■昔の秩父鉄道 東武熊谷線を語ろう■
特急かめ号。と、よんでました。親父の実家が、妻沼にあったので、そこそこ乗ってました。熊谷駅で、駅そばを食べるのが楽しみでした。もちろん乗るのも。 特急かめ号。と、よんでました。親父の実家が、妻沼にあったので、そこそこ乗ってました。熊谷駅で、駅そばを食べるのが楽しみでした。もちろん乗るのも。 林間学校で三峯神社行くときに高崎線からの直通列車乗った記憶 同じく林間学校で三峯神社行くときに東上線からの直通列車乗った記憶
お便所がなくてちょっと心配だった。 ウーム オレは伊勢崎線筋だけど日光林間学校とかでかなりの頻度で通勤用8000使ってたんだよね。何百人も生徒乗せてれば、当然下痢起こす子供もいるし、緊張や体調不良で大小便が近くなる子供が出て当然だよね。もちろん乗り物酔いする子もいる。初潮になったばかりの
女の子だと急に生理になって手当てが必要な子もいる。それなのに2時間近くトイレも無い車輌に閉じ込めるって、児童虐待じゃねえのか? >>503
昔は耐えられたんだが、今の子供が軟弱だけ。児童虐待とかモンスターペアレントかよ? 昔の夏の房総海水浴臨電だけど、両国発千倉行の快速が何と101系だった。
夏だったし、クーラーもなかったから大丈夫だったけど、心配だった。
なんでクーラー付きの急行にしなかったかと親を責めた懐かしい思い出。
ちなみに富浦まで乗った。 84年頃に103系京浜東北線の中間に低運のクハが入っていて大磯行とかの行き先方向幕があってびっくりしたっけ。
81年頃は妻沼駅構内は自由に入って撮影出来たっけ。構内の雰囲気は昭和30年代で時間が止まったようだった。その次に83年5月の廃線直前
に行った時は構内立ち入り禁止になってたっけ 思い出した。懐かしい、新大平下トイレ休憩。
伊勢崎線沿線民の遠足?は大平山が定番である。
そういや見沼代用水にかかる秩父鉄道の橋
の近くに国鉄63型のちぶ鉄車体更新車が
あったのだが今でもあるんだろうか。
あのあたり、関東武蔵野平野的な野趣、場末
間寂寥感が半端無いよな。海があるわけでなく
山があるわけでなくただ荒野が広がるだけの
何も無い感じ。ま、それもいいのかもしれない
けど。 >>506
夏の海水浴臨電では103系の小田原行なんてのが運転されたこともあった。 三峰口の展示だか放置車両群
ワキとか中に入れるがせっかくの電車が周囲立ち入り禁止は残念、錆びまくってるし 近く行くとビックリする
乗務員扉の残骸が落ちていたりするし
ボロボロ >>500
熊谷線、昭和28年頃までは汽車だったから、ただ「カメ号」、その後お馴染みの2000系DC3輌になったので「特急」カメ号になったらしい。
因みに地元では「熊谷線」と呼ばず、「妻沼線」って呼ばれていた。
秩父線と共用のホームの立食い蕎麦屋さん、これぞ関東の味ってくらい醤油で真っ黒の汁。これも懐かしい。 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル株式会社)30代好評人気連載漫画「ヒカルの碁スキンケア」
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員稲田籠池豊田
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース キハ2000昭和28年から58年まで30年走る
昭和58年から 今年さらに34年経ってしまった。
さて、どうすっべ? ごめん昭和29年だった。 29-58=29 58-H29=34
既にキハ2000が走った以上の年月が経ってしまった、と言いたい。
昭和58年と昭和29年とで、
妻沼駅構内の雰囲気は変わっていなかっただろうが
周囲の住宅地の景色は激変したのではないか?
さらに平成29年の今年と 昭和58年とでは
バブル期とその後の衰退期を挟んだとは言え大きな違いは
ないんではなかろうか? >>519 東京郊外及び地方の駅前商店街の変化は、昭和58年ころからの30年間の方が大きいと思うよ。
その前の30年間は建物が新しくなったが賑わい続けていた。
その後は、ショッピングモールに客を取られ、シャッター商店街化するなど寂れる方向に。 ED383、茶塗装と緑ナンバープレートの色の組み合わせがいいですね〜。
http://george-shibu.jugem.jp/ >>521
ED38、最初に見た時はなんかびっくりした。
すごく腰高な機関車だな〜って。 >>520
熊谷ならともかく、妻沼駅のまわりは昔から何も無かったし、それは今も変わってないと思う ググルアースで見たけど妻沼駅のあたり不自然な空き地があるだけで
面影がなんもないね。 終戦が伸びていたら熊谷線は大泉線と繋がっていたんだろうね。
熊谷線が飛び地的に孤立したままになったけど、終戦後も日本が
再軍備した時に備えて鉄道路線として維持しとけっていうことで
ディーゼル1両で行ったり来たりさせてたということだね。
キハ2000がつくられた昭和29年といえば自衛隊が組織されはじめた年。
再軍備への野望が伺える。昭和58年冷戦が過熱する気配もなく
世界は緊張緩和ムードでもう維持していてもしょうがないんで
廃線にすてしまえ、と。 不要不急路線を各地で引っぺがしてた時期に
国内での延伸工事は無理 不要不急路線を各地で引っぺがしてた理由の一つが重要路線の線増や新設なんだけどな 2010年前後の頃はまだ妻沼の車庫の遺構が残ってたんだよな
いまはドラッグストアができて完全に消滅しちゃったけど 妻沼駅のたたずまいというのは昭和20年代の伊勢崎線の
遺構保存みたいなものだったんだろうか。切符売り場とか
駅舎とか。 昭和20年に学徒動員された女子運転手が
正面衝突事故起した頃の伊勢崎線もこんな感じだったん
だろうかと想像 >>531
妻沼駅自体が戦時中に建てられた比較的新しいものなのでなんともいえないですが
20年ぐらい前の東武日光線の無人駅なんかは改築どころかリフォームすらされずに
昭和初期がタイムスリップしたかのように残ってる駅がありました。
その中でも旧下小代駅舎は保存されましたね。 >>533
東武日光線の駅と熊谷線の駅じゃ14年しか違わんけどな しもこだいって読んでた。しもこじろなんだねあるまじろ。
画像見たけど今の駅舎見てはぁ?って思ったわ。ありゃ駅舎でない
ただのトイレ。町の顔なんだからコストで計れない部分あるよね。
ちゃんと保存運動して駅舎守った街の人は立派だわ。 しも「ごし」ろを、しも「こじ」ろと間違える時点でギャグすら頓珍漢なことになってるけどな。 >>535
1日に227人しか利用しない駅に金かけられんわな
東武に限らんけど、JRを含め最近の鉄道会社はしっかりした駅舎に建て替えて欲しければ
地元の市町村が金を出せってスタイルだね >>537
それが慣例になってるのもおかしなスタンスだよな。
駅というのは自分とこの店じゃないかと。 >>538
新型駅舎にして水洗便所も併設したからサービスとしては向上してる。
そもそも乗らず(使わず)に残せを地で行ってる方がよっぽどおかしい。残そう運動
してるやつは引っ越して10年は転居不可くらいの不退転の態度で望んでるかと、
さにあらず。
ブログで旧駅舎を訪れた人たちを見てみると、車で乗り付け、自分の車が旧車
だから似合ってるでしょ、とインスタばりの自惚れ写真掲載してるだけだったりして
肝心の東武で来ましたなんて皆無。 >>538
事業者に要望するのであれば金出すのは当然だろう。 駅は街の「顔」からね
顔だから、地元市町村にとっては見栄えの良い駅舎にしたい
でも、鉄道会社からみれば、まだ建て替えなくても使えるのに・・という
東武は結構駅のリフォームする方で
春日部駅東口なんて元はといえば岡部駅みたいな木造瓦屋根の駅舎だったのに魔改造されてるし・・・w しかし、東武は短い盲腸線を敷くのが好きだったんだね。
妻沼線以外にも近くに残ってるよね。 >>542
熊谷線は好きで引いたわけじゃない
短い盲腸線なんて他の私鉄にもたくさんある >>547
他路線接続は盲腸線派?
だとしたら起終点自社線接続してる路線なんて東武じゃ小泉線の東小泉-太田だけじゃね? >>535
立て直した駅舎がショボくなるのは固定資産税削減の為なんだよなぁ
駅舎の大半を物置と化し本来の旅客機能を失った無人駅の駅舎を維持するよりも
必要とされている機能(便所とか)に絞り込んでリニューアルした方が維持費が削減できる
下小代駅の場合は「残したいならお前たちにヤル、後は好きにして」と言う
熊谷線と同じ東武得意のパターン(そして熊谷線は道路と緑道、公園になった)
でもこれは、「交渉の余地なし、問答無用で破壊」というのよりずっと紳士的だと思う
ビンボな私鉄・三セクはたとえそうした節税対策したくても資金がないから
地元に金を出してもらうか、現状維持しかできない
あ、秩父鉄道は今時全有人駅だから(無人の時間帯あるけど)駅舎は機能してると思います >>549
貧乏三セクは駅舎を封鎖してもっと心悲しい状態になってるような ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ 熊谷〜上熊谷 東武でも秩父鉄道でもどちらの切符でも乗れたような。 今年に入って実質3レスめとはまるで妻沼駅舎のような閑散具合であるまじろ 10年位前は妻沼駅の検修施設の遺構が残ってたのよね
いまはドラッグストアができて完全に消滅 Googleストリートビューでカスミの横あたりは2012年撮影だけど
この時点では妻沼駅のホームになってた盛り土と並木は残ってるね
少し南に行くと2018年のになって並木が無くなってる
あそこで売地や貸地の看板出してる河本工業ってもろ東武系の建設会社やなw あの花もここさけも秩父鉄道出てるくせに秩父鉄道の車両は出なかったな。 ふかや花園駅開業にともない
上熊谷駅にあった熊谷線営業時代からの路線図が交換されました
上熊谷から先のシールで隠された部分を剥がしたかった 熊谷デジタルミュージアム内の「東武熊谷線の部屋」が熊谷線について、すごく詳しい解説してる
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/t_kumagaya_line/index.htm
熊谷線からみの資料で一番まとまった資料は「写真にみる東武熊谷線」っていう
熊谷市立図書館が編纂した本だと思うんだけど、
この「東武熊谷線の部屋」は「写真にみる東武熊谷線」から
著作権上問題ない範囲(著作権管理者が熊谷市の記事)でデジタルアーカイブ化してる感じ
(引用不可と思われる、東武鉄道社内報、新聞社の記事複写等は載ってない)
あまぎモデリングイデア作図のキハ2000の塗り分けなど、追加の記事等もあって
熊谷市役所内の好事家な人が編集した感じだな 個人的に一番の見所の記事はこの「年表」
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/t_kumagaya_line/nenpyou.htm
ところどころミスタイプと思われるところがあるが、ウィキペディアの記事より詳しく、
Web資料としては一番詳しいと思う
・昭和30年代から40年代にかけて東武が国鉄に妻沼-西小泉連絡線の建設を陳情
・進駐軍撤退後、広大な空き地だった旧中島飛行機の小泉飛行場跡地へ
国鉄の貨物ヤード(後の熊谷貨物ターミナル駅)を東武が(!!)誘致
代わりに熊谷線を国鉄or第3セクター新会社に押し付けようと画策
・国鉄誘致失敗後、新会社案を東武が地元自治体に提案するも反応なし
した歴史が載ってる(この辺のやり取りは運輸省文書にも載ってる) 「東武は伊勢崎線の旅客が国鉄に流出するから熊谷線を全通させなかった」っていう
川島冷蔵庫先生のヨタ話がゴシップに過ぎないのがよく分かる
あの自称鉄道アナリストは裏付けも無しに「ゴシップ」を
「事実」としてばら撒くデマ製造機で、本当に罪深いよ 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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♪ちゅーぷる 久しぶりにバイパス経由妻沼行きのバス乗ったけど
ルート変更でちょっとだけ熊谷線の跡を走るようになったんだな 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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♪ちゅーぷる 電化されてても他の東武の路線と繋がってなかったらやっぱりダメだったかも 太田と直結か、西小泉〜竜舞に連絡線作れば延命してたな 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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MGL:むーぐる 秩鉄オリジナル+国鉄115系+東武8000系が
同じレール走るなんてまるでNゲージじゃねえか。面白いなあ。 上野駅ホームの行き先表示がグルグル回ってるの見てて 秩父 って言うのが出て来た時は山田うどんのカカシも驚いたぞ。 >>579
> 秩父 って言うのが出て来た時は
出たことないから安心しろ >>579
>>561の画像について言っているなら、中央の車両は秩鉄オリジナル車ではなく、小田急からの譲渡車ですよ。 秩父鉄道のオリジナル車は急行用の300系と普通列車様の500系が最後だね >>582
いちおう秩鉄オリジナル(新車)ならデキ506が最後(デキ507は親会社の私有機) >>582
デハ500は一般用としてはなかなかのデラックス仕様
当時は羽振りか良かったのかな 大手にもひけをとらなかったよ
地元の誇りといって良い 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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20.jan.2022 メーカーの営業の成果も見過ごせない
この時期各地ローカル私鉄に場違いともいえる新車が登場した 東武熊谷線の廃線跡、道路になる 約2.5km開通 利根川方向へほぼ一直線
https://news.nifty.com/article/item/neta/12203-1510319/
通称「カメ」と呼ばれたディーゼルカーが走っていました。
旧東武熊谷線 多くは道路に
埼玉県熊谷市の市道101号線の約2.5km区間が2022年3月26日(土)に開通し、全線開通となります。この道路は、かつての東武熊谷線の廃線跡です。
熊谷線は、JR熊谷駅から北へ、利根川南岸に位置する妻沼(めぬま)地域の妻沼駅まで、約10kmを結んでいました。戦時中の1943(昭和18)年に開通。40年後の1983(昭和58)年に廃止されています。最後まで非電化で、「カメ」と呼ばれ親しまれたディーゼルカーが走っていました。
妻沼線は熊谷市内から利根川へ向かって、ほぼ一直線に敷かれており、今回の開通区間も直線かつ平坦路です。県道葛和田新堀線が開通区間の終点ですが、そこから北、旧妻沼駅付近までも、すでに大部分が道路になっています。
ちなみに、熊谷線はもともと、利根川を越えて現在の群馬県太田市にある中島飛行機の工場(現在のSUBARU群馬製作所)まで、軍需物資と工員を運ぶべく計画されましたが、妻沼からの利根川越えは叶いませんでした。
妻沼線の痕跡は、秩父鉄道と共用だった上熊谷駅付近の公園のほか、利根川を渡った群馬側の河川敷に未成区間の橋脚の一部などが残っています。 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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20.jan.2022 >>590
軍需工場を熊谷に作ったほうが良かったような気がする 東武野田線は >>> ちゅーぷるへ
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20.jan.2022 >>593 広い土地を安く取得できるかというだろう。テスト用の飛行場も確保する必要があるから、人家があまりない場所に工場とセットで造りたい。昭和初めの頃、中仙道沿いの熊谷よりは太田、小泉の方が好都合だったんでは。
今はかなり都市化してる神奈川県の厚木など小田急沿線も、当時はど田舎だったからね。だから厚木飛行場や相模原の軍需工場が造られた。 >>597
創業者が太田出身で、創業も太田だからだよ