■昔の秩父鉄道 東武熊谷線を語ろう■
>>611
残念ながら、小田急・名鉄・南海は過去帳入りしてしまった >>604
>>608
貴重なお話、ありがとうございます
熊谷線廃止から40年近く経ちますね
僅かな期間、熊谷には新幹線と熊谷線両方走っていましたね >>580
115系が秩父鉄道に乗り入れたときはどんな幕表示だったのだろう? 乗り入れてた頃って高崎線の115系ってサボ使ってなかったっけ 115だったか211だったか忘れたけど、三峰口という表示を回している途中で見た事ならある。使用実績有無は不明。 臨時で103系が秩父に乗り入れたこともあった。
乗ってみたかった。 秩父鉄道に乗り入れた115系のトイレには汚物タンクは付いていたのかな? 大井川鐵道に乗り入れてたのが113系
秩父鉄道に乗り入れていたのが115系
どちらのトイレにも一気にで汚物タンクは付いていたのかな?
余所様の路線を糞で汚すのは気が引けるだろ? 妻沼から先西小泉まで、開通していたら、今頃どうなっていたかと妄想する。 西小泉−妻沼間は1945年9月完成予定だったからあと少し戦争が終わるのが遅かったら
様相は変わっていただろう 東武はやる気なかっただろうから電化されなかっただろうし、
熊谷~西小泉の区間列車が1時間1~2本走るぐらいだったんじゃね
太田から熊谷まで乗り換え2回もある時点で線路が繋がっていないも同じだし
結局は矢板線みたいに廃線になってるかもしれんね 小泉ではなく太田とつながっていたなら少しは需要はある
館林は論外で、小泉線沿線住民が都心へ行くには遠回りすぎる >>631
恐らくだけど、東武がやる気が無かったとしても小泉線と繋がっていたら電化していたと思う
離れ小島の路線ならともかく、繋がっているのに西小泉~熊谷間だけ非電化は効率が悪いし
まぁ、矢板線みたいな例もあるからなんともいえないがw 妻沼駅舎の佇まいは田舎のローカル線の駅の心象風景そのままだったなあ。当時まだあちこち残っていた国鉄超ローカル線の駅と通じるものがあった。
昭和20年頃の東武本線の駅もあんな感じだったんだろうかね? 妻沼駅舎の佇まいは田舎のローカル線の駅の心象風景そのままだったなあ。当時まだあちこち残っていた国鉄超ローカル線の駅と通じるものがあった。
昭和20年頃の東武本線の駅もあんな感じだったんだろうかね? >>639
戦時中に建てられた駅舎だから簡易的なものじゃないかと思う >>641
普通の木造駅舎だよ
まあ凝ったところのない単純な造形だったから戦時型と言えなくもないけど 妻沼駅の待合室にハンドルをぐるぐる回す黒電話もあったな
妻沼タクシー呼び出し専用 当時の写真を見ると東武の地上駅舎よりかなり小さい感じするな 1980年前後はまだ街灯が整備されてなくて駅周辺でも夜は真っ暗で怖かった妻沼 本来、夜は暗いものだ
暗いのが防犯上良くないというなら
夜間の外歩きをやめることだな 妻沼の中心地は駅周辺ではなくて聖天さまの辺りで合ってますか 元々どこの街も町中に駅ができたと言うのは稀
市街地を用地買収は金と手間がかかるし
熊谷だって駅が出来た頃は駅前は町外れだった 秩父は小田急から1800を買った辺りからつまらなくなってきた気がする