標津線を語る
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1989年に廃止された北海道・道東の長大路線を地味に語るスレッドです。 根室標津駅前通りが寂しかったな
まっすぐ歩くとすぐオホーツク
なんか激辛ラーメン屋さんがあった記憶が…
皆さん覚えあります?
大昔の事で記憶も定かではありませんが、
標茶で乗り換えた根室標津行きの気動車が、
先頭が半円形(上から見て)で運転手が
自動車のギアの様な長い棒を操作してギアチェンジしていたような・・・
勘違いかな・
西別で降りて尾岱沼にバスで行った時の風景が、
夏だったのに涼しくて荒涼としていた事も。 >>33
それは機械式気動車のキハ07ですね。
名寄線や深名線のは有名だったが、はて釧路にはいたかのう・・・ >>33
レールバスのキハ03が入線していたようですね >>34-35
教えて下さった型式で図表を見たら、
キハ07が記憶に残る形でした。
運転席を後ろから車内で見た形が記憶と一致しました。
見たのは昭和35年頃の話です。
キハ03のレールバスではありませんでした。
その頃北海道在住だった小生は、
砂川から急行「まりも」に乗って、
釧路で釧網線に乗り換え、更に標茶でこのキハ07に乗って
根室標津まで行きました。 >>36
それは貴重なご経験を・・・
釧路には他にもキハ08,09という名物気動車もいましたね 終わりや
死にたい死にたい
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい なんだか知らんけど、そんなことほざき続けてもう3ヵ月だぞ!
いい加減決断したらどうだ?
情けない奴だな。 >>81
死にたいなんて普段から言ってる奴は、まず死ぬ勇気は無い、
寧ろ長生きする。本当に死にたい奴は、黙ってセルフあぼーん。
しかし、最近は「被害者に面識は無い、死刑になりたいから殺した」
なんて気違いも居るから困ったモノだがorz どうせ死ぬなら旧ソビエト200海里内に入ってから死ね
マジネタ
2005年8月に自殺を考え標津町を訪れた。
結局死にきれずもよりの駐在所に保護を求めた本州人。 みーちゃん、彼氏とホテル行ってから帰ってくるかもしれない 良かった!
みーちゃん、セックスしなかったみたい。
でも来週は彼氏とホテル入っちゃうよね… 近代的というか当時よくあるタイプの駅舎じゃなかったけ バスターミナルとか、電話ボックス、回転台、まだあるの? 70年代ころ?によく作られてた平屋陸屋根だよね
でも駅舎は廃止から直ぐに壊されちゃってないかな? ウィキみたらしばらく残ってたか
列車で行ったのは86年だけ
廃止直後のバイクで行って89年8月に駅舎は見てた 中標津と根室が逆転しつつある昨今の状況を見ると、
標茶ー中標津は残しても良かったのではないかと。 廃止後も根室標津の駅にタラコのキハ22が置いてあったような記憶があるのだが >>109
根室方面廃止のあかつきには、
南千歳ー中標津を中標津本線、滝川ー新得を新得線として再編する、と。 可愛かった、お疲れさま。
今夜一緒に泊まりたかった…抱きたい 今夜も可愛かった。
キスすればよかった…セックスしたい… 1986年6月1日高校時代に友人の結婚式に中標津まで行った。羽田−千歳(ANA55便)−
千歳空港ー釧路(特急おおぞら5号 キハ182−27)釧路ー標茶(キハ24−6)
標茶ー中標津(キハ22−264)
結婚してから15年ぐらいまでは年賀状が毎年来ていたが突然来なくなった。
2013年2月に高校時代の学年の同窓会に私は出席したが、結婚した友人は
行方不明者となりここ10年位の動静は誰も知らない。
亡くなったのか?それとも離婚してしまったのか? 1987の夏に北海道旅行で根室標津まで乗っていった。
根室標津駅の売店でつけていたラジオでちょうど標津線の話題がされており、
そこではじめて廃止になることを知った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています