EF65P型F型について語るスレ☆☆☆vol1
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これとても懐かしいな、ロンちゃんのナレーションもなつかしす
http://www.youtube.com/watch?v=alsmhAoo4As&NR=1
たまにEF60500番台についても語ってちょ。 偽P型って(一般型からの改造)はEF6577→535が有名だけど、
F型をP型改造しなかったのはどうしてだろ?
それか一般型のPFへ改造とか、PFは必ずしも貫通扉が必要って訳でも無いんでしょ? Pに高速貨物牽引と重連総括(但し方向固定)付けたのがF
Fは釜が方転すると重連総括繋げなくなるのと、貫通扉がないと機関士さん大変だから付けて、あと東北上越で使えるように耐寒装備、で出来たのがPF PFができてすぐに重連統括無くなったと雑誌か何かで読んだんだが
なんでわざわざ要らない機能つけたPFをそのまま139機も量産したんだろ >>228
43.10の時、もう少し早くEF66が出来て、本格的重連型PFが登場していれば、F型のブルトレ転用は出来たかもしれん。
その際、若干のジャンパ栓整備(電話)とブレーキ増圧装置の単機→編成への変更が必要だったはず。
なお、47.3〜47.10の一時的なFブルトレ牽引の祭には上記の改造を実施、実質Pに近くなっている。
(ソースは82年のRP、藤本氏のEF65F特集)
おそらく、43.10ぎりぎりまでEF65Fを特急貨物に使っていて、その後東北の100km/h貨物に回したのではないか。
F型は17両なので、43.10の機関車のやりくりで、Pの所要増8両分を引いた残り9両あれば、運用を限定すれば
一般型のやりくりで何とかなったと思われるが、あえてそれをしなかったのは何か理由があるのかもしれん。
貨物の予算で作った高級車を旅客に転用することに対し、どこかから横槍が入ったとか。
余談だが、以前はP+F=PFの記載をよく見かけたが、これは誤りだろう。
PFはあくまでFの進化形ではないか。
>>220
「標準仕様」としてPFと一般型を平行増備したが、その後転用しやすいようにPFに統一したのではないか。
そして一般型が標準仕様から外れ、PFが延々増備されたと。
国鉄財政事情の悪化や技術の停滞、労使関係の悪化も理由だろう。
皮肉なことに、牽引される方がCLブレーキの一般化で、機関車の特殊装備が不要になってしまった。
(14系・24系・コキ50000) あのさ、Fは落成当初ブルトレを暫定的に引いたよ
それから66出来たのに何故PFという声があるが、今でこそ66が黒磯まで行ってるけど、国鉄時代じゃあ考えられない話
Fは66に東海道の高速貨物譲ったあと、何両かは耐寒装備して上越の高速貨物引いてる。そのうちPFと交代したが
新鶴見にPFがはいってもしばらくは東海道には出て行ってない
東京にPF入れてPのブルトレを置き換えて初めてPFが天下の東海道を大々的に走るようになった
労組との兼ね合いもあっただろうが、今より遥かに多くの釜が走っていたから、貨物は首都圏を境に南は0番代、北はPFと棲み分けて管理しやすくしていたんだろう
東海道には65の兄貴分の60もいたから、0番台と60なら似てるから一緒に扱いやすかっただろう
またPFは耐寒装備がプラスだが、当初は東海道に耐寒装備の車もってくるなんてもったいないと思っていたのかも EF66は首都圏の車両限界に引っかかるとかで、黒磯までスルー運転できなかったんだよね、
でも実際計測したら問題なかったっていうオチ・・・
F型の最終配置区は高崎、
これは歴代の旧型電機機関車も東海道→東北、上越地区の配属になったね。
東海道で使ってその後東北、上越に転属って云うパターンは、
東海道でまず使用実績をって云う事だったんだろうか?
その逆のパターンって無いよね? PFの耐寒装備も東京機関区に配置されたら、すぐに取り外されたからなぁ。
で、外すなら付けてやらないってことで、宮原&下関に配置された関西ブルトレ牽引用は、耐寒装備付いてない。
今、田端の元東機のPFのスノープロウってオリジナル??
それとも、廃車になっなったPFの初期型からコンバート?? 東になったときに1098〜はついてなかったから使い回しでしょ。1107とか1100が廃車になるまでついてなかったし
>>232
65Fは電話用とカニのパンタ下げ用のジャンパ、最初からついてる。編成増圧も最初からだと思ったけど、最後の3両は
単機増圧だけだったんだな。すぐに編成増圧使わないから使用停止にして、後年、またブルトレ牽く時に今度は最初の
3両以外、取付改造してる。
>>235
EF62・・・(震え声 >>235
何で無いよね?なんて簡単に発言しちゃうのさ?
昔103系は山手線を走った事はありません
回送か何かの間違いです!
と大見得をきった伝説の小学6年生(当時)並みの痛さだ
だからコロタン文庫から読み直せとか言われる 気のせいかもしれませんが
Fは当初吹田で重連総括
66と交代してから新鶴見で上越の高速貨物
そして長らく米原
ってことが忘れられているような >>241
米原に行く前に広島にいなかった?
そこで、編成増圧を復活させたり、追加改造されたりして、関西ブルトレ牽引してから、米原じゃなかった? 最初の3両が新製配置が東京で他が吹田だっけ?
で、新鶴見→広島・下関→広島→吹田・米原→稲沢・沼津→高二
これであってるかな?
言うほど長くないと思うけど、米原 >>244
ありがとうございます、522ってあまり記憶にないんだよね・・・
新製配置は稲沢の後、東京機関区でいいのかな?
520と521は良く写真も撮ったから覚えてるんだけど。
F型って連結カバーの大きさが微妙に違うんだよな、
あれはなんの為に必要だったのかな?、最後の方はカバーが無い剥き出しの機関車もいたので、
東芝製はカバーが小さいんだよな。 TOSHIBA府中のゴサゴ、今日もHB牽引試運転のお相手中
ぉ、高の金札付けてるんだ
工場の方に脱帽 >>244>>245
残念ながら522はP相当ではない、一般型相当品。
事故らなかったエンドは連結器が変った程度だが、事故った方は元ダメ管も撤去されている。
この復旧の際、ジャンパ栓を殺しているはず。
連結器の上のカバーは連結器復心装置のカバーで、装置にゴミが付いて操作不良になるのを防ぐためじゃなかったかな。
ちなみに513〜517(CS25A装備車)がカバーなし、518〜526・532〜534がカバー付。
JR継承後、カバを外していた車両が居たかどうかは当方わからん、誰か補足を。 >>247
ダンプカーにでもぶつかったの?
502号機は機関士が殉職するほど大破したはずなのによく廃車にしなかったなぁ。 Pには酷使のため台枠に亀裂が入っても台枠を取り替えて復活させた釜もいると聞いたことがある
国鉄のような組織だと規則に則って処理すると経済合理性に合わないけど、そういうことになってるので、ってことなのでは >>247
ゴミというか実際は泥とか着雪なんだろうな。 151系や153系で蛍光灯採用しているのに、
EF65は85号機以降のロット前まで、白熱灯と木の床板使っていたんだなぁ・・・・ >>251
駆動関係も吊り掛け式だしな、電気機関車ってカルダン駆動じゃ都合悪いのかね? >>247
連結器復心装置って何の為に必要なんですか? >>252
たしかEF60でカルダン駆動にあたる?クイル駆動って奴を
採用したんだが不具合が多くて途中から従来の吊り掛けに戻したらしい
以降2010年代のハイッテクロコやらエコパワーやらでも未だに吊りかけ駆動 クイルはカルダンとは違うし、EF66やEF200は釣掛じゃないから。確かに210や510、EH系統は釣掛に逆戻りしてるけど
ED62、ED71の1次と一緒でクイルからリンクになってるはず。釣掛じゃないよ
やっぱりここでも標準軌じゃないから無理がくるんだよな
>>253
並型と違って密着自連は車体側で揺動を吸収するから連結器の移動量が大きい。で、フリーにしとくと位置によっては
連結時にナックルが噛まない場合があるから、連結器を連結中心に戻す装置がついてる
66や81だとフルカバーになってるから65Fほど物々しくないね 60初期車の音を聞いたことがあるがクーンてな感じで釣り掛けのウウーンという音より軽い音だった EF60クイルで思い出したが、EF65 77〜84→535〜542改造で、
種車の捻出にEF60 1〜14が絡んでいたはず。
福米間交流化によってEF64捻出
↓
中央西線瑞浪中津川電化用に充当、稲沢−多治見間で使用中のEF60クイル捻出
↓
EF65 77〜84捻出
途中もう少し何かあったかもしれんが、だいたいこんな流れだったような。
なお、EF65 85以降の新製は昭和44年度から。
誤記あったらすまん。 >>259
14号機まではクイル駆動
15号機からは吊り掛け駆動 EF60の512〜514ってEF65Pと間違えそうな感じする。 高崎でEF63と共に熟成させてたEF60はなんだったんだろう?
部品取り? >>263
6015だな、あれは保存目的で残してたのだろう。
ただ100号機が伊勢崎駅前?に保存されたからね、
高崎のイベントで6015に、瀬戸やあさかぜのHM着けてたから、すごい違和感あった。
しかしEF61が1両も保存されなかったのは残念だね、
EF61は新型電気機関車で唯一のSG装備車で、一体感のある機械室の明り取り窓や、
連続して見えるエアフィルターも美しかったのに、最後までEG改造されず、最後は貨物牽引か多く、
ゴハチの陰に隠れて細々と消えていった、あれもEG改造して高崎地区にでも転属していれば、
1両くらいは保存されたんだろうな。 高崎に6015も残ってたけど、倉賀野のは6016。伊勢崎は知らんが、足利駅にあるのは60123
広島に614のカットボディは残ってて、新型電機のSGはED72やED76も積んでる それにしても足利のEF60の保存はある意味ヲタ以上に渋い選択だ。 民営化の余剰機の中でも新しいの選んでるよな、足利の60。もう1年早ければ15200とかあったし、もう5年早ければ
EF12のトップナンバーあったのに。あの時期まで残ってたのにあれなんで解体したんだろ。惜しすぎる >>265
広島のカットモデルは確か同じくゴハチのカットモデルと共に処分されたような、
>>267
そもそも貨物機なんで地味な存在だったから、当時の国鉄も考えていなかったのかもしれない
旅客用はほとんどの形式が保存されてるからEF12と兄弟分のEF57やEF56なんかは保存されてるから、
もったいなかったのはEF12とほぼ同時期まで活躍していたEF13は残していてくれたらなあ、
あれ旧EF58の車体だったし3両しかいなかったEF18だって解体してしまった。
何でも保存っていうわけにわいかないが、保存でその展示車両でお金がもうかるって、
民営化後の考え方だからねえ・・・・・民営化もう少し早ければ貨物機も保存されていたかもしれない。
でも民営化後西武からE44を譲り受けてしばらく新鶴見の倉で寝てたが、
解体したしな・・・東武のモニも結局解体、何のために譲渡したんだか解らん・・・ 保存も解体も鶴の一声だからな
クハ86の湘南顔は全金車でも良いから残して欲しかったな… >>268
なら103系や113系を東が全車つぶすか
保存保存とヲタは言うが、維持管理に何も協力しないのに何を言うか 崩壊していく各地に保存されている蒸気機関車を見ると彼らの末路は哀れだな。 貨物はEF30やらED77やらの機関車と貴重な貨車集めるだけ集めて結局は解体しちゃったね…
もったいない
西武からもらったE44?てまだ残ってるのかしら? >>270
>>268の文章を良く嫁、保存保存とは言ってないだろうが。
>>272
個人のブログには、まだ残ってるって書いてあったが。 鉄道会社に歴代の車両を保管する義務は無いんだよ
保存前提で残しておいても担当が変わって方針が180度変わってしまう事だってある
鉄道車両は大きいから保管する場所にも苦慮するだろうし、現状維持するだけでも
莫大な予算が掛かるだろう
保管当初は博物館計画があったが、白紙撤回されたりして車両が処分されたって事もある。
博物館も赤字運営が続けば、閉館って事もありえる 日本の鉄マニアや鉄好きなパトロンもイギリスみたいに熱心なら保存も増えるのだが ドイツのヲタは 保存すべき な〜んて台詞吐く前に保存団体に参加して金も汗も出す わかったよ。おまえらが高尚なのはわかったから保存車スレいって好きなだけやれ 501とかずっと動態保存するつもりなんかね?
55や58ですら走らなくなったから部品無くなったらあっさり止めそうね EF81 451〜あたりが廃車になったら直流機器だけ移植で延命!
外見上は見分けつかず!! >>279
蒸気機関車が半永久的に走ってるのに電気機関車は無理とか >>282
蒸気は部品が無くても旋盤有れば代用品は作れるけど
電機はメーカーの部品供給が無くなったらお終い。
いい例が貨物のEF200、こいつの心臓部であるインバータ機器が
寿命を迎えつつあるのだが、メーカーが部品供給出来なくなったので
交換出来ずに順次廃車の運命。 抵抗制御の電車は車体が錆びさびになっても制御器等の機器や台枠、台車が生きていれば更新修繕出来たが
今の電車は制御器が最初に逝く
東日本の201は制御器交換して十年以内に廃車していないか 日本最初のインバーターって熊本の路面電車だっけ?
あれは中身交換してるのかな? >>287
EF58がなぜ全機引退してるか考えた?
あのサイズのモーター焼いちゃったら巻き直すの大変だよ。
それ以降の車両だって台車枠に亀裂入っちゃったら
プレス技術とか使ってるから、それでおしまい。
空気バネとかも型が有るうちは良いけど、廃棄されたら終わり。
最近の車両の方がメーカーに依存してる分、動態保存は難しいって事。 まぁロクゴならまだ大量にPF残ってるし(67機?)
その気になればある程度部品確保できるでしょ 技術的には出来ないことないでしょ。ただ面倒で金かかる
電機も蒸機くらいの金かけられるなら直せるでしょ。棒台枠なんか普通に作れるし、モータだって巻き直してくれるよ
九州の86の時も金次第って言ったら、職人ガー図面ガーとか言ってきたアホいたけど、直したでしょ。出来るんだよ
電機はただヲタが喜んでパニックになるだけだからw
EF200だって互換性のあるインバーター作れるでしょ。ただあの大容量のインバータ更新してまで延命するには
コストパフォーマンス悪いってだけで まぁ部品無くなっても金かけて新しい部品作ってまで維持するとは思えんけどね65は
復活させるなら55の方が人呼べるわね EFの50代を1両だけ復活させるとしたら何がいいかなぁ ブラックサンダーEH10とかあんな檻みたいな所に閉じ込めてないで横川とか梅小路みたいな所に置いてほしいな
動態が一番いいけどまぁ無理だろうな
EH10の中身って他の形式と共用されてないの? ブルトレが全廃され何年かしたら今のSLみたいに脚光あびるやもしらんぞ
>>ロクゴ 上の方で田端PFの話が盛り上がったけど、
逆に田端の1100番台のあけぼの牽引って無かったの? >>297
EF651019「あけぼの」ならあった、EF651118牽引「銀河」もあった。 元々宇都宮の受け持ちだったから。宇都宮のPFは初期の耐寒耐雪車で、東機のPFはスノープロウもついてなかった
JRになって田端に統合されたけど、90年頃の田端の1011〜の若番と東京常駐の1098〜は運用がわかれてた
あけぼのは93年には81になったし、東機PFの出番はなかったんじゃないかな。少なくとも見たことも聞いたこともない あけぼのは東北本線経由から上越線経由に変更になったので、1100番台の登場はなかった、
EF81単独でも冬場は峠問題もあり後にEF64牽引となった、
水上機関区が残ってたら、1100番台と補機との重連もあったかもしれない。
昔はEF58+EF16の重連が毎日のように深夜見られたから、
効率的には現在のスルー運転の方が人員削減にもなるし良いのだろう。 >>300
なるほどね
それであけぼのや津軽や八甲田、おがなど
東北本線系統は皆PF初期型担当だったのね。 主にブルトレに使われた1100以降のことをまとめて言ってるだけだろ 1092〜1118までは同一ロットなんだけどねぇ
東京区に新製配置されたのは1096〜1116までだし
下関の初期釜も定期でブルトレ引いてるしねぇ 国産鉄道が発売されたけど今度EF65 500番台が出るそうだよ
http://www.jptrains.jp/home.html
仕様はこれで間違ってないのかね? >>307
その区分の名前が「1100番代」なんよ。
(代→代表の意味もある由)
どうしても現代アスペ思考で呼ぶなら「1098(番台)」だろう J−Trainあけぼの特集に1054中期型?の写真があった。 >>312
1054は53年10月改正(その後かもしれん)に他のPFとともに宇都宮へ移っているはずだから、
その時以降のものじゃないか。
>>303,305-307,309,310
1056〜で内容が変わっているから、1056番台といえばいいのか、と考えたが、
そこまでの変更点では無いようだな、外観は少々安っぽくなったが。
しかし1056〜、電磁ブレーキ機能を使用したのは何両いただろう。
(多分P・Fはとにかく、PF1001〜1055は1度は使用しているはず)
しかし今WikipediaのEF65の項目見たが、結構酷いな。 ググると、いくつか画像がヒットすると思うけど、
東海道ブルトレの牽引機が65PF→66への移行期間中に
新鶴見の1005が「あさかぜ」を牽引…なんていうのもあったな。 それにしてもJR東日本が初期のPFばかり継承したもんだ。
上野〜黒磯運用で楽だったんだろうけど。 そうでもないだろ。1055までの55両のうち19両が東で残りが貨物なんだから
Nや500番台のほとんどが貨物だしな。旅客はもっと500番台引き取れよって思わなかったか?w
まぁほとんどは所属で決めてたんだけど EF60500からEF65一般って側面の明り取り窓を小型にしたけど、ゴハチの側面窓みたいなのじゃ
ダメなのかね? 車体変えたのは60の後期からだよ。65Nもそのまま同じ車体。60の500番台も前期と後期車体がある
採光窓があの形になったのはEF63とかED72からかな。明るさもフィルタの面積もとりたかったんだろうね カートレイン九州ってEF65PFが牽引していたけど、
EF66が牽引したことはないのかね? 無いと思う、稲沢区のF型が一番かっこよかったな、東京区にもF型配置されてたんだっけ? 新鶴の頃は知らんけど、高崎の時もFのプロウ付あったんだよな。514や515、520とか526はなかったけど
522とか532、534にはついてた覚えが。かっこいいんだよな、Fのプロウ付
稲沢沼津吹田の東海道時代は外されてていまいち。横川の520にもプロウつけてくれねーかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています