■昔の秩父鉄道 東武熊谷線を語ろう■
ふかや花園駅開業にともない
上熊谷駅にあった熊谷線営業時代からの路線図が交換されました
上熊谷から先のシールで隠された部分を剥がしたかった 熊谷デジタルミュージアム内の「東武熊谷線の部屋」が熊谷線について、すごく詳しい解説してる
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/t_kumagaya_line/index.htm
熊谷線からみの資料で一番まとまった資料は「写真にみる東武熊谷線」っていう
熊谷市立図書館が編纂した本だと思うんだけど、
この「東武熊谷線の部屋」は「写真にみる東武熊谷線」から
著作権上問題ない範囲(著作権管理者が熊谷市の記事)でデジタルアーカイブ化してる感じ
(引用不可と思われる、東武鉄道社内報、新聞社の記事複写等は載ってない)
あまぎモデリングイデア作図のキハ2000の塗り分けなど、追加の記事等もあって
熊谷市役所内の好事家な人が編集した感じだな 個人的に一番の見所の記事はこの「年表」
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/t_kumagaya_line/nenpyou.htm
ところどころミスタイプと思われるところがあるが、ウィキペディアの記事より詳しく、
Web資料としては一番詳しいと思う
・昭和30年代から40年代にかけて東武が国鉄に妻沼-西小泉連絡線の建設を陳情
・進駐軍撤退後、広大な空き地だった旧中島飛行機の小泉飛行場跡地へ
国鉄の貨物ヤード(後の熊谷貨物ターミナル駅)を東武が(!!)誘致
代わりに熊谷線を国鉄or第3セクター新会社に押し付けようと画策
・国鉄誘致失敗後、新会社案を東武が地元自治体に提案するも反応なし
した歴史が載ってる(この辺のやり取りは運輸省文書にも載ってる) 「東武は伊勢崎線の旅客が国鉄に流出するから熊谷線を全通させなかった」っていう
川島冷蔵庫先生のヨタ話がゴシップに過ぎないのがよく分かる
あの自称鉄道アナリストは裏付けも無しに「ゴシップ」を
「事実」としてばら撒くデマ製造機で、本当に罪深いよ 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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♪ちゅーぷる 久しぶりにバイパス経由妻沼行きのバス乗ったけど
ルート変更でちょっとだけ熊谷線の跡を走るようになったんだな 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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♪ちゅーぷる 電化されてても他の東武の路線と繋がってなかったらやっぱりダメだったかも 太田と直結か、西小泉〜竜舞に連絡線作れば延命してたな 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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MGL:むーぐる 秩鉄オリジナル+国鉄115系+東武8000系が
同じレール走るなんてまるでNゲージじゃねえか。面白いなあ。 上野駅ホームの行き先表示がグルグル回ってるの見てて 秩父 って言うのが出て来た時は山田うどんのカカシも驚いたぞ。 >>579
> 秩父 って言うのが出て来た時は
出たことないから安心しろ >>579
>>561の画像について言っているなら、中央の車両は秩鉄オリジナル車ではなく、小田急からの譲渡車ですよ。 秩父鉄道のオリジナル車は急行用の300系と普通列車様の500系が最後だね >>582
いちおう秩鉄オリジナル(新車)ならデキ506が最後(デキ507は親会社の私有機) >>582
デハ500は一般用としてはなかなかのデラックス仕様
当時は羽振りか良かったのかな 大手にもひけをとらなかったよ
地元の誇りといって良い 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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20.jan.2022 メーカーの営業の成果も見過ごせない
この時期各地ローカル私鉄に場違いともいえる新車が登場した 東武熊谷線の廃線跡、道路になる 約2.5km開通 利根川方向へほぼ一直線
https://news.nifty.com/article/item/neta/12203-1510319/
通称「カメ」と呼ばれたディーゼルカーが走っていました。
旧東武熊谷線 多くは道路に
埼玉県熊谷市の市道101号線の約2.5km区間が2022年3月26日(土)に開通し、全線開通となります。この道路は、かつての東武熊谷線の廃線跡です。
熊谷線は、JR熊谷駅から北へ、利根川南岸に位置する妻沼(めぬま)地域の妻沼駅まで、約10kmを結んでいました。戦時中の1943(昭和18)年に開通。40年後の1983(昭和58)年に廃止されています。最後まで非電化で、「カメ」と呼ばれ親しまれたディーゼルカーが走っていました。
妻沼線は熊谷市内から利根川へ向かって、ほぼ一直線に敷かれており、今回の開通区間も直線かつ平坦路です。県道葛和田新堀線が開通区間の終点ですが、そこから北、旧妻沼駅付近までも、すでに大部分が道路になっています。
ちなみに、熊谷線はもともと、利根川を越えて現在の群馬県太田市にある中島飛行機の工場(現在のSUBARU群馬製作所)まで、軍需物資と工員を運ぶべく計画されましたが、妻沼からの利根川越えは叶いませんでした。
妻沼線の痕跡は、秩父鉄道と共用だった上熊谷駅付近の公園のほか、利根川を渡った群馬側の河川敷に未成区間の橋脚の一部などが残っています。 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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20.jan.2022 >>590
軍需工場を熊谷に作ったほうが良かったような気がする 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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20.jan.2022 >>593 広い土地を安く取得できるかというだろう。テスト用の飛行場も確保する必要があるから、人家があまりない場所に工場とセットで造りたい。昭和初めの頃、中仙道沿いの熊谷よりは太田、小泉の方が好都合だったんでは。
今はかなり都市化してる神奈川県の厚木など小田急沿線も、当時はど田舎だったからね。だから厚木飛行場や相模原の軍需工場が造られた。 >>597
創業者が太田出身で、創業も太田だからだよ 中島知久平と根津嘉一郎の関係ね
初代太田工場を作るときに根津は色々援助したのよね
そして新太田工場で人員・資材・燃料の輸送で駅の近場が良いとなった
ちなみに中島は隣の尾島出身(合併で太田)、地元の振興と根津への恩ってのもある 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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20.jan.2022 【朝方に謎の光が2つ】
未確認の発光体は一体なんだろうか?
://www.youtube.com/watch?v=lEJg-qVhxtY
>>597
厚木飛行場はそもそも厚木には無いんだよね(敷地は綾瀬と大和にまたがる)
地名の厚木とは全く接しておらず相模川の対岸海老名を挟んだ先にあるし 熊谷線、懐かしいね。
昭和58年5月31日、営業運転最終日はものすごい人出だった。
満員で、乗る事も叶わなかったから、クルマで沿線風景を撮りまくった。
妻沼駅に最終列車が到着する頃には、沿線周辺の人たちが集まり、パジャマ姿の子供も混じっていたのが印象的だった。
拍手の中を最初列車が到着、その後は人だかりも急にひけてしまい寂しかったな。 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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20.jan.2022 キハ2000、ここの人、いつの時代の塗色がお気に入りでしょうか?
・初期の クリームとブルーのツートーン
・>>463の質問の答えにもなる、オレンジとクリームのツートーン
・概ね昭和50年以降から晩年までの、クリーム一色
個人的にはオレンジとクリーム時代。前照灯がブタの鼻型2灯になる前ごろまでの。 妻沼駅は10年くらい前はまだ遺構が残っていたのよね 昭和40年代の後半ぐらいまで、妻沼駅の結構先の方(西小泉方面)まで線路が延びていた。
当然、最後は車停めで終わっていたけど、野焼きの跡が残る草っ原の中にレールが埋もれるように残っていたのを憶えている。 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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20.jan.2022 東武にDCなんて熊谷線廃止後はあり得ないと思っていたけど、会津鉄道の乗り入れ開始で再び見られることは快挙だった。 熊谷線出来て40年で廃止。
それからまた40年、同じだけの時間が過ぎてしまった。
熊谷駅構内以外は、駅舎改札まわりなどは
昭和18年のままだったよね? 新幹線開業後も一応まだ熊谷線は残ってたから
新幹線開業後、つまり橋上化以降は今の秩父鉄道熊谷駅と当時はほとんど変わっていないのでは 昭和18年戦争中殺伐とした時代だったはずだが、妻沼駅は国鉄ローカル線のような懐かしい
雰囲気だった。国鉄ローカル線だって、汽車がディーゼルになっただけで昭和18年のまんま
だったんだろうか?昭和20年だったか伊勢崎線で学徒動員された女子高生?が運転する電車が閉塞無視した為か正面衝突の大事故起こして何十人も犠牲になる大事故が起こった。そんな殺伐とした時代のものが何故懐かしみがあるんだろう?中島飛行機の軍用路線として作られたあの路線が何故長閑で懐かしみがあるんだろう。 >>611
残念ながら、小田急・名鉄・南海は過去帳入りしてしまった >>604
>>608
貴重なお話、ありがとうございます
熊谷線廃止から40年近く経ちますね
僅かな期間、熊谷には新幹線と熊谷線両方走っていましたね >>580
115系が秩父鉄道に乗り入れたときはどんな幕表示だったのだろう? 乗り入れてた頃って高崎線の115系ってサボ使ってなかったっけ 115だったか211だったか忘れたけど、三峰口という表示を回している途中で見た事ならある。使用実績有無は不明。 臨時で103系が秩父に乗り入れたこともあった。
乗ってみたかった。 秩父鉄道に乗り入れた115系のトイレには汚物タンクは付いていたのかな? 大井川鐵道に乗り入れてたのが113系
秩父鉄道に乗り入れていたのが115系
どちらのトイレにも一気にで汚物タンクは付いていたのかな?
余所様の路線を糞で汚すのは気が引けるだろ? 妻沼から先西小泉まで、開通していたら、今頃どうなっていたかと妄想する。 西小泉−妻沼間は1945年9月完成予定だったからあと少し戦争が終わるのが遅かったら
様相は変わっていただろう 東武はやる気なかっただろうから電化されなかっただろうし、
熊谷~西小泉の区間列車が1時間1~2本走るぐらいだったんじゃね
太田から熊谷まで乗り換え2回もある時点で線路が繋がっていないも同じだし
結局は矢板線みたいに廃線になってるかもしれんね 小泉ではなく太田とつながっていたなら少しは需要はある
館林は論外で、小泉線沿線住民が都心へ行くには遠回りすぎる >>631
恐らくだけど、東武がやる気が無かったとしても小泉線と繋がっていたら電化していたと思う
離れ小島の路線ならともかく、繋がっているのに西小泉~熊谷間だけ非電化は効率が悪いし
まぁ、矢板線みたいな例もあるからなんともいえないがw 妻沼駅舎の佇まいは田舎のローカル線の駅の心象風景そのままだったなあ。当時まだあちこち残っていた国鉄超ローカル線の駅と通じるものがあった。
昭和20年頃の東武本線の駅もあんな感じだったんだろうかね? 妻沼駅舎の佇まいは田舎のローカル線の駅の心象風景そのままだったなあ。当時まだあちこち残っていた国鉄超ローカル線の駅と通じるものがあった。
昭和20年頃の東武本線の駅もあんな感じだったんだろうかね? >>639
戦時中に建てられた駅舎だから簡易的なものじゃないかと思う >>641
普通の木造駅舎だよ
まあ凝ったところのない単純な造形だったから戦時型と言えなくもないけど 妻沼駅の待合室にハンドルをぐるぐる回す黒電話もあったな
妻沼タクシー呼び出し専用 当時の写真を見ると東武の地上駅舎よりかなり小さい感じするな 1980年前後はまだ街灯が整備されてなくて駅周辺でも夜は真っ暗で怖かった妻沼 本来、夜は暗いものだ
暗いのが防犯上良くないというなら
夜間の外歩きをやめることだな 妻沼の中心地は駅周辺ではなくて聖天さまの辺りで合ってますか 元々どこの街も町中に駅ができたと言うのは稀
市街地を用地買収は金と手間がかかるし
熊谷だって駅が出来た頃は駅前は町外れだった