混合列車
>>26
衝撃、緩衝…、突放の事?
だとしたら混合列車に向けての突放は禁止。
また、混合列車からの突放も禁止。
気動車の混合列車は乗客の安全も勿論ですが、単弁がないから突放に必要な強力なブレーキ力が
得られないからとれています。 上野ー青森の「津軽』も混合列車だった時代がある
荷物車にワキが連結されている時があった >>31
ワキ/ワサフ8000は、客貨両用車で客車の装備を持つから、混合列車には含めないだろう。 カートレも混合列車じゃないと言うのも津軽と同じ事だろうね…。
混合列車だと貨車の入換があろうがなかろうが、一応「ある」と考えて停車時分をとってスジを
引くし、ダイヤをみて「この─・─・─に貨車をつなげる」と言うように輸送の計画を立てる。
また─・─・─だと制約を受けたり条件を課せられる積載物もあり、輸送の計画で特別の考慮が必要になる。
最高速度も貨車に合わせるし、貨車の連結両数によっては客車の附加空気溜を締めるとかetc…
そう言う特殊な扱いをし、区別する必要があるものを“混合列車”と言うんだろうなぁ…。 >>30
国鉄は1984年で全廃
三菱大夕張が1987年 ただ貨車をつなげば混合列車になるんだったら、今JR北で走ってるSL冬の湿原号とか、「ヨ」がついてるから混合列車になってしまうよな。 >>30
同和鉱業片上鉄道が1988年頃まであった。多分これが日本最後の本来の混合列車かと。 混合列車の編成で好きなのは
機関車+ワム1両+トラ1両か2両+オハニなんかの合造車1両って感じかな。 >>28
小学生の一時期を菊池で過ごした>>13ですが、熊電では貨物は「ある場合だけ
毎時1本の定期の電車に牽かれていく」といった感じでしたね。
わざわざ貨物列車を走らすほどの貨物量ではないので機関車が居なかった。
真田線も開業当時は機関車を持っていたものの同様の事情で(?)すぐに三河鉄道
(→名鉄)に売却され…皮肉にもその機関車は岳南鉄道でいまだ現役ですね。 >>3
時々NHK総合テレビの深夜に
アーカイブとして各地の路線を順番に放映していて、
たまに混合列車も出てくる。 混合列車で思い出したがど田舎とかでクロネコの配送車を見ると2人位バスかタクシー扱いで載せてくれたらありがたいな、と思うことがある。
>>43
そういう事をスイスでは実際にやっているみたいですね(宅急便の配送車ではなく郵便車ですが)
確かポストバスとか言ったはず 前にどこかの地方の貨物配送会社が人を運んで
タクシー類似行為で摘発されたはず
荷物の付き添いで人も添乗していい決まりを援用して
例えば婦人を運ぶのにハンドバッグ配送がメインの仕事で
婦人はその付添にすぎないという理屈 >>45
もっと複雑な例では、タクシー会社が荷物輸送の認可も受けていて、
タクシーを利用した荷物輸送業務をしている場合。
その荷物輸送に人が付き添った(人を運んだ)という事で、
道路運送法違反で摘発された例があったかと。
(記憶が間違ってたらすまん)
ブツは新聞記事か雑誌原稿か何か、そういう特殊な物品だったと思うけど。
タクシーだったので、当然の事ながら、人を乗せる事には抵抗なかったらしい。
けど厳密には、物品輸送をしている時のタクシーは
貨物自動車であって、旅客輸送はしちゃいけない、って話だった。
さすがにこんな糞法令はもう変わってると思いたいが…どうなんだろう?
ここは沖縄を語るスレですか?
沖縄の「軽貨物」って今もあるのかな!?
