国鉄湧網線
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昭和62年3月19日を以て廃止。
今、存続していたら「流氷列車ノロッコ号」を走らせて
いたのでは、などと考えてしまう。 初めて北海道に旅行したのが93年。残念ながら間に合わなかった・・・・・・ 鉄道に関して言えば「昔のほうが良かった」となる。特に北海道。 刑務所のイメージが強かったけど、実際に行ってみたら「森と湖と流氷」の
イメージに変わった。 網走駅は淋しいものに変わっていた。
観光案内所は大幅に規模が縮小。
ちょっとした土産物を買えたキオスクもなくなっており、以前はもっと賑やかだったが。
駅前にあったコンビニ(その前は安宿があった)も消えていた。
人口も年々減少傾向にある。札幌1極集中傾向が続いている。
だが、それでも網走は網走である。また、この地を訪れることだろう。 網走でさえこの有り様だから他は推して知るべし
店がなかったら物資の調達もできず暮らして行けない 宮脇俊三氏も大絶賛の絶景路線として記憶しておきたい。 今年の秋は計呂地に泊まる予定
さんご草がみたいけど2週間早いんだよなぁ サロマ湖、能取湖、網走湖と湖に縁が深い路線。網走湖は塩分が薄い。
雨季には崇一郎 海産物美味しいけど
貝類は食べられないんだ、ホモだから (^_^;) 湧網線は自分的に残って欲しかった路線第一位だけど、石北本線の存続すら危うい状況では夢のまた夢だったのだろう
サロマのユースホステルを利用するのに浜佐呂間駅を利用したよ
送迎車がいつも発車時刻ぎりぎりで見学する時間も無かったので、駅についての記憶はほとんど無い 私は「船長の家」という宿がお気に入りですけど、もうとっくに湧網線廃止の後だったんで
残念ながら在りし日の湧網線の姿を知らないまま。ただ、この路線が間違いなく絶景だった
のは想像できます。冬の常呂駅など、是非見たかった。 常呂駅は40歳間近の種村直樹氏が流氷を見て喜びすぎて転倒。掌をケガした場所と
記憶している。 この路線もそうだけど、数々の赤字路線が集中的に廃止されてからもう30年ほど経つんだな
地方都市中心の駅前なども、久しぶりに訪れるとびっくりするほど衰退しているところが多々あって、心が痛む 廃止当日、流氷はすでに消えていた。流氷が見えれば、より劇的だったろうに。 昭和62年は暖冬。名寄本線エリアにも流氷は来なかった筈。 >>123
宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』にも記載があったな
手持ちの74年9月、79年7月の時刻表でも可能。
ただ、80年10月改正で、大雪6号が全区間急行化されたが、それ以降可能か否かは不明 >>128
急行が途中から鈍行に変身するのが、昔は結構あったみたいですね(その逆も)。 なんでloserの将棋ブログあんなに炎上してんの? >>116
湧網線と関係ないけど釧路の寂れっぷりも目を覆うばかり この状況で支那人500万人北海道移住計画があるとは、そら恐ろしい・・ ネトウヨが全員北海道に移住して守ればいいだろ
原野商法に騙されてるだけなのを「中国人が水脈目当てに土地買いあさってる!」と勘違いしてるくらいだもの 卯原内はちょくちょく行ってましたけど、さんご草の季節がなかったのが残念。
しかし素晴らしい景色ですね。 >>148
今、見ましたけど、ホンマ素晴らしい光景ですわ。行くのが大変ですけど、
こういうの見ると網走エリアに住んでみたいと思いますもん。 >>149
良いよね〜
群生地の標識の所が駅だったら
つくづく思う >>86
入場券買った方にホタテ貝の貝殻をペイントした
マスコットをプレゼントしていたんです
来駅証明書と一緒に >>153
計呂地駅前
現在の倍以上の水産加工工場があったので、貝殻の入手は容易だったそう
今の背の低い跨線橋は要らないなぁ 常呂で腹一杯ホタテを食べたことがある。やはりこの地方の特産品。 アサリの味噌汁感覚で、小さな帆立たくさんの味噌汁
大きな帆立はバタ焼きにして、身を食べたら汁にご飯を落としてリゾット! 観光で行くのならいいけど、仕事あるのかね?
