印象としては車窓も鉄道以外生活の臭いがないに等しかったが

昭和52,53年3月に尾岱沼YHに行く際に乗ったが、YHで一緒だった仲間たちと
車内での会話が弾んであっという間に終着だった。男2、女2だったので住所
を交換して数ヵ月後に都内でそのメンバーが再会したっけ。
彼らは今、どうしているかな。

時期的に観光名所に突っ立っていてもせいぜい1時間程度なので移動そのもの
が楽しみだったし、単なる移動ではなかった。
乗った記念に車内補充券を購入したが**車掌区とかでなく、中標津駅乗務員
発行と印刷されていた。