実質的な簡易タクシー。
紙袋一枚でも荷物扱いになる。 前によくタクシーで原稿送りしてたけど
そっちも違反なんだな
必ず人が乗らないといかんらしい あ。すまん、ひょっとして、47の例ってそっちが正しかったかも(汗
古い話なんで、記憶が曖昧です。すんまそん。 今は亡き北丹鉄道には10d級の貨車移動機が機関車として一時在籍していたが
あれは客車(元南海の電車くずれとか居たが)牽いたことはあるのかな? ゴメン>>52は森ブタだった。
同じサイトにニチユの10t機も載っているので、多分牽いているかと。 混合列車末期に少しだけ乗車や撮影の経験があります
根室本線で、根室→釧路間でコンテナ併結、すでに出ておりますね
五能線で、DE/オハフ/オハ/オハユニ、でワムが1両
上りと下りが岩舘近辺で交換のため、両方撮影はできましたが乗車はあきらめ
あとは別府ですね
行は貨車なし、帰りは長い貨物列車の最後尾に客車1両、でとても極端でした
混合列車は自分にとっては夢の中で見るような遠い存在で、だから乗車や撮影できただけでメッチャうれしかったです
釧網本線や清水港線、倉吉線では貨車が連結されていなかった記憶
スイスのベルニナ/アルブラ線では時々見ました
最初にクールで一番後ろに乗ろうとしたら、いきなり貨車を連結して混合列車になってちょっと感激
途中でも一度すれ違い、サンモリッツでも到着時に交換で出た上りがやはり混合
ベルニナ線でも2回ほど見ました
ただし貨車1両で、いずれも最後尾限定でした
朝夕には時刻表にも明記してある混合列車があります(ただし本当に混合で走るかどうかは未確認ですが) 日中線や小海線に走っていなかったっけ? かなり昔。 >>56
小海線は定期では昭和35年3月で貨客分離完了してる
昭和48年夏のC56復活運転はオハフ33+オハ35+ワフだった 昔々の、日中線の混合列車は有名だけど。
あの短距離で、毎日それだけの貨物輸送の需要が有ったのが不思議だ。
いったい何を運んでいたのだろうか? 貨物扱いの駅は会津加納だけじゃなかったかな?熱塩では客扱いだけだったと思う。
会津加納の貨物扱いは片道(上り?)だけで、片道は熱塩までそのまま客車と一緒について行ったと思う。 機関車牽引じゃなくても、気動車に貨車を連結した列車もあったね。
宇和島線(現・予土線)とか、キハ52がワムを引いて走ってた。 末期に、日中線、倉吉線、清水港線に乗りましたが、たまたまか貨車は連結なしでした
もちろん全部が混合とは限らないとは思いますが、やはり出来れば混合になってほしかったです
五能線は、上下ともワム(もしかしたらワラ)が1両、記憶があっていれば東能代側に連結されていました
感激でした 機関車と客車の間に貨車があると乗り心地とか明らかに変わってくるものですか?
当方はローカル私鉄の電車+ワムの列車ぐらいしか乗った事がないので 機関士の腕にもよるだろうけど、
単純に隙間の広い自連が間に多くなる分、引き出しとかの衝撃は大きくなると思うよ。
いきなりガツーンなんていう衝撃、昔の客車に乗った体験のある人ならわかると思うけどね。
それに形式や重さも雑多な貨車が間に入れば、その後ろの客車の乗り心地に多分に関わるだろうし。 大夕張の場合、客車の前にセキが10数両連ながれており、それなりの衝撃だった。 混合列車は見たことも乗ったこともないが
ワムやトムが連なった貨物列車の発車シーンは大好きで
よく見たものだ
あの連結器の衝撃がだんだんこっちに迫ってくる
その最後尾にオハが・・なんて
あかん、射精してまう 大井川鉄道井川線と黒部峡谷鉄道のこと忘れてない。
井川線はもっとも荷物は積んでおらずネレールニ油をまきながら走っている
訳だが。 自分が見た混合列車の牽引機は、8620、C11、C58、D51、DD13、DD51、DE10なんだな。
この中で一番「混合列車」に似合っていたと思うのがC11だと思う。
2両程度の客車に数両の貨車。これに似合っのはやっぱりC11が一番だな。
でも、本線用のD51の混合列車を肥薩線で見たが、これはこれで貨車の多さに感動したよ。
DD51は根室本線で見たが、なんか急行用の客車とコキでは異色ではあるけどピンと来なかった。 貨物列車と旅客列車では引き出し方の違いから停車間際のブレーキ操作が違う筈だが混合列車ではどうなんだろ?