役場や農協の職員なればしめたもの、なんだろうけど。農業や漁業の仕事といっても、新人の参入を排除しようとするからなあ リタイアしてから移住するとなると、介護難民必至。田舎は介護労働力不足。移動は車だから、運転できなくなったら在宅死するしかない。 若い頃、常呂で漁師のアルバイトがあるよ、と言われたことがある。 サテライトオフィス
もしくは高級終身介護の保養所を建てれば、家族や若い人たちもくるかな 若者を取り込まないと人口減に拍車がかかるだけだろう。
ただ、都会の生活に疲れた人がこういう地域に旅行すると真逆の世界が新鮮に映る。
旅人転じて住人、というのもあり得るだろう。 >>163
それやって挫折した、移住しようと思ったが現実の厳しさに諦めた、という人が結構いるんだよ 都会人の田舎転出で失敗する例は、田舎過ぎる場所に引っ越してしまうケース。
田舎に免疫がない。住むならば道南当たりのそこそこ便利な所に落ち着くのが
いいんじゃないかと思う。たまに道東あたりへ旅行するというスタンスで。 田舎の人は、意外と都会人を排除しようとするらしいです。
北海道は違うと思いたいですが・・・・・・ 都会人は隣近所にどういう人が住んでいるのか、よく分からない。
そういう点では面倒くさくないとも聞く。 >>153
入場券のオマケは湧別駅でもあったよ(中湧別から出ていた名寄本線の一駅だけの盲腸線)
今じゃ信じられないレベルなんだけど、1日たったの2往復だけなのにれっきとした直営有人駅だった
仕事内容はどんなんだったんだろう
2往復じゃもはや閉塞も要らないレベル 佐呂間町は公共交通の利便性を高くしないと所用客や観光客も来れないからな 今、佐呂間町と湧別町を繋ぐ公共交通が無いのがネック そう言えば少し前に太川と蛭子のバス旅で札幌から網走やってた時に見てたら
湧別から佐呂間方向のバス無いって言われてたけど勇網線転換バス無くなったの? >>169
湧別駅の入場券持ってる(1981年)
せっかくスケジュールを工夫して行ったのに滞在時間が5分くらいしかなかった
宮脇氏のように片道タクシー使えばもっと時間も取れたのだが
大学1年、ティーンエイジャーの自分にはそこまで余裕がなかった 羨ましい話です。乗ったことないですから。
今存続していたら30回は乗った筈ですが。 湧別駅は湧網線ではなく名寄本線
湧網線のイメージが強いのは何故だろう 私の残ってほしかった路線1位だよ
それはこの30年間変わることもなかった
今や石北本線の存続すら怪しくなってしまった
現実は湧網線の存続なんて夢のまた夢だったと思い知る 不便とかいう人に聞くけどさ、一日にそう何本もない国鉄ローカル線って便利だったか?
それ以外にない時代かから選択肢も無かっただけだろ。
そこに暮らす人ならば、自家用車が手放せないのは当たり前だよね?
交通弱者とやらはもっと優れた手段でカバーを考えるべきであって、最も劣る手段である鉄道に期待してはいけない。当然。
必要なのは手段であって、数ある手段の中でも劣る鉄道の出番はどこにもない。
ここを間違えると悪質なクレーマーになると思うよ。 >>180
駅の存在意義は地元住民の寄合でもあるところ
高校生や年寄りが集まることで、ついでの買い物や地域コミュニティが形成されていた。 >>172
結局他の街との行き来がかなり大変になったり
他の街から来る人が来れない事態になって
移動自体を止めてしまうか目的地を別の場所に変える
あってはならない事態になってしまうからな >>184
湧別町には遠軽から中湧別までバス
計呂地などの湧別町内の駅までは町営バス
佐呂間町の駅までは網走からバス
湧別町は救急病院として遠軽へ搬送 スイッチバックの遠軽駅からはあんがいオホーツク海は近い。 廃止時点で有人駅が
計呂地、佐呂間、常呂
簡易委託駅が
芭露、床丹、知来、浜佐呂間、能取、卯原内
他抜けている所ないかな? 常呂駅は行ってみたかったな。廃止になってから数年後、宿泊したことがありますが。
朝からホタテの味噌汁、ドンブリで4杯飲んで。いい宿でした。 >>191
全部閲覧しました。サロマ湖は実に穏やかな湖ですが、オホーツク海との切れ目に
行くと、海水が大量に流れ込んでいるのが分かります。荒々しいオホーツクと対照的な
「静」の世界を醸し出すサロマ湖。大好きな場所で、また来年3月くらいに行こうと考えて
います。 サロマ湖は100キロマラソンもあって訪れる外国人も結構いる。 >>191
この展望台、10年っくらい前に行ってスズメバチ?に
追い立てられた記憶があるな・・・ 網走湖に能取湖・サロマ湖。湖に恵まれた路線だった。 この路線は当て付けみたいに国鉄民営化直前に廃止されたんだよな
民営化の10日ちょっと前だぞ
さらにその後、転換バスも廃止されてしまった
なんと言うか、もう不憫でならない 今月初め、夕方
道の駅愛ランドYOU辺りを
走っていたら湖面が金色に輝いて凄く綺麗だった。
写真に納めなかったのを後悔している >>204
そう、まさにそんな感じ
また行きたいなぁ、来年もいく予定
計呂地に保線用車両(小型エンジンと足漕ぎ付)があるけど
廃止当初は芭露辺りまで、楽しかったよと管理の方々が言っていた。
踏切撤去で線路がなくなったんだけど
