蒸気機関車最後の10年を語るスレ part8
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12月14日
46年前になるのか。前日に東北本線の事故でダイヤが大幅に乱れて運休続出、上野駅で夜行列車を待って途方に暮れている
カメラバックとリュックの集団がいたな。 あの日C57135を追いかけた
先日大宮で久々の再会をした >>801
お前は水さえ飲めば飯喰わなくとも生きてゆけるのか? 多分きっとそういう問題じゃないと思う
蒸気機関車の食べ物はお湯を沸かせれば良いんだから
結構雑食 しかし最後の10年当時の有名な撮影地いまはもう木は伸び放題で線路も新線になったり廃線になったりで面影もないんだろうか
数年前八高線の金子駅の南側の踏切に行ってみたが駅の方向はあまり変わってなかったが
反対向きは見渡す限りの茶畑だったのが、みすぼらしい建て売りや雑草のはえてる空地の先に圏央道が走っていてまるで別世界だった 川越線の南古谷も電化後に激変しました。あまつさえ、電車区ができて4ドア10両の編成が常駐してます c56は煙突となりの蒸気口をスーペースシャトルみたいに後ろ向きにしたら省エネだったと思う >>813
バケットカーを「正しくはバスケットカーだ」って訂正厨がいたけど
結局は原語的にバケットで合ってるんだったよね。 BSフジ 鉄道伝説、「D52形蒸気機関車〜最強の決戦機関車を開発せよ〜」10/22放送
BSフジは2022年10月22日(土)、「鉄道伝説『D52形蒸気機関車〜最強の決戦機関車を開発せよ〜』」を放送します。時間は12時〜12時30分です。
D52形蒸気機関車(SL)は、太平洋戦争中の1943(昭和18)年、国内の石炭輸送を支えるため、史上最強の決戦機関車として誕生しました。
しかし、戦時中の乏しい資材を節約して製造されたため、本来の力を充分に発揮することなく戦争が終結、そのまま姿を消すことに。その後、装備改造を施され、本来の姿に生まれ変わり、東海道・山陽線でそのパワーを存分に発揮しました。
D51形に比べ知名度は低いD52形でしたが、戦中から戦後にかけ、日本の貨物輸送を支えて走り続けた、SLの伝説に迫ります。
raillab.jp/news/article/28393
>>809
> しかし最後の10年当時の有名な撮影地いまはもう木は伸び放題で線路も新線になったり廃線になったりで面影もないんだろうか
[なぜ?]50年前の栄光の撮影地を訪れたら衝撃的な光景が...
布原信号場
www.youtube.com/watch?v=Aco3v-W3UnU やかんと同じような形状だと中も外もあんまし熱く感じないのか
やかんあぶねえ 君らに朗報
コロナからばんえつ物語ストーブが1000台限定で販売された。
古の汽車での旅を集団就職の思い出を味わい、この冬自宅で暖まろう。 更にキャンプに便利な黒いケースが付属し、黒いダンボールに入ってくる。
これは買うしかない。多少高いがお求めやすい価格。 もう12月14日になってもレスが少なくなるんだろうなあ あのシーンを見た世代も最小で中学一年生(12歳)としても、もう59歳だもんな。 蒸機の最後は実質S43.10か都市部全滅のS45.10
それ以降はせいぜい布原・ニセコ終焉まで
残りは日南3号とか大雪くずれ含めてどうでもいいカス メンテナンスができずに放置されてるものが多数
現実、二度と走れない 煙突から石炭をぶち込むタイプもあったのでしょうか
玉込め銃のように >>826
SLは、乗るものから観るものに変質するのです。 中國の奥地へ撮りに行ってた人
今じゃ厳しいだろうな さて今夜の上野駅は夜行列車に乗って北へ向かう連中が大量にいるだろう!
何! 列車運休? もう国鉄の蒸気機関車牽引の営業列車に乗ったり撮影した経験ある人って
どんなに若くても60才以上だもんな
昭和40・ またあの日が来た。
またひとつ歳を取った。
C57135に会いに行くか。 会いに行くなら昭和50年夏以降、日本最後のC57となった北海道岩見沢第一機関区配置のメンバーは、38、44、57、104,135,144の6両。 廃車後135の他は44号は愛媛県の西条市に、144号は岩見沢市に保存。解体されてしまったが38号の動輪は第1動輪が大田原市ぽっぽ公園に、第2動輪が小金井駅前にR、石橋にLが、第3動輪が兵庫県三田市に保存されている。 最後の岩見沢のC57って余所から流れてきてせいぜい長くても6~8年程度しか在籍してないカマばっか
最低10年は同じ機関区・路線にいたカマでないと愛着はでない >>831
昭和40年生まれの人って今年58歳だが 自分が3歳位までは地元で蒸気機関車が走っていてかすかに記憶がある >>835
復活ではなく通常の営業運転の蒸気機関車けん引列車に乗った世代では
たぶん自分たちが一番若い。大学入学時にはベルリンの壁はもうなかったがソ連はあった。 追分の機関庫の不審火は溶接工の火の不始末か漏電という話だが
おそらく組合の関係者もしくは特命を受けた外部のものの嫌がらせだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています