臨時列車[急行]懐かしの51号[特急]を語るスレ
20系あさかぜ51号、14系ハザ銀河51・52号、
つばさ51号、はつかり51号、ひばり51号、
EC・PC問わず、臨時列車の50番台列車について語るスレです
銀河51・52号は特急の車輌にもかかわらず、急行料金で乗れる
お得な列車でしたね、(R51シートのギッコンバッタンシートは
別として)。
大いに語りましょう。 >>405
404は他の人です。
つばさ51号に乗車したのは、404さんのカキコで正解です。 >>406
了解
じゃあ14系で客扱い停車中にホームに出て買ったんだね 何度も出ているが、黒磯の凋落が極端だねぇ。
駅弁売りがホームを行き来し、特急も多数停車した駅がね......
今も18シーズンは乗り換え客でちょいちょい賑わう事もあるが。 黒磯は列車選別装置を搭載して、EF81牽引に成ってから、黒磯駅が通過で
機関車交換の為に停車しなくても良くなった関係で、過疎ってしまったんでしょうねぇ
EF65〜ED75へ直流機関車から交流機関車へのバトンタッチが日常だったのに、
今では客車の普通列車の皆無ですし、
私が最後に黒磯駅でのバトンタッチ儀式を見たのが、
14系座席車で運転された臨時津軽でした、この時は上野〜黒磯間をEF5861が牽引、黒磯〜青森間を
ED75の700番台が牽引しました、唯、黒磯駅での機関車交換は機関車前出しで超広角レンズが無いとまともに撮影できませんでしたorz
この臨時津軽EF58にもED75にもヘッドマークが無かったので、ただの団臨にしか見えませんでしたね。 新幹線で黒磯行くには那須塩原からタクシーで行くしかないですねえ、
それか宇都宮から普通電車で黒磯まで、この間、北千住から黒磯行きたいと
言ってた中年の婦人が居たけど駅員にどうやって行くのか聞いてましたよ。
新幹線か久喜でJR線乗り換えだって言ってたな。
東武の北千住駅の改札の話ですがね。 >>412
那須塩原駅まで行って20分待ちでも良いと思うけど つばさは485系1500番台がかっこいいと思う。
シンボルマーク無しはダメだけどw >>415
俺は200番台に字幕が格好良いと思う。 急行八甲田51号に仙台から黒磯までのりますた。
実は自動ドアの列車は初めてですた。
停車駅は、白石 福島 郡山 須賀川 白河 黒磯
須賀川に停まるのが解せないが事実はしかたない。
仙台を3分先に出るまつしま4号は停車駅は多めだけどこれは電車。八甲田は
機関車+列車。どんどん離されていったようだ。
あ、全車指定席ね。自分は8号車だけど13両くらいはあったか。
黒磯で機関車取り替えなんだけど、そのあいだ1号車の端っこから線路に降りれそうで
変な感じ。釜めしとぺロぺロキャンディチョコレートが楽しみだ。 「昔あった珍列車を語るスレ」で相撲列車の話題が出てたので、手元の相撲雑誌から写真をキャプしたのですが
当のスレが落ちてしまって書くところがなくなってしまいました。
スレチで申し訳ないのですが折角なので皆さんにご覧いただきたく
http://photozou.jp/photo/album/2521468
EF58牽引の列車やキハ58系の相撲列車、客車はスロ81やスロ54でしょうか?
>>419
1人で2人分占拠か。体型考えるとこんなもんだな。 >>419
在来線設定の末期、名古屋場所の際にゴハチ牽引12系で運用されてたのは見たことあるね。
たしか関取(三役以上だったかも)は新幹線に移行した後だったと思うが。 50台じゃなくて申し訳ないが、懐かしい臨時列車ということで・・・
青函連絡船がラストの頃、急行「すずらん」89号と90or92?号という14系夜行の臨時列車が
札幌〜函館間に走っていた。時刻表を見る限り、81号、82号・・・なんて設定がないのに
なぜいきなり89や90から始まっていたのだろうと疑問だった。
もうとっくになくなったと思っていた3段式寝台が併結されていてびっくりした。 多分“予定臨”として既に設定してある臨時「すずらん」に80番台が割り振られていたんだね。
だから90番台になったのかな。
また、「すずらん」の“予定臨”は設定が多かったから、
順番に振っていくと発車の遅い夜行が6本目の91号になったのかもね。 >>423
>多分“予定臨”として既に設定してある臨時「すずらん」に80番台が割り振られていたんだね。
これ見ると多分そう
http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/exp86/suzuran.htm 列番と号数って何か関連してるのかな?
51号→81号→91号っていう流れでいいのかな?
この流れだと61号と71号は臨時の番号飛ばしてるっていう事に成るけど、
どうしてだろう? 南紀には、81号と数分しか違わない71号がある。
「○月×日の81号は右の時刻に変更」で済みそうな感じだけど。 臨時列車には一般的に50番台が当てられていたが、定期列車で50を超えるものが出てきたために80番台に移された。
その中で90番台というのは、単に80番台があふれて90番台に割り込んだものや、
何らかの理由で80番台と区別する意味で90番台を付けたものがある。
例えば、北近畿の場合、臨時急行は80番台(昔は50番台)、臨時快速は90番台(60番台)と区別していた。
ただ、こういう区別は地域的なもので、国鉄時代から全国一律ではなく、その地域の独自性によっていたようだ。
JRになってそれは顕著になり、「臨時列車は80番台」というのは、あくまで“原則として”という程度で、
その地域の状況でいろいろ使い分けられている。
その使い分けは、時刻表などをよく見ていたりすれば、そこそこの知識があれば何となく推察できると思う。
件の「南紀」も、通常の80番台から一時的な時刻変更などで、あえて現場に周知徹底を図るために変えたと思われる。
ただし、それが何で70番台で90番台ではないのかは、それこそ当事者でないと分からない。
まあ長年のその地域の、会社の傾向を見てれば、何となく見えてくるかもしれないが。 >>429
南紀の場合90番台は熊野花火臨で使うからだな スレとは趣向違うが、在来線100番台も今は懐かしい部類
踊り子、ひたち、あずさは新型車両と在来車両運用の区別で九州の場合は休日運休の通勤特急に付けてた >>431
100番台って既に無いの???
踊り子101とか? >>431
「かいじ」は今現在なお、定期列車で100号台だが。 ちよっと尋ねたいんだけど1970年の時刻表を見て見ると銀河が5本設定があって、
その内の、銀河51号が上りも下りも設定があるんですが、どうなってるの???
大阪発の銀河51号が21時20分発の東京着6時58分、
東京発の銀河51号は、21時10分発の大阪6時39分着、通常こんな事ってあるのですか?
それと銀河71号の設定があるんですが、どうして61号を飛ばしたのかも解りません。
当然銀河52号の設定も大阪発23時30分発で設定があります、
東京着10時06分って随分かかったものですね。
銀河51号52号と大阪発が立て続けにあるのって現場は混乱しないんですかね? >>434
質問の趣旨が今ひとつよく分からんけど、
当時は「上り1号」「下り1号」という概念だったのよ。
だから1号同士が真ん中辺りですれ違う。
「8時ちょうどのあずさ2号」という歌があって、
描写は都心から松本に向かっていくので下り列車なんだけど、
現代の感覚だと偶数号は上りになっちゃうよね。
偶数奇数で上り下りを分ける様になったのは53年10月改正だったかな。
61号がないのは不定期扱いで、その月には設定がなかったって事かなぁ・・・?
その銀河の例はよく分からんけど、番号が飛んでること自体は割とあったよ。
リアルタイムをよく知らない世代が、聞いた話しを総合して書きましたが(´・ω・`) なぜ「あずさ2号」なのか?
当時のダイヤで、下り「あずさ1号」は2回ほどしか運行されなかったから、とかマメ知識にあったね。 銀河の場合は昭和45年当時は上りも下りも銀河51号だったんですよ、
だから東京発の銀河51号と大阪発も銀河51号、
両方とも51号で現場は混乱しないのかな?