さんご草周遊に足漕ぎトロッコとかあると楽しいかも 来年このエリア、3月に行こうかな、と考えています。 >>206
自分はバイクだったので、
雪の残っている季節は避けていましたが、早春の季節も絶対に良い筈です。
地元の方は冬の流氷時期も良いと仰ってました。 冬はなんといっても流氷。日本とは思えないスケールは、この地方ならでは。 地吹雪とか真冬の強風はそれほどでもないのか?羽幌線沿線に比べれば楽か? 能取湖の手前付近で凄く荒れていたことが。
2月。その時は流氷なし。 佐呂間町に公共交通で行くためには札幌まで一度出て高速バスに乗るか
曜日限定のバスに乗るしか方法がないからな サロマ湖は屈指の有名な湖(というか、ほぼ海)なのに
不便過ぎる。 >>211 15年前の夏、北見から佐呂間までバスで行ったが、あれが曜日限定になっていたとは知らなかった。あの頃もガラガラだったが。 >>201
ほとんどの区間で公共交通が崩壊する一番
あってはいけないパターンになってしまったからな 全国を旅していると、やっぱり北海道が一番いいですね。
四国も素晴らしいと思いますけど。 景色がいいのに廃止に追い込まれてしまった路線が幾つも点在するから、やっぱり
北海道に感情移入してしまうのかな。 >>220 我々には感情移入されないのか?・・歌志内線、万字線、幌内線、函館本線上砂川支線 相生線とか瀬棚線も。本来専用スレッドがあっても文句はないが北海道総合スレッド
みたいなのがあるのを発見してしまったから、スレッドが建てられない。 湧網線など沿線に観光資源があるのに、旧国鉄時代にそれを生かせなかった、観光客需要を掘り起こせなかったのが問題なんだろうな。
かつて、石北本線の特急を釧網線斜里まで延長運転したら?と考えていたが。釧網線はまだましだったが、こちらはダメ過ぎた。 釧網本線は観光客を上手く取り込めたと思う。湧網線
も、何かひと工夫欲しかった。 北海道で廃止路線が頻発していた頃の
北海道への航空運賃が今と違い無茶苦茶高かったから、
観光需要取り込みなんて そもそも無理ゲー
今みたいに東南アジア方面から外人がわんさか来ていれば、
かなり鉄道需要があったかもねぇ〜 >>225 航空運賃高いから、北斗星の需要あったんでね?
高くても飛行機乗って北海道行く観光客も多かったし 今、閑散期だと新千歳空港まで片道5千円台はザラ。
女満別空港まででも8千円台の時があり驚いた。
とはいえ、時間に余裕があれば、やはり鉄道がいい。
北海道は簡単に着いて欲しくない崇高な場所である。 「知床旅情」ブームで盛り上がった釧網線に比べて風景が地味なのかな。
峠越えがないし、佐呂間湖か摩周湖かと言われると、観光客の多くは後者を選択する。 小清水原生花園、摩周湖、硫黄山、釧路湿原
釧網本線は知床以外でも観光資源豊富だからね 釧網本線は一番好きだけど湧網線が存続していたら
同格に推したかも。 釧網本線の外国人観光客って北浜あたりの1駅だけしか乗らないと聞いた
観光バスでやってきて、観光バスで去っていくんだと
セコすぎて笑ったわ
迷惑だからって乗車拒否もできないしな 私が釧網本線に乗った限りでは外国人観光客は、かなりの長距離乗車だった。
意外と川湯温泉あたりで下車する人が多い。 国立公園と国定公園の差は大きい。
時刻表の地図見て、国定公園?大したことなさそう、と考える。
それに佐呂間湖のような潟湖は地形が単調だから、いまいち人気が無い。 昔はサロマ湖ユースと船長の家が張り合っていたみたいだが 観光資源は釧網に負けるけど車窓からの風景はYouTuberで見る限りは湧網線が上回ると思う 網走湖に能取湖に常呂付近の流氷にサロマ湖。いやはや、凄いでっせ。
これでエゾシカとかタンチョウヅルも目撃出来たら、湧網線の勝ち! >>236
船長の家の食事内容、凄いでんな。4人分は軽くある(笑)
ワシ、20代の頃は2時間以上かけて全部食べていた。
オッサンになって、寄る年波には勝てず、カニは手を付けずに自宅に郵送しとる。
自宅で食べて北海道の旅を偲び2度おいしい、ちゅうこっちゃ。 今は交通の便が悪いし、知る人ぞ知るディープでマニアックな地域になっているんだろうな
湧網線は心の中で走り続けているよ 車を持たない、酒は飲む、という人にとって、これほど行きにくい地域もないかも。
それでも往時の湧網線の姿を忘れたくない。 >>239
計呂地駅のさんご草湿原に
今も丹頂鶴が三羽遊びに来るよ キタキツネも出没しそう。
でも寄生虫持っているから、ありがたくない存在。
クマはこのエリアに出没しないと思う。 >>244
サロマ湖展望台のところ
ちょくちょく熊が出るから注意するよう言われたよ ワシ、花咲線乗ると最近100%エゾシカを目撃する。
2度、列車と接触して停車した車両に乗り合わせている。恐るべし北海道。 天北線や標津線では野生動物の目撃情報はあったのかな? 天北線や標津線に比べると
湧網線は海岸線の低地で道路平行で人が通るエリアが多め
湧網線の方が少なめ程度であって
札幌中心以外は、北海道全体で野生動物との事故は日常だからなぁ 私も。天北線は以前「店舗苦戦」だったし。すなおに「ゆうもうせん」とやると勇猛線、に
なってしまう。 湧網線跡地の月見が浜(志撫子付近)、結構穴場で
往時の湧網線をしのぶのにぴったりです!
サロマ湖畔を走ってた時代を想像してみてください! 湧網線に天北線に名寄本線。興浜北線に興浜南線。標津線。羽幌線。美幸線。深名線。
士幌線。広尾線・・・・・・・・・・ 万が一、釧網本線が廃止にでもなったら湧網線なみに後悔することになるよね。 >>>258,259
ありがとうございます!
湧網線を忍んでくださいね 釧網本線は40回以上は乗ったかなぁ。
好きな路線1位だけど、湧網線も釧網本線を名乗って
いれば廃止にされずに済んだのかなぁ。 >>268
一本の線だったら残ってたのかもしれませんね。 0番線という響きが実にいい。首都圏ではありえない(筈)の0番線。
ひっそりと網走の0番線から出る湧網線。とてもセクシーである。 サロマ湖と能取湖に隠れた格好だが網走湖も好き。紅葉ならぬ黄葉が素晴らしい。
10月下旬でも楽しめる。 私は残ってほしかった路線の第1位だと思っているけど、みんなの意見を総合したらどうだろう
それでも間違いなく五本の指に入るはずだ
逆に、廃線になった北海道の路線で一番つまらなかったのは白糠線かも知れない
終着駅がつまらない場所だったのが原因かも知れない 残って欲しかった1位は難しいけど湧網線に1票投じるかも。 >>272
廃墟マニア等に上茶路は人気出そう
不人気そうなのは瀬棚や相生線辺りでは? 道南はまだ余裕がある。シベリア的気候風土までは至らない。 >>277
胆振線には2つ目9600が貨物引いていたわ 北海道の鉄道もつまらなくなったもんなあ
残念ながら、今は鉄道をあまり利用しなくなった
北海道ワイド周遊券の冬季割引であちこち乗りまくった頃が思い出される
20日間有効だもんな、あれは最強だ
継続乗車船の制度を使えば、いろいろ制限が付くけども23日間くらい使えたかも知れない
冬季割引があったものだから北海道の思い出は冬ばかりだ ワシは7日間タイプの「北海道フリー切符」じゃった。 飛行機を使うのなら北海道フリー切符だったなあ
本当は北海道周遊券を使いたかったけど、社会人になってからは時間的制約があるから、往復とも飛行機を使わざるを得なかった
飛行機代は基本的にノーマル運賃しかない時代だったので、スカイメイトが使えなくなった途端、出費がかなりキツかった
それでも行きたい路線が当時多かった
湧網線はその筆頭 65歳過ぎたら1カ月北海道を旅したい。飛行機は行きは使わない。
北海道&東日本パスを4枚くらいは使いたい。使用期間の切れ目に湧網線跡地などを
回って、その日はトクトク切符を使わない。
そんな計画を既に立てている。 北海道は旅行をするには良いけど暮らすのは大変だね
灯油代も馬鹿にならない
都市部以外では買い物をするのも不便
仕事も少ない
過疎化もやむなしって感じ
北海道に限らないけど、最近は地方都市の寂れ方も凄まじくて、久しぶりに訪れると衝撃を受けることが多々ある 北海道の地方に行くと
自治体のゴミ収集負担が厳しい。
有料ゴミ袋の値段が高いことに驚愕する。 たまに旅行する身分が結局一番間違いない選択肢かも。 オホーツク海は海全体が冷却されるのにさほど時間が
掛からない特殊な海とのこと。
太平洋みたいに規模が広くて、水深がある海は冷却に
時間が掛かるので凍るより先に春がやってくるとか。 昔はアムール川の変身した姿みたいに言われていたけど、最近の調査で
そうでもない、と言われている模様。
海としては、あまり大きくなく、北海道やサハリンなどに閉じ込められて、他の
海流が入り込みにくいこと。塩分濃度が太平洋や日本海よりも薄い(アムール川
の真水が大量に入り込んで表面の塩分を薄めている)などの条件が幾つか
重なり合って凍りやすい条件を作っているとか。
ただ湧網線ラスト・イヤーの87年は暖冬で、廃止の3月19日は既に流氷は
なかった。国鉄末期でもある時期だった。 釧網本線からの流氷は素晴らしいが、常呂付近の壮大な流氷で感激を味わいたい。 常呂は今の北浜の役割の駅だった。
種村直樹氏が流氷の絶景に喜び過ぎて転倒。掌を怪我したのも常呂。 今の北浜駅は中華ツアー客が多くてウンザリする可能性が高い
自分だけの秘密の場所を探すしかない 中華系、流氷なんて来ないから物珍しさも手伝って殺到するのかな。 計呂地も今月末でシートを掛けるね
東京が台風の日も宿泊した人が居たようです。
後世にも残して置きたいな >>299
湧網線はあまり中華系は来ないイメージ
北浜はドラマの影響、浜小清水は中華に限らず外国人が多い
ジャパンレールパスの影響だろうね 川湯温泉も外国人(欧米系)の人の姿が目立つ。
今、湧網線が存続していたら、外国人を取り込めたような気がする。 >>307
川湯温泉は阿寒湖、摩周湖、オンネトー、神の小池からアクセスが良いから外国人向け はい。
名寄本線の支線です。
湧網線から直通が出ていたので紛らわしいですが。 仙崎(山陰本線)のほとんどが美祢線直通と似ている。 早いもので、廃止されて30年以上経っているんだもんなあ
そのうち忘れ去られていくのだろう 廃止直前の画像を見たら、
ありがとうございました
旭川鉄道管理局
って書いてあるもんな
もう大昔のことのように感じる
旭川鉄道管理局だったエリアなんて、そのうちにほとんど無くなってしまうかもしれない 旭川鉄道管理局の車両は北海道総局の車両と比べると
ボロかったなぁ・・・ 芭露の方が計呂地より集落の規模も大きいし栄えているよね 計呂地
鮭の皮で作った靴を置き忘れた場所
誰が忘れたんだろう… >>321
駅前に水産加工場、
駅引き込み線から製材所に入っていたんだよ(紋別のパルプ工場へ輸送)
計呂地駅前の大きな洋風建築は、水産加工場経営者のお宅らしい
旅客よりも貨物の時代 常呂駅まででも存続していたら、冬は絶景の流氷スポットとして売り物に出来たかと カーリング+ホタテ+流氷の3点セットで外国人も呼べる。
余談ながら和歌山から帰ってきたばかり。
熊野古道〜那智の滝は欧米系で大賑わい。紀勢本線も欧米系の乗客がかなり見られ
日本人気の高さを実感しました。 夢を語らしてもらうと、名寄本線の紋別から湧網線、釧網本線が釧紋本線とかの1路線であったなら
「釧路 ⇔ 紋別」の絶景路線で人気があったろうな。 人気投票やらせたらダントツ1位でしょうね。それは。 >>330 奥羽本線のように分断されるのが落ち
網走で全列車乗り換え 昨日、瀬古利彦氏の番組で常呂が登場してた。忌まわしい交通事故があった場所だったが。
佐藤旅館の女将さんが出ていた。 SBの有力選手2人が亡くなった場所だね
あれは監督の瀬古も痛手だっただろう 亡くなった3人は代々木公園を走っている姿を何回か
見たことがある。それだけに衝撃的だった。
その事故から数年後、常呂で宿泊したことがある。
事故があったと思われる付近でそっと手を合わせた。 「しゃべりたい」という店がある。海の幸カレーと流氷ソーダがオススメ。常呂にある。 湧網線を新たに造り直したらどうなるか
今は原則踏切の設置が認められないので、全線が高架か築堤の上を走らせることになる
景色はともかく、つまらない鉄道になる
北海道で特徴的だった、畑の中の地べたのアップダウンを走る風景というのは、もう復活しない 網走駅の0番線をひっそりと出発し、網走湖を眺め、能取湖を過ぎて、常呂の流氷。駅のすぐ裏が海。
サロマ湖に出るまでは、時間がかかったが、これだけ
魅力的な路線もそうはあるまい。 それは羨ましい(笑)私は来年3月に道東に行くつもりですが。 「しゃべりたい」は、常呂で非業の事故死を遂げた陸上選手が最後に立ち寄った
場所でもある。瀬古さんも訪れたことがある筈だ。 ホタテはこっちのほうで食べると、大きさの違いに驚かされる。美味さも格別。 ホタテがでかくて美味そう
常呂町時代も確か佐呂間町よりも人口少なかったよね 常呂あたりは、まだ不便さは感じないんですけどねえ・・・・・・網走から30kmくらいで。 >>354
地元の人に聞いたんだけど、
住んでる当人は
鉄道が無くなった
バスが無くなった
誰々さんが居なくなった
そんな感じで、町の人口が徐々に減って居る感覚
息子、娘が札幌や都会に出てしまい
両親の身を案じて、同居を提案される時が決断の時だと仰っていた。 景色はいいが住みにくい地域傾向に拍車がかかった感じ >>356 旧天北線沿線の猿払との違いは何故なんだろう。こちらは東京都港区並みの住民所得、共にホタテの産地だろ? 白糠線や美幸線などは代替バスも全国版時刻表から消えてしまっている。 JR西がコラボで販売している
牡蠣の殻カバンと牡蠣のポーチ
凄く売れていて品薄らしい
ホタテの殻カバンとホタテのポーチ
売れるんじゃないかな オホーツクの海でホタテの貝殻拾いやってみようかな。綺麗な貝殻が転がっているだろう。 船長の家の昼のランチで豪勢な食事をするのもいい。
ホタテコースとかある。 牡蠣はフライが好き。サロマ湖・能取湖、厚岸。どこも素晴らしい。 摩周湖があらゆり湖の中で一番好きだけど、摩周湖がどこか人を寄せ付けない
(湖面に降りて行けない)孤高の厳しさを感じさせるのに対して、網走湖・能取湖・
サロマ湖は大衆的な雰囲気が漂う湖。やはり捨てがたい。 >>356-358
猿払は毎日運行の路線バスがあるけど
佐呂間は毎日運行のバスがイーグルライナーしかないからな
公共交通がここまで少ないと他の街に出ることや
他の街からくる需要があるのに減らされてしまうからな
観光客も公共交通があまりに使えないから来ることが難しい ここまで公共交通が不便な自治体も珍しい
極端に人口の少ない町でもないはず(旧常呂町よりも多い) 過疎化が叫ばれる地域のほうがよっぽど交通機関が発達している。
車を運転せず酒が好きなワシにとっては大げさに言えば「死活問題」。
社会の迷惑になりそうだから、ハナから車は運転しない。 >>379
網走だと一部曜日以外は札幌までJRかバスで移動してイーグルライナーに乗り換えないと佐呂間町に行けない >>380
網走→生田原(JR)
生田原(北海道北見バス清里線)
→遠軽厚生病院
遠軽厚生病院(佐呂間町ふれあいバス)
→佐呂間バスターミナル
遠軽厚生病院直行/月・水・金曜日/週3日運行 まあ、そんな面倒なことをしなくても
佐呂間ふれあいバス
網走線に乗れば良い >>383
曜日指定があって
北見、遠軽、網走線で使い分けるしかない
土日は運休なので、タクシー等が現実的だろうね 事故るのは、本州からの人が多いとか。
やはり、のんびり鉄道旅行が気楽でいいのに。 自転車だと廃線跡のオホーツクサイクリングロード
自動車の乗入れがないから快適で安全だよ サイクリングロードと秋の能取湖のサンゴ草の「赤い絨毯」との対比が
とても綺麗。 サイクリングロードと言っても、メンテされていない所もあるので要注意ね。
天北線跡は熊出没中で閉鎖
旭川神居古潭跡は崩落で通行止め
夕張鉄道跡は金欠で放棄されて熊の巣窟
などなど。 勇猛線。
素直に書くと、上記のような文字が出てきてしまう。 網走駅0番線。ホームの切れ端からひっそりと旅立つ・・・・・・・ 網走あたりは紅葉になりにくい。理由は分からないが。 サンゴソウ見たいなと思いつつ、時期を逃してはや10年。
気がつけば冬。
アホじゃw 現在も湧別町から委託管理されている方々
明るく接してくれて、施設を綺麗に維持して、気持ちよく利用できる環境にあるのには、本当に頭が下がります。 旧名寄本線紋別駅の近くに祖父さんの友達が住んでいる。
二人とも93歳。
凄すぎる。 >>407
計呂地駅の方々も80越えてる
皆さん凄いよね 能取湖は季節により淡水〜汽水だったのを、人工的に開削して、現在はほぼ海水。
サロマ湖も開削でしょ。 サロマ湖は2箇所で人工的に海と繋げて海水とほぼ同じの塩分濃度にした。 一種どころじゃないw
宍道湖でもやってる。岡山でも児島湖を作った。
最近有明湾でやって裁判になって国が漁民と農民の間で板挟み。
ちなみに自然現象でもよく起こること。
今の砂州で結ばれた地形は簡単にその姿を変える。 宍道湖は塩分濃度は薄いけど、海水が混じっている。そのため、本来は海の
魚のスズキが獲れる。スズキの奉書焼きというのを現地で食べた。
あと、ウナギのタタキなども。
中海というのが近くにあって、鳥取出身の男に訊いたら「あれは海みたいな
ものですよ」という回答だった。
網走湖は真水に近いが、オホーツク海から水が逆流して、アザラシが流されて
きたこともあった。カレイは生息しているとの事。 呼人あたりの風景が好き。冬の網走湖はワカサギ釣りのテントが散見していて
平和的な光景が広がる。 まずは毎日運行の路線バスを何が何でも再開させないといけない せっかくの景色のいいエリアだけに不便さが本当に惜しまれる。 しかしドライバーが集まらない。北の果ての悲劇。
まあ、そういうこっちゃ。 >>437
「運転手は君だ車掌は僕だ
あ〜との五人は…」 ホタテもカキも大きいのが特徴。この地方のを食べる
と他の地域のが物足りないと思うかも。 廃止された時、まだ国鉄だったんだ・・・・・・・・・ >>455さんが資金集めて観光鉄道で
復活させてケロ 同じことを思う人は、やはり結構いるんだろうな。
景色が素晴らしいのは分かるだけに、いやはや。 >>458
日本人と外国人の感性が同じと思わない方がよい 網走発8時42分。中湧別着11時05分。ここから先、どうしようか。
中湧別から湧別までの列車は1日2往復。少なすぎる・・・・・・・・・ 存続していたら「好きな路線ベスト10」にランクイン確実 国鉄湧網線かぁ〜、懐かしいなぁ!
