セノハチ補助機関車列伝
山陽本線上り瀬野−八本松間「西の箱根」のシェルパ
非電化時代から通じて
このほどEF210のセノハチ後補機対応が登場することになったので 3気筒C52が本務機C53と優等列車を運行するさまは
さぞ凄まじかったであろうな 西村京太郎の「特急さくら殺人事件」
大昔やってた、2時間ドラマもう一度見たい… EF59末期の頃、瀬野駅ホームでの撮影は禁止だったな、知らずに写真撮ってたら駅員にえらく怒られた厨二の夏が懐かしい。 戦後は補機の一員だったD52のトップナンバーは現在
広島車両所で静態保存されている >>5
あんな詐欺ミステリー、二度と見たくも読みたくもねえ。 リアルな西村京太郎は4畳半のようなところに引きこも?り
実際に旅に出ることは無い、と聞いたが真偽は定かではない。 >>9
今週末のイベントで運転室が公開されるという EF59の検査は鷹取でやってたのかな
1980年頃に岡山近くで次位回送されてるのをみた記憶があるんだが >>21
>>1を嫁
EF67の0番台を置き換えるらしい。 昔の写真と比べたら、有名なS路カーブのバックにいつの間にかバイパスが通って、
下に建っていた古い蔵と一軒家が立ち退かれていた・・・・・・
厚狭〜小野田の有名ポイントも山陽自動車道が通って目障りになっているし。 >10
客車列車の牽引からEF58が撤退したときじゃない? 鉄道公安官だったかに走行解放にアリバイ作ったエピソードあったような >>27
土曜ワイド劇場の西村京太郎サスペンスだな 実際に営業列車のEF61-200で、刑事役の俳優が
子供の人形使って現場検証していたのを幼少の頃よく覚えている。
国鉄だったから出来たんだろうな。 しかし事件発生時の映像ではPF牽引だったというトンデモ 事件後の捜査で、デカが見聞のために同列車に乗って
編成の末端までブラブラといって見た釜が、その日たまたまEF58だった。
深夜にガクンと揺れて停車し、デカは何事かと思い事情を聞くと、
セノハチ補機とEF58代走の話が聞けた。
これがヒントで捜査を進め、トッリクを暴いた。 ついにEF67まで…。
と、実は自分が知るセノハチは、EF59全盛の時代〜EF61200が最新機として登場した頃まで。
後押しするEF59重連の姿や力強いサウンドに魅せられて(坂を滑るように下ってくる4重連回送も迫力ありました)、お小遣いを貯めては山陽線の夜行列車に乗り、何度も通いましたねー。 EF671が登場した直後瀬野機関区を訪れた
一番北の留置線で一休のEF59の奥に置かれてた
当時はなんでこんな奥に…と不思議だったが
今にして思えばEF59の2輌を1輌で置き換える67は
仕事が減ることを意味する訳で機関区の職員にとっては
複雑な心境だったんじゃないのかとも思ったりする
あと、瀬野区配置ELといえば扇風機がよく目立つ
あれは組合が強かったとかなんだろうか? 山陽鉄道開通当時は人夫が押し上げてたそうだね
隔世の感があるな EF67-100は走行開放しないからデッキ化改造されなかったそうだけど
走行開放にデッキって必須なの? 万一、自動解錠出来なかった時に、デッキに出て手動で連結器を外す。 EF59,61-200,67の機関士は1名乗務しか見たこと無いんだが
(走行開放は見たこと無い)
走行開放時は2名乗務だったのかな
そんなら合理化の対象にされやすかったのも頷けるんだが 303も稼働中。
302はこのところ運用についていなかったが、休車になったらしい。 EF61-200改造前に種車使って試験とかしたのかな
その辺りの情報を見たことないんだが 祝!天賞堂プラ16番でEF53&56丸改EF59発売発表
で、皆さんに訊きたいんだが、PS22になったのって何番か分かる?
4両は分かったんだけど…。10両位いたらしいね? どっかのブログで瀬野機関区で留置してるEF601の写真見たことあるぞ
撮影年月日は改造直前だったと思う 瀬野留置といえばEF61のボロボロ一休車が奥から順に7,10,17とあったが
復活は素直に手前からの順番で17,10となり7はそのまま廃車となったが
もし留置する順番で7が手前だったら7が復活してたんだろうか?
