臨時列車[急行]懐かしの51号[特急]を語るスレ
20系あさかぜ51号、14系ハザ銀河51・52号、
つばさ51号、はつかり51号、ひばり51号、
EC・PC問わず、臨時列車の50番台列車について語るスレです
銀河51・52号は特急の車輌にもかかわらず、急行料金で乗れる
お得な列車でしたね、(R51シートのギッコンバッタンシートは
別として)。
大いに語りましょう。 >>21
無いのもあるよ、みずほ、さくら、富士、はやぶさ、瀬戸、出雲、紀伊
いなば、安芸、これらは51号は無いかとおもわれ?。 はくたかや有明の51号は間合い運用の夜行だったような記憶がある。 銀河のように本家に1号、2号がない時期に51号が存在していた列車ってほかにあるかな?
金星があったっけ?うろ覚え。 >>24
新幹線開業前のはくつるには14系座席車使用の51号があったな
みちのくにも昭和47年か48年に485系使用の51号があったはず 76年12月号の時刻表より
>>24の例
・京都発米子行き急行白兎52号(51号の設定はない)
・博多発平戸口行き急行平戸51号
・大阪発新潟行き急行越後51号
・上野発福井行き急行越前51号 他多数
定期または無番列車ないのに51号を冠した例。
・名古屋発青森行き急行あおもり51号
・名古屋発宮崎行き急行高千穂51号(長崎行き急行五島併結)
・大阪発西鹿児島行き急行屋久島51号
急行もあるが同一区間を快速として60番台を付けられた例
・岡山発米子行き快速伯備61・62号(逆区間の設定もあり) >>19
俺は「ばんだい51号」、確か昭和48年頃の夏休みだったか
もちろん旧客編成でその中でも一番古い内装が木の客車を選んで、親にあきれられたもんだ。
形式はオハ35とあって、それ以来ガキのくせにオハ35が大のお気に入りだったな。
長い停車時間に機関車見に行ったらフィルターが「田」の字になっている赤い機関車だった。
磐越西線に入って小さな駅でやたら長時間とまっているなーと思ったら、向こうの山肌を気動車急行が
走り抜けていった。「あんなところに列車が」と思う間もなく、乗っていた列車がバックしたのには驚いた。
これが初めてのスイッチバック経験だった。 初めて山陰に行った時に使ったのが「しおじ71号」、帰りが伯備線経由で夜行の新大阪行き「おき52号」、
初めての九州は「あかつき51号」(12系の100円引き特急)、
そして初めて北海道に渡って道内最初の列車が、“夜行”の「北海51号」だった。
その後も、関西への定番列車は「銀河51号」で20回以上乗った。
自分の旅の中で「51号」は欠かせない存在だった。 急行アルプス51号良く乗りました、
当時飯田町客貨車区持ちのオハ47等オールプルーの客車に
山男、甲府機関区所属のEF64でした、
新宿駅西口で黄色い無料のヨドバシ新聞を沢山貰い、それをホームに敷いて
大学の仲間とわいわい空席取り待ちました。
1977〜8年当時だと思われます。
あれからもう30年以上時は流れ、客貨車区は廃止されましたが、
EF64は高崎にまだいるので嬉しい限りです。 >>24
臨時特急『金星』51号ありました。
何故か(?)定期列車と運行区間が異なって名古屋〜西鹿児島間の設定でした。
信州51号もあったのですが、169系か12系かを失念してしましました。
どなたかフォローお願いします。 >>23
はくたか51号は現在は能登と同じようなもの。 東武でも休日下りの“りょうもう51号”なんつぅのがあった。
昭和40年代中期の「特急○○51号」、しかも季節列車の6000・7000番台やなしに、
臨時列車の8000番台の列車に、夜行でもない限り食堂車マークがついてたのがすごい。
上野ー酒田間の鳥海51,52号。
当時小学生だった俺にとって新津から初めて見るSLの牽引で思わぬサプライズに
大感激だった。 中央本線の夜行特急は「あずさ銀嶺」と
気動車時代の「しなの51号」しか存在しないんだっけ? >>45
それマジ!?
14系はどっから持ってきたんだぁ? 14系座席車の前面幕が臨時列車の歴史を語りますね。
しかし、何故か「あさかぜ」のコマが入っていたらしい。
あさかぜの臨時列車は、最初から寝台車を使っていたはずです。 14系寝台車で「あさかぜ」を運転していた時期もありますし、なんらかの事情で座席車が
代走する事を見越して方向幕に入れていたとかあるのでは? 電源車の代走だな
14系の日本海でもカーテンを閉めた座席車が入った写真を見たことがある 14系ハザの幕にはあさかぜは入っていなかったと思うが・・・ 愛称幕は単純に座と寝で幕を共用していただけなんじゃないの?
あれは側面と違って手回しなんだから、全コマ回ししてるとこは見たことない
人の方がはるかに少ないでしょ。下手すりゃ現場の人ですらいくつ愛称が
入っていたか知らないんじゃないんかい? ↑間違えた。
×見たことない人の方がはるかに『少ない』
○見たことない人の方がはるかに『多い』 14系座の愛称幕全回しを見たことあるけど、しおじやつばさ、はつかり、
雷鳥などが入っており、14系寝の内容とは明らかに違うと思った。 >>44
急行『東海』52号って、東海道新幹線がメンテのために、午前中半日運休した時に運転された
列車ですよね?
14系ハザ受け持ち区で当然幕違うでしょ?
わしが見たのは北オクで、はつかり、つばさ、ひばり、北陸なんかが
入ってた。
ミヤのは雷鳥、金星、彗星、銀河、等だった
だが数年前の尾久ふれあいフェア―で公開された14系ハザのテールサイン
には何故か「彗星」の幕が入ってた。
これには不思議だったし、首をかしげたよ。 >>57
国鉄末期に移動してきた車両なんじゃないかな?
急行、臨時、回送くらいあれば間に合うようになってて幕変えなかったんじゃない? スキー臨では但馬スキー号と但馬銀嶺号のように同一線、同一種別でも
異なる命名がなされていた。 立山51-52号、12系12両で51号後部6両金沢解放52号で前部連結。客種が相変わらず
悪く、52号に石動から乗ったオババ3人組が最低で、金沢からカレチに頼んで
座席を変えてもらった。
14系の雷鳥は雪で乱れた時に実際に運転されたが、富山まで40分程余計に掛った(米原
経由時代)。 >>62
○○スキーは自由席主体、銀嶺は指定席主体じゃなかったか? 国鉄もシュプール号を説定するようになってから、51号を使わなく成りましたな。 >>44,56
基本的に修学旅行臨「こまどり」のスジ
たしかに東海道新幹線リフレッシュ工事の際には重用されていたけど >>72
DD54に14系っつ激アツだな。
いつ走ったんですか? はつかり52って、あった?
はちかり51(9031、9021)、S53−10以後だと、何故か
返しは急行に化けるケース多かったけど。
八甲田54(東北周り)とか、十和田54(常磐回り)とか。
青森5:09→上野20〜21時台位の、のんびりしたスジ。途中仙台で
14分停車(14:17〜14:31)。車両は尾久の14系だったな。 >>74
76/12時刻表では、はつかり51号(8001M/8002M)のみ。夜行での返しはなし。
臨時がらみで面白い所は、青森着213(八甲田51)同421(十和田52)、
青森発315(八甲田51)と深夜帯での発着があったこと。 >>75
話が微妙にずれてないか?
>>74の言いたいのは昭和53年10月改正以降のぼりのはつかり臨時があったかって事だろ? あずさ2号も臨時で走らせること、出来ないのかな?。
8時発で、甲府発でもいいので。 >>77
「懐かしの特急あずさ2号」って名前でリバイバル運転したことがあったけど
今更あずさ2号も無いと思うけどなあ
ところで?。というような記号の連用はあまりしない方が良いと思うぞ >>80
ED60とか、DE10もあったそうだぜ。 南風51号か、しおかぜ51号のどちらかが14系でしたね。 しおじ51号は14系だった時代があるが、
南風51号はTSE2000とかキハ185系しかないし、
しおかぜ51号も夜行はキハ181系だった。
そもそも、その時代には12、14系は四国には入線していない。
瀬戸大橋開通後の「瀬戸」「ムーンライト高知」や多客時の臨時、団体のJT以外は機関車牽引列車はない。 >>87
ああなるほど
>その時代には12、14系は四国には入線していない
これを踏まえて>>86は
>南風51号はTSE2000とかキハ185系しかないし、
と言ってるのか 伊豆51号は非冷房の155系で暑くて窓全開にしたな… やっぱり
急行加賀でしょう
当時としては、急行のくせに14系使用
大阪向きは、EF81の重連けん引が多かった
それと
6032と6000番台の季節列車番号だが
通常の号数の明星5号25系寝台
1979年の夏と1980年冬の運転開始日は
東京区のEF5861がけん引きした
61のブルトレが関西で実現するなんて
大阪に住んでいた高校生の私は、鼻血もんの感動やったな 若干スレ違いだが、夜行バス増発便は3列定期便でも4列トイレなしとか同運賃で平気で使ってたりするが、
昔の客レ臨時急行・特急でもそんな感じだったのかな? 列車の場合は特急料金・急行料金・寝台料金が決まっているので、
設備の種類が同じであれば、同じ。
3段B寝台の
10系(52mm)・20系(52mm)・14系(70mm)・24系(70mm)
と583系上段・中段(70mm)は同じ料金。
583系下段(106mm)は少し高い料金。 >>92
国鉄時代の座席だけの臨時だと…
PCだと下からオハ61〜オハ35〜スハ42〜12系〜14系
DCだとキハ35〜キハ17〜キハ20〜キハ55〜キハ58、65
ECだと113系〜155系〜153、165、167系と大体こうなりますかなぁ…。
地方局がなんとか知恵を絞って自局から一両でも多く集めた努力の結晶なんでつ(涙) >93
ということは急行でも
14系>12系>58・165など>旧客・113など
と運賃が分かれていたのか? 釣りだと思うけど…w
14系(座)は雲仙・西海の例もあり、近郊形の113、421系以外は普通の急行料金だと思う。
近郊形の急行使用事例は鹿児島本線や常磐線であったらしいが、あまり知らないので
御存知ならばお聞かせ下さい。 14系(座)の雲仙・西海
12系のきたくに・ちくま・だいせん・津軽・八甲田
旧型客車の能登・越前・鳥海
近郊型?715系のホリデー佐世保
急行料金は同じ >>97
111系だろうが113系だろうが115系だろうが401系だろうが
153系165系使用と急行料金は同じだよ。
だから酷いのは夏の海水浴臨なんかは101系のゲタ電だったぞw
あのロングシートでだよ、長時間だもんなあw
さよなら201系の先駆けだな。 35年ぐらい前、つばさ51号郡山まで、14系かな、乗りました。
確か時刻表によると、次の福島で後続の特急に抜かれたような。
昼行特急が昼行特急に抜かれるなんて、珍しいと思つたわ。 >>102
抜かれるというか、機関車交換の間に後続のはつかり2号が先に発車してますね。
8001レ
上野9:04 黒磯10:57-11:04 郡山11:51-11:52 福島12:29-12:37
23M
上野9:31 大宮9:53 郡山11:56-11:58 福島12:32-12:33
しかし最高100kmで黒磯に7分も停車しているPCなのに上野→福島が3時間25分とはかなり頑張ってるなぁ、、、EF65とED75。
ゴサントオ改正後の電車特急並。
>>103
その時刻は何年のですか?
http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/limexp80/tsubasa.htm
ここ見るともうちょっと所要時間長いので >>102-103
田端運転所の有志で特製HMが何回か付けられたよ。
その当時は機関助士も当然いたから、全員有志の人じゃないと
HM付けられず、相当苦労したそうだよ。
当時のRFに詳細出てるよ。
その有志の人達その後どうしているかな? >>105
50年夏の時刻表です
丁度この頃↓
ttp://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/limexp74/tsubasa.htm >>108
それは55号w
55号は舞台の上を走るよww 急行あおもり:名古屋〜東海道線〜米原〜日本海縦貫線〜青森
これに乗った人っていますか? >>112
583系や12系客車もあったと思うけど >>111
急行「あおもり」名古屋−青森(米原経由)乗りましたよ。
お盆休みや年末年始に走る名古屋地区の定番帰省列車でしたね。下りだけの片道設定だったと思います。
車両は乗った時はまだ雑型客車で、“寄せ集め”のような編成でしたが、末期は12系でしたかね。
運用の関係なのか、「あおもり」のスジの運転日の最後だったか最初だったか忘れましたが、
その日だけは必ず秋田行き「あきた」、または新潟行き「にいがた」として運転されていましたね。
なお、後年JRになって再登場した「あおもり」は、大阪−青森に運転区間が変わり、
使用車両も20系から583系になって、比較的最近まで運転されていました。
ですから、国鉄時代の名古屋発の臨時急行とは全く違う別物です。 大学生の頃、全車座席指定の明星51号に、熊本まで。
すいている車両に移動したが、全然眠れず、到着したわ。 金星51号も名古屋始発、直流区間をEF65一般型が牽引
14系ハザだった、14系ハザには減光装置が付いていないのか付いてるのか
解らんが、消灯時間も減光しなくて当然眠れんかったな。 情報ありがとう。
熊本の帰りには、博多から、あさかぜ52号で。
20系だつたので、B寝台の解体作業が見れたと
記憶しているが、ちがつたかなあ。
20系は確かだ。 あさかぜ52号だと、沼津〜三島〜熱海あたりで作業員が乗り込んで来て、寝台解体をしていましたね! 漏れん時、あさかぜ52号の解体は浜松から乗ってきたなぁ確か。
食堂車がないから静岡で駅弁のワゴンが待ち構えていてここで朝飯を仕入れたような記憶が…。
放送では浜松から静岡の間で解体が入るとか言ってたが、作業がはかどらず沼津だったかで降りて言った。
今から25年前の夏休みの話…。