臨時列車[急行]懐かしの51号[特急]を語るスレ
20系あさかぜ51号、14系ハザ銀河51・52号、
つばさ51号、はつかり51号、ひばり51号、
EC・PC問わず、臨時列車の50番台列車について語るスレです
銀河51・52号は特急の車輌にもかかわらず、急行料金で乗れる
お得な列車でしたね、(R51シートのギッコンバッタンシートは
別として)。
大いに語りましょう。 ハンディー
http://eow.alc.co.jp/handy/UTF-8/?ref=wl
変化形 : handier , handiest
イディオムやフレーズ : come in handy
? handy 【形】
1. 役に立つ、便利{べんり}な、重宝{ちょうほう}な、扱いやすい
2. 器用{きよう}な、上手な、見事{みごと}な
3. 手元{てもと}にある、近くにある、すぐ手が届く?・The shop is handy. You don't need a car. : その店は近くだから車はいらないよ。
? レベル3、発音h?'ndi、カナハンディー、変化《形》handier | handiest、分節hand・y
? Handy 【人名】
? ハンディ、ハンディー
?
? handy around the house 家事{かじ}のやりくりがうまい
? handy booklet 《a 〜》役に立つガイドブック
? handy calculator 携帯型計算機{けいたい がた けいさんき}
? Handy Devices Give Jurors Pipeline to World 陪審員が裁判所の外と情報交換できてしまう便利な機器 全文表示
? handy edition ポケット版
? handy extinguisher 簡易消火器{かんい しょうかき}
? handy food for carrying around 携帯食{けいたい しょく}
? handy for snacking 間食{かんしょく}に便利{べんり}な
? handy for the station 《be 〜》駅に[から]近い
? handy guide 《a 〜》重宝{ちょうほう}するガイドブック[案内書{あんないしょ}]
? handy in size 手頃{てごろ}なサイズの http://eow.alc.co.jp/handicap/UTF-8/
変化形 : handicaps , handicapping , handicapped
* handicap
【名】
1. ハンディキャップ、〔身体上{しんたい じょう}・精神上{せいしんじょう}の〕障害{しょうがい}、不利{ふり}な条件{じょうけん}
2. 《碁》手合い{てあい}
3. 《将棋》駒落ち{こまおち}
【他動】
1. 〜を不利{ふり}な立場{たちば}に立たせる、〜にハンディキャップをつける、〜にとってマイナスになる
2. 〈米〉〔スポーツや賭け事などで〕勝者[順位]を予想する
レベル6、発音h?'ndik?`p、カナハンディキャップ、ハンデキャップ、変化《動》handicaps | handicapping | handicapped、分節hand・i・cap
* handicap competition
《ゴルフ》ハンディキャップ戦
* handicap go
《囲碁》置き碁{おき ご}
* handicap hypothesis
ハンディキャップ説
* handicap parking space
《a 〜》障害者用駐車{しょうがいしゃ よう ちゅうしゃ}スペース
* handicap point
《囲碁》星
* handicap recognition
障害認定{しょうがい にんてい}
* handicap shogi
《将棋》駒落ち対局{こまおち たいきょく}
* handicap stones
《囲碁》置き石{おき いし}
* handicap weight
ハンディキャップ重量{じゅうりょう}
* 9-stone handicap game
《囲碁》九子局
* despite handicap
障害{しょうがい}[ハンディキャップ]に負けずに[があるにもかかわらず]
* ELEVATOR HANDICAP ACCESSIBLE
《掲》身体障害者対応エレベーター◆エレベーター・エスカレーター
* emotional handicap
情緒面{じょうちょめん}でのハンディキャップ
・He has emotional handicap that severely limits his abilities to manage his daily activities.
* linguistic handicap
言葉{ことば}のハンディキャップ、言語的{げんごてき}な障害{しょうがい}
* mental handicap
知的障害{ちてき しょうがい}、精神遅滞 あれあれ。知らぬ間に変な流れになってしまったな…。
「ハンディー」ってなってしまったのは、恐らく辞書の選択違いだったんだろうが、
読み返ししないで送ったんで、思わぬ恥をかいてしまった…。
すまんのぉ。
賢い今の日本語変換システムも、時に思わぬ“名訳”?をするもんだな。 つかもうどうでもいいんじゃん ┐(  ̄ー ̄)┌
こんなようなの世の中いくらだってあんじゃん?書いてあるもん読んでればさぁw 別に入試試験じゃあるまいにこだわるなよw
佐渡51号やばんだい51号まつしま51号懐かしいな。
当時455系だったな、佐渡は165だけど >>197
とうとう最近、欽ちゃんだけに成ったな(´・ω・`) >>202
14系ハザ好きだなぁ
夜行ながら昼間も延々と走り続ける列車に憧れた
金星51号に乗れなかったのは悔いに残る
新幹線と乗り継ぎすれば無茶苦茶安い料金で特急オンリーの
東京−鹿児島間移動を実現できるじゃん、と思ってた >>203
ハザと言う表記は使用しちゃいけないそうだよw 「金星52号」に全区間乗りました。14系座席車両に乗った最長記録です。
そこそこ空いていたので、2人分使えたのはラッキーでしたが、長時間乗車は疲れました。
初期の14系座席車両のシートはリクライニングがロックしない“バッタンシート”だったので、
個人的には余り好きではなかったですね。
でも、「銀河51〈81〉号」では、何十回も利用したもんですけどね。 14系座席車は台車だけエアサスくらいだな、後は185系のアコモの方が
上というかあまり変14わらないなw
だから14座席車は早々消えたわけか? 西日本のシュプール&リゾートは、良かったよ。まりものドリームカーも。
「シュプール」用の14系座席車両は、逆にリクライニング“し過ぎ”で、逆に困った。
前の人が思い切り倒すと動くに動けない状態!
後ろに人がいければ最高だったんだけどね。
リクライニングしない485系とか82系特急車両の方がまだ快適に感じたもんだ。 >>205
羨ましい
ブログかなんかでルポをうpしてほしいです
銀河は83号に乗ったな つーかさあ俺30年前の中学の生徒手帳捨てらんないだよな。
理由は全国の鉄道路線網が掲載されてて、廃線が沢山でててさあ
美幸線とか、深名線と懐かしいから。 12系初の臨時列車「音戸51号」は
呉線は、SL牽引だったんだな 房総を一周しない「みさき51号」と「なぎさ51号」。サロ113組み込みの113系1000番台だった。 ゆうづる51号。仙台までは特急格上げ前の十和田と時間大して変わんなかったな。
ヘッドマークが付いてたか記憶にないのが残念。 あさかぜ52号、4号切符とれなくてやむなく乗ったが、はじめての20系体験よかった〜 >>215
ホリデーパルにも乗車出来なく無念な俺が通りますよ。
20系は蚕棚とか言われてて、印象良くないから乗車しなかった様な記憶がある
もったいないなw鉄道博物館に保存してある、ナハネフ221が車内公開しないかな。
あとは田舎の旅館だかホテルに20系が確か宿泊施設としてあったな。
なんせ寝台幅52cmだもんねw現在では考えられん幅だな。 20系は結構な回数乗ったけど、振り返ってみれば、全てハネだったんだよな。
さすがに東海道ブルトレの花形だった時代はまだ子供で、
辛うじて大学時代に「あさかぜ」が数両個室を連結して残っていた時代だ。
乗車した多くは急行に転用されてからなので、ハネばかりだったのは仕方ないことだけど、残念だね。
でも、寝台は狭くても寝てしまえば気にならないし、静かだったのでよく眠れた。
「ホリデーパル」は多客臨ではほとんど運用されなかったはずで、記憶しているのは「博多山笠」として、
広島−博多に夜行で運転された時くらいか。
これに乗りに行ったことがあるが、寝台の1区画が全面フラットになって楽だったよね。 >>218
プルマン式のような感じで下段の間が埋めてあった 対面の客とはダブルベッド状態で同衾?何かやらしいな。
上中段はそのまま? そうだな。まあ普段は団体用だから、特に爺婆にはその方が喜ばれたんだろう。
寝台のモケットの色がオレンジ色に替えられて、なんか安ぽく見えたよ。
そういえば、開放寝台では、たまにカーテンの端を向かい側の寝台に引っ掛けて、
通路から“目隠し”している客がいたな。 ホリパルは何であんなおかしな色だったのだろう?
