臨時列車[急行]懐かしの51号[特急]を語るスレ
20系あさかぜ51号、14系ハザ銀河51・52号、
つばさ51号、はつかり51号、ひばり51号、
EC・PC問わず、臨時列車の50番台列車について語るスレです
銀河51・52号は特急の車輌にもかかわらず、急行料金で乗れる
お得な列車でしたね、(R51シートのギッコンバッタンシートは
別として)。
大いに語りましょう。 当然あさかぜ52号、つばさ52・はつかり52・ひばり52号
も存在しました。 料金100円引き12系特急「しおじ」61・62号も そう言えば明星51号、彗星51号、あかつき51号もあった様な気がする?。 踊り子55号ありましたねえ。
当時EF5861牽引の時は熱く燃えましたな。
EF65PFとEF58ではあまり乗っててもわりませんが、
EF5893や160号機も兼任していましたね。
踊り子には99号なんて言うのもありましたよ。 >>5
昭和58年11月号の時刻表だと
有明60号
但馬57号
丹後62号
能登路61号
ざおう62号
ときわ61号
佐渡59号
すずらん62号
なんてのが載ってるよ 鉄ヲタ同士で飲み会に行く時とか、お約束で51号って表現を使っていたよね。
肉じゃが追加オーダーで肉じゃが51号とか。 帰省や行楽ラッシュの逆方向、回送がてらの臨時列車の貸切状態がなんと気分のよかったことかd=(^o^)=b
ま、そんな臨時列車は決まって次の年は時刻表からアボソされてるがw 北近畿の臨時列車は、「わかさビーチ」「はしだてビーチ」「丹後ビーチ」「わかさ」「丹後」など、
急行が50番台、快速が60番台と区別されていた。
「あかつき」「つばさ」の12系使用による100円引き特急や、
「しおじ」なんかの、比較的恒常的に運転する70番台特急なんかも懐かしいなぁ。 >>9
115系じゃ無かったか?茅野から上諏訪まで3扉の急行電車に乗せられた
経験がある。
>>13
「しおじ」の臨特がEF65PF+14系時代に三ノ宮→倉敷間乗車した。PCは
静かで良かった。 583系あけぼの51号また臨時で運転してほしいな。
あけぼの51号の583系絵入りマークが好きでした。 急行「桜島51号」下り、東京→西鹿児島 上り西鹿児島→品川 をお忘れなく。
品川は今でこそ新幹線が停まる駅で有名になったが、昭和50年ころでは九州の人には品川が
何処にあるのか分らなかったろうね。 西武で秩父51号むさし51号なんて言うのもありましたな。
もちろん5000系で。 あさかぜ51/2号は晩年こそモノクラス20系で急行の銀河にも劣った編成だったが、そのち
ょっと前は25型100番台の試用列車、その翌年はカニ24-100の試用列車と東京発寝台特急
世代交代のパイロット的存在だった。
はやぶさ、富士、出雲そして定期のあさかぜ2, 3号、続いて1,4号
まで無事二段ハネ化され自らはセコハンの20系モノクラスになったとき東京発二段ハネの
パイロットという大役を終えたように感じた。
「たてしな51号」かどうかわからなかったが、昭和50年頃に昼行で客車急行列車(旧客)に乗った覚えがあります。 はくたか・やまびこ・あさまの50番台なんてもありましたね。
>>21
無いのもあるよ、みずほ、さくら、富士、はやぶさ、瀬戸、出雲、紀伊
いなば、安芸、これらは51号は無いかとおもわれ?。 はくたかや有明の51号は間合い運用の夜行だったような記憶がある。 銀河のように本家に1号、2号がない時期に51号が存在していた列車ってほかにあるかな?
金星があったっけ?うろ覚え。 >>24
新幹線開業前のはくつるには14系座席車使用の51号があったな
みちのくにも昭和47年か48年に485系使用の51号があったはず 76年12月号の時刻表より
>>24の例
・京都発米子行き急行白兎52号(51号の設定はない)
・博多発平戸口行き急行平戸51号
・大阪発新潟行き急行越後51号
・上野発福井行き急行越前51号 他多数
定期または無番列車ないのに51号を冠した例。
・名古屋発青森行き急行あおもり51号
・名古屋発宮崎行き急行高千穂51号(長崎行き急行五島併結)
・大阪発西鹿児島行き急行屋久島51号
急行もあるが同一区間を快速として60番台を付けられた例
・岡山発米子行き快速伯備61・62号(逆区間の設定もあり) >>19
俺は「ばんだい51号」、確か昭和48年頃の夏休みだったか
もちろん旧客編成でその中でも一番古い内装が木の客車を選んで、親にあきれられたもんだ。
形式はオハ35とあって、それ以来ガキのくせにオハ35が大のお気に入りだったな。
長い停車時間に機関車見に行ったらフィルターが「田」の字になっている赤い機関車だった。
磐越西線に入って小さな駅でやたら長時間とまっているなーと思ったら、向こうの山肌を気動車急行が
走り抜けていった。「あんなところに列車が」と思う間もなく、乗っていた列車がバックしたのには驚いた。
これが初めてのスイッチバック経験だった。 初めて山陰に行った時に使ったのが「しおじ71号」、帰りが伯備線経由で夜行の新大阪行き「おき52号」、
初めての九州は「あかつき51号」(12系の100円引き特急)、
そして初めて北海道に渡って道内最初の列車が、“夜行”の「北海51号」だった。
その後も、関西への定番列車は「銀河51号」で20回以上乗った。
自分の旅の中で「51号」は欠かせない存在だった。 急行アルプス51号良く乗りました、
当時飯田町客貨車区持ちのオハ47等オールプルーの客車に
山男、甲府機関区所属のEF64でした、
新宿駅西口で黄色い無料のヨドバシ新聞を沢山貰い、それをホームに敷いて
大学の仲間とわいわい空席取り待ちました。
1977〜8年当時だと思われます。
あれからもう30年以上時は流れ、客貨車区は廃止されましたが、
EF64は高崎にまだいるので嬉しい限りです。 >>24
臨時特急『金星』51号ありました。
何故か(?)定期列車と運行区間が異なって名古屋〜西鹿児島間の設定でした。
信州51号もあったのですが、169系か12系かを失念してしましました。
どなたかフォローお願いします。 >>23
はくたか51号は現在は能登と同じようなもの。 東武でも休日下りの“りょうもう51号”なんつぅのがあった。
昭和40年代中期の「特急○○51号」、しかも季節列車の6000・7000番台やなしに、
臨時列車の8000番台の列車に、夜行でもない限り食堂車マークがついてたのがすごい。
上野ー酒田間の鳥海51,52号。
当時小学生だった俺にとって新津から初めて見るSLの牽引で思わぬサプライズに
大感激だった。