【大元】岡山臨港鉄道について語ろう【岡山港】
昭和59年に惜しまれつつも廃止された岡山臨港鉄道について語りませんか? 言っちゃなんだけど
この鉄道、なんか地味過ぎる。
旅行で岡山県内各地に行ったり通過するとき
それぞれ付近や所縁の地に近付いたときとか
西大寺鉄道、下津井電鉄、井笠鉄道は
脳内に意識するけど、
岡山臨港はまったく一度もない。
いまこのスレに書こうとしてレスしたのも
たまたま見かけたからなんよ。 >>126
スズキALTOも懐かしいです
ナンバー付き、いいな >>128
その三つは有名なナローだからね、逆にここと水島は特に景色が良いわけでもない。
江若や夕張の生き残りも、当時はまだ関東、筑波、鹿島にいたからな。 宇野線の車窓から分岐するレールを見るだけだった。
乗りたくても本数が少なくて、わざわざという気にもならず。
車の免許を取ってから廃線跡を辿ったぐらい。 >>128
現役時代を見てないから
そう思うだけ。
元江若の流線形と大元駅で遭遇したら
脳内が一気に覚醒するよw
さらに南岡山の車庫で昼寝してる
元常磐炭鉱のDCは下津井の比じゃないな。 ↑
わかってるよ。この専用スレに居る人に同感なんて求めてないよ
地元民あるいは岡臨愛好者以外の一般ヲタの感想を述べてみただけ
俺以外の一般ヲタも大して違わないだろうってだけ >>130
水島に関しては現役路線だから対象にしなかったが
昔から倉敷行ったり通るときは認識はしてるよ
いつも改札前まで行くものw
確かに存在に関しては地味は地味だけどね あのクハ16はディーゼルカーにするつもりだったのか 廃止の時点で全区間片道120円はメチャ良心的だった。
ちなみに岡山大元はたしか130円。 132の続き。
大元駅で遭遇した元江若のDCに
当時は衝撃を受けたわけだが、
今から考えると岡山から乗った国鉄も
旧国の80系か72系だったはず。
国電に見向きもしなかった贅沢な時代だった。 子供のころ(1975年ごろ?)、大元から新保まで線路を歩いて帰ったことがあった。
1980年頃に乗った気動車は床が木で、板の隙間から線路が見えていた。 岡臨は地味な鉄道で廃線からかなり経つのに、最近、岡臨廃線後に生まれたような若い鉄ヲタにも注目を浴びているね。
その理由は何だろうか? >>144
俺は岡山在住だが、立地の良さかも。
のぞみ停車駅から大元までひと駅、そこから廃線跡めぐりが出来る。 こんなスレあったんだw
新保原住民だが言わせてもらおう、
新保駅跡に埋めてるレール、JRのレール幅測って埋めたろ?
肝心なところ間違えてんじゃねーよwww >>142
それもそうだけど、第二エンドに簡易運転台がついていて、片目の妻面を頭に走ってたこともあったね ファニーフェースのキハ5001共々、見ておきたかったな
晩年はラッシュ時間帯でもろくに走ってなかったよな 7000系って、3両とも車番以外ほとんど同じだと思い込んでいたが、
調べなおしてみると、各車ともかなり差異があるんだね。
特に7003はほかの2両よりも違いが多いな。 >>151
もちろん近代化改良済だが元江若の流線形DCは戦前生まれ
元夕張の湘南型の方が新しいし使いやすかったので
元江若の出番が少なかったのは致し方ない >>151
平日の日中運転で乗ったな廃止2年前だったけど。車内はキハ7000と比べると意外としっかりした造りだった 臨港鉄道の話題とはズレますが、鹿田駅が移転して大元駅になった経緯について知っている人いますか?
ネットで検索した限りだと都市計画のためという抽象的な理由しか見つかりませんでした >>150
わあそれも見たかったなあ
何度も中国筋に撮影にいったのに
なんでスルーしちゃったかな 末期は客が減ってしまって、朝の通学時間帯でも単行だったっけ
バイク通学禁止にして高校生だけでも囲い込めてたらもう少し長生きできてたかもしれない 今なら昔よりも需要が多いかも。
新保・泉田も住宅増えたし、渋滞は一段とひどくなった。 >>166
岡山県は三ない運動を県全体では実施していない様で。 安い運賃で頑張っていたな。
末期 岡山・大元 130円
大元・岡南元町 120円 >>173
昔の本を見たことがありますが、玉野市電や下津井の改軌等を含め
児島半島一周鉄道の一環だったとか 港へ向かう貨物輸送主体の路線自体なくなったな。
どこか残っている線ある? >>169
ど田舎すぎると家業で乗るケースが多く禁止しづらかった >>179
隣の広島県は教育委員会主導で強制力のある罰則付きで実施してるんだよな。
しかもイデオロギーでは教委と対立している教組や解同もこの件では割と協力的だった。
このせいで広島県教委と公安委員会は仲が悪い。 開業も廃線も昭和の路線って、意外と珍しいと思うのだが、岡臨以外にある? >>186 都電板橋線、赤羽線、小松川線、北海道拓殖鉄道、国鉄美幸線、羽幌線、白糠線・・その他にも色々あるだろうけど。 国鉄路線、簡易軌道等除き思い浮かんだのは
天塩鉄道(1941〜1967)
姫路市営モノレール
ドリーム交通
他にも昭和初期開業の私鉄とかにありそうだが思い浮かんだのはこれだけ 北海道の国鉄ローカル線、瀬棚、松前、広尾、興浜南・北、他にもあるだろうが、いずれも部分開業含め昭和時代に開業し平成以前に廃止。 >>187
日中線、清水港線、赤谷線、魚沼線、勝田線、妻線、大隅線、相模線西寒川支線、その他多数 >>188
ドリーム交通モノレール大船線の路線廃止は2003年
【廃止時の概要】
事業者:ドリーム開発株式会社(株式会社ダイエー100%出資)
路線名:ドリームランド線(大船〜ドリームランド 5.3km)
方式 :磁気浮上鉄道(HSST方式)
【沿革】
開業:1966年5月2日
運行休止:1967年9月24日
正式休止:1967年9月27日
廃止:2003年9月18日
ドリーム交通は1982年に解散したけど大船線自体は
管理会社のドリーム開発が継承、引き続き運行再開を模索するも
親会社ダイエー破綻により頓挫、結局は廃止により施設解体 岡臨なつかしい。
短区間だが、末期は元夕張の転クロ車(ただし非冷房車)が入っていた。 所詮引き込み線だから難しかったと思うよ。
これが岡山に電化直通をしていれば、通勤路線にでもなったかな。 岡山まで直通していても、臨港鉄道大元駅周辺の高架化は難しかっただろう。
その時点で廃線になっていたかも。 夕張からのキハは何度も拝ませていただきました
江若の流線型よりも好きでした もと夕張はこれぞザ・湘南だから、テツの道に深入りすると物足りなくなり、江若の方に興味が向く もと江若で ごろっとしたかんじで正面は大変ブサイクなのがいた 更新でああなったらしい 鉄コレ22弾で製品化されてたなキハ5001
やはり江若から転入したキハ5002と元は同型で、更新後が恐ろしくブサイクだったにも関わらず、実車も廃線後保存されたものの結局解体されて姿を消したようだが >>166
バイクよりも自転車通学が増えたのも大きな原因。
自転車通学なら列車の時間を気にしなくてもいいからな。
しかも岡山は雨の日も少ないから自転車通学に適してるし。 59.2のダイヤ改正でも貨物が残ったから生き残れると思ったら翌年大元駅の貨物取扱が廃止であっさり廃業してしまった、国鉄直通だったらもう少し生き延びてたかも。 >>212
RMライブラリー「岡山臨港鐵道」にその辺りの話が記載されているけど、本当かどうかは知らん。
堂々と間違った事が書いてあるから。 ずっーと赤字経営だったでしょ
よく耐えたよ
褒めてあげたい あったかどうか知らないけど、欠損補助程度では焼け石に水なんだよ 欠損補助だけでは足りないなんて言われてもなあー
施設や車両の維持・更新の費用まで公費で面倒見ると
もはや民間企業じゃなくなるよな 両備が小豆島へのルートとして買収すればよかったけど >>219
江若から2両買ったが、お直しされなかったほうはほとんど使われてなかったらしい お直しした方が第三の職場に行けなかったのが残念
片上や水島に引き取ってもらうのは無理か。 あれは更新されてたとは言え、戦前製でそもそも一両だけだったからな
てか廃線時は国鉄はキハ20系が廃車進行中だからキハ20系の方が両数揃うし
実際2年足らずで水島にはキハ20系入り始まったし >>223
理想はそうだけど江若時代にかなり大きな修繕をしてそれでも江若の技術者があまり長持ちせんだろう、と見切られてたので第三の職場でもどのみち長生きは無理だったのかなと