状態の良いのを手前にする配慮とかしてたのかそれとも偶然か? >>52
たぶん状態がいいのを手前にしていたんだろうな 真っ二つでなくちゃんとした61を保存してほしかった 使えもしないモノを、大事にとっておくって自分のウチでやってごらん EF65−1000(貨物列車)はEF59(重連)に押されたことありますか? EF59現役時代にEF65PFの貨物仕業はなかったんじゃないかな 瀬野八が登場する作品って西村京太郎の「特急さくら殺人事件」以外にあるのかな?。 S字カーブ俯瞰する有名撮影ポイント、
バイパスが出来て、アクセントだった例の民家も無くなっちゃったね。 オイラは覚えてないけどその昔はEF15牽引貨物をEF59が押してたんだろなぁ EF672解体だそうで
改造とはいえ登場時から見守ってきた機関車が解体されるのは
なんとも寂しい限り
そういえばEF59やEF61200はイベントとはいえ広島圏外にも
でたことあると思うが
EF67は登場以来外に出ないままだったのかな 東京の方はご存知ないかもしれませんが、東のハコネ、西のセノハチと言いましてね。
山陽本線の瀬野と八本松の間は、急勾配になっていて、難所の一つになっているんです。
せいぜい、時速30キロ、もちろん飛び降りるなんてことは出来ませんよ 上野東京ラインの坂とセノハチとを比べてみると
あそこは機関車通れないんだね EF58けん引きの定期ブルトレは
広島駅でEF59を連結していたのだよ 九州ブルトレの間合いでEF60-500がセノハチ補機務めていたことがあったんだな
驚き わざわざ下関から来るんか
まあでも足回りはEF61-200と変わらんし
密着自連持ってるし
走行開放以外は出来るってことかいな 有名なS字カーブにあった家と蔵もバイパス建設で消えちゃったな EF61-200
EF60クイル型の面影も無かった 210-300の増備車が出てきたな
今回のは67-100の代替じゃないそうだがいずれは67-100も引退する訳で
広島配置機関車が無くなるのも遠い日のことじゃないのかもしれない
210-300が広島止め貨物間合いで補機仕業するなんて広島電化直後のような
時代が再来するのかもしれないな
そういや61-0が補機やってる写真見たこと無いな >>86
ttp://blogs.yahoo.co.jp/nihonisshyu/15472408.html >>88
確かこのあたりに走行開放の標識も立ってたはず
1枚目弾薬庫への線路も写ってるな 技術的に無理と諦めなかったのがスゴい。
こういうチャレンジ精神が現場にあったから技術は進歩したんだろうなあ セノハチで瀬野駅を間もない所に
踏切があり、その先は米軍川上弾薬庫がある。広島市或いは、東広島市か?
同じ広島県にも呉市に、秋月、黄幡の弾薬庫がある。広島県は米軍の弾薬庫が多すぎる。
太平洋戦争の頃の弾薬庫は
神奈川県の池子弾薬庫
福岡県の山田弾薬庫が有名。
話が外れて悪かった。
セノハチを越える、上り貨物列車で、広島貨物ターミナル駅を出発して、瀬野駅にかかる間は、
補機運転士は、何もしないのか?
とんでもない、本務機がどのような運転をしているかを見極めている。
一口に運転と言っても、急加速、急減速を繰り返す者、ノッチ進段がやたらに遅い者。
それらを見極めて運転をしている。 だよね。
自信なかったからレスしなかったが
やっぱりそうだった 最初はバッファで押すだけだったと思うが
自連化してからも続けてたよな 瀬野機関区も昔のことになってしまったねぇ
EF59が予備と非常予備の4輌を残して廃車になった直後
一番北の留置線に並んでたEF59はメーカーズプレートも外されてた
その1輌には外されたプレートの跡に白ペンキで
「○○(地名)の○○さん残念でした(云々)」みたいな文字があったな
盗り鉄同士のメッセージなのかなんなのか知らんけど 瀬野機関区の詰所にあったEF59のでっかい模型は
瀬野廃止後に広島へ持っていったそうだが今もあるのかな 広島機関区の建物の北側に、C59とEF59の模型がケースに入れられ飾られているよ 今や専用補機は縮小。
EF210-300は本務機兼用だしな EF210-300は東の方へはどの辺りまで行ってるのかな 関西ブルトレをEF59が押してた頃は14系使用列車であれば
走行解放の瞬間間近で見れたんだな。 EF65PFも最終全検があったようだが
PFと67-100どっちが長生きするだろうか >>52
あのEF61-0はEF61-100の種車にする為に瀬野に置いてたのか
単に広島が手狭だったから瀬野に置いてたのか
どっちだろう? 腐食の持病で戦線離脱じゃないの?
EF61-100は既に取り止めだったろうし
SGの需要も先が見えてたし
結局EF58に取って代わることもなく >>112 >>113
あれはいつから置いてあったんだ?
ぐぐると79年8月には3輌在ったみたいだが
その前がわからん Wiki見る限り先行する61-200登場が77年で
間もなく問題が見付かって増備を取り止め
後に続く筈だった61-100計画もあぼーん
61-200も61-100も瀬野で改造するわけじゃないだろうから
そこにいた理由は改造予定と無関係に休車かけて疎開だろうな
61-100の種車とされたのも余剰故のことだろうし
行き先を失って帰るところもなくそこにいたのでは EF60-1は1976/10/3付で瀬野転入
1977/11/25付でEF61-201改造となってるな 旧所属区には関わりのないことだから
手続き上まず転属させてから改造なんだろうな EF61-200の改造は
1977-11,12に201,210
1978-2に209,211
1978-6に204,203
1979-2に206,207
となってるようだ
瀬野転入から改造まで短いと2ヶ月、長い場合で20ヶ月程度となっている模様 すると増備中止が79年以降か
>>114の時点ではまだ改造する気でいたのかな EF60-0の改造対象残り6輌は瀬野への転属履歴が見当たらないから
早い段階で待ったがかかったのは確かだろう 先行車の試験でちょっと駄目かなとなって
でも予算付いちゃった78年度分はやるしかねえか
って感じかな
国鉄らしいw EF61-0も瀬野転属履歴が見当たらないし瀬野留置車も[広]標だったし
改造前提で瀬野留置だった訳では無いのかもしれない
もしかしたらEF60との比較や重連補機試験等でもやって
そのまま瀬野留置とかかもしれないが…
80年か81年に瀬野を訪れた時色あせて錆びの浮かんでいたEF61-10が
数ヵ月後にピカピカになって荷物列車を牽引してたのには驚いた それが今やセノハチの最新型機関車は広島をとうとう捨てて大阪の吹田に置いているんだもんな…。 数が揃ったら国鉄型ロートルと一緒に廃止
広島支所とかになるんじゃね? EF210-300運転台に扇風機が着けられなかった時点で瀬野(広島)の歴史は終わってたんだよ セノハチ、ヨコカル、フクヨネは聞くが
ミナイシは聞かないな 薄幸の国鉄直流電気機関車 EF60/61を語る [無断転載禁止]©2ch.net
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1493025126/
200番台の話題はこっちでも可能だそう。 撮影名所だけにネットで検索してもヒットする写真が多いが
決して便利な場所でもなく、何がここまで撮り鉄を突き動かすのか、興味が湧いた オンボロポンコツEF67を、JR貨物のアホは何時まで使うつもりなんかね。 ( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
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 ̄ ̄ ̄ 電車特急「つばめ」に乗って、
後ろの補機が押し上げて、
峠を越えたあたりで走行中に解放離脱するのを、
窓に顔をくっつけて後ろを眺めたのが貴重な思い出。 EF59のEF53ボディ機が20系あさかぜを後押しではなく
先頭に立ち牽引HMは無かったがゼブラ塗装だけあって異色を放った
(奥田宗男のDVDより) EF67引退の記事で
あの塗り色にモミジ色の名が付いてたことを始めて知りました 赤11号だが
沿線の紅葉の色由来と最初から言ってる 赤いから紅葉色って普通に想像付くから初めて知ったというほどのものでもないけどな EF67は改造前の種車がまちまちでゲテモノ感がすごかった