国鉄湧網線
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昭和62年3月19日を以て廃止。
今、存続していたら「流氷列車ノロッコ号」を走らせて
いたのでは、などと考えてしまう。 >>25
その流氷すら、懐かしくなりそうな勢いらしいよ、温暖化で。 朝一で網走から乗って常呂で降り、ここで数少ない9600の
貨物を待つ。鉄橋の向こうに流氷、天気は晴れ 最高の気分
だが列車は来なかった。ウヤだったのか駅で確かめなかったのが
悔やまれる冬の湧網線の思い出。 毛毛毛
毛毛毛毛
毛毛毛毛毛毛
毛毛(´・ω・`)毛毛 >>33
福島の踏切とあるだけで仮乗降場のそばの踏切かどうかはわからないけど、
心霊現象があったという場所にお地蔵様が立ってる。車の窓からも見えるよ。
遅レスですまない。 常呂港、能取で、常呂港のトロというダジャレができた。 改めて路線図を見てみると、駅名が読み難いものが多いね ここも、採算性が無いと判断したら撤退できたと思いますがね 存続を求める地元に対して、経営分析を委託したコンサルから出された報告書をもって
ゼロ回答した初めてのケース
湧網線だけじゃないが、見渡す限りの荒野のど真ん中を走ってる路線が
何の地元負担もなしに維持できるなんて幻想に、
もっと以前から国鉄はNO!と言えなかったのか 地元(選出の政治家含む)の反発が怖くて解析を引き受けないコンサルがあった中で、
よく勇気だしてゼロ査定したんだなぁ 地元の反発の矛先は廃止を決定した国鉄に向けられるのであって
採算性無しとの結果を出したコンサルには向かないと思うが、そうでもないのか こんな風景が昔は道内の至るところで見られたのになあ 鉄道資料等が残っているのは卯原内、計呂地、中湧別だけかな? >>60
昨年計呂地に資料(コピー)を寄贈したら、町でも充実させるかもしれないと仰っていた。
今は自転車やバイクの宿として有名らしい。
寄贈を募るなど、無理の無い範囲で集めていけば観光客も来るようになるかもね >>61
ありがとうございます。 今度行って見ます。 網走から中湧別へ抜ける国道を走ると、勇網線の遺構がかなり残っていて、悲しくなります。
今も列車が運行されていたら、きっと風景の良い路線として有名になっていたでしょうね。 >>61
計呂地に行ってきましたが、冬季休業中ですた。
雪融けしてから、また行ってきます。 >>64
冬季は閉鎖なんだよ、言えば良かったね
中標津のバスターミナル内、資料室なら見せてもらえるよ なんと難読駅の多いことよ
まあ北海道だから仕方ないけど 新設基準だと10億円/kmか。
誰か、90kmくらいポッケットマネーで出来ないか?w
サロマ湖畔の白い高架を 四季島 が走るとか。
もう少しリーズナブルに カシオペア とか。 通しの乗車とは別に、朝に大曲→網走で一度乗ったことあり
大曲のホームはとにかく短かった記憶 お金の面でも、時間の面でも、
最高の贅沢だね
一度やってみたかった 計呂地駅のSL、実働出来ないか専門家を呼んで調べたことがあるらしい。
釜を補修しなければならず、2000万は必要
湧別町でふるさと納税のクラウドファウンディングを企画すれば簡単に集まりそうだけどね。
珊瑚草の海岸線までを走らせて欲しいなあ 冬の湧網線もいいが、秋の湧網線もいい。能取湖のサンゴ草が真っ赤に色ついて、夕方に
なると夕日の太陽に照らされて美しい・・・常呂駅での駅寝は寒かったけど懐かしい。 >>76
計呂地交通公園は今月一杯で、
来年五月まで休みになるよ 湧網線のバス転換後は結構厳しい展開で
本来避けないとまずい展開になったよな
場所によっては陸の孤島になったり
他の街との行き来が極端に大変な状況にされてしまった 鉄道もクルマも使えないとなると
クマの冬眠のごとく積雪期間は自宅に籠るしかないか 石北本線を、当初の計画通り涌網線ルートで建設しとけば良かったんだ。
内陸部に入植した人が提案した山手線と海岸線で競争になり、山手線が軽便規格で作られることになった。
だから本線上にスイッチバックが出来てしまった。 その場合オホーツクやおおとりは北見行きになって結局網走でスイッチバックする事に
まあ路線名的には網走から変わるんだろうが https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/13/0/13_0_205/_pdf
この論文に詳しく述べられているが、当時お決まりの政友会VS憲政会の争いの産物らしいですね。
最初は海岸線で決まりかけていたものが、山手線案へと変更された。
「もしも」が通ればローカル線らしさは失われることになるが、現時点でも存在していただろう。 初めて北海道に旅行したのが93年。残念ながら間に合わなかった・・・・・・ 鉄道に関して言えば「昔のほうが良かった」となる。特に北海道。 刑務所のイメージが強かったけど、実際に行ってみたら「森と湖と流氷」の
イメージに変わった。 網走駅は淋しいものに変わっていた。
観光案内所は大幅に規模が縮小。
ちょっとした土産物を買えたキオスクもなくなっており、以前はもっと賑やかだったが。
駅前にあったコンビニ(その前は安宿があった)も消えていた。
人口も年々減少傾向にある。札幌1極集中傾向が続いている。
だが、それでも網走は網走である。また、この地を訪れることだろう。 網走でさえこの有り様だから他は推して知るべし
店がなかったら物資の調達もできず暮らして行けない 宮脇俊三氏も大絶賛の絶景路線として記憶しておきたい。 今年の秋は計呂地に泊まる予定
さんご草がみたいけど2週間早いんだよなぁ サロマ湖、能取湖、網走湖と湖に縁が深い路線。網走湖は塩分が薄い。
雨季には崇一郎 海産物美味しいけど
貝類は食べられないんだ、ホモだから (^_^;) 湧網線は自分的に残って欲しかった路線第一位だけど、石北本線の存続すら危うい状況では夢のまた夢だったのだろう
サロマのユースホステルを利用するのに浜佐呂間駅を利用したよ
送迎車がいつも発車時刻ぎりぎりで見学する時間も無かったので、駅についての記憶はほとんど無い 私は「船長の家」という宿がお気に入りですけど、もうとっくに湧網線廃止の後だったんで
残念ながら在りし日の湧網線の姿を知らないまま。ただ、この路線が間違いなく絶景だった
のは想像できます。冬の常呂駅など、是非見たかった。 常呂駅は40歳間近の種村直樹氏が流氷を見て喜びすぎて転倒。掌をケガした場所と
記憶している。 この路線もそうだけど、数々の赤字路線が集中的に廃止されてからもう30年ほど経つんだな
地方都市中心の駅前なども、久しぶりに訪れるとびっくりするほど衰退しているところが多々あって、心が痛む 廃止当日、流氷はすでに消えていた。流氷が見えれば、より劇的だったろうに。 昭和62年は暖冬。名寄本線エリアにも流氷は来なかった筈。 >>123
宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』にも記載があったな
手持ちの74年9月、79年7月の時刻表でも可能。
ただ、80年10月改正で、大雪6号が全区間急行化されたが、それ以降可能か否かは不明 >>128
急行が途中から鈍行に変身するのが、昔は結構あったみたいですね(その逆も)。 なんでloserの将棋ブログあんなに炎上してんの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています