EF65P型F型について語るスレ☆☆☆vol1
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
これとても懐かしいな、ロンちゃんのナレーションもなつかしす
http://www.youtube.com/watch?v=alsmhAoo4As&NR=1
たまにEF60500番台についても語ってちょ。 >>164
東芝に搬入されると、人目に付かないような場所に隠されちまうんだよな‥‥
でもって放置プレイで朽ち果てて解体と‥‥ おまえみたいななにもしないクソヲタが心配しなくてもいいよ
東芝府中、クモニ83、綺麗にしてくれてるだろ。川重の181とか旧東急のデハとかとかも
綺麗だ。まぁ103とED76は腐らせたらしいが KATOからEF65F型が新発売されたよ!
みんな買ったかな?
F型のために新たに新規金型制作だってさ、これはある意味凄いよね。 >>172
日付が5月21日だけにEF65521か。
どうも5月は一日一日が500番台の番号に見えてしょうがない。 >>173
でも531までしか無いですねorz
昨日は65PFと60510の展示パン上げでした。 535は府中工場にとうとう行っちまったな・・・・・
JR貨物なんで東芝に返しちまったんだよ・・・
維持費がかかるからか?
それとも別の理由か?
P1、も危ないな、うかうかしてらんないぜ。 P1はもう全検通さないとか言われてるけど、どうなんだか? >>175
解体されなかっただけでもマシだろ。
524 537号機って最後までボックス輪芯だったなぁ。 >>177
いや野ざらし放置プレイ全開で朽ち果てるだろ。 もう一度東海道線にブルートレインがが知る日はないのだろうか?
E26使って大阪まででもいいから走らないかな? 貨物が高速バス並みの値段でゴロンとシートみたいな設備の
青に白帯のコンテナを載せて走らせたら面白いんだけどなw て言うか何で高速夜行バスに寝台が無いの???
座席タイプばっかりじゃん。 >>182 高速バスではないが、昭和30年代には日本にも夜行寝台バスがあった。
中国では現役だったりする。だが、車酔いしそうで乗りたくない。 >>182
半個室でほぼフルフラットの夜行バスなら一部で走ってる。 EF66登場前のEF65Fの重連ってパンタは2輌とも2台のパンタを上げてたのかな >>186
うむ。
全部あげて走ってたような記憶がある。 >>187 >>188
うらやましいです
EF65どころか重連の全パンタ上げの通常営業走行は
セノハチ、関門、横軽は別として見たことないんです
迫力あったでしょうね >>189
総括制御してて最大出力を出す分けだから両パン上げないと壊れるよ ゴハチも重量あって定期で重連だと四パンタグラフだった
回送のための重連だと次位は後パンタだけ >>189
似たようなのがちょっと前まで走ってたじゃないか、それも首都圏で
まぁでもあれは95km/hか。重連総括で100km/hって65Fの鮮魚しかなかったっけ 東海道の貨物で走ってたEH10の重連orEF60+EH10(日によって違ったような)は
全パンタあげてた記憶があるけど、どっかのスレであれの次位のヤツはムドだったって
書いてあったような。 >>192
コキ10000も重連総括で100kmじゃなかった?? コキ10000の総括運用ってあったのか。知らんかった。でも変電所容量足りなくて姫路までだったんだよな、65F重連
そういや青函があったね、総括の100km/h 田端運転所のEF65PFが担当した列車、瀬戸・出雲・彗星・あけぼの。
瀬戸・出雲・彗星に◇パンタスノープロウ装備のPFが充当されたことってあったの? スノープロウ付きは頻度は低いけど入ってた(特に冬?)
1052、1053の中期形も
でも通風口付きの初期形は聞いた事無い あったのか。あけぼの以外で野暮ったい顔のPF初期車が見たかった。 野暮とか言うな。無骨といえ
通風口プロウ付PS17の1039までがPFの真骨頂。それ以後はどんどん安普請になっていく
1011の出雲は見た記憶があるけど、初期車の瀬戸はなかったんかな。ググっても画像でてこないね
1118はあったのに 1007号機は宇都宮から宮原へ転属に成ったんだっけ?
>>204
1017号機のブルトレ牽引はあったよ。 PFネタが盛り上がっていて嬉しい。
ともすれば品川機関区の500番台や1000番台に比べると
地味とも取られかねない存在だけに、嬉しい。
おまぃら初期型PFも嫌いじゃないんだな。 1007といえば999
普通の小汚いPFかよって、自分含めてみんなガッカリしてた。小学生にPFは難しすぎ
>>206
品川機関区とか言う奴に嬉しがられましても・・・
品丼食いながらDD13でも見とけ 下関のPFって、スノープロウ付けたままで、彗星とあかつきを牽引してなかった?
確か、西鹿児島あかつきの直流区間は、他の関西ブルトレがEF58になっても、EF65指定だった時期があったような気がする。
下関のPFかP 名門東京機関区を品川機関区と混同してるのか?
それとも東機を品川機関区だと思ってるのか?
品川機関区のDD13が築地の鮮魚市場まで入換してたな。
品川客車区の入換はDE10だった。
両方共もう廃区なのが寂しいorz 品川機関区はDD13の区
EF65は東京機関区→新鶴見機関区→田端運転所 品川客車区の入換は品川機関区のDD13でしたよね、昔は
民営化前にDD13がいなくなってからはどうしたんでしたっけ? >>204
でっかいパンタと重厚なスノープロウ、全面の通気口。
縄文顔というのかソース顔というのか。
平成10年頃に田端のPFは大量廃車されちゃったなぁ。 うほスマソ 東京機関区と間違えた(。A 。)
まぁ宇都宮機関区方面が興味の対象だったから、
曖昧だったんよ すまんの。 宇都宮は運転所だからな。機関区の呼称だったのは50年以上前だ
ほんとに興味の対象なのか?
宇都宮も駅前はなんにもなくなってたな。58やらPFがゴロゴロしてた機留線とかほとんどひっぺがえされてた 興味という表現にも、色んなレベルがあるって
ことで良いじゃまいか
ぶっちゃけ俺も機関区と運転区の違いなんて
よく分かってねぇけどな(。A 。) 機関区と同格なのは運転所
運転区は格下で昔は乗務員だけだったはず
運転所は機関区、客車区、電車区、気動車区、貨車区の二つ以上が一緒になったモノ 第一機関区は蒸気機関車
第二機関区は電気機関車
だったっけ? 確か昔は区が大きすぎて二つに分けただけ、というのもあったような
第一は蒸気→ディーゼルね いくら興味が無いと言っても、直流機の名門東京機関区を曖昧なまま生きて来られた氏には呆れる
それで、よく58だなんだ語るよね
5861も65501も65535も1097も皆東京機関区配置だし
おほ〜
嫌だ嫌だ
俄鉄ちゃん〜!
しっかり勉強して頂戴よ〜^_^ >>219-220
吹田、稲沢、敦賀、富山、岩見沢他は第一が蒸機、ディーゼル機に気動車、第二が電気機関車。
乗務員もそれに準じていると思われ。
名古屋は第一が気動車(かつては蒸機も)、第二が電車・電気機関車の乗務員のみ。
非電化時代の広島は、第一が貨物用、第二が旅客用だったかと。
他にもパターンがあるかもしれん。 1098と1099かなり早く廃車されたけど何か理由あるの? 65501は東京の65の台検が下関で行われるので、その代走用に東京から下関に転属しておる 偽P型って(一般型からの改造)はEF6577→535が有名だけど、
F型をP型改造しなかったのはどうしてだろ?
それか一般型のPFへ改造とか、PFは必ずしも貫通扉が必要って訳でも無いんでしょ? Pに高速貨物牽引と重連総括(但し方向固定)付けたのがF
Fは釜が方転すると重連総括繋げなくなるのと、貫通扉がないと機関士さん大変だから付けて、あと東北上越で使えるように耐寒装備、で出来たのがPF PFができてすぐに重連統括無くなったと雑誌か何かで読んだんだが
なんでわざわざ要らない機能つけたPFをそのまま139機も量産したんだろ >>228
43.10の時、もう少し早くEF66が出来て、本格的重連型PFが登場していれば、F型のブルトレ転用は出来たかもしれん。
その際、若干のジャンパ栓整備(電話)とブレーキ増圧装置の単機→編成への変更が必要だったはず。
なお、47.3〜47.10の一時的なFブルトレ牽引の祭には上記の改造を実施、実質Pに近くなっている。
(ソースは82年のRP、藤本氏のEF65F特集)
おそらく、43.10ぎりぎりまでEF65Fを特急貨物に使っていて、その後東北の100km/h貨物に回したのではないか。
F型は17両なので、43.10の機関車のやりくりで、Pの所要増8両分を引いた残り9両あれば、運用を限定すれば
一般型のやりくりで何とかなったと思われるが、あえてそれをしなかったのは何か理由があるのかもしれん。
貨物の予算で作った高級車を旅客に転用することに対し、どこかから横槍が入ったとか。
余談だが、以前はP+F=PFの記載をよく見かけたが、これは誤りだろう。
PFはあくまでFの進化形ではないか。
>>220
「標準仕様」としてPFと一般型を平行増備したが、その後転用しやすいようにPFに統一したのではないか。
そして一般型が標準仕様から外れ、PFが延々増備されたと。
国鉄財政事情の悪化や技術の停滞、労使関係の悪化も理由だろう。
皮肉なことに、牽引される方がCLブレーキの一般化で、機関車の特殊装備が不要になってしまった。
(14系・24系・コキ50000) あのさ、Fは落成当初ブルトレを暫定的に引いたよ
それから66出来たのに何故PFという声があるが、今でこそ66が黒磯まで行ってるけど、国鉄時代じゃあ考えられない話
Fは66に東海道の高速貨物譲ったあと、何両かは耐寒装備して上越の高速貨物引いてる。そのうちPFと交代したが
新鶴見にPFがはいってもしばらくは東海道には出て行ってない
東京にPF入れてPのブルトレを置き換えて初めてPFが天下の東海道を大々的に走るようになった
労組との兼ね合いもあっただろうが、今より遥かに多くの釜が走っていたから、貨物は首都圏を境に南は0番代、北はPFと棲み分けて管理しやすくしていたんだろう
東海道には65の兄貴分の60もいたから、0番台と60なら似てるから一緒に扱いやすかっただろう
またPFは耐寒装備がプラスだが、当初は東海道に耐寒装備の車もってくるなんてもったいないと思っていたのかも EF66は首都圏の車両限界に引っかかるとかで、黒磯までスルー運転できなかったんだよね、
でも実際計測したら問題なかったっていうオチ・・・
F型の最終配置区は高崎、
これは歴代の旧型電機機関車も東海道→東北、上越地区の配属になったね。
東海道で使ってその後東北、上越に転属って云うパターンは、
東海道でまず使用実績をって云う事だったんだろうか?
その逆のパターンって無いよね? PFの耐寒装備も東京機関区に配置されたら、すぐに取り外されたからなぁ。
で、外すなら付けてやらないってことで、宮原&下関に配置された関西ブルトレ牽引用は、耐寒装備付いてない。
今、田端の元東機のPFのスノープロウってオリジナル??
それとも、廃車になっなったPFの初期型からコンバート?? 東になったときに1098〜はついてなかったから使い回しでしょ。1107とか1100が廃車になるまでついてなかったし
>>232
65Fは電話用とカニのパンタ下げ用のジャンパ、最初からついてる。編成増圧も最初からだと思ったけど、最後の3両は
単機増圧だけだったんだな。すぐに編成増圧使わないから使用停止にして、後年、またブルトレ牽く時に今度は最初の
3両以外、取付改造してる。
>>235
EF62・・・(震え声 >>235
何で無いよね?なんて簡単に発言しちゃうのさ?
昔103系は山手線を走った事はありません
回送か何かの間違いです!
と大見得をきった伝説の小学6年生(当時)並みの痛さだ
だからコロタン文庫から読み直せとか言われる 気のせいかもしれませんが
Fは当初吹田で重連総括
66と交代してから新鶴見で上越の高速貨物
そして長らく米原
ってことが忘れられているような >>241
米原に行く前に広島にいなかった?
そこで、編成増圧を復活させたり、追加改造されたりして、関西ブルトレ牽引してから、米原じゃなかった? 最初の3両が新製配置が東京で他が吹田だっけ?
で、新鶴見→広島・下関→広島→吹田・米原→稲沢・沼津→高二
これであってるかな?
言うほど長くないと思うけど、米原 >>244
ありがとうございます、522ってあまり記憶にないんだよね・・・
新製配置は稲沢の後、東京機関区でいいのかな?
520と521は良く写真も撮ったから覚えてるんだけど。
F型って連結カバーの大きさが微妙に違うんだよな、
あれはなんの為に必要だったのかな?、最後の方はカバーが無い剥き出しの機関車もいたので、
東芝製はカバーが小さいんだよな。 TOSHIBA府中のゴサゴ、今日もHB牽引試運転のお相手中
ぉ、高の金札付けてるんだ
工場の方に脱帽 >>244>>245
残念ながら522はP相当ではない、一般型相当品。
事故らなかったエンドは連結器が変った程度だが、事故った方は元ダメ管も撤去されている。
この復旧の際、ジャンパ栓を殺しているはず。
連結器の上のカバーは連結器復心装置のカバーで、装置にゴミが付いて操作不良になるのを防ぐためじゃなかったかな。
ちなみに513〜517(CS25A装備車)がカバーなし、518〜526・532〜534がカバー付。
JR継承後、カバを外していた車両が居たかどうかは当方わからん、誰か補足を。 >>247
ダンプカーにでもぶつかったの?
502号機は機関士が殉職するほど大破したはずなのによく廃車にしなかったなぁ。 Pには酷使のため台枠に亀裂が入っても台枠を取り替えて復活させた釜もいると聞いたことがある
国鉄のような組織だと規則に則って処理すると経済合理性に合わないけど、そういうことになってるので、ってことなのでは >>247
ゴミというか実際は泥とか着雪なんだろうな。 151系や153系で蛍光灯採用しているのに、
EF65は85号機以降のロット前まで、白熱灯と木の床板使っていたんだなぁ・・・・ >>251
駆動関係も吊り掛け式だしな、電気機関車ってカルダン駆動じゃ都合悪いのかね? >>247
連結器復心装置って何の為に必要なんですか? >>252
たしかEF60でカルダン駆動にあたる?クイル駆動って奴を
採用したんだが不具合が多くて途中から従来の吊り掛けに戻したらしい
以降2010年代のハイッテクロコやらエコパワーやらでも未だに吊りかけ駆動 クイルはカルダンとは違うし、EF66やEF200は釣掛じゃないから。確かに210や510、EH系統は釣掛に逆戻りしてるけど
ED62、ED71の1次と一緒でクイルからリンクになってるはず。釣掛じゃないよ
やっぱりここでも標準軌じゃないから無理がくるんだよな
>>253
並型と違って密着自連は車体側で揺動を吸収するから連結器の移動量が大きい。で、フリーにしとくと位置によっては
連結時にナックルが噛まない場合があるから、連結器を連結中心に戻す装置がついてる
66や81だとフルカバーになってるから65Fほど物々しくないね 60初期車の音を聞いたことがあるがクーンてな感じで釣り掛けのウウーンという音より軽い音だった EF60クイルで思い出したが、EF65 77〜84→535〜542改造で、
種車の捻出にEF60 1〜14が絡んでいたはず。
福米間交流化によってEF64捻出
↓
中央西線瑞浪中津川電化用に充当、稲沢−多治見間で使用中のEF60クイル捻出
↓
EF65 77〜84捻出
途中もう少し何かあったかもしれんが、だいたいこんな流れだったような。
なお、EF65 85以降の新製は昭和44年度から。
誤記あったらすまん。 >>259
14号機まではクイル駆動
15号機からは吊り掛け駆動 EF60の512〜514ってEF65Pと間違えそうな感じする。 高崎でEF63と共に熟成させてたEF60はなんだったんだろう?
部品取り? >>263
6015だな、あれは保存目的で残してたのだろう。
ただ100号機が伊勢崎駅前?に保存されたからね、
高崎のイベントで6015に、瀬戸やあさかぜのHM着けてたから、すごい違和感あった。
しかしEF61が1両も保存されなかったのは残念だね、
EF61は新型電気機関車で唯一のSG装備車で、一体感のある機械室の明り取り窓や、
連続して見えるエアフィルターも美しかったのに、最後までEG改造されず、最後は貨物牽引か多く、
ゴハチの陰に隠れて細々と消えていった、あれもEG改造して高崎地区にでも転属していれば、
1両くらいは保存されたんだろうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています