臨時列車[急行]懐かしの51号[特急]を語るスレ
20系あさかぜ51号、14系ハザ銀河51・52号、
つばさ51号、はつかり51号、ひばり51号、
EC・PC問わず、臨時列車の50番台列車について語るスレです
銀河51・52号は特急の車輌にもかかわらず、急行料金で乗れる
お得な列車でしたね、(R51シートのギッコンバッタンシートは
別として)。
大いに語りましょう。 >>80
ED60とか、DE10もあったそうだぜ。 南風51号か、しおかぜ51号のどちらかが14系でしたね。 しおじ51号は14系だった時代があるが、
南風51号はTSE2000とかキハ185系しかないし、
しおかぜ51号も夜行はキハ181系だった。
そもそも、その時代には12、14系は四国には入線していない。
瀬戸大橋開通後の「瀬戸」「ムーンライト高知」や多客時の臨時、団体のJT以外は機関車牽引列車はない。 >>87
ああなるほど
>その時代には12、14系は四国には入線していない
これを踏まえて>>86は
>南風51号はTSE2000とかキハ185系しかないし、
と言ってるのか 伊豆51号は非冷房の155系で暑くて窓全開にしたな… やっぱり
急行加賀でしょう
当時としては、急行のくせに14系使用
大阪向きは、EF81の重連けん引が多かった
それと
6032と6000番台の季節列車番号だが
通常の号数の明星5号25系寝台
1979年の夏と1980年冬の運転開始日は
東京区のEF5861がけん引きした
61のブルトレが関西で実現するなんて
大阪に住んでいた高校生の私は、鼻血もんの感動やったな 若干スレ違いだが、夜行バス増発便は3列定期便でも4列トイレなしとか同運賃で平気で使ってたりするが、
昔の客レ臨時急行・特急でもそんな感じだったのかな? 列車の場合は特急料金・急行料金・寝台料金が決まっているので、
設備の種類が同じであれば、同じ。
3段B寝台の
10系(52mm)・20系(52mm)・14系(70mm)・24系(70mm)
と583系上段・中段(70mm)は同じ料金。
583系下段(106mm)は少し高い料金。 >>92
国鉄時代の座席だけの臨時だと…
PCだと下からオハ61〜オハ35〜スハ42〜12系〜14系
DCだとキハ35〜キハ17〜キハ20〜キハ55〜キハ58、65
ECだと113系〜155系〜153、165、167系と大体こうなりますかなぁ…。
地方局がなんとか知恵を絞って自局から一両でも多く集めた努力の結晶なんでつ(涙) >93
ということは急行でも
14系>12系>58・165など>旧客・113など
と運賃が分かれていたのか? 釣りだと思うけど…w
14系(座)は雲仙・西海の例もあり、近郊形の113、421系以外は普通の急行料金だと思う。
近郊形の急行使用事例は鹿児島本線や常磐線であったらしいが、あまり知らないので
御存知ならばお聞かせ下さい。 14系(座)の雲仙・西海
12系のきたくに・ちくま・だいせん・津軽・八甲田
旧型客車の能登・越前・鳥海
近郊型?715系のホリデー佐世保
急行料金は同じ >>97
111系だろうが113系だろうが115系だろうが401系だろうが
153系165系使用と急行料金は同じだよ。
だから酷いのは夏の海水浴臨なんかは101系のゲタ電だったぞw
あのロングシートでだよ、長時間だもんなあw
さよなら201系の先駆けだな。 35年ぐらい前、つばさ51号郡山まで、14系かな、乗りました。
確か時刻表によると、次の福島で後続の特急に抜かれたような。
昼行特急が昼行特急に抜かれるなんて、珍しいと思つたわ。 >>102
抜かれるというか、機関車交換の間に後続のはつかり2号が先に発車してますね。
8001レ
上野9:04 黒磯10:57-11:04 郡山11:51-11:52 福島12:29-12:37
23M
上野9:31 大宮9:53 郡山11:56-11:58 福島12:32-12:33
しかし最高100kmで黒磯に7分も停車しているPCなのに上野→福島が3時間25分とはかなり頑張ってるなぁ、、、EF65とED75。
ゴサントオ改正後の電車特急並。
>>103
その時刻は何年のですか?