1976年から1980年くらいまではよく乗ったし、最初は乗り潰しの走破で乗って暫くすると
乗り潰しとは別にゆっくり乗って降りたい駅で下車して北海道の雄大な景色を眺めているだけで
満足していたあのころ。下り急行大雪5号が網走駅へ7:52に到着すると8:30発の湧網線に
乗って中湧別〜興部〜雄武〜北見枝幸〜浜頓別を湧網線〜名寄本線〜興浜南線〜宗谷バス〜
興浜北線〜天北線と走破して稚内に19時半くらいに到着して急行利尻を宿代わりにしてた。
ひと通り走破すると特に予定も決めず、急行大雪5号が網走駅へ到着すると湧網線を乗り歩くか
釧網線を乗り歩くか気分次第で決めて動いていたけど1981年に就職すると大手企業でさえ、
完全週休二日制がまだなので長期の休みは取れず、週休二日制が施行された1988年では既に
目当てのローカル線も消えて旧型客車の定期普通列車も無くなり、更に道内特急の食堂車さえも
消えて暫し、ローカル線離れするようになった。
約2年前に還暦を迎えて定年退職するとシーズンオフの春(5月中旬〜下旬)か秋(10月)
に10日間ばかりの旅で往復フェリーに車を積んで道内の景勝地や観光地に温泉を巡りながら
昔よく乗った想い出のある廃止になったローカル線を尋ねるようになった。 >>466
これぞ旅行者の鑑ですなあ、素晴らしく壮大な旅。 >>466
今では味わえないいい旅をしましたね。
自分も当時、常呂から浜頓別まで湧網線,名寄本線,興浜南線,北線を乗り継いだが車内は生活感
が濃かった。相席の地元の方からスルメイカをもらったり、中湧別では子供たちから気さくに声を
かけてもらったり、会話の多い旅だった。周遊券の下車印や硬券入場券を見るたびに当時をよく
思い出す。
今では物理的にはゆったりでスマホいじりながらの旅となったが当時には遠く及ばない。
自分も1979年に就職。今年の3月に定年退職した。インターバルなして転職したが常呂、計呂地
など廃線跡でも当時を辿る旅を時間作れれば是非行きたい。 >>469
お疲れ様です。常呂は流氷の時期に私も是非訪れたいですね。 >>466.469
いい時代ですね
うらやましい
こういう旅をしてみたかったな 「昭和」の時代のほうが今よりも鉄道に関する限りでは良かったと言えますね。 湧網線は1984年6月22日に第2次特定地方交通線として廃止が
決まってからは学生が休みの時期になると本州各地からファンが
押しかけて特に急行宗谷接続の列車は常に混雑して旅情を味わう
間もなかったように思える 廃止が決まってから2年10カ月くらいの期間があったわけですね。
深名線と比べると期間が長い。 >>475 84年に第二次特定地方交通線として廃止対象になった後、第三セクター化やバス転換、それに積雪期の代替交通機関の有無の検討のために数年の期間を置いたわけでしょ。
積雪期の問題があってJR転換時の廃止対象から外されたものの、その後、平行道路の整備が進み、地元も廃止やむなしとなった深名線とは相当事情が異なるよ。 >>463
昭和末期、湧別駅の入場券を買うと、おまけでホタテ貝殻の飾りが付いてきた
暇だからそういうものを作って時間を潰していたのかもしれない 昔は計呂地駅でも手作りの帆立貝殻付きの入場券が発売されていた
あとスレ違いになるけど釧網本線の北浜駅でも発売されていた
有人駅の頃だけどそれだけ国鉄職員が余っていたのかも知れない 北浜駅も有人駅だったんだよなあ
確か業務委託駅だったと思う
もうすぐ廃止になる南弟子屈駅、既に廃止になった花咲駅も有人駅だった ゴーサントオ(昭和53「1978」年10月2日ダイヤ改正)から業務委託駅や無人駅が増えてきた 貨物輸送が衰退したからだろ。国鉄赤字の主原因でもあるが。 ところで湧網線の主な貨物だったのは海産物と木材か?沿線に鉱山はないし。 仮乗降場上がりの駅以外で、開業時から無人駅ってこの路線には無いよねたぶん 北浜駅は、ちょくちょく行っているが、流氷の時期になると一番手っ取り早い
駅だから仕方ない。そこで思うのは湧網線が存続していたら、ということ。
常呂駅こそオホーツク海に最も近い駅と言えたのに、ということ。 総延長距離89.8 kmの湧網線は仮乗降場が多かった
北見平和仮乗降場・ 福島仮乗降場・志撫子仮乗降場・若里仮乗降場・興生沢仮乗降場・
紅葉橋仮乗降場・大曲仮乗降場・土佐仮乗降場・常呂港仮乗降場・中能取仮乗降場・
