混合列車
混合列車というと、自分が記憶して実際に乗っているのは、
釧網本線、根室本線(釧路−根室)、五能線、日中線、清水港線、倉吉線、肥薩線くらいかな。
まだ多くがSLが牽引していた時代だね。
根室本線の混合列車は、客車は急行「狩勝」の座席指定車両に使われたスハ45、スハフ44という「急行用」車両、
貨車ははるばる東京から運ばれてきたコンテナ車両という異色の組み合わせだった。
肥薩線の列車は人吉−吉松の閑散区間で、貨物列車に“オマケ”のような感じで客車が端に1両繋がっていた。
その客車もオハユニで、人が乗車できるのはたった“半両分”というものだった。
そして10数両の貨車と共に、D51が編成の前後に付いたプシュプルの形で大畑越えをしていたんだな。
懐かしいね! オイラは清水港線と三菱石炭鉱業しかないや。
三菱のほうは、スハニ6という3軸ボギー車で独特のジョイント音を奏でていた。
ヽ(´ー`)ノ 尼港線の地元でした。
ガキの頃は、自転車で線路沿いへ出かけ、川西池田発の夕方の列車を
よく眺めてたものです。
昭和40年代には、貨物がそこそこ長かった記憶がありますね。
地元以外では清水港線ぐらいかなあ。 通常の混合列車だと、貨車の三動弁がK弁なので、
停車のため減速する際に「階段弛め」が使えなかったんだろうな。 東北本線仙台→福島で、混合列車がありましたね、仙台10時半
発くらいの。客車3両で超満員、牽引機はED75ではなくED71.
南海高野線。
あっ、あれは、混合列車じゃなくて、金剛列車だ。 >>8
はじめて聞いた。いつ頃の話?
それから、混合列車と混成列車の違いがわかるひと? ミキストで一番好きなのは、やはり別府鉄道土山線だったな。
>>8,10
それって、荷物列車に客車付けて客扱いしてた42レの事じゃないか。
で、混成列車って、南海電車で言えば、7000系と10000系の併結、
みたいなのを言うんじゃなかったかな。
実体験を言ったら歳がバレそうだが、子供の頃熊本電鉄と旭川電軌に乗車経験アリ。
どちらも乗った電車は国鉄のワムを1両だけ牽いていた。
>>8>>12
やはり子供の頃の話。
夜行急行にスニ40やワキ8000が連結されているのを見て『混合列車』だと思っていた。 >>8
駅の時刻表に「前3両にご乗車下さい」って書いてあった。
>>10>>12 混成列車と言うと
やはり東北本線の話だが 盛岡発青森方面逝き列車の最後部に
花輪線直通気動車が2〜3両ぶら下がっていた 其の昔、夕張線や南美唄支線や夕張線なんて、混合列車か貨物列車か石炭列車しか走ってなかった。
ところで、混合列車と準混合列車の違いってなんなのか、わかる人います?
>>3
>根室本線の混合列車
はるばる隅田川貨物駅から荷35レ・167便・急行「ニセコ」・急行「狩勝」でやってきた
マニ車とオユ10も忘れないでくだしあ。 >>3,18
コンテナ車も当時の貨車界のエース、コキ10000がはるばる継送されていたんだよね >>18
混合列車は旅客列車に貨物車両をつなぐ。
準混合列車は貨物列車に旅客車両をつなぐ。
ですから混合列車の列車番号は十の位が旅客列車を示すものですが、00〜19が割当てられていた
と記憶してます。
そうなると準混合列車は貨物列車の列車番号になるので50〜になり、最高速度65km/h以下のB貨物だと
90〜と言うことになります。
古い時刻表を見て十の位が50〜の普通列車があるとすれば準混合列車と言うことになりましょうか…。 晩年の混合列車の列車番号は、一般的な旅客列車と同じ区分になっていたけどね。
前にある根室本線の列車は441、444列車だったし、釧網本線も630〜だった。
ちなみに、一般的には下2桁が00〜19が急行列車、20〜49が普通列車、
51〜99が貨物列車という割当てになっていた。