http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/limexp80/tsubasa.htm
ここ見るともうちょっと所要時間長いので >>102-103
田端運転所の有志で特製HMが何回か付けられたよ。
その当時は機関助士も当然いたから、全員有志の人じゃないと
HM付けられず、相当苦労したそうだよ。
当時のRFに詳細出てるよ。
その有志の人達その後どうしているかな? >>105
50年夏の時刻表です
丁度この頃↓
ttp://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/limexp74/tsubasa.htm >>108
それは55号w
55号は舞台の上を走るよww 急行あおもり:名古屋〜東海道線〜米原〜日本海縦貫線〜青森
これに乗った人っていますか? >>112
583系や12系客車もあったと思うけど >>111
急行「あおもり」名古屋−青森(米原経由)乗りましたよ。
お盆休みや年末年始に走る名古屋地区の定番帰省列車でしたね。下りだけの片道設定だったと思います。
車両は乗った時はまだ雑型客車で、“寄せ集め”のような編成でしたが、末期は12系でしたかね。
運用の関係なのか、「あおもり」のスジの運転日の最後だったか最初だったか忘れましたが、
その日だけは必ず秋田行き「あきた」、または新潟行き「にいがた」として運転されていましたね。
なお、後年JRになって再登場した「あおもり」は、大阪−青森に運転区間が変わり、
使用車両も20系から583系になって、比較的最近まで運転されていました。
ですから、国鉄時代の名古屋発の臨時急行とは全く違う別物です。 大学生の頃、全車座席指定の明星51号に、熊本まで。
すいている車両に移動したが、全然眠れず、到着したわ。 金星51号も名古屋始発、直流区間をEF65一般型が牽引
14系ハザだった、14系ハザには減光装置が付いていないのか付いてるのか
解らんが、消灯時間も減光しなくて当然眠れんかったな。 情報ありがとう。
熊本の帰りには、博多から、あさかぜ52号で。
20系だつたので、B寝台の解体作業が見れたと
記憶しているが、ちがつたかなあ。
20系は確かだ。 あさかぜ52号だと、沼津〜三島〜熱海あたりで作業員が乗り込んで来て、寝台解体をしていましたね! 漏れん時、あさかぜ52号の解体は浜松から乗ってきたなぁ確か。
食堂車がないから静岡で駅弁のワゴンが待ち構えていてここで朝飯を仕入れたような記憶が…。
放送では浜松から静岡の間で解体が入るとか言ってたが、作業がはかどらず沼津だったかで降りて言った。
今から25年前の夏休みの話…。 小学生の夏、上野発あいづ51号のG車に父の実家に
行くため、父と乗車したが、冷房が故障していて、途中の駅から
通路に氷柱、何本もたてていたよ。 >>121
さすがは現役当時からボロイ485系だなw
氷柱だと溶けると思うけど、その溶けた水は一体どうしたんだ? >>124
クロで通り抜けがないからさほどでもないとか? みんなありがとう。
ガキの頃なので,溶けた氷までは覚えてないわ。
でも、G車は最後尾のような気がしたわ。 >氷柱 ・・・ 急行列車の場合は覚えていませんが。
特急列車の冷房装置が壊れた場合って、特急料金の一部(半額?)の払い戻し対象に
なっていて、その処置として壊れた冷房装置の車輌室内に氷柱を入れて、ある一定の
車内温度に保てば、相殺できたような記憶があるのですが。
そうかもしれませんね。
なんか、どこかで聞いたような。 20系の臨時あさかぜに駆り出された、普段は地元ローカルに乗務しているとおぼしき車掌さん。
今頃はどうしているかなぁ…とw
臨時列車は普段は優等列車に乗らない車掌さんの優等列車初舞台だったりしたりして。
そんなキャストがわりかし多かったのも臨時列車の特徴だった罠。 >>111です。
>>114さん、情報提供ありがとうございます。
貴重な体験、羨ましいです。
1987年のJR化以後で、そんな名古屋発秋田・青森行きの列車を走らせるとしたら、
JR東海の営業区間を可能限り長くしてJR東海の取り分を多くする為に、
国鉄時代の米原・日本海縦貫線経由ではなく、
静岡、熱海、小田原、東海道貨物線、武蔵野線、大宮経由になっていたかもしれない。
中央西線・信越経由だと、米原経由よりも時間掛かりすぎ。 >>132
あおもりは東海道、東北線経由で
運輸されたこともあることを
ご存知ですか? エルムも本来なら北斗星51号かもね。
北斗星81号91号なんかが、
どうして北斗星51号を名乗らなかったのだろう?謎だ
「エルム」は食堂車やA寝台・個室もないオール開放ハネの寝台特急で運転されましたから、
それが“売り”の「北斗星」のブランドイメージを損なわないようにするために列車名を変えたんでしょう。
一度だけ札幌行きに乗りましたが、函館から先は1両“貸切”で、それはそれで優雅な“個室”、
いや“専用車両”で昼過ぎに着いた札幌まで寛げましたが…。 >>134
謎も何も定期のひたち、あと雷鳥だったっけ?が、それ以前に50号台を浸食してるからジャマイカ? 臨時「北斗星」が80番台を名乗ったのは、もう当時は“臨時列車は80番台”ということになっていたからです。
あと90番台ははっきりと覚えていませんが、有珠山噴火で山線(函館本線倶知安経由)を迂回した時とか、
何らかの理由でイレギュラーな運転になった時ではなかったかな? >>135
北斗星が登場した頃
3号と4号は季節列車でオールハネだったから
ブランドイメージとは関係ないと思う
エルムは北斗星に追い越されるダイヤじゃなかったっけ?
それで区別したんだろう
北斗星91号も同じ理由だろうな エルムは終点につくのが午後だし、修学旅行で使うから別愛称、と何かで読んだような >>133
その「あおもり」ってみかん農家の援農者の帰郷用かなもし? 「北斗星」が登場した時の季節臨はオールハネでしたが、その後予想外の人気列車に成長し、
必要な個室寝台車を増備した経緯があります。
今までにない豪華な寝台特急ということで人気列車になった後で登場する輸送力列車に、
同じ「北斗星」の名を付けるのは、ブランドイメージを傷つけることにもなりかねないということで、
あえて別の名称を付けることにしたのは、営業的に当然のことではないでしょうか?
「エルム」は多客時や修学旅行団体の列車で、「北斗星」とは明らかにコンセプトが違います。
同じように、同区間を走る列車でも設備の違いで(寝台列車か座席主体か)名称を変えた例は、
探せばいろいろ出てきます。 >>141
当然の事とか言われてもな
北斗星のコンセプトは登場時から変わらんし 3号4号用の個室は運転開始後一年ちょいの実績を反映して様々な味付けがなされていたから面白かったな。
東と北の交互運用で。 無いな。
>>136の言うとおりで、ひたちの定期列車が50号に達したので
臨時列車は80番台に変更された。 さっき何気に2006年の時刻表があったので手を伸ばしてめくってみたら…、
「あずさ」に50号台の臨時をハケーン!中央東線独自の付番システムかなぁ?
50号台、70号台が特急で80号台がムーンライトみたいな…。 誰か>>150の疑問答えられるやつはいないのか?
例外もあると言う事か?
それともやはり「ひたち」とかインフレぎみの号数の定期列車の走る路線限定じゃないのか?
80番台とか90番台は。
だってさあ踊り子なんかは定期でも100番台なんて言うのがあったよ。
踊り子100何号とかさ、これについてはどう考えたらいいのだろう? 「あずさ」は以前は「スーパーあずさ」が1号〜、一般の「あずさ」が51号〜になっていたはず。
臨時は81号〜だったと思ったが。 100の位って同系統列車で車種を分けた場合、使命を特化させて名称を分けた場合に用いる事が
多いのかなぁ。そのために順番に振られた号数の中に分ける必要がある列車には“100をプラスする”とか
“0号台、100号台で分けた列車群毎に号数を順番に振る”とかして用いてますよね。
古くは2つの名称しかないが行先や停車パターンが複数ある新幹線とかね…。
件の2006年の時刻表で“あずさ”を見てみたら、朝の臨時を50号台から始めないと夕方以降の
臨時が90号台に収まらないから…っぽいね。恐らく影スジで何本も
隠れていて、隠れている列車にも号数を順番に振ってあるから更なる号数のインフレが起きない
ように50号台からスタートさせている…んだと思う。つかそれしかないんじゃんw 件の「あずさ」の件、当時の時刻表を見ると、臨時は50番台から始まるものと、70番台から始まるものがある。
よく見ると、同じ臨時列車でも50番台は比較的運転日の多いタイプ、
70番台は特定の日に運転するタイプに分けられているようだ。
列車番号も前者は8000番台、後者は9000番台に区別されている。
いずれにしても、列車本数の多い「あずさ」だけの、特例的な号数の付け方になっているようだ。 やはり撮影するのなら踊り子51号だな。
EF5861+14系ハザの長大編成には萌えたよ。
だかPFと共通運用だったから、PF撮る人当時はほとんどいなかったな。
大井町の跨線橋前の撮影地が、この列車撮影で京浜何度も停めたやついたから
撮影禁止になったんだよな。 1986年11月改正で、ひたちと有明が増発されて50号台に到達したので、臨時列車が
80号台になった。 現在残っているムーンライトは信州のみ80番台がついているのは何故? >>156
別のスレより転載
47: ちょっと待った 2011/01/30(日) 18:37:50 tlTJ9H2y
ハザ→(旧三等〜二等)普通車指定席
※車両の種類を分けるのではなく、本来は旅客営業上の用語
「14系ハザ」とかの言い方は営業上の用語を車種区別の用語に重ねていておかしいし、指定席と定義づけられてしまう(「踊り子」には自由席あり)
よくある不適切な言い方であり、部内の人間でさえ誤用する者もいたが、正式な部内の達示などでは「14系ハザ」のようなおかしな表現は使われていない
ザとつけば「座席指定」の意味が付加されることにも注意しなければならない(自由席の場合は、単に「ハ」「ロ」として区別される)
一部の局で、客車列車の部内営業むけ編成表に、「ハ」「ハザ」「ロザ」等を区別していたものがあった
たとえば、問題のレスに関しては、「14系ハ・ハフ」というのが、部内でもよく使われていた適切な言い方といえよう >>159
一応83号のスジも残ってるからだろう。 列車名の付番関連で書くけど、
在来(臨時)列車名で100番台が出たのは昭和63年か平成元年あたりの
「雷鳥100号」だったとおもうんだけど合ってる?
当時、結構話題になった記憶があるし
自分も切符に残したくてわざわざ乗りに行った。
(踊り子は当時まだ100番台じゃなかったのかな?) 1998年の手元の時刻表によると、踊り子は195号まであるよ。
あずさは97号までだね、それに比べかいじは何と184号までも
あるぞw
ビューかいじなんか193号まであるぞ、凄いインフレw 昭和63年は1988年ですよ
最初から関連話題だったなら失礼 インフレ号数といえば、日光きぬがわ系直通特急の臨時のが最近増してきたけど
どういった目的でする必要があるんだろうか? 「あおもり」って大阪〜青森を結ぶ、20系だった
臨時日本海の格下げ列車なので,どうも東北線とは
似合わない気がするのは俺だけか?
踊り子は一時期派生バージョンがたくさんあったよね。
モントレー踊り子とか。 >>169
あったねぇ、東京5方面中で延長も含めて設定がなかったのは中央筋と常磐筋ぐらいだったんじゃない? >>170
>東京5方面中で延長も含めて設定がなかったのは中央筋と常磐筋ぐらいだったんじゃない?
これ物凄いことのように聞こえるけどさ
東海道筋除いて4方面だろ?
そのうち2方面に直通しただけじゃん
2方面なら湘南日光、常磐伊豆の時代に既に達成してる モントレーは165系だよね?
確かモントレー色の165系があったはず。 踊り子はリゾート21で立川始発の南武線で中央線アクセスも成就いたすますたw
めでたしめでたし……。 >>174
それいったら最初から東京駅で達成しております >>3
>料金100円引き12系特急「しおじ」61・62号も
料金100円引き12系特急、最低! とはいえ、とりあえずダイヤは「特急」のスジで走ってくれた(客車故のハンディーはあるが)。
座席はいかんともし難いが、逆に多客期でも比較的空いていて、
超満員の定期特急よりむしろ寛いで行けるメリットもあった。
当時は「冷房」が特急車両の特別な設備でもあり、そういう意味でも新製冷房車の12系は、
座席以外は特急の条件を満たしていたということだ。
現在の、そこそこ座席は良くても、通過駅より停車駅の方が多い特急、
普通列車と大して変わらない速さの特急の方がぼったくりに見えないか? ハンディーっていう言い方は今流行ってたりするのか? はぁんでいぃぃぃぃ〜〜〜
・・・あんまり聞いたことないなあ