白系じゃ汚れ目立つだろうに、あれじゃブルートレインじゃ無く、
ホワイトトレインだなw
きたぐに用の583系もどちらかと言えば明かるい色だから汚れ目立つんだよなあw >20系は蚕棚とか言われてて、印象良くないから乗車しなかった様な記憶がある
実際狭かったよ。中段だったけど寝返りもできなかった。壁側のひっかけるところに
ハンガーにかけていたズボンが、朝起きたら下に落ちていた。
>>214
晩年のGWに走ったのならば偶然写真持ってます。ED751002牽引、HMなし。
14系座・テールには「ゆうづる(YUZURU)」の文字幕入ってました。
上野23:30頃→仙台で朝5時頃→青森11時前の到着だったかと。
仙台から、当時の急行としては有数の俊足を誇っていた「くりこま1号」
(仙台7:00→青森11:49or11:58・455系6連)が猛烈に追い上げていたかと。 続きレスごめん。
当時個人的には、多客臨の9021レ「はつかり51号」をマークしてました。
(上野11:06→仙台15:46-48→青森20:53着・EF651000・黒磯からED751000
(最後まで残ったED751000番台・高速仕様限定運用))
運転翌日には、「十和田52・54号」か、「八甲田54・56号」のいずれかが
必ずで設定され、尾久までのんびりと客車返却。
青森7:17→盛岡10:30→石越13:09→仙台14:17〜31(仙台は上り本線発着)、
→上野20:06頃(東北周り)か、21:04位(常磐回り)。
基本編成が長く、福島or郡山での併合なし。(併合有る時は14系は入らず)
>>225
くりこま1号は俊足だよねえ、仙台〜青森間をなんせ4時間47分と急行列車
最速日本一だもんw
鉄道博物館に屋内展示保存してある455系はアコモが晩年のままなんだよなw
車端部分のシートがロングシートのままだし、シートモケットも晩年交換された
変な色だしw
あれはちと頂けないな、隣の181系はきちんとバックミラーまで再現してるんだから
455系も気合入れて、当時の姿に戻して欲しい。
シートなら野外に置いてある晩年の457系があるから、
それとロング部分交換して、モケットはブルーのを貼り直して欲しいな。 >>226
ん?「はつかり51号」は宇都宮のEF58だよ、EF65PF{宇}は「つばさ51号」だと思われ
当時の俺の写真が手元にあったから間違いないと思うよ。 >>227
自由席連結にともない、若干スピードダウンしたくりこま1号に
盛岡から八戸まで乗った。たまたあ運転手が後部スクリーン開けて
くれ、運転かぶりつきで見せてくれた。速度計殆ど100キロのまま
だった。
昔の全車指定・座席定員性の時代ならば、特認で110キロのままで
爆走していたんだろうけどね。
無人駅とかも容赦なくフルノッチ→100キロチョイ超えノッチオフ
の繰り返し。
通過駅の、金田一、斗米、苫米地あたりは、目いっぱい100キロで
通過していた記憶がある。
とにかくノッちオフで、惰性で運転する区間が殆どなかったのには
本当に驚いたよ。
107.9キロ・あっという間の1時間20分あまりだった。 >>226
チョイ前の、9031レ時代の時はEF58だったと思うが、53-10か、
55-10以降に設定された9021レの時はEF65PFだったかと。
確認してみて。明らかに、ダイヤの根幹となる速度種別自体が
違ってたから。 >>225-226
情報サンクス、うちの模型にHMつけるかどうか迷ってたんで助かった。
常磐線経由の返却にはおいらせなんて名前もついていたような。 >>225-226
情報サンクス、うちの模型にHMつけるかどうか迷ってたんで助かった。
常磐線経由の返却にはおいらせなんて名前もついていたような。 >>232
「おいらせ」名乗ったこともあったけど、たしか夜間の設定だったかも。
この場合は「はつかり」絡みの返却にはならなかったような…。 当時の国鉄は、51号以外の番号の列番しかないの?
晩年はくつる81号とかあったよね?
あと北斗星81号もこれらはJRになってから?
もしかして国鉄は頑なに51号だったのかな? >>234
毎日運転の臨時列車という71号〜というのがあったような・・・・ >>234
国鉄部内で臨時列車と分かりやすくしたのが理由。1978年10月改正から上り列車は当然52号から。
81号からになったのは86年11月国鉄最後のダイヤ改正から。
雷鳥とかエル特急の数が増えすぎて、51号では定期列車と混同するようになったから。 快速で60番台ってなかったっけ?
小浜線の夏臨だったかな 小浜線や宮津線の多客臨は、急行は50番台、快速は60番台と分かれていた。
「おばまビーチ」「わかさビーチ」「はしだてビーチ」「わかさ」「はしだて」なんかがあった。
臨時が80番台になってからも、快速は90番台にして区別していた。
西舞鶴、綾部などで分割・併合していたが、綾部−京都は各駅で通過待ちや交換待ちの運転停車ばかりで、
この区間の普通列車より時間がかかっていた。
そんな訳で、いつも乗客からはブーイングの嵐だったな。 >>236
d国鉄時代から81号ってあったんだね、もうかれこれ
24年前だもんね、記憶が曖昧に成るな。 新宿ー上諏訪間の急行「たてしな51・52号」。
西ミツの115系8連を堂々と使用。 >>236
そのトリガー引いたのは雷鳥じゃなく、
有明かひたちのうちどちらかだったと記憶してるが。 >>240
あれ「たてしな51号って167系だったよね?
なんか修学旅行色が(スカ色じゃ無く)入ってたから167系かと。 >>243
へえこんなにバリエーションがあったのか、現在乗車したら飽きないね。 銀河51号はたしか14系の座席急行であると解されるが、真夜中の静岡駅停車中に、なぜか駅弁が売っていたのを記憶しておる。あんな夜中に結構売れるんだよな >>245
静岡の幕の内は345Mでお世話になったが温かくて焼き魚が関東主力の鮭ではなくて鯖じゃなかった?
こいつは俺の中で今まで食った駅弁のなかで美味さベスト3に入ると思っているが…。
銀河の座席ならノリしてた時に「花の木・金号」の折り返し東京とんぼ返りで浜松から乗ったなぁ…。
首都圏で岡山電車区(岡オカ)のクルマに乗ってるってだけでハアハアしたぞいw
しかしそん時は80番台の82号にもうなっちょったかもしらん。 そう言えば銀河51、52号の指定席って6両+6両で半分が満席で半分が開店休業なんて状態の
売り方してなかったっけ? >248
そうだったかも。俺の乗ったとき他に誰も居なくて、車掌さんがびっくりしていた。
大阪寄りには適当に乗っていたのに。 >>248
駅で切符を買うときに、東京方12号車を指定したら、
窓口氏に「団体客が乗ってきても知らんで。」
なんて言われたけど。
実際は、1両貸切状態で京都から東京まで乗った。 「銀河51〈81〉号」はよく利用したが、末期は前の車両満席、後ろの車両空車というのが常態化していた。
そこで、いつも最寄りの小田原から乗って、誰も乗っていない後ろの車両に移動してボックスにして寝ていたよ。
「団体が乗って来るかもしれませんよ」と車掌に言われたが、実際に深夜時間帯に団体の利用は一度もなかった。
しかしある日、いつものように後ろの誰も乗っていない車両に移動していたら、検札に来た車掌に席に戻れと強要された。
「乗って来たら戻る」と言っても、頑として戻れと言う車掌と怒鳴り合いになった。
決まった席に座れというのは確かにルールだが、こういうアンバランスな状態を不自然と思わないで、
自分たちは最後方でボックスにして寛いでいる姿にキレた。
帰宅後、受け持ちの大阪車掌区に、その件と乗客を“テメエ呼ばわり”した車掌を抗議したら、
後日車掌区長自ら、陳謝の電話があった。
そんな事があってから、その後は使わなくなった。列車自体も、徐々に短くなり、程なく消えてしまった。 1両丸ごと車掌室にしてくつろいでたんですね、
一般客に来られるのが迷惑だったんでしょうね。 臨時列車では、3番4番のボックスが知らない人同士で満席で、他は誰も乗ってない…
ということがよくあった。
また、他がほぼ満席なのに5番ボックスだけ誰も来なかった…。
そう、急行型では、大体ここが調整席だったんだな。
はじめから、この席目当てに座ったもんだ。 昔の亜幹線急行の「51号」「71号」って、列車交換を、
運転停車扱いにせずに「客扱い」してた列車って多いね。
昭和45年8月時刻表の山陰本線
下りの・・・
だいせん54号の宝木(普通列車)下北条(普通列車?来屋(普通列車)
但馬51号の国府(急行白兎)、だいせん51号の国府(特急やくも)
他にも探せばぼろぼろ出て来る。需要はあったんだろうか。
まぁ、停車するとなれば乗降はあるだろうけど。 >>257
当時としてはそれが当たり前
客車のドア手動だから
運転停車にしても普通に乗降可能になっちまうんだから意味無い >>258
これって気動車列車ばっかりなんだけど、どない説明するんよ? >>259
http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/oldexp/daisen.htm >>256
国鉄時代は指定席は3番から埋めていき、最後に1,2番の順序と植村さんの記事に
あった。
その理屈でならお主の書き込みの通りの埋まり方だな。
あと、横1列そっくり空いていれば調整用の席だと思っていいと事だった。
中央本線の165系臨時「アルプス」では指定席がほぼ満席、G車と自由席がガラガラ
なんてアンバランスもあった。指定2両、G車2両、自由8両のバランスもあると
思うが臨時でのイレギュラかも知れん。
指定席の決まり方だが国鉄時代の12両「あずさ」では4,5号車がほぼ満席。G車を
はさんですいていれば8号車以降、混雑によっては10号車以降が空車なのをよく
見かけた。よって10号車を号車指定で指定券をよく購入した。4号車から埋めて
いたようだな。
>>251
何日前に購入したかわからんが団体の場合は半年前?から発売なのでかなり早い
時期に埋まるからな。
当時の指定券は何番だったかはわからんが発車寸前で3Aだったらその号車は誰にも
売られていない場合が多い。
現在なら自動券売機で号車、席が選べるのでこんな事はないけどね。 九州ブルトレはどうして「あさかぜ51号」しか無かったのだろう?
はやぶさ51号とか富士51号さくら51号みずほ51号霧島51号なんてあったら
乗車してたろうと思うよ、夏休みこれらの(51号付かないやつね)列車の寝台券を購入しようとしても
全て満席、仕方なく新幹線+昼行特急や急行に乗らざるをえなかった。
東京から行く場合だと、乗り換えなしで行けるから楽だったし、九州から行く場合も
同じだけど、まだ山陽新幹線が開業してまもない、昭和50年代の話。 臨時列車を走らせるほどの車両がありませんでした。
東京−九州を連日運転するには博多でも2編成、鹿児島、宮崎ともなれば3編成必要です。
さすがに固定編成の20系や14系には、そこまでの余裕はありませんでした。
あと理由があるとすれば、ダイヤ上の制約や“看板列車”というブランドイメージもあったでしょうね。 >>252
“経験則”だから根拠はわからないが、発車直前に購入した席が3Aだからその車両は空車…
というのは、一概には言えない。
もちろん、そういう経験もあったが、誰かが指定券をキャンセルした場合、
その直後にその列車の指定券を購入すると、結構な割合でそのキャンセルされた席が出ることが多い。
だから、例えば3Aとか4Aとかが発券されても、乗ってみたら周りはいっぱい…
ということはよくある。
指定券が売れてないのに、売れた席が固まった中の席だったりね。
ついでながら、在来線特急のグリーン車などでは、前後の人に気兼ねないように〈?〉、
千鳥的に指定券が発券されていたケースもあった。 やはりブルートレイン、寝台特急と言う看板に重きを置いたんだと思います。
まぁ車両云々の前に、人員確保と言う現実的問題もあったんでしょうけどね。
しかし、山陽線や東北線昼行特急の全盛期って、
どうやって臨時列車の食堂
車要員を確保してたんでしょうか。
その都度パートを募集してたんかな? >>266
学生アルバイトもいた筈。
主流は従業員の勤務サイクルを、繁忙期用に回転を多くさせたのだろう。
今でも観光・サービス業関係はかき入れ時に忙しくさせて、閑散期は比較的多く
有給を取らせる。
>>266
そうかもしれないですね、車両は大阪万博が丁度終わった後だったので
12系や、14系が大量にあっただろうし、あさかぜ51号は最後まで20系
寝台車でしたね、あれは登場時の「走るホテル」の名前に拘わったのかな?
まあ究極寝台で無くてもいいので銀河51号の様に、
明星51号なら、名古屋〜西鹿児島を14系座席車で運転されてましたよ。
それってEF65一般色にヘッドマーク付きの金星51号? >>268
あさかぜ51号は比較的新しい20系の有効活用だろう。
東京口初の二段式B寝台もあさかぜ51号だったけど、昭和53年10月改正後からは20系に逆戻り。 >>271
その改正で北陸・北星が20系→14系化、あかつき・日本海用14系広域運用解消などが絡んでるような。
またその改正から臨時客車急行の冷房化率がかなり上がった。
12・14系の有効活用だろうが、定期急行もその改正で津軽の座席車が12系化。翌年十和田1往復・八甲田が12系化されたな。 >>263
RFの201号に昭和46年末のあさかぜ51号設定時についての記載があった
>東海道線のちょう密するダイヤに、なぜ運転できたがその種を明かせば、
>特急貨物列車はとかく年末・年始に運休するため、その時刻をうまく活用して計画したことにより〜
(原文ママ)
ダイヤ的にも臨時列車を運転するのは厳しかったみたい >>258
上野に荷扱い停車した品川始発の津軽、八甲田は時刻表では通過になってたはずだが? そういえば、臨時列車で荷物車両や郵便車両を連結していた例ってあったかな?
記憶の中ではないようなんだが。
“ブルトレのカニ24があったじゃないか…”っていうのは無しだよ! >>275
どうだろうなぁ…、ブルトレ便って会社関係が多いべぇ?
臨時が出る行楽、帰省シーズンて休みの会社が多いから逆に荷物少ないからブルトレ便は臨時では
荷扱いしなかったんじゃない?
一方、年末やお盆の時期は今で言う宅配の荷物的な物も増えるから、臨時列車で荷扱いしていた
可能性はあるんじゃないかぁ? 臨時格下げ後も暫く残った八甲田の「MOTOトレイン」のマニ50も反則ですよね? カートレインもだめかな?
あれオール20系A寝台だよA寝台!ブルマン式のA寝台なんて20系が
現役時代高値の花だった、それがマイカー付きで目的地まで運んでくれるんだから
最高だったな、カートレインは何かとお得な車両だったよ、
カートレイン北海道は上記の記載通り、カートレイン名古屋なんて
ユーロライナー連結だよ。しかもスニ44なんかカラーリングも合わせた
特別塗装、あれ東海博物館に保存してないんだよねえ、
東海はJT1両も保存されずに解体orz カートレインはワキ10000連結のやつしか記憶にないw
最後の混合列車? >>279
車両としては混合列車っぽいけど
荷物扱いだよね 14系の「しおじ51号」や「つばさ51号」とかに
グリーン車や食堂車が付いてたらどうなってたやろうか。 「しおじ」はともかく、「つばさ」には欲しがったよね。
もう食堂車自体が衰退化していたので、固定編成を使用した臨時列車や、
「夢空間」以外の食堂車営業は皆無だったと思うが、団体列車なら稀に食堂車連結はあったと思う。
「トワイライトEXP」デビュー前の食堂車御披露目ツアーだったり、
14系座席車12両に食堂車を連結した例も、東京−大阪でリバイバルした「つばめ」「はと」がある。 食堂車は寝台列車用があったとして、グリーンを連結しようと考えたら、どうなったのかな?
オロネ14を座席のまま使用とか……? 昭和40年代の夏臨でオロネ10をグリーン扱いしたケースがあったような >>284
それって583系のハをG車扱いしているようなものじゃないか? A寝台の定員どおり、つまり1ボックスに2人ではないかと