かつて『新しい時代の到来』を感じた鉄道車両
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
小さな頃に乗車して衝撃を受けた新型車両とかありましたか?
技術の進歩や未来を感じたかつての鉄道車両を語るスレです。
デビュー当時の思い出から、現状に至るまで色々と語りましょう。 221系のカラーリング
従来のツートンや単純帯じゃない、
色も変な茶色なのに、すごく洗練されて見えた。
12系客車
昔、バアチャンが信仰してた某宗教団体の催しへの波動輸送で仕立てた
団体専用で初めて目にしたとき、今まで古臭い客車しか見たことない
(地方なのでブルトレなんて・・w)幼い俺の目には、鮮やかな青20号に
白帯、冷房完備の近代的なたたずまいに、遠い異国からやってきたかのような
ときめきを覚えたっけなw (幼稚園の年長位の頃やしなー) >>72
富士宮に行ったんか?
ま、信仰は自由だし、いい経験ができたね。
俺は横須賀総武地下線が出来て列車(113系1000番台)の集中配置で、一気に冷房化100%達成が嬉しかったよ。
停車駅は東海道より多いけど、夏の快適さは横須賀線が一枚上だったなあ。 旧国鉄では、やっぱり80系湘南型。それから151系こだま型。
私鉄では、東急/5000系(あおがえる)。それから小田急/3000系(SE)。
1985年の夏、初めて18きっぷで全国を回ったが
常磐線いわき仙台、東北線仙台盛岡、北陸線直江津敦賀、鹿児島本線八代鹿児島が冷房車100%の空気バネには驚いた
首都圏はまだ非冷房がいっぱいあったのに地方の方に未来を感じた 205系&209系の6ドア車は「混雑緩和になる」とデビュー時は嬉しかったが、
いざ乗ってみると椅子無しは辛いし、9時になって椅子を解放しても209系以外は他の車両より椅子固いし・・・ 東武1800系りょうもう。
赤&白、東武一大きな側窓、パノラミックウインドなど東武の中でも異色中の異色。
当時の伊勢崎線、桐生線、佐野線を考えるとまさしく“はきだめに鶴”!
ホームからデッキに足を踏み入れる瞬間、心なしかワクワクしたね… >>70
俺は50系が登場した時、もう客車列車もダメだ、ってひどく落胆したけど。
人それぞれですね。 ・東海371系
まるで新型のミニ新幹線のようなフォルムで本当に在来線やさらに小田急線にまで走るのかと、従来車との違いがありまくりだった
・京阪800系
今まで、古い車両しか走ってなかった路線に、オリジナル塗装で、本線にすらないLED表示やシングルアームパンタは何もかも新鮮すぎた。
今となっては新幹線並の高価な車両だったんだな…
・新幹線N700系
何もかも完璧だけどシンプルな車両がついに登場したんだなと時代の進歩を感じた。 相鉄3000。
とある本に「VVVF制御試験の予定。」とあって、子供心に意味もなく凄そうと思ってた。
実際に動いてるのを見たら、妖しい音立てて走ってる姿に、凄い感動した。 285系電車とE26系客車。あの時は夜行列車新時代を感じたのだか・・・ 117系新快速シティライナーだな。
あの当時の国鉄近郊型電車にしては内外装とも垢抜けた印象で、
当時現行型の153系が古臭く思えたもんだ。
けど、今どっちに乗りたいか聞かれたら圧倒的に153系だな。 キハ110かな?
今まで存在したキハの系列とは違ったスタイルと内装。
新しいローカル線の時代がきたのかと思わされたが、
これからコレがキハ40や28から置き換わってしまうと思うと寂しくもなった。 >>89
キハ110は初めて乗った時に、その加速にびっくりした思い出がある。
気動車といえば、モソモソのろ〜っと加速して上り勾配にかかると、
途端に速度が落ちて、エンジン唸らせてようやく上るのが普通だったのに、
20パーミル上り勾配でもグイグイ加速して自動車をぶち抜いていくものだから。 鴻池新田のホームで初めて207系を見た時は驚いた。
オレンジ一色の片町線に、シルバーで大きな窓。車内に乗り込めばドア上LEDにチャイム。走りだしたらVVVFの心地よいサウンド。
親に早速207系の載った雑誌買ってもらったっけな。 207系は新鮮だったな、
向かいの席に座る人がなんか遠い、
とにかく広く感じたよ。 小田急9000系と京王6000系
60年代後半までに一応、私鉄の新性能車の顔ぶれはそろってたけど、
この両形式はなんか違う、都会的なイメージが感じられた(個人的な印象だけど)。
何だろうと思ってたが、たいしたことないw、黒地に白抜き文字の表示幕が
洗練された印象があったってだけ。(でも東京の私鉄ってわしら関西とは
また違う色合いがあるんよな、とは思ってたけどね・・) 東急8000のワンハンドル運転台。ステンレスカーはすでに珍しくなかったが。 京急800
初めて横浜駅で800の急行を見たとき
すごい感動して
家と逆方向の新町までつい乗ってしまった 国鉄電車80系。
客室輸送の廃止の切札。
アコモも客室並、加速にいたっては。 300系新幹線
270キロ運転
これまでにないフォルム
大型パンタカバー
「のぞみ」という愛称
名古屋飛ばし
度重なるトラブル
0系、100系という従来型の新幹線の中で、この車両は明らかに異彩を放っていた 銀座線の01系。上野のホームで「フォン!」という聞きなれない警笛音とともに
これが颯爽と現れた時、在来車(停電野郎2000形)がものすごくオンボロに見えた。 そりゃあもちろん京急2000形ですよw
初めての両開きドア、密着連結器…。
萌えたな〜。
ほんでもって100ゲット。 >>101
(´つω・`)101系って書いて欲しかった。 >>102
103系はちょっと無理があるかw
でも101系に新しい時代を感じたとしたら、そいつは60くらいのジジイなんじゃね? 西武6000。
それまでの黄色一色からよくあそこまで変わったなと。 >>84
どちらも増備の構想はあったけど、結局行われず。
その後JRは夜行列車縮小・廃止へまっしぐら・・・。 東の719。
東北にもついに211系と同レベルの新造車が来たとwktkした
>>105
スレ違いだが現状の特急券+寝台特急券を止めて寝台特急券一つにして値段を抑えれば
自分も利用するんだけどなぁ。
高くてあけぼのを利用する気がしない… 500系は度肝をぬかれたなあ…
あれに匹敵する感動というか震えは前にも後にもない
あと地元補正で京成の3700。
地味な車両が多く、割合後年までコルゲートの3600を作ってたのに
205系や東急9000並みの綺麗な車両がきた…と感激した。 E217かな、地元路線待望の新型車両だったし。
当時、夕方の旅番組で横須賀線が取り上げられた時も
「未来感ある電車」として冒頭で扱ってくれた。
賛否両論ある車両だが、東日本の次世代型近郊型の先駆けとなった。 一部の痛いヲタからは東日本終了の始まりとも言われてたな。
その痛いヲタの人達的には近郊車両なのに209系と似たデザイン、4ドア、ロングシートが
気に食わなかったらしいけどどうでもいいなw 215系。子供の時の科学雑誌の未来予想図に出てくる2階電車による着席通勤を実現したしな。
TGVみたく動力を両端に集中させているのも、新しい時代の電車の在り方として映った。
ATCまで付けて増備したし、貨物線通してまでダイヤ組んだし。
こいつはその内東京5方面すべてに入ると思ったねw 小田急VSE
シートが硬いとか言われてるけど外見・内装デザイン共斬新だった 国鉄101系、
