臨時列車[急行]懐かしの51号[特急]を語るスレ
20系あさかぜ51号、14系ハザ銀河51・52号、
つばさ51号、はつかり51号、ひばり51号、
EC・PC問わず、臨時列車の50番台列車について語るスレです
銀河51・52号は特急の車輌にもかかわらず、急行料金で乗れる
お得な列車でしたね、(R51シートのギッコンバッタンシートは
別として)。
大いに語りましょう。 100の位って同系統列車で車種を分けた場合、使命を特化させて名称を分けた場合に用いる事が
多いのかなぁ。そのために順番に振られた号数の中に分ける必要がある列車には“100をプラスする”とか
“0号台、100号台で分けた列車群毎に号数を順番に振る”とかして用いてますよね。
古くは2つの名称しかないが行先や停車パターンが複数ある新幹線とかね…。
件の2006年の時刻表で“あずさ”を見てみたら、朝の臨時を50号台から始めないと夕方以降の
臨時が90号台に収まらないから…っぽいね。恐らく影スジで何本も
隠れていて、隠れている列車にも号数を順番に振ってあるから更なる号数のインフレが起きない
ように50号台からスタートさせている…んだと思う。つかそれしかないんじゃんw 件の「あずさ」の件、当時の時刻表を見ると、臨時は50番台から始まるものと、70番台から始まるものがある。
よく見ると、同じ臨時列車でも50番台は比較的運転日の多いタイプ、
70番台は特定の日に運転するタイプに分けられているようだ。
列車番号も前者は8000番台、後者は9000番台に区別されている。
いずれにしても、列車本数の多い「あずさ」だけの、特例的な号数の付け方になっているようだ。 やはり撮影するのなら踊り子51号だな。
EF5861+14系ハザの長大編成には萌えたよ。
だかPFと共通運用だったから、PF撮る人当時はほとんどいなかったな。
大井町の跨線橋前の撮影地が、この列車撮影で京浜何度も停めたやついたから
撮影禁止になったんだよな。 1986年11月改正で、ひたちと有明が増発されて50号台に到達したので、臨時列車が
80号台になった。 現在残っているムーンライトは信州のみ80番台がついているのは何故? >>156
別のスレより転載
47: ちょっと待った 2011/01/30(日) 18:37:50 tlTJ9H2y
ハザ→(旧三等〜二等)普通車指定席
※車両の種類を分けるのではなく、本来は旅客営業上の用語
「14系ハザ」とかの言い方は営業上の用語を車種区別の用語に重ねていておかしいし、指定席と定義づけられてしまう(「踊り子」には自由席あり)
よくある不適切な言い方であり、部内の人間でさえ誤用する者もいたが、正式な部内の達示などでは「14系ハザ」のようなおかしな表現は使われていない
ザとつけば「座席指定」の意味が付加されることにも注意しなければならない(自由席の場合は、単に「ハ」「ロ」として区別される)
一部の局で、客車列車の部内営業むけ編成表に、「ハ」「ハザ」「ロザ」等を区別していたものがあった
たとえば、問題のレスに関しては、「14系ハ・ハフ」というのが、部内でもよく使われていた適切な言い方といえよう >>159
一応83号のスジも残ってるからだろう。 列車名の付番関連で書くけど、
在来(臨時)列車名で100番台が出たのは昭和63年か平成元年あたりの
「雷鳥100号」だったとおもうんだけど合ってる?
当時、結構話題になった記憶があるし
自分も切符に残したくてわざわざ乗りに行った。
(踊り子は当時まだ100番台じゃなかったのかな?) 1998年の手元の時刻表によると、踊り子は195号まであるよ。
あずさは97号までだね、それに比べかいじは何と184号までも
あるぞw
ビューかいじなんか193号まであるぞ、凄いインフレw 昭和63年は1988年ですよ
最初から関連話題だったなら失礼 インフレ号数といえば、日光きぬがわ系直通特急の臨時のが最近増してきたけど
どういった目的でする必要があるんだろうか? 「あおもり」って大阪〜青森を結ぶ、20系だった
臨時日本海の格下げ列車なので,どうも東北線とは
似合わない気がするのは俺だけか?
踊り子は一時期派生バージョンがたくさんあったよね。
モントレー踊り子とか。 >>169
あったねぇ、東京5方面中で延長も含めて設定がなかったのは中央筋と常磐筋ぐらいだったんじゃない? >>170
>東京5方面中で延長も含めて設定がなかったのは中央筋と常磐筋ぐらいだったんじゃない?
これ物凄いことのように聞こえるけどさ
東海道筋除いて4方面だろ?
そのうち2方面に直通しただけじゃん
2方面なら湘南日光、常磐伊豆の時代に既に達成してる モントレーは165系だよね?
確かモントレー色の165系があったはず。 踊り子はリゾート21で立川始発の南武線で中央線アクセスも成就いたすますたw
めでたしめでたし……。 >>174
それいったら最初から東京駅で達成しております >>3
>料金100円引き12系特急「しおじ」61・62号も
料金100円引き12系特急、最低! とはいえ、とりあえずダイヤは「特急」のスジで走ってくれた(客車故のハンディーはあるが)。
座席はいかんともし難いが、逆に多客期でも比較的空いていて、
超満員の定期特急よりむしろ寛いで行けるメリットもあった。
当時は「冷房」が特急車両の特別な設備でもあり、そういう意味でも新製冷房車の12系は、
座席以外は特急の条件を満たしていたということだ。
現在の、そこそこ座席は良くても、通過駅より停車駅の方が多い特急、
普通列車と大して変わらない速さの特急の方がぼったくりに見えないか? ハンディーっていう言い方は今流行ってたりするのか? はぁんでいぃぃぃぃ〜〜〜
・・・あんまり聞いたことないなあ >>180
やだ、おじいちゃん、ももひきかぶって何してるの? CMで、ハンディーカムという単語を連呼したのがあったな・・・。 みんな障害者だろw
何故かと言うとQ英語で障害を何と言うか? ハンディー
http://eow.alc.co.jp/handy/UTF-8/?ref=wl
変化形 : handier , handiest
イディオムやフレーズ : come in handy
? handy 【形】
1. 役に立つ、便利{べんり}な、重宝{ちょうほう}な、扱いやすい
2. 器用{きよう}な、上手な、見事{みごと}な
3. 手元{てもと}にある、近くにある、すぐ手が届く?・The shop is handy. You don't need a car. : その店は近くだから車はいらないよ。
? レベル3、発音h?'ndi、カナハンディー、変化《形》handier | handiest、分節hand・y
? Handy 【人名】
? ハンディ、ハンディー
?
? handy around the house 家事{かじ}のやりくりがうまい
? handy booklet 《a 〜》役に立つガイドブック
? handy calculator 携帯型計算機{けいたい がた けいさんき}
? Handy Devices Give Jurors Pipeline to World 陪審員が裁判所の外と情報交換できてしまう便利な機器 全文表示
? handy edition ポケット版
? handy extinguisher 簡易消火器{かんい しょうかき}
? handy food for carrying around 携帯食{けいたい しょく}
? handy for snacking 間食{かんしょく}に便利{べんり}な
? handy for the station 《be 〜》駅に[から]近い
? handy guide 《a 〜》重宝{ちょうほう}するガイドブック[案内書{あんないしょ}]
? handy in size 手頃{てごろ}なサイズの http://eow.alc.co.jp/handicap/UTF-8/
変化形 : handicaps , handicapping , handicapped
* handicap
【名】
1. ハンディキャップ、〔身体上{しんたい じょう}・精神上{せいしんじょう}の〕障害{しょうがい}、不利{ふり}な条件{じょうけん}
2. 《碁》手合い{てあい}
3. 《将棋》駒落ち{こまおち}
【他動】
1. 〜を不利{ふり}な立場{たちば}に立たせる、〜にハンディキャップをつける、〜にとってマイナスになる
2. 〈米〉〔スポーツや賭け事などで〕勝者[順位]を予想する
レベル6、発音h?'ndik?`p、カナハンディキャップ、ハンデキャップ、変化《動》handicaps | handicapping | handicapped、分節hand・i・cap
* handicap competition
《ゴルフ》ハンディキャップ戦
* handicap go
《囲碁》置き碁{おき ご}
* handicap hypothesis
ハンディキャップ説
* handicap parking space
《a 〜》障害者用駐車{しょうがいしゃ よう ちゅうしゃ}スペース
* handicap point
《囲碁》星
* handicap recognition
障害認定{しょうがい にんてい}
* handicap shogi
《将棋》駒落ち対局{こまおち たいきょく}
* handicap stones
《囲碁》置き石{おき いし}
* handicap weight
ハンディキャップ重量{じゅうりょう}
* 9-stone handicap game
《囲碁》九子局
* despite handicap
障害{しょうがい}[ハンディキャップ]に負けずに[があるにもかかわらず]
* ELEVATOR HANDICAP ACCESSIBLE
《掲》身体障害者対応エレベーター◆エレベーター・エスカレーター
* emotional handicap
情緒面{じょうちょめん}でのハンディキャップ
・He has emotional handicap that severely limits his abilities to manage his daily activities.
* linguistic handicap
言葉{ことば}のハンディキャップ、言語的{げんごてき}な障害{しょうがい}
* mental handicap
知的障害{ちてき しょうがい}、精神遅滞 あれあれ。知らぬ間に変な流れになってしまったな…。
「ハンディー」ってなってしまったのは、恐らく辞書の選択違いだったんだろうが、
読み返ししないで送ったんで、思わぬ恥をかいてしまった…。
すまんのぉ。
賢い今の日本語変換システムも、時に思わぬ“名訳”?をするもんだな。 つかもうどうでもいいんじゃん ┐(  ̄ー ̄)┌
こんなようなの世の中いくらだってあんじゃん?書いてあるもん読んでればさぁw 別に入試試験じゃあるまいにこだわるなよw
佐渡51号やばんだい51号まつしま51号懐かしいな。
当時455系だったな、佐渡は165だけど >>197
とうとう最近、欽ちゃんだけに成ったな(´・ω・`) >>202
14系ハザ好きだなぁ
夜行ながら昼間も延々と走り続ける列車に憧れた
金星51号に乗れなかったのは悔いに残る
新幹線と乗り継ぎすれば無茶苦茶安い料金で特急オンリーの
東京−鹿児島間移動を実現できるじゃん、と思ってた >>203
ハザと言う表記は使用しちゃいけないそうだよw 「金星52号」に全区間乗りました。14系座席車両に乗った最長記録です。
そこそこ空いていたので、2人分使えたのはラッキーでしたが、長時間乗車は疲れました。
初期の14系座席車両のシートはリクライニングがロックしない“バッタンシート”だったので、
個人的には余り好きではなかったですね。
でも、「銀河51〈81〉号」では、何十回も利用したもんですけどね。 14系座席車は台車だけエアサスくらいだな、後は185系のアコモの方が
上というかあまり変14わらないなw
だから14座席車は早々消えたわけか? 西日本のシュプール&リゾートは、良かったよ。まりものドリームカーも。
「シュプール」用の14系座席車両は、逆にリクライニング“し過ぎ”で、逆に困った。
前の人が思い切り倒すと動くに動けない状態!
後ろに人がいければ最高だったんだけどね。
リクライニングしない485系とか82系特急車両の方がまだ快適に感じたもんだ。 >>205
羨ましい
ブログかなんかでルポをうpしてほしいです
銀河は83号に乗ったな つーかさあ俺30年前の中学の生徒手帳捨てらんないだよな。
理由は全国の鉄道路線網が掲載されてて、廃線が沢山でててさあ
美幸線とか、深名線と懐かしいから。 12系初の臨時列車「音戸51号」は
呉線は、SL牽引だったんだな 房総を一周しない「みさき51号」と「なぎさ51号」。サロ113組み込みの113系1000番台だった。 ゆうづる51号。仙台までは特急格上げ前の十和田と時間大して変わんなかったな。
ヘッドマークが付いてたか記憶にないのが残念。 あさかぜ52号、4号切符とれなくてやむなく乗ったが、はじめての20系体験よかった〜 >>215
ホリデーパルにも乗車出来なく無念な俺が通りますよ。
20系は蚕棚とか言われてて、印象良くないから乗車しなかった様な記憶がある
もったいないなw鉄道博物館に保存してある、ナハネフ221が車内公開しないかな。
あとは田舎の旅館だかホテルに20系が確か宿泊施設としてあったな。
なんせ寝台幅52cmだもんねw現在では考えられん幅だな。 20系は結構な回数乗ったけど、振り返ってみれば、全てハネだったんだよな。
さすがに東海道ブルトレの花形だった時代はまだ子供で、
辛うじて大学時代に「あさかぜ」が数両個室を連結して残っていた時代だ。
乗車した多くは急行に転用されてからなので、ハネばかりだったのは仕方ないことだけど、残念だね。
でも、寝台は狭くても寝てしまえば気にならないし、静かだったのでよく眠れた。
「ホリデーパル」は多客臨ではほとんど運用されなかったはずで、記憶しているのは「博多山笠」として、
広島−博多に夜行で運転された時くらいか。
これに乗りに行ったことがあるが、寝台の1区画が全面フラットになって楽だったよね。 >>218
プルマン式のような感じで下段の間が埋めてあった 対面の客とはダブルベッド状態で同衾?何かやらしいな。
上中段はそのまま? そうだな。まあ普段は団体用だから、特に爺婆にはその方が喜ばれたんだろう。
寝台のモケットの色がオレンジ色に替えられて、なんか安ぽく見えたよ。
そういえば、開放寝台では、たまにカーテンの端を向かい側の寝台に引っ掛けて、
通路から“目隠し”している客がいたな。 ホリパルは何であんなおかしな色だったのだろう?
白系じゃ汚れ目立つだろうに、あれじゃブルートレインじゃ無く、
ホワイトトレインだなw
きたぐに用の583系もどちらかと言えば明かるい色だから汚れ目立つんだよなあw >20系は蚕棚とか言われてて、印象良くないから乗車しなかった様な記憶がある
実際狭かったよ。中段だったけど寝返りもできなかった。壁側のひっかけるところに
ハンガーにかけていたズボンが、朝起きたら下に落ちていた。
>>214
晩年のGWに走ったのならば偶然写真持ってます。ED751002牽引、HMなし。
14系座・テールには「ゆうづる(YUZURU)」の文字幕入ってました。
上野23:30頃→仙台で朝5時頃→青森11時前の到着だったかと。
仙台から、当時の急行としては有数の俊足を誇っていた「くりこま1号」
(仙台7:00→青森11:49or11:58・455系6連)が猛烈に追い上げていたかと。 続きレスごめん。
当時個人的には、多客臨の9021レ「はつかり51号」をマークしてました。
(上野11:06→仙台15:46-48→青森20:53着・EF651000・黒磯からED751000
(最後まで残ったED751000番台・高速仕様限定運用))
運転翌日には、「十和田52・54号」か、「八甲田54・56号」のいずれかが
必ずで設定され、尾久までのんびりと客車返却。
青森7:17→盛岡10:30→石越13:09→仙台14:17〜31(仙台は上り本線発着)、
→上野20:06頃(東北周り)か、21:04位(常磐回り)。
基本編成が長く、福島or郡山での併合なし。(併合有る時は14系は入らず)
>>225
くりこま1号は俊足だよねえ、仙台〜青森間をなんせ4時間47分と急行列車
最速日本一だもんw
鉄道博物館に屋内展示保存してある455系はアコモが晩年のままなんだよなw
車端部分のシートがロングシートのままだし、シートモケットも晩年交換された
変な色だしw
あれはちと頂けないな、隣の181系はきちんとバックミラーまで再現してるんだから
455系も気合入れて、当時の姿に戻して欲しい。
シートなら野外に置いてある晩年の457系があるから、
それとロング部分交換して、モケットはブルーのを貼り直して欲しいな。 >>226
ん?「はつかり51号」は宇都宮のEF58だよ、EF65PF{宇}は「つばさ51号」だと思われ
当時の俺の写真が手元にあったから間違いないと思うよ。 >>227
自由席連結にともない、若干スピードダウンしたくりこま1号に
盛岡から八戸まで乗った。たまたあ運転手が後部スクリーン開けて
くれ、運転かぶりつきで見せてくれた。速度計殆ど100キロのまま
だった。
昔の全車指定・座席定員性の時代ならば、特認で110キロのままで
爆走していたんだろうけどね。
無人駅とかも容赦なくフルノッチ→100キロチョイ超えノッチオフ
の繰り返し。
通過駅の、金田一、斗米、苫米地あたりは、目いっぱい100キロで
通過していた記憶がある。
とにかくノッちオフで、惰性で運転する区間が殆どなかったのには
本当に驚いたよ。
107.9キロ・あっという間の1時間20分あまりだった。 >>226
チョイ前の、9031レ時代の時はEF58だったと思うが、53-10か、
55-10以降に設定された9021レの時はEF65PFだったかと。
確認してみて。明らかに、ダイヤの根幹となる速度種別自体が
違ってたから。 >>225-226
情報サンクス、うちの模型にHMつけるかどうか迷ってたんで助かった。
常磐線経由の返却にはおいらせなんて名前もついていたような。 >>225-226
情報サンクス、うちの模型にHMつけるかどうか迷ってたんで助かった。
常磐線経由の返却にはおいらせなんて名前もついていたような。 >>232
「おいらせ」名乗ったこともあったけど、たしか夜間の設定だったかも。
この場合は「はつかり」絡みの返却にはならなかったような…。 当時の国鉄は、51号以外の番号の列番しかないの?
晩年はくつる81号とかあったよね?
あと北斗星81号もこれらはJRになってから?
もしかして国鉄は頑なに51号だったのかな? >>234
毎日運転の臨時列車という71号〜というのがあったような・・・・ >>234
国鉄部内で臨時列車と分かりやすくしたのが理由。1978年10月改正から上り列車は当然52号から。
81号からになったのは86年11月国鉄最後のダイヤ改正から。
雷鳥とかエル特急の数が増えすぎて、51号では定期列車と混同するようになったから。 快速で60番台ってなかったっけ?
小浜線の夏臨だったかな 小浜線や宮津線の多客臨は、急行は50番台、快速は60番台と分かれていた。
「おばまビーチ」「わかさビーチ」「はしだてビーチ」「わかさ」「はしだて」なんかがあった。
臨時が80番台になってからも、快速は90番台にして区別していた。
西舞鶴、綾部などで分割・併合していたが、綾部−京都は各駅で通過待ちや交換待ちの運転停車ばかりで、
この区間の普通列車より時間がかかっていた。
そんな訳で、いつも乗客からはブーイングの嵐だったな。 >>236
d国鉄時代から81号ってあったんだね、もうかれこれ
24年前だもんね、記憶が曖昧に成るな。 新宿ー上諏訪間の急行「たてしな51・52号」。
西ミツの115系8連を堂々と使用。 >>236
そのトリガー引いたのは雷鳥じゃなく、
有明かひたちのうちどちらかだったと記憶してるが。 >>240
あれ「たてしな51号って167系だったよね?
なんか修学旅行色が(スカ色じゃ無く)入ってたから167系かと。 >>243
へえこんなにバリエーションがあったのか、現在乗車したら飽きないね。 銀河51号はたしか14系の座席急行であると解されるが、真夜中の静岡駅停車中に、なぜか駅弁が売っていたのを記憶しておる。あんな夜中に結構売れるんだよな >>245
静岡の幕の内は345Mでお世話になったが温かくて焼き魚が関東主力の鮭ではなくて鯖じゃなかった?
こいつは俺の中で今まで食った駅弁のなかで美味さベスト3に入ると思っているが…。
銀河の座席ならノリしてた時に「花の木・金号」の折り返し東京とんぼ返りで浜松から乗ったなぁ…。
首都圏で岡山電車区(岡オカ)のクルマに乗ってるってだけでハアハアしたぞいw
しかしそん時は80番台の82号にもうなっちょったかもしらん。 そう言えば銀河51、52号の指定席って6両+6両で半分が満席で半分が開店休業なんて状態の
売り方してなかったっけ? >248
そうだったかも。俺の乗ったとき他に誰も居なくて、車掌さんがびっくりしていた。
大阪寄りには適当に乗っていたのに。 >>248
駅で切符を買うときに、東京方12号車を指定したら、
窓口氏に「団体客が乗ってきても知らんで。」
なんて言われたけど。
実際は、1両貸切状態で京都から東京まで乗った。 「銀河51〈81〉号」はよく利用したが、末期は前の車両満席、後ろの車両空車というのが常態化していた。
そこで、いつも最寄りの小田原から乗って、誰も乗っていない後ろの車両に移動してボックスにして寝ていたよ。
「団体が乗って来るかもしれませんよ」と車掌に言われたが、実際に深夜時間帯に団体の利用は一度もなかった。
しかしある日、いつものように後ろの誰も乗っていない車両に移動していたら、検札に来た車掌に席に戻れと強要された。
「乗って来たら戻る」と言っても、頑として戻れと言う車掌と怒鳴り合いになった。
決まった席に座れというのは確かにルールだが、こういうアンバランスな状態を不自然と思わないで、
自分たちは最後方でボックスにして寛いでいる姿にキレた。
帰宅後、受け持ちの大阪車掌区に、その件と乗客を“テメエ呼ばわり”した車掌を抗議したら、
後日車掌区長自ら、陳謝の電話があった。
そんな事があってから、その後は使わなくなった。列車自体も、徐々に短くなり、程なく消えてしまった。 1両丸ごと車掌室にしてくつろいでたんですね、
一般客に来られるのが迷惑だったんでしょうね。