったのか?
行先と「ひかり」「こだま」だけで十分すぎると思うんだが。
ホームの表示器では号数を案内しないつもりだったとか?
号数入りサボは、サボ自体の運用ダイヤ(使用済みは回送が必要)を考え始めると、
頭がクラクラしてくるな。 サボは盗難と走行中落下事故多発で途中で使用をやめたために列車に一切表示が無い時期があった >>514
やってみたら大変でした
ということじゃないかな単純にw >>514
ホームの表示機では号数案内していたろ? >>514
行先表示だけじゃなく列車種別や号数まで1枚のサボに纏めたのは流石に無理があったな
行先用サボと種別サボを別々にして、種別は「のぞみ」がある今と違って「ひかり」か「こだま」かの2つしかなかったんだから表裏ひっくり返して使うようにして
車両に備付けておけばサボの運用が少しは楽になる
号数表示はどうしても盛り込みたかったら当時の国電の101系・103系などの列車番号表示と同じように幕で対応すれば面倒も少なかったかも
幕を使うなら最初から全部幕にしておけと言えなくもないけど 0系1・2次車製造時には、まだ電動方向幕は例が無かったから、
号数表示を変換式にしようとすると、手動幕しか方法が無いなぁ…
と思ったら、いいのがあったじゃないか…
「ニキシー管表示器」
車体に取り付けられた姿を想像すると萌える…
それはさておき、
号数表示サボの運用ダイヤだが、例えば表側を「6時発新大阪行」にしたら
その裏側を同時間帯の反対列車「6時発東京行」にする。
これを2セット用意しておけば、たとえダイヤが乱れても、最低限当日中に
終着駅に着けば、翌日からは平常通りの運用で回せる。
もちろん
・上りと下りでペアとなる適当な列車が全て存在すること。
・終着のたびにサボは全て交換すること。
が前提になる。
おそらく実際もこんなやり方だったはず。
車両の運用に合わせて(サボの交換を極力減らすように)、「6時発新大阪行」の裏を
「午後発東京行」とかやってしまうと、サボの枚数は最小限になるが、ダイヤ乱れ時は
収拾がつかなくなってしまうな。 スリムラインのことを言ってるのかと思うけど、あれって初めて装備されたのって72年度製の14次車からだからね。電動方向幕もその14次車から。 第14次車は1973年製。
博多開業まで2年を切り、行先や「ひかり」停車パターン増加などが見込まれ、方向幕等を整備することにした。 >>525
君の目には72年「度」という文字が見えないようだね。 今日の浜松のイベントは0系新幹線の展示ありましたか? >>531
リニア館に行った0系以外にもう1両0系があった 個人的には浜松のイベントは現行車両ばかりの展示になってつまんなくなっちゃったな >>533
浜松にはもう0系はないけど、富士にはあるよ 福岡市早良区のさつき幼稚園で図書室と職員室として使用されている0系先頭車22-77
「こだま」用として使用されていた
同幼稚園が移転する際、車体を3分割して移動後、溶接されて復元されたが、その後、
屋根が白く塗られてしまったのが残念 >>535
屋根が白い0系はプラレールを実車化したみたいに見える >>533
同感ですね。
まあ広く一般的なニーズに応えようとすればこうなってしまうのは致し方ないとは思います。 >>537
0系も一般的に人気ありそうですけどね
名古屋にあるからいいや!という感じで解体されてしまったのでしょうか? 新幹線を走らせた男―国鉄総裁十河信二物語 単行本(ソフトカバー) – 2015/9/11
高橋 団吉 (著)単行本(ソフトカバー): 736ページ出版社: デコ (2015/9/11)
戦後70年記念ノンフィクションノベル。
十河信二なくして、新幹線は開業せず。
新幹線開発計画に対する反対派との戦い、莫大な資金不足、苛烈な労使問題、相次ぐ大事故により辞任に追い込まれながらも、 「世界一の鉄道をつくろうじゃないか」と叫び続けた。
揺るがぬ信念を貫いて新幹線を走らせた男、第4代国鉄総裁十河信二の物語。知られざる新幹線誕生秘史 500系は未だに大人気!
新大阪でもN700Aなど子供も鉄道ファンも全く見向きもしないが
500系になるとだれもが注目するほどの大人気!
これが西日本の車両の実力というものです 今読んでるw
ラピタの連載とは繋がってないようだが
よくぞというほどの濃さだよ あの日から7年が経ちました。偉大な先人たちとその精神に感謝。 90/8/25
21-130
26-579
25-906
26-943
25-830
26-944
27-83
36-83
37-1070
26-1262
15-89
16-136
25-907
26-580
25-908
22-130
この日は団体運用
小田原駅にて ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています