混合列車
昼にMXで放送してた国鉄のPR映画「生活の中の鉄道 ローカル線」で
色々混合列車が映った
五能線8620の混合列車
日中線はC12の混合列車 1969年の映画だったが当時はC12だったのか
高森線C12の混合列車
あと路線はわからなかったが気動車3両ににワムワラ2両を繋げた列車も登場した SLやDLが牽く混合列車はあったが、ELの牽く混合列車ってあったんかな?
もちろん荷物車両は別として。
また、「北星」に連結されていたワサフ8000や「カートレイン」も、
ここで言う“混合列車”の意味あいとは違うので除外して。 >>76
山形交通高畠線
ED2+貨車+電車1両(客車代用)
国鉄の場合は電化するほどの需要があったら、その前に客貨分離しただろうな。 近鉄西信貴ケーブルのコ7形+コニ7形は混合列車なのか? 三菱大夕張の混合列車に乗った。カーブの際に石炭車のはるか前方に見える
機関車の力闘を思い出す。 混合列車というと、尼崎線と清水港線の印象が強いな。 >>69
貨車が10両までの場合、客車のブレーキ扱いになります。
貨車が11両以上の場合、貨車のブレーキ扱いになります。
貨車が11両以上の場合、ブレーキシステムの違いから制動や緩解の際の衝動が
大きくなるため、客車の附加空気タンクの締切コックを締め切り、貨車の
制御弁のシステムに合わせ、貨車のブレーキ扱いを行うこととします。
貨車が10両以下の場合、ブレーキシステムの違いによる影響は少ないとされ、
客車の附加空気タンクの締切コックの操作は行いません。従いまして、貨車が
10両以下の場合、客車のブレーキ扱いとなります。 国鉄のディーゼルカーでは、キハ20+キハ35+キハ35+キハ40+キハ55という編成は日常茶飯事だった。 小学生の時に五能線の混合列車に乗って、深浦まで
海水浴に行ったなあ!
70年代後半の頃でした。 写真でしか見たことないが、三重交通志摩線は
11m前後の小さな電車が貨車を牽いて走ってた。
物凄くノロかったそうです。 モーター出力が40kwにも満たないのだから力が弱い
だからスピードも遅いのは仕方ない 牽引する電車の連結器や台枠には影響でなかったのかな 塚口からでていた尼崎港線は、DD13の混合だったけな 海外行けばまだ混合列車走ってるんだろうか?
周辺国の状況
南朝鮮 かなり昔に消滅
北朝鮮 かなりの田舎路線に残存?
中国 90年代後半に時刻表上から消滅
モンゴル 時刻表上ではかなり昔からない?
ロシア バム鉄道末端(ガバニ周辺)で90年代末期まで走っていたらしいが近況は不詳
ベトナム 90年代前半までは支線で走っていたらしいが近況不詳
カンボジア 旅客営業休止(休止までは貨車の最後尾に客車数輛連結)
フィリピン 国鉄の貨物営業廃止が早かったので消滅?
タイ・マレーシア・シンガポールは情報がないので記載なし
ラオスは近年まで鉄道自体がなかったので記載なし タイ東北本線で今年目撃
ただし雑多な貨車ではなくコンテナ車
帰国後調べたところ定期列車らしい スイス・オーストリアの私鉄ではありそう
特に電車が1〜2両の貨車を引くパターン スイス:クール→サンモリッツで実際に乗りました
7両ほどの客車の後ろ1等車のさらに後ろ最後部に1両コンテナ車連結
根室本線以来の混合列車乗車
すれ違う列車でも一番後ろに1両貨車連結は、サンモリッツまで二回交換遭遇しました
そのあと、ベルニナ線でも一度遭遇
時々あるようです
相当前ですが、イタリアで、DL+客車4両(制御客車)に貨車1両
プッシュプル列車ですが、貨車だけは常に一番後ろ、よって終着駅で編成替えをしたようでした >>96
40kW(中波帯の送信出力)くらいあれば、北海道全域まで電波を送れるだろう。
夜間は関東地方辺りまで十分に電波が届く。 久留里線で見かけたっけな
銚子電鉄とか小湊鉄道とかにもあったのだろうか >>102
ttp://pbs.twimg.com/media/B4_AwmVCcAA0Y9Y.jpg
朝鮮の混合列車の画像 >>108
小湊鉄道では90年代半ばに
バラストを積んだ無蓋車を営業列車で推進運転させてたのを見た事がある。
下手したら今でもやってるんじゃないかな。 >>110
それマジかw
法規上、この場合25km/h以下の運転になるはずだぞ、確かw 五井駅を出てすぐの踏切で目撃したから
スピードを出した所は見てないけど
乗客は確かにいた。
あと、無蓋車の荷台前部に前方を監視する社員が乗ってた。 >>89
三重交通繋がりで、松阪線も201や251が小さい有蓋車を1両牽いてる写真が残ってるね 俺は羽後交通雄勝線の単車が貨車を牽引してる写真を親類から貰って保存してる 単車が貨車を牽引なんかしたら台車がクラッシュしないのかな? それはEB10に対する挑戦ですか?