って言うことです。
上りも下りも同じ日に運転だったら乗客戸惑うよねw だから現場は列車番号使えば問題ないだろうと言ってるだろうが >>439
当時は在来線は基本全部その方式
銀河だけじゃない
上りも下りも1号、2号、3号、4号と号数を振ってた
臨時も一緒、上りも下りも51号が存在して当たり前
上り、下りつけて呼ぶから特に問題なし
例外的にくろしおだけ試験的に下り奇数、上り偶数になってたけどな >>439
今だって一日一往復の列車は上りも下りも号数が付かないただの○○だけで上下同一ですよね?
別に混乱はないとは思いませんか? べつに混乱はしねぇだろ。
「行き先」も知らずに乗るやつは論外だが。 >>443
>>「行き先」も知らずに乗るやつは
999の星野鉄郎ぐらいじゃねえのwww >>439
53-10改正前までは原則上下共に1号から付記するルール。
もっとも臨時絡みか一往復しかないのに上下共に1号と付番されたものやなぜか下り1号、上り2号と付番された列車もあったけどね。 >>444
最初からアンドロメダ終着駅行ってのは分ってた筈だが 何かこの子、前に東北スレに出てきた誤乗君に似てるな 銀河51号は臨時列車だったんかな(昭和50年代)?
もし列車番号が6101・6102だったら季節列車になり(ちょっと確証はとれん、すまん)、
銀河71号は列車番号8000または9000番台の臨時列車になるから、それと区別するため
70番台に飛ばしたんじゃないかな。
正直、真相はわからん。 銀河って20系になる前は旧客だよね?
それで臨時の銀河51号は'70年当時まだ出来立てホヤホヤの、14系座席車で運転、
という事は臨時の方が定期列車よりゴージャスと云う謂わば逆転現象だったのかな? >>449
14系じゃなくて12系座席車じゃないかな。ボックスシートの。
逆転現象といえば逆転現象かな、音戸とか。
ただ、あの当時は12系使用列車は全車座席指定で、しっかり指定席料金を取っていたと思う。
ちょっと手元に資料がないからごめん。
しかし臨時銀河に14系が入ったのはいつ頃からだろうな。
昭和61年8月の時点では既に14系座席車だった。 >>450
私が昭和56年7月の夏臨の臨時銀河51号を利用した時は、
もう既に14系座席車でしたよ。
当時宮原区のEF58と14系座席車で、
今だったら朝の大阪付近や東京付近の撮影地は激パだったでしょうね。 >>448
昭和45年の話だぜ
なんで昭和50年代になっちまうんだよ?
で、
1969年夏期
銀河51号6103レ・6104レ
銀河52号8117レ・8114/8116レ
1970年夏期
河71号6103レ
銀河51号8117レ・8116レ
1978年夏期
銀河51号6101レ・6102レ
銀河52号9115レ 定期が旧客で臨時が12系なんて珍しくもないけどな。東北新幹線開業直前だと
十和田1号(季節列車)14系
十和田3号 20系
十和田5号 12系
とかだったりするし スカみたいなスレチ質問した奴
再回答もらってんだから最後に礼くらい一言レスしてから行けや 臨時の方が格上の車輌を使う例としては適切だと思うが >>456
単に臨時の方が格上の車輌を使う例を出しても意味無いだろ
>定期が旧客で臨時が12系なんて珍しくもないけどな
これの例出さんと >>457
http://www.geocities.jp/bisanrr/kure1.html
ここを見ると、定期旧客「音戸1号」と臨時12系「音戸51号」の写真が見れるよ。
12系客車を牽引するC62の写真ってのもそうそうないんじゃないかな。 代表的な例が>>458の急行音戸やあと天草、八甲田、十和田など実例は多いね。
あと特急でも定期20系時代のあさかぜ51号に先行落成車の25形を使用したなんてのもある。
