昭和40年代の後半ぐらいまで、妻沼駅の結構先の方(西小泉方面)まで線路が延びていた。
当然、最後は車停めで終わっていたけど、野焼きの跡が残る草っ原の中にレールが埋もれるように残っていたのを憶えている。