そりゃ速度は出せないだろうし牽引力もない。
しかしデワが貨物列車を引かざるを得なかった路線はいくつかあるよね。
日立電鉄は二両のデワが貨物列車を担当してたようです。
秋保もB型しかいない電鉄だったような。
最高速度はどれぐらいだったのやら。 もし機関車が2機使えるならプッシュプルという手段もある。 弘前電気鉄道
電車+貨車
但し昭和45年限りで貨物全廃
(弘南鉄道に経営譲渡する際の条件だったんだと)
沿線住民は迷惑だったろうなあ
まだトラック走らせるような道路じゃなかったからね、その頃は。 銚子のデキだって或いはヤマサ醤油の保存機だって小さい車体で頑張ってたじゃないか
貨車なんて平坦線なら手押しも可能だからね 客車と貨車の重量差でブレーキ扱いが難しかったのでは?
重い貨車がブレーキの効きが悪くどんつきが頻発した? >>125
重量に関係なく貨車と客車の編成比率でK弁優勢となるとA弁伝家の宝刀の階段弛めが
使用不能になるからね。 南米の砂糖黍畑やコーヒー畑の中を混合列車が走っていたら萌えるんだけどなw >>120
その話聞いたことがある
たしかに当時の現地の道路事情はまだまだ悪いままだったが
経営面では貨物は経費だけ嵩んで売り上げが大したことないということで
“お荷物”(弘電)を引き受けるなら極力軽くしたいという意向で全廃させたとか。 混合列車は運転が難しかったとか?
客車と貨車の重量差でドン付き凄かったうえに貨車がK三動弁で「ちょっとだけ緩める」が出来ず(緩めたい場合一旦全緩めして込め直す必要がある)厄介だったはず 北海道の大夕張鉄道なんて最後で混合だったけどどうだったのかな? こんなに機動力が低かったらスピードでもクルマに勝てませんな
貨客分離は生き残りには必須だったと 三菱大夕張は撮影に行ったが客車と貨車がそれぞれ一両ずつでは
あまりにもこじんまりしすぎてて画的にいまひとつと感じシャッターを押せなかった >>23
> 混合列車で糞尿輸送+旅客
終戦直後の西武農業鉄道ですね
上記の混合列車は、ほんの数年しか存在しなかった(糞尿輸送の終了)そうですが。 糞尿貨車との混合は乗客より沿線住民の方が反発が厳しいのでは?? >>138
その感覚はちょっと珍しいな
貨客が何両も繋がってる方が趣が削がれて
撮る気が萎えるのが普通 営団の車両だらけになるかなり前の日立電鉄でも一度、電車が貨車を牽くのを見たな。 >>144
「普通」
そうやって言い切れるのが凄いと思う
マジで。 日立電鉄でもあったの?
メチャメチャ地元だのに見向きもしなかったわ 読売の電子版によれば、コロナによる減収を補うため新幹線が宅配便業界と提携して荷物の輸送を本格化するらしい
廃れたかに見えた貨客混載がコロナによって甦るとは… 行商電車や近鉄の鮮魚電車のようなものを混合列車というのかよ? ワムタキトラと旧客が一番似合う。
今実現するわけないがコキだけでは違和感あり。 >>151
どこかにそういう記述があった?
見てみたい 最近は新幹線でも荷物を運ぶ。
1両全部荷物室になったらどういう扱いになるかな? 一回だけ真冬の釧網本線で乗ったことある。 面白かった。 冬の五能線ではオハ61形にディーゼル発電機を吊り下げて暖房していた。 倉吉線の関金発倉吉行き列車
機関車はDE10、合造車と旧型客車の2両編成だったが、途中、西倉吉駅で
客車の前に貨車の連結が行われた。 >>158
新幹線の荷物輸送なんて40年前からやってる
荷物は旅客輸送の範疇だから混合列車ではない 『混合列車』とは、「客車」と「貨車/貨物車」を一緒に牽引する形式を言う。
「客車」と「荷物車」を一緒に牽引する形式は、混合列車ではない。
荷物車には、郵政省保有の「郵便車」も含まれる。
国鉄晩年には「カートレイン」や「モトトレイン」も短期間存在した。
客車と貨物車を混成したものだったが、専用車両による固定編成だったため、混合列車ではなかった。
(^。^)y-.。o○ >>163
混合列車でないのは固定編成とか関係なく
クルマやバイクが手荷物扱いだったからだろ K三動弁の貨車と混結すると階段緩めが出来ないので乗り心地最悪だった?
全部緩んでしまうので込め直ししなければならず短時間に繰り返すと元空気ダメの空気が底をついてコメ不足になる 日中線で乗った。
夏だったけど、冬は暖房どうしていたのか気になった。