国鉄も当時臨時に12系などを振り向けてそちらに波動客を誘導して定期列車の混雑を解消させようとしていたのは有名な話だし。 >>459
臨時便にはわざわざ冷房車って書いてある時刻表もあったしな >>460
でもカマはボロのEF52とかw
今なら発売開始で瞬殺だな。 >>462
9番ホーム発着で、環状線の横に降りて機回しするんだよ。 臨時列車は知名度低いんだよね。
いま現在金曜限定運転の臨時「かいじ」があるが(新宿発20時30分)
平日下りはどれもこれも超満員なのにこいつだけは余裕がある。 最近は臨時を強調せず号数も通しで、運転日指定っつー計画臨のパターンがおおいね。 >>466
新宿発のあさま9号なんてそのパターンですね。 >>468
と言うか呼び方が変わってるだけじゃないの? のべ〜〜っと寝てる貨物が減って、影スジが引きやすくなったんでしょうね。輸送力の余裕っていうんですか。
臨時を盛りスジで押し込んでた頃のは、表定速度も車輛も見劣りしたようですし。 だって標定速度が違いすぎだよ、
貨物は75Km制限で走ってるわけだし、旅客は110Km
当時東北本線なんて良くスジが引けたものだと感心するよ。 晩年はそういう例がいくつかあったと思う。
「あさかぜ51号」なんかもそうじゃなかったかな? 臨時列車で運行計画ミスによるトラブルとかって経験あります?
例えば…ダイヤ通りだが満線で着線できなかった、デッドロックを起こしたetc。
漏れはVターンがYターンになったってのがあった。 >>475
こないだ、篠ノ井線のスイッチバック信号所であったね。
, -‐―‐‐-、
/ , ヽ
l */_ノ/ヽ)ノ
| (| | ┰ ┰|l |
l ∩、''' - ''ノ∩
| ヽ}| {介} |{/ 有明の臨時、ED76+14系座席車というのも有ったなぁ。 非冷房の115系使用の急行佐渡51号。
以前写真も上がっていたが、ぼったくりもいいとこ。 この時期になると余裕一本買いのあさかぜ51号を思い出しますなぁ(-.-)y-~ >>486
だけど30年前の夏はこんなに暑くなかったよね・・・
東京駅7番線にあさかぜ51号撮影しに良く行きましたよ。
でも定期銀河がEF58+20系だったのに対しあさかぜ51号は下関のPFだったから
20系のテールサインしか撮らなかったな、
逆に銀河はゴハチだけ撮影で、20系のテールサインは急行表示だったからね。
当時はサクラカラー24や12枚撮りなんてあったよね。 そういえば東北新幹線開業後に臨時ゆうづるに14系座席車担当されたことあったよな >>459
ジョイフルトレインも一時期使われていたな 臨時急行たざわ、上野行、牽引機は秋田までD51,秋田から米沢までC57、院内から
新庄までDF50の補機、寄集めの旧客車、でも常設の急行たざわはDF50が本務機
だった。 年末の季節ですね、14系座席車のはつかり51号つばさ51号を思い出すなあ。 「はつかり51号」は黒磯までEF58牽引でしたね
帰しの上り「八甲田54号」には 1981年夏に乗ったことがあります 俺はやっぱりあさかぜ51号だな、
51号の王道/ 定番だろうけど当時20系特急になれるチャンスだったんで、
東京駅7番線に到着だったけど7番線でEF58機回し出来たのかな?
機関車は宮原区のゴハチだったけど、客車も宮原区の20系だったのかな?
しかし当時定期列車の銀河は上りが宮原区、下りが浜松区のゴハチが担当してたけど、
どうして担当区が違ってたんだろ?荷モレ絡みかな? あさかぜの話なのか銀河の話なのかどっちなんだよw
夜勤明けで寝床でうつらうつらしながら携帯打ちか? スマソ、ゴハチ絡みで書いてしまった、誠に申し訳ない。
ここは臨時列車スレだから定期の銀河はスレチだったな。 意地でもイラストマークを出さなかった489系能登編成の臨時雷鳥。 白山色の489は雷鳥、スーパー雷鳥共に
イラストマークあったんじゃないか?