東富丘仮乗降場・二見中央仮乗降場・浜床丹仮乗降場・堺橋仮乗降場・五鹿山仮乗降場
他にもまだあったかも? 仮乗降場出身以外で元々の無人駅は北見富丘くらいだね 逆に仮乗降場出身で後に一時的にせよ有人駅に昇格したのは北見平和のみ 仮に国鉄 → JR北海道になった時に湧網線が存続していたら、
これら全国版時刻表に出てこない仮乗降場は、駅に昇格していた
ということですね。 仮乗降場マニアは少数ながら、しっかり存在していた模様 今は釧網本線以外オホーツク海が見える路線がないのが、とてつもなく不満。 まだ名残をとどめるところもあるが、こうして、だんだん風化していく
のだろう。淋しいことだ。 急行大雪の自由席が3両連結されていた(518レなら北見から
更に2両自由席を連結)旧型客車時期に1番湧別線へ訪れたけど
あれからもう43年の月日が経過しているのが信じられない >>504
最初は日中走る気動車の急行大雪が特急オホーツクに格上げされて、
更に夜行急行大雪も1992年3月14日改正でオホーツク9・10号として
て格上げ・編入され、愛称が消滅したけど大雪という列車名称は
2017年に旭川〜網走間の特急新設で復活した。 まりも、も名称復活しましたですね。一時。
オホーツクは、よく宿代わりに利用しました。
朝、目覚めたら網走、という状況が良かった(笑) 夜行のオホーツク9・10号も同じく夜行のおおぞら13・14号も乗らないで終わってしまった。
ついでに言えばキハ400・480系化された急行「利尻」も乗らないで終わってしまったのだけど
1988年改正以降「大雪」「利尻」「まりも」の自由席が1両減ってしまい、北海道は結婚した
嫁と行く、観光・景勝地・温泉旅行の地になってしまった。
自分が学生の頃は自由席を何両も連結した編成長めの道内夜行列車が多かった。
「すずらん5/6号(自由席5)」 「43レ/44レ(自由席3)」 「利尻(自由席3+1)」 「大雪(自由席3+2)」
「からまつ(自由席4)」 「狩勝(自由席※)」 ※1980年10月1日から自由席が1両連結。
湧別線を初めとする道内の第一次特定地方交通線(興浜北線・興浜南線・美幸線・渚滑線・相生線・
白糠線・万字線・岩内線)や第二次特定地方交通線(標津線・池北線・士幌線・広尾線・名寄本線・
天北線・羽幌線・歌志内線・幌内線・富内線・胆振線・瀬棚線・松前線とその後に消えた深名線と
上鶉支線などに違う季節に数回訪れる事が出来て本当に幸せである。
自分は廃線巡りとかは趣味ではないので錆びれてしまった線路跡や街や村は見ない方が
いいのかも知れないというのが心情だけど自分を北海道から遠ざけたのはローカル線の廃止以外に
道内夜行列車の衰退(定期列車で言えば6往復走っていたのに約半数になった)や青函連絡船の
廃止も影響している。 多彩にして、なんと魅力的な路線であることか。
相生線、渚滑線など単独スレッドはないが風化
させるには忍びない。 現地でロクにカネも落とさずワイド周遊券で乗車だろ? >>510
士幌線の糠平以北に列車で乗ったことのある人だけが本物。
戦時中この路線で鉄道員をしていた人の手記によれば、
木材の生産地だったので陸軍の中隊が駐屯していたそうだ。
75年前にタイムスリップできるなら、4K画質で長物車や
タンク車が混じった貨物列車を撮ってみたい。
十勝三股の駅長よりも偉かったという陸軍中尉の姿とともに。 >>513
新士幌で乗り降りした猛者も認めてあげて 新士幌程度ではなぁ
黒石平以北(糠平を除く)でないと猛者とは言えないよ 岩内線乗ったちゅう人がいて羨ましいと素直に思ったでゲス >>520
直江津→岩内のフェリーに乗ったことある。
直江津駅から歩いて港へ行き乗船。
船内はガラガラでした。 >>508
上鶉支線でなくて上砂川支線ですよ
士幌線は糠平〜十勝三股がバス転換になる1年前に乗ったよ 函館本線の枝線が幸いして8年くらい長生き出来たのかも。 >>508
急行狩勝は末期以外は自由席の連結がなかったのでワイド周遊券では無料で乗れなかったため、
困った列車だったけど、普通からまつがあったので札幌圏⇒十勝・釧路圏ではよく世話になったよ >>525
全席指定だった急行狩勝は貫禄があったなぁ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています