混合列車
>>43
そういう事をスイスでは実際にやっているみたいですね(宅急便の配送車ではなく郵便車ですが)
確かポストバスとか言ったはず 前にどこかの地方の貨物配送会社が人を運んで
タクシー類似行為で摘発されたはず
荷物の付き添いで人も添乗していい決まりを援用して
例えば婦人を運ぶのにハンドバッグ配送がメインの仕事で
婦人はその付添にすぎないという理屈 >>45
もっと複雑な例では、タクシー会社が荷物輸送の認可も受けていて、
タクシーを利用した荷物輸送業務をしている場合。
その荷物輸送に人が付き添った(人を運んだ)という事で、
道路運送法違反で摘発された例があったかと。
(記憶が間違ってたらすまん)
ブツは新聞記事か雑誌原稿か何か、そういう特殊な物品だったと思うけど。
タクシーだったので、当然の事ながら、人を乗せる事には抵抗なかったらしい。
けど厳密には、物品輸送をしている時のタクシーは
貨物自動車であって、旅客輸送はしちゃいけない、って話だった。
さすがにこんな糞法令はもう変わってると思いたいが…どうなんだろう?
ここは沖縄を語るスレですか?
沖縄の「軽貨物」って今もあるのかな!?
実質的な簡易タクシー。
紙袋一枚でも荷物扱いになる。 前によくタクシーで原稿送りしてたけど
そっちも違反なんだな
必ず人が乗らないといかんらしい あ。すまん、ひょっとして、47の例ってそっちが正しかったかも(汗
古い話なんで、記憶が曖昧です。すんまそん。 今は亡き北丹鉄道には10d級の貨車移動機が機関車として一時在籍していたが
あれは客車(元南海の電車くずれとか居たが)牽いたことはあるのかな? ゴメン>>52は森ブタだった。
同じサイトにニチユの10t機も載っているので、多分牽いているかと。 混合列車末期に少しだけ乗車や撮影の経験があります
根室本線で、根室→釧路間でコンテナ併結、すでに出ておりますね
五能線で、DE/オハフ/オハ/オハユニ、でワムが1両
上りと下りが岩舘近辺で交換のため、両方撮影はできましたが乗車はあきらめ
あとは別府ですね
行は貨車なし、帰りは長い貨物列車の最後尾に客車1両、でとても極端でした
混合列車は自分にとっては夢の中で見るような遠い存在で、だから乗車や撮影できただけでメッチャうれしかったです
釧網本線や清水港線、倉吉線では貨車が連結されていなかった記憶
スイスのベルニナ/アルブラ線では時々見ました
最初にクールで一番後ろに乗ろうとしたら、いきなり貨車を連結して混合列車になってちょっと感激
途中でも一度すれ違い、サンモリッツでも到着時に交換で出た上りがやはり混合
ベルニナ線でも2回ほど見ました
ただし貨車1両で、いずれも最後尾限定でした
朝夕には時刻表にも明記してある混合列車があります(ただし本当に混合で走るかどうかは未確認ですが) 日中線や小海線に走っていなかったっけ? かなり昔。 >>56
小海線は定期では昭和35年3月で貨客分離完了してる
昭和48年夏のC56復活運転はオハフ33+オハ35+ワフだった 昔々の、日中線の混合列車は有名だけど。
あの短距離で、毎日それだけの貨物輸送の需要が有ったのが不思議だ。
いったい何を運んでいたのだろうか? 貨物扱いの駅は会津加納だけじゃなかったかな?熱塩では客扱いだけだったと思う。
会津加納の貨物扱いは片道(上り?)だけで、片道は熱塩までそのまま客車と一緒について行ったと思う。 機関車牽引じゃなくても、気動車に貨車を連結した列車もあったね。
宇和島線(現・予土線)とか、キハ52がワムを引いて走ってた。 末期に、日中線、倉吉線、清水港線に乗りましたが、たまたまか貨車は連結なしでした
もちろん全部が混合とは限らないとは思いますが、やはり出来れば混合になってほしかったです
五能線は、上下ともワム(もしかしたらワラ)が1両、記憶があっていれば東能代側に連結されていました
感激でした 機関車と客車の間に貨車があると乗り心地とか明らかに変わってくるものですか?
当方はローカル私鉄の電車+ワムの列車ぐらいしか乗った事がないので 機関士の腕にもよるだろうけど、
単純に隙間の広い自連が間に多くなる分、引き出しとかの衝撃は大きくなると思うよ。
いきなりガツーンなんていう衝撃、昔の客車に乗った体験のある人ならわかると思うけどね。
それに形式や重さも雑多な貨車が間に入れば、その後ろの客車の乗り心地に多分に関わるだろうし。 大夕張の場合、客車の前にセキが10数両連ながれており、それなりの衝撃だった。 混合列車は見たことも乗ったこともないが
ワムやトムが連なった貨物列車の発車シーンは大好きで
よく見たものだ
あの連結器の衝撃がだんだんこっちに迫ってくる
その最後尾にオハが・・なんて
あかん、射精してまう 大井川鉄道井川線と黒部峡谷鉄道のこと忘れてない。
井川線はもっとも荷物は積んでおらずネレールニ油をまきながら走っている
訳だが。 自分が見た混合列車の牽引機は、8620、C11、C58、D51、DD13、DD51、DE10なんだな。
この中で一番「混合列車」に似合っていたと思うのがC11だと思う。
2両程度の客車に数両の貨車。これに似合っのはやっぱりC11が一番だな。
でも、本線用のD51の混合列車を肥薩線で見たが、これはこれで貨車の多さに感動したよ。
DD51は根室本線で見たが、なんか急行用の客車とコキでは異色ではあるけどピンと来なかった。 貨物列車と旅客列車では引き出し方の違いから停車間際のブレーキ操作が違う筈だが混合列車ではどうなんだろ?
昼にMXで放送してた国鉄のPR映画「生活の中の鉄道 ローカル線」で
色々混合列車が映った
五能線8620の混合列車
日中線はC12の混合列車 1969年の映画だったが当時はC12だったのか
高森線C12の混合列車
あと路線はわからなかったが気動車3両ににワムワラ2両を繋げた列車も登場した SLやDLが牽く混合列車はあったが、ELの牽く混合列車ってあったんかな?
もちろん荷物車両は別として。
また、「北星」に連結されていたワサフ8000や「カートレイン」も、
ここで言う“混合列車”の意味あいとは違うので除外して。 >>76
山形交通高畠線
ED2+貨車+電車1両(客車代用)
国鉄の場合は電化するほどの需要があったら、その前に客貨分離しただろうな。 近鉄西信貴ケーブルのコ7形+コニ7形は混合列車なのか? 三菱大夕張の混合列車に乗った。カーブの際に石炭車のはるか前方に見える
機関車の力闘を思い出す。 混合列車というと、尼崎線と清水港線の印象が強いな。 >>69
貨車が10両までの場合、客車のブレーキ扱いになります。
貨車が11両以上の場合、貨車のブレーキ扱いになります。
貨車が11両以上の場合、ブレーキシステムの違いから制動や緩解の際の衝動が
大きくなるため、客車の附加空気タンクの締切コックを締め切り、貨車の
制御弁のシステムに合わせ、貨車のブレーキ扱いを行うこととします。
貨車が10両以下の場合、ブレーキシステムの違いによる影響は少ないとされ、
客車の附加空気タンクの締切コックの操作は行いません。従いまして、貨車が
10両以下の場合、客車のブレーキ扱いとなります。 国鉄のディーゼルカーでは、キハ20+キハ35+キハ35+キハ40+キハ55という編成は日常茶飯事だった。 小学生の時に五能線の混合列車に乗って、深浦まで
海水浴に行ったなあ!
70年代後半の頃でした。 写真でしか見たことないが、三重交通志摩線は
11m前後の小さな電車が貨車を牽いて走ってた。
物凄くノロかったそうです。 モーター出力が40kwにも満たないのだから力が弱い
だからスピードも遅いのは仕方ない 牽引する電車の連結器や台枠には影響でなかったのかな 塚口からでていた尼崎港線は、DD13の混合だったけな 海外行けばまだ混合列車走ってるんだろうか?
周辺国の状況
南朝鮮 かなり昔に消滅
北朝鮮 かなりの田舎路線に残存?
中国 90年代後半に時刻表上から消滅
モンゴル 時刻表上ではかなり昔からない?
ロシア バム鉄道末端(ガバニ周辺)で90年代末期まで走っていたらしいが近況は不詳
ベトナム 90年代前半までは支線で走っていたらしいが近況不詳
カンボジア 旅客営業休止(休止までは貨車の最後尾に客車数輛連結)
フィリピン 国鉄の貨物営業廃止が早かったので消滅?
タイ・マレーシア・シンガポールは情報がないので記載なし
ラオスは近年まで鉄道自体がなかったので記載なし タイ東北本線で今年目撃
ただし雑多な貨車ではなくコンテナ車
帰国後調べたところ定期列車らしい スイス・オーストリアの私鉄ではありそう
特に電車が1〜2両の貨車を引くパターン スイス:クール→サンモリッツで実際に乗りました
7両ほどの客車の後ろ1等車のさらに後ろ最後部に1両コンテナ車連結
根室本線以来の混合列車乗車
すれ違う列車でも一番後ろに1両貨車連結は、サンモリッツまで二回交換遭遇しました
そのあと、ベルニナ線でも一度遭遇
時々あるようです
相当前ですが、イタリアで、DL+客車4両(制御客車)に貨車1両
プッシュプル列車ですが、貨車だけは常に一番後ろ、よって終着駅で編成替えをしたようでした >>96
40kW(中波帯の送信出力)くらいあれば、北海道全域まで電波を送れるだろう。
夜間は関東地方辺りまで十分に電波が届く。 久留里線で見かけたっけな
銚子電鉄とか小湊鉄道とかにもあったのだろうか >>102
ttp://pbs.twimg.com/media/B4_AwmVCcAA0Y9Y.jpg
朝鮮の混合列車の画像 >>108
小湊鉄道では90年代半ばに
バラストを積んだ無蓋車を営業列車で推進運転させてたのを見た事がある。
下手したら今でもやってるんじゃないかな。 >>110
それマジかw
法規上、この場合25km/h以下の運転になるはずだぞ、確かw 五井駅を出てすぐの踏切で目撃したから
スピードを出した所は見てないけど
乗客は確かにいた。
あと、無蓋車の荷台前部に前方を監視する社員が乗ってた。 >>89
三重交通繋がりで、松阪線も201や251が小さい有蓋車を1両牽いてる写真が残ってるね 俺は羽後交通雄勝線の単車が貨車を牽引してる写真を親類から貰って保存してる 単車が貨車を牽引なんかしたら台車がクラッシュしないのかな? それはEB10に対する挑戦ですか?
そりゃ速度は出せないだろうし牽引力もない。
しかしデワが貨物列車を引かざるを得なかった路線はいくつかあるよね。
日立電鉄は二両のデワが貨物列車を担当してたようです。
秋保もB型しかいない電鉄だったような。
最高速度はどれぐらいだったのやら。 もし機関車が2機使えるならプッシュプルという手段もある。 弘前電気鉄道
電車+貨車
但し昭和45年限りで貨物全廃
(弘南鉄道に経営譲渡する際の条件だったんだと)
沿線住民は迷惑だったろうなあ
まだトラック走らせるような道路じゃなかったからね、その頃は。 銚子のデキだって或いはヤマサ醤油の保存機だって小さい車体で頑張ってたじゃないか
貨車なんて平坦線なら手押しも可能だからね 客車と貨車の重量差でブレーキ扱いが難しかったのでは?
重い貨車がブレーキの効きが悪くどんつきが頻発した? >>125
重量に関係なく貨車と客車の編成比率でK弁優勢となるとA弁伝家の宝刀の階段弛めが
使用不能になるからね。 南米の砂糖黍畑やコーヒー畑の中を混合列車が走っていたら萌えるんだけどなw >>120
その話聞いたことがある
たしかに当時の現地の道路事情はまだまだ悪いままだったが
経営面では貨物は経費だけ嵩んで売り上げが大したことないということで
“お荷物”(弘電)を引き受けるなら極力軽くしたいという意向で全廃させたとか。 混合列車は運転が難しかったとか?
客車と貨車の重量差でドン付き凄かったうえに貨車がK三動弁で「ちょっとだけ緩める」が出来ず(緩めたい場合一旦全緩めして込め直す必要がある)厄介だったはず 北海道の大夕張鉄道なんて最後で混合だったけどどうだったのかな? こんなに機動力が低かったらスピードでもクルマに勝てませんな
貨客分離は生き残りには必須だったと 三菱大夕張は撮影に行ったが客車と貨車がそれぞれ一両ずつでは
あまりにもこじんまりしすぎてて画的にいまひとつと感じシャッターを押せなかった >>23
> 混合列車で糞尿輸送+旅客
終戦直後の西武農業鉄道ですね
上記の混合列車は、ほんの数年しか存在しなかった(糞尿輸送の終了)そうですが。 糞尿貨車との混合は乗客より沿線住民の方が反発が厳しいのでは??