臨時列車[急行]懐かしの51号[特急]を語るスレ
20系あさかぜ51号、14系ハザ銀河51・52号、
つばさ51号、はつかり51号、ひばり51号、
EC・PC問わず、臨時列車の50番台列車について語るスレです
銀河51・52号は特急の車輌にもかかわらず、急行料金で乗れる
お得な列車でしたね、(R51シートのギッコンバッタンシートは
別として)。
大いに語りましょう。 >>311
今は在来線優等列車の需要のある地域はそろなりに本数があるし、
わざわざ別に臨時列車を設定せんでも、気動車であれ電車であれ、
編成両数の増減で対処出来るようになってるからでは?
また、臨時列車を走らすとなれば、それだけ人間も必要やし。 お呼びでない?お呼びでない?
こりゃまた失礼致しました! >>311
定期列車で使うから。
臨時は80代かな? >>302
盆正月の混雑振りを知らないんだ、君は。
いつ頃だったか、一部路線の定期列車が増えて
臨時列車が51号などを名乗らなくなったのは。
過去レス見返せばわかるんだろうけど。 そう云えば、今はない上野20番線からあさま、ひばり、ひたちの50番台の臨時便がよく発車していったけ・・・
20番線は弁当売りもいないさびしいホームだったけどね。 本棚を整理していたら、昭和54年8月号の時刻表が出てきたよ。
UPしてみたほうがいいかな?全国に沢山51号&52号と名のつく列車があるよ。 昨日武蔵小杉駅で夕方横須賀線を待っていると「成田EXP51号成田空港行きがまいります」と
アナウンスがあった、思わず国鉄時代の臨時列車を思い出してしまったw >>319
国鉄最後の1986年11月改正。
雷鳥などのエル特急が本数増えすぎて、定期列車で50番台に到達したため、臨時列車は81号〜に変わった。 >>326
そうだね、間違いなく八甲田だね、ただ51号かどうかは分からん。 >>326
山川キャスター懐かしいな
癌で早死しちゃったんだよなあ テロップが円谷プロの怪獣番組みたいだw
駅で新聞敷いて待つのって、今からすれば汚く見えてしまうな。
俺の姉なんかも沖縄や与論島へ行って、真っ赤に日焼けして帰ってきてたよ。
「スカイメイトで安く行ける」と、よく口にしてたっけ。 >>330
現在では駅の待合室も冷暖房完備だしなぁ(笑)
当時冷房は贅沢品だったなw >>326
32年前、国鉄時代の映像だね。 中央口改札の上に列車便名の板がぶら下がっているのには時代を感じる。
盆暮れの上野はいつもこんな感じだったなぁ・・・ 今は見る影もない。 1978年9月22日新宿駅、急行アルプス
http://www.youtube.com/watch?v=H_XPlVyv4pU&feature=related
これサロにまだグリーン帯が付いてるよ、いつまで付いてたんだろ?
アルプスの165系は「モト」って書いてあるから、松本の車両かな? >>333
その頃からそろそろ帯が外された車両も出てきた。当時は混在してた時。 前川清で思い出したけど急行「ながさき51号」って無かった? >>333
へぇ、この時期までキスリングが普通だったんだ
俺は山いきはじめたのが80年代後半だったから初めて知った
ちなみに臨時アルプスは00年ごろまで乗ってたな
169系だった 金星51(52)号というとEF65一般型のイメージがあるが、あれはJR以降だな。
59.2までは浜松のEF58が牽いていたはず。
浜松EF58亡き後は東京(田端?新鶴見?)のEF65PFになっていた。 EF58の色使いってどこから着想されたんだろうね。
EH10の黒塗り共々まさに秀逸の一言に尽きる。 春の臨時列車(束)
50番台、70番台が使われてるね 金星51、52号は、今でも不思議に思う。
本家の定期「金星」(583系)が博多発着に対して、51、52号は西鹿児島。
本家が廃止された後も数度、51、52号を名乗って運転。
晴れて「金星」の単独名になった後も、かなり後世まで運転された。
なぜ本家の不定期格下げでなく、51,52号を残したのだろうか? >>346
平成6年ぐらいまであったねえ
定期列車時代と比べると運転区間と設備がまるで違うからじゃね? >>346
金星のスレがここの板にあるからそっちで訊けば? >>346
「金星」と「金星51(52)」号
設定目的が全く違う列車だが、名古屋発着の九州夜行特急ということで「金星」という愛称でくくったんじゃないかな。
定期583系金星は、43.10改正で当時結構需要のあった名古屋−九州用に登場。
臨時14系金星の登場はわからんが、多分50.3か。
それまで「臨時急行」として運転されていた、お盆・年末年始臨的性格を持った列車だった。
西鹿児島まで運転されていたのは、2編成で回せるため、旅客の便を図ったのだと思う。
50.3で名古屋「阿蘇」が廃止された代わりというのがあるかもしれん。
本家は九州夜行の衰退と共に廃止されたが、臨時は以上のような列車なので残ったのだろう。
臨時金星は当初EF58+14系6*2だったが、国鉄晩年は牽引機がEF65PFに、
ユーロライナー車2両を組み込んだりした事もあった。
JR化後は牽引機がEF65一般型となり、後にヘッドマークは付くものの客車は6両に、格落ち感は否めなかった。
何処かで書いたが、臨時金星、14系座席車の営業列車では最長ランナーじゃないかな、名古屋−西鹿児島。
金星の件、多分こんなところだと思う、長文失礼。 【金星 きそ】名古屋発の夜行列車【のりくら 紀州】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220854940/
ここに書いたんじゃないの?
厳密には金星スレじゃなかった。すまん それこそ列車名を名古屋〜西鹿児島感間「木星」とか「土星」にすれば良かったんじゃね? あいだを取って「キンモクセイ」ではダメだったか
まあしかし、名古屋−関西と九州内にあっては
昼行特急としての役割があったようなダイヤだった
本家にその機能は無かったし
イラストマークの時代にあって、文字だけの「金星」を見るのが
嬉しかった思い出がある
関西〜中京で日中に見られる客レ特急だったし くずりゅう52号
12系ハザ、or14系ハザ
福井発米原or、発駅いろいろあったみたい
敦賀−米原の14系ハザに乗車した記憶あり、ガラガラだった
この片割れの51号は設定されなかったように思う くずりゅうって457系だったよね?
夜行立山に大阪駅から乗ったことあるけど、
急行立山としか書いてなかったよ。
もしかするとあれが立山51号だったのかもしれない。
関西方面から立山連邦へ行くスキー客や登山客でデッキまで人があふれてたよ。
あれは昭和55年の冬だったな。 今ちよっと調べたんだけど、583系の急行「立山」ってあったんだね。
見たことがないけど、ヘッドマークなんかはあったのだろうか? 立山の愛称表示は「急行」表示だったはず。
方向幕がどうなってたかは覚えてない。すまん。 ちょっとぐぐつたら、方向幕の画像出てきたわさ。
ちゃんと、←大阪 富山→ 立山、って表示になってた。 おいおい、俺は>>357だよ。
要するに、おまいさんと俺と二人で正解ってこと。 ふと思ったんだけど、583系銀河に使う予定があったのに最後まで使用されなかったね
立山に使えるんだったら、銀河にも間合い運用で583系使えたんじゃないかな? 使わなかったの残念だね
1回でも使ってたらその後の流れが変わって
銀河も今年まで持ったかもしれないね 583系銀河はヘッドサインまで用意してあったのに何故か幻で終わったね。
何か実現出来なかった理由でもあるのかな? 583系には荷物室が無いので新聞輸送ができなくてボツになったという話を聞いたことがある。
本当かどうかは知らない。 >>366
銀河じゃ荷物輸送やらなかったでしょ?
積込禁止の貼紙みたいなの貼ってあって、鍵掛けて鍵穴には紙封してあった。
第一、24系の前は14系だったし。
2段ハネ化はサービス向上のためだったと思ったよ、確か。
>>366
それを言うならマニ30使った現金輸送や関東⇔関西間の客車回送じゃないか
結局国鉄解体でどれも要らない役目になったが 俺はマニ30円君が付いた【銀河】なんて1度も見た事無いよ。 1度だけ見た記憶はあるけど、マニって平成まで運用してたっけ? >>372
2000番台だったら合計4両タミとスミにいたよ。
廃止になる前、やらせと思われるEF5861+DD51842+マニ30の回客が、
尾久〜高崎間であったよ。 そういえば銀河に茶色い郵便車?みたいなのが最後尾(大阪方)に付いていたのを
1度だけ見たことがある。 繁忙期(年賀状?)の護送便で併結した記録は残ってるね >>372
10年ほど前までは貨物列車に繋いだりする形で使ってた 銀河に30、コキ車に30、どっちもみたよ。JR化後は西ウタ標記だった。 さぬきは昭和43年10月1日のダイヤ改正で瀬戸になった。
瀬戸は2往復体制に成った。
さぬきは食堂車も付いていて、モノクラスの瀬戸より編成豪華だった。 このスレがあるのを知りダメ元で聞いてみるけど、98年?くらいに臨時急行【加賀】っていう列車が14系座席車6Bで上野〜金沢間で運転した事あって、1118(虹)牽引で撮影した記憶があるんだけど誰も知らないっていうんだよね。
上野到着が431着とか、【えちご】より早い到着だったけど、真夏の運転だったから東十条辺りで撮った覚えがある。
【北陸】でも【能登】でもない一夏限りの季節列車なんだけど…。 その「加賀」には確か乗っているはず。
でも、「加賀」と言えば、大阪−金沢の臨時急行の定番だったね。
珍しいところで、上野発富山経由の高山行き急行「高山祭り号」なんていう“一発屋”もありました。 加賀しってるよ。あれって1シーズンしか運転しなかったのか。
なんで知ってるかというと
「玄海」「霧島」とか、あの頃は列車名が次々とリバイバルで
俺の脳内で独りで萌えてたからw
その後ほどなく消滅してしまったが・・ >>383
碓氷峠廃止前にも上越経由で設定があったような… >加賀 碓氷峠の臨時列車だと信州51号EF62+12系とか軽井沢51号169系なんかがあったね。
軽井沢駅のゴルフボール弁当とラケット弁当が懐かしい。
あと番外だが、イカロス号EF62+14系座席車なんていうのもあった。
子供の頃、EF57+12系の佐渡57号に乗ったの思い出した。 子供の頃、EF61牽引の14系ハザのくろしおに乗りましたよ >>386
上越線回り時代の能登が臨時格下げで加賀を名乗っていたんじゃなかった?
(「能登」の愛称は金沢打ち切りになった「越前」が引き継いだ) 昨日の大宮車両所公開で、幻のつばさ51号のヘッドマークの実物を見て感動した。
EF651041に取り付けられていた。 加賀って民営化後は信越線周りにならなかったっけ?62が牽いてた気がしたが 今年の春臨で久々に51号52号が複活してるよ、嬉しい限りだね。 >>383
1997年〜1998年の年末年始時期に、上野−上越線回り−金沢間の客車列車の臨時急行
「加賀」の12月27日・28日に下り列車、1月3日・4日に上り列車が運転された。
ちなみに「能登」は上野−上越線回り−福井間の電車急行。
臨時列車でカッコわりい名前だなあと思ったのが、上野〜秋田間で運転された
20系寝台急行、【竿灯】これ最初、読めなかったなw
さおあかりって何だよって思ったけど、竿灯祭りからもじったことを知り
カッコわりい名前と当時思った。
こんなマイナーな列車誰も覚えてないかw 「竿灯」乗りましたよ。寝台券も残っています。
横手で台風接近のため長時間抑止され、上野には7時間遅れというハプニング付きでした。
まあ20系寝台だったんで、久しぶりに“昼間”の寝台車を楽しめましたね。
ところで、ダサい名前といえば、上野動物園のパンダにあやかった高崎→上野の「トントンパンダ号」かなあ。
JTBのお姉さんに思い切り笑われたしね。
でもこの列車、当時復活したばかりのEF55を使った初めての多客臨だったんだな。
帰りはそのものズバリの「EF55号」だった。
あと、「珍ドコ列車」も駅で買うのがちょっと恥ずかしかったな。 スレチだが過去の列車名でダサい名前の極致は何だろう?
やっぱり「くりちゃん号」か? ホームライナーなんて間に「レス」入れちゃうとホームレスライナーになっちゃうしなw 消防の頃、親父の田舎に帰省する時、つばさ51号に上野から福島まで乗ったなぁ。
定期特急の切符が取れなくて臨時のつばさ51号に乗ったけど、釜牽引の列車に乗れてラッキーだと思った。
黒磯での釜交換の時間を利用して、駅ホーム立ち売りの九尾の釜飯を購入したのは良き思い出。
>>405
404は他の人です。
つばさ51号に乗車したのは、404さんのカキコで正解です。 >>406
了解
じゃあ14系で客扱い停車中にホームに出て買ったんだね 何度も出ているが、黒磯の凋落が極端だねぇ。
駅弁売りがホームを行き来し、特急も多数停車した駅がね......
今も18シーズンは乗り換え客でちょいちょい賑わう事もあるが。 黒磯は列車選別装置を搭載して、EF81牽引に成ってから、黒磯駅が通過で
機関車交換の為に停車しなくても良くなった関係で、過疎ってしまったんでしょうねぇ
EF65〜ED75へ直流機関車から交流機関車へのバトンタッチが日常だったのに、
今では客車の普通列車の皆無ですし、
私が最後に黒磯駅でのバトンタッチ儀式を見たのが、
14系座席車で運転された臨時津軽でした、この時は上野〜黒磯間をEF5861が牽引、黒磯〜青森間を
ED75の700番台が牽引しました、唯、黒磯駅での機関車交換は機関車前出しで超広角レンズが無いとまともに撮影できませんでしたorz
この臨時津軽EF58にもED75にもヘッドマークが無かったので、ただの団臨にしか見えませんでしたね。