昼にMXで放送してた国鉄のPR映画「生活の中の鉄道 ローカル線」で
色々混合列車が映った
五能線8620の混合列車
日中線はC12の混合列車 1969年の映画だったが当時はC12だったのか
高森線C12の混合列車
あと路線はわからなかったが気動車3両ににワムワラ2両を繋げた列車も登場した SLやDLが牽く混合列車はあったが、ELの牽く混合列車ってあったんかな?
もちろん荷物車両は別として。
また、「北星」に連結されていたワサフ8000や「カートレイン」も、
ここで言う“混合列車”の意味あいとは違うので除外して。 >>76
山形交通高畠線
ED2+貨車+電車1両(客車代用)
国鉄の場合は電化するほどの需要があったら、その前に客貨分離しただろうな。 近鉄西信貴ケーブルのコ7形+コニ7形は混合列車なのか? 三菱大夕張の混合列車に乗った。カーブの際に石炭車のはるか前方に見える
機関車の力闘を思い出す。 混合列車というと、尼崎線と清水港線の印象が強いな。 >>69
貨車が10両までの場合、客車のブレーキ扱いになります。
貨車が11両以上の場合、貨車のブレーキ扱いになります。
貨車が11両以上の場合、ブレーキシステムの違いから制動や緩解の際の衝動が
大きくなるため、客車の附加空気タンクの締切コックを締め切り、貨車の
制御弁のシステムに合わせ、貨車のブレーキ扱いを行うこととします。
貨車が10両以下の場合、ブレーキシステムの違いによる影響は少ないとされ、
客車の附加空気タンクの締切コックの操作は行いません。従いまして、貨車が
10両以下の場合、客車のブレーキ扱いとなります。 国鉄のディーゼルカーでは、キハ20+キハ35+キハ35+キハ40+キハ55という編成は日常茶飯事だった。 小学生の時に五能線の混合列車に乗って、深浦まで
海水浴に行ったなあ!
70年代後半の頃でした。 写真でしか見たことないが、三重交通志摩線は
11m前後の小さな電車が貨車を牽いて走ってた。
物凄くノロかったそうです。 モーター出力が40kwにも満たないのだから力が弱い
だからスピードも遅いのは仕方ない 牽引する電車の連結器や台枠には影響でなかったのかな 塚口からでていた尼崎港線は、DD13の混合だったけな 海外行けばまだ混合列車走ってるんだろうか?
周辺国の状況
南朝鮮 かなり昔に消滅
北朝鮮 かなりの田舎路線に残存?
中国 90年代後半に時刻表上から消滅
モンゴル 時刻表上ではかなり昔からない?
ロシア バム鉄道末端(ガバニ周辺)で90年代末期まで走っていたらしいが近況は不詳
ベトナム 90年代前半までは支線で走っていたらしいが近況不詳
カンボジア 旅客営業休止(休止までは貨車の最後尾に客車数輛連結)
フィリピン 国鉄の貨物営業廃止が早かったので消滅?
タイ・マレーシア・シンガポールは情報がないので記載なし
ラオスは近年まで鉄道自体がなかったので記載なし タイ東北本線で今年目撃
ただし雑多な貨車ではなくコンテナ車
帰国後調べたところ定期列車らしい スイス・オーストリアの私鉄ではありそう
特に電車が1〜2両の貨車を引くパターン スイス:クール→サンモリッツで実際に乗りました
7両ほどの客車の後ろ1等車のさらに後ろ最後部に1両コンテナ車連結
根室本線以来の混合列車乗車
すれ違う列車でも一番後ろに1両貨車連結は、サンモリッツまで二回交換遭遇しました
そのあと、ベルニナ線でも一度遭遇
時々あるようです
相当前ですが、イタリアで、DL+客車4両(制御客車)に貨車1両
プッシュプル列車ですが、貨車だけは常に一番後ろ、よって終着駅で編成替えをしたようでした >>96
40kW(中波帯の送信出力)くらいあれば、北海道全域まで電波を送れるだろう。
夜間は関東地方辺りまで十分に電波が届く。 久留里線で見かけたっけな
銚子電鉄とか小湊鉄道とかにもあったのだろうか >>102
ttp://pbs.twimg.com/media/B4_AwmVCcAA0Y9Y.jpg
朝鮮の混合列車の画像 >>108
小湊鉄道では90年代半ばに
バラストを積んだ無蓋車を営業列車で推進運転させてたのを見た事がある。
下手したら今でもやってるんじゃないかな。 >>110
それマジかw
法規上、この場合25km/h以下の運転になるはずだぞ、確かw 五井駅を出てすぐの踏切で目撃したから
スピードを出した所は見てないけど
乗客は確かにいた。
あと、無蓋車の荷台前部に前方を監視する社員が乗ってた。 >>89
三重交通繋がりで、松阪線も201や251が小さい有蓋車を1両牽いてる写真が残ってるね 俺は羽後交通雄勝線の単車が貨車を牽引してる写真を親類から貰って保存してる 単車が貨車を牽引なんかしたら台車がクラッシュしないのかな? それはEB10に対する挑戦ですか?
そりゃ速度は出せないだろうし牽引力もない。
しかしデワが貨物列車を引かざるを得なかった路線はいくつかあるよね。
日立電鉄は二両のデワが貨物列車を担当してたようです。
秋保もB型しかいない電鉄だったような。
最高速度はどれぐらいだったのやら。 もし機関車が2機使えるならプッシュプルという手段もある。 弘前電気鉄道
電車+貨車
但し昭和45年限りで貨物全廃
(弘南鉄道に経営譲渡する際の条件だったんだと)
沿線住民は迷惑だったろうなあ
まだトラック走らせるような道路じゃなかったからね、その頃は。 銚子のデキだって或いはヤマサ醤油の保存機だって小さい車体で頑張ってたじゃないか
貨車なんて平坦線なら手押しも可能だからね 客車と貨車の重量差でブレーキ扱いが難しかったのでは?
重い貨車がブレーキの効きが悪くどんつきが頻発した? >>125
重量に関係なく貨車と客車の編成比率でK弁優勢となるとA弁伝家の宝刀の階段弛めが
使用不能になるからね。 南米の砂糖黍畑やコーヒー畑の中を混合列車が走っていたら萌えるんだけどなw >>120
その話聞いたことがある
たしかに当時の現地の道路事情はまだまだ悪いままだったが
経営面では貨物は経費だけ嵩んで売り上げが大したことないということで
“お荷物”(弘電)を引き受けるなら極力軽くしたいという意向で全廃させたとか。 混合列車は運転が難しかったとか?
客車と貨車の重量差でドン付き凄かったうえに貨車がK三動弁で「ちょっとだけ緩める」が出来ず(緩めたい場合一旦全緩めして込め直す必要がある)厄介だったはず 北海道の大夕張鉄道なんて最後で混合だったけどどうだったのかな? こんなに機動力が低かったらスピードでもクルマに勝てませんな
貨客分離は生き残りには必須だったと 三菱大夕張は撮影に行ったが客車と貨車がそれぞれ一両ずつでは
あまりにもこじんまりしすぎてて画的にいまひとつと感じシャッターを押せなかった >>23
> 混合列車で糞尿輸送+旅客
終戦直後の西武農業鉄道ですね
上記の混合列車は、ほんの数年しか存在しなかった(糞尿輸送の終了)そうですが。 糞尿貨車との混合は乗客より沿線住民の方が反発が厳しいのでは?? >>138
その感覚はちょっと珍しいな
貨客が何両も繋がってる方が趣が削がれて
撮る気が萎えるのが普通 営団の車両だらけになるかなり前の日立電鉄でも一度、電車が貨車を牽くのを見たな。 >>144
「普通」
そうやって言い切れるのが凄いと思う
マジで。 日立電鉄でもあったの?
メチャメチャ地元だのに見向きもしなかったわ 読売の電子版によれば、コロナによる減収を補うため新幹線が宅配便業界と提携して荷物の輸送を本格化するらしい
廃れたかに見えた貨客混載がコロナによって甦るとは… 行商電車や近鉄の鮮魚電車のようなものを混合列車というのかよ? ワムタキトラと旧客が一番似合う。
今実現するわけないがコキだけでは違和感あり。 >>151
どこかにそういう記述があった?
見てみたい 最近は新幹線でも荷物を運ぶ。
1両全部荷物室になったらどういう扱いになるかな? 一回だけ真冬の釧網本線で乗ったことある。 面白かった。 冬の五能線ではオハ61形にディーゼル発電機を吊り下げて暖房していた。 倉吉線の関金発倉吉行き列車
機関車はDE10、合造車と旧型客車の2両編成だったが、途中、西倉吉駅で
客車の前に貨車の連結が行われた。 >>158
新幹線の荷物輸送なんて40年前からやってる
荷物は旅客輸送の範疇だから混合列車ではない 『混合列車』とは、「客車」と「貨車/貨物車」を一緒に牽引する形式を言う。
「客車」と「荷物車」を一緒に牽引する形式は、混合列車ではない。
荷物車には、郵政省保有の「郵便車」も含まれる。
国鉄晩年には「カートレイン」や「モトトレイン」も短期間存在した。
客車と貨物車を混成したものだったが、専用車両による固定編成だったため、混合列車ではなかった。
(^。^)y-.。o○ >>163
混合列車でないのは固定編成とか関係なく
クルマやバイクが手荷物扱いだったからだろ K三動弁の貨車と混結すると階段緩めが出来ないので乗り心地最悪だった?
全部緩んでしまうので込め直ししなければならず短時間に繰り返すと元空気ダメの空気が底をついてコメ不足になる 日中線で乗った。
夏だったけど、冬は暖房どうしていたのか気になった。 機関車次位に客車が来ないと蒸気暖房が使えないが今度は踏切事故や非常ブレーキを掛けた際に重い貨車が客車を押しつぶしてしまう危険性ありそう
荷重制限があった? 40年ほど前のネガを復元させている時に、
乗車した清水港線の朝の下りが混合列車であるコマが出てきた
これが日本で乗車した最後の混合列車です 私鉄の混合列車
津軽鉄道
別府鉄道土山線
貨物は1-2両ではなく、長かった(特に津軽鉄道)
イベントで、津軽鉄道でまた実施しないですかね?
過去に混合列車復帰をやったらしいですが 夜行列車の全盛期。上野駅では客車に、アルミのワキやワサフが連結されていた。あれも混合列車のカテゴリーに入るのかな? >>179 大井川鉄道井川線で、現在でも時々、客車に貨車をつなげて走っているそうだが。それと黒部渓谷鉄道の関電専用列車が混合列車。こちらは一般客は乗れない。
立山砂防のような事業用鉄道を対象に含めるかだな。一般人乗れないけど。 流鉄流山線は昔は電車が貨車を引いて走っていたが、最近は見かけなくなった。 スニ40とワキ8000
知らなかったときは、少々驚きました
なんだろう?って(しっている人から聞きましたが)
ワキ8000は荷貨共通に使用する車両で、蒸気暖房なども通しで可能だったそう
混合列車の定義によるけど、基本荷物車扱いなので公式には荷物列車でしょう
ただしあくまで貨車のため、客車と貨車の連結営業運転を仮に勝手に混合列車と定義する、としたら混合列車ともいえる
すると、スニ40とワキ8000だけの列車があるとしたら、上記定義なら見かけによらず混合列車になりそう
ワム8000などにも蒸気暖房対応であれば(通しの配管だけで可)、機関車と客車の中間に貨車が連結可能のため、温気暖房は必ずしも要ではない?
勝手な妄想です >>181
いつくらいまで、存在していたのでしょう?
今ではイベントでも無理と思いますが、実施したら凄い >>183
武蔵野線が開通した頃までだった気がする。
蛇足だけど武蔵野線建設中は、国鉄の入換用のDLが資材を積んで幸谷付近から武蔵野線に乗り入れていた。 >>179-180
国鉄線だとどこか
民営化以後はないよね? あくまで自分の経験した撮影の範囲ですが
・釧網本線・根室本線→1982
・五能線→1982
・清水港線→1982
いずれも11月前です
これ以外の可能性としては、倉吉線、日中線などが考えらえますが、
自分が行った時では貨車連結無しで客車だけでした
宮之城線ではキハ+貨車もあったそう(もちろん自分は見ていません)
これらの線区のどこかの可能性があるかと思います 国鉄篠山線は蒸気機関車廃止後は、DE10などのディーゼル機関車が入線しなかったため、気動車列車に貨車を連結した混合列車が運転されていた 釧網・根室は59・2改正で廃止
清水港はS59年度限りで廃線
S60年度以降は存在したのだろうか >>190
昭和58年頃に戻って、日中線や清水港線などの混合列車に乗ってみたいね 日中線も廃止の前年まで貨物扱いがあったので
貨物のある時だけ混合列車だったんだろうな >>192
その可能性はあると思います
国鉄ではないですが、津軽鉄道の混合列車がそのような感じで、
混合の時と貨車なしの時がありました
土日は無しとか、ですかね
>>191,190
気持ちわかります
自分も、もし可能ならもう少し混合列車をもっと狙って撮りたかったです
特に撮れなかった日中線と倉吉線ですね、混合列車が来るまで2-3日いるとか
ただ、当時そんなことをしたら前後の予定がぐちゃぐちゃになるのですが、
それでもそれくらいの価値があったような… >>193
日中線は最後までディーゼルカーは入線しなかった。
倉吉線の混合列車は昭和59年頃に廃止されたが、DE10牽引の客車列車も倉吉線廃止前に気動車化された。
倉吉線が国鉄民営化直前の昭和62年3月末ごろまで存続して混合列車も運転されていたら、コンテナ車なども倉吉線に入線していたかも。 倉吉線の混合列車が、1984/2までなら、もう一度行こうとすれば行けたはず
もったいない、ですね
機関車+客車+貨車?機関車+貨車+客車?
どちらでしょう? K三動弁の貨車とそうでない客車を混結したらブレーキをちょっとだけ緩めたらK三動弁だけ全緩めになってブレーキ力不均衡で連結器が座屈する危険性があるのでは? DE10だったか階段緩めが無効になるよう設定できる機関車がある 倉吉線は線路が簡易線規格で30キロレールが使われていて、DE10牽引の客車列車でも
速度制限されてスピードが出せなかった。
同線の気動車列車はなぜか客車列車よりもスピードは速かった。 宮之城線でキハ52と黒ワム
あまり気に留めず撮りもしなかったが
DCと貨車の混成は珍しいことを後で知って
撮っておけば良かったと悔しがったのも今は懐かしい思い出 >宮之城線でキハ52と黒ワム
いつ頃まで走っていたのでしょうか?
知っていれば撮りたかったです 宮之城線でワムに積む貨物ってなんだろ
沿線に特産品あった? 宮原線の写真が出てきて、乗車したキハ53の単行の終点肥後小国で、米俵を2こ降ろしている写真があった
手荷物扱い?でもこんなことも行っていたようです
海外ではスイスでみました
ベルニナ線ですかね、貨物は北行南行ともに編成の後部連結でした