営団6000系、
都電7000更新車、
近鉄初代アーバンL、
九州の水戸岡デザインの特急車。 やっぱ京浜東北209だね。
あの当時はもっぱら京急しか乗らなかったので、シンプルで近未来的なデザインはビックリしたよ。 京王5000系
アイボリーホワイトに赤い線(ひげ有り) 深緑や茶色い電車などの他、他社私鉄も濃い色のツートンが主流の時代に
あの白い車体には驚いた! >>116
小田急のケープアイボリーにロイヤルブルーというのも当時では非常に都会的な印象があった 東武のアイボリー1色や名鉄の赤一色は手抜き時代到来を感じた。 >>118-119
ここは阪急のマルーン一色て言わんと。
アレこそ手抜きの極致じゃねーかwww
>>120
いやむしろ阪急マルーンは>>116の
>深緑や茶色い電車などの他、他社私鉄も濃い色のツートンが主流の時代
に入るでしょ >>110
付属の5両編成も絶対にできると思っていた。 基本的に気動車派だから
キハ183 0
キハ183 500
キハ185
JR化後だけど
キハ85
にはいちいち驚かされた。
以外とアルコンの類は驚かなかったな(それを言ったら名鉄のパノラマDXに、になるかな)。
あと新車じゃないけど1983年頃の試験塗装には、本気でこんなんになるのか、と時代の変遷を感じた。 >>121
阪急擁護は結構だが 茶色い電車と阪急マルーンに違いがどうあるのか
小一時間(ry >>124
???
茶色い電車と阪急マルーンに時代の違いがないと言っているこの文から
どこをどう読んだら阪急擁護って出てくるんだ?馬鹿?
185系、117系、201系、203系、183系DC・・・
1980年初頭に続々デビューして、国鉄復活を確信したんだけどな(汗
そのとき買った朝日新聞社「世界の鉄道」はまだ実家にあるw
やっぱり205系/211系かな?
軽量SUS車体、ボルスタレス台車/界磁添加励磁制御・・・
国鉄らしからぬ新機軸を数々採用、当時の中学生にはかなりのインパクトだった。
前後して登場した100系新幹線、名鉄パノDX、ジョイフルトレイン・・・
あの頃の日本の鉄道はリストラの真っ只中ではあったけど、その分夢とか希望を感じさせる新車が多かったよ。
で、今日の新車は
極限まで無駄を削り落とした「薄っぺらな箱」ばっかりで、魅力も糞も感じさせない・・・orz 実体験のある中では、
京阪6000系の交野線時代のインパクトが絶大。
それまでの交野線といえば
1300系や1700系といった、内装が木の陰気な雰囲気の車両ばかりだったから、
6000系の明るい車内には
「これで京阪も片町線並みになったなぁ」
と驚いたものだ。
リアルで知らない中では、
やっぱり国鉄151系じゃないかな。 例えば209系だな。
余計なアコモ修繕せずに、技術と乗客ニーズに対応して、車両のコストダウンと、更新率を上げる。すんばらしい。
これからのJRは飯田線の様な旧型国電の寄せ集めでは無くなるのだ。
実は千葉に209は残り、これからのご奉公をするのだろうが、内房線など、お情けで存続されている路線ならば209でも十分だろう。
多分これから217、231と、投入されるのかも知れないが、沿線住民は感謝すべきだ。
JR東日本が目指した、車両に無駄なカネを掛けない、という思想がある。
この思想の恩恵を真を受けているのは内房線、外房線等の沿線民であろう。陳腐な中古電車でも良い、地元を走ってくれるならば。
いろいろな場面で、感謝の気持ちを忘れててはいけないと思う。 いやでも209系には久々に新たな時代の到来を感じさせられましたよ、
希少価値があった頃までだったかもしれないが…
そのじつ、国電をリスペクトした最後のデザインだったのかもしれないし。 何を最初に見たかはよく覚えてないけど、やはりLEDを使用する車両を見たときは衝撃的だったな。 >>130
>路線毎の雰囲気が
とかよく鉄オタは言うけど正直そんなもんただの懐古だろ
全国どこでも似たようなデザインってなら国鉄時代のほうがひどい 今でこそ爆弾汚物の105系。
中古車が相場の地方電化路線に垢抜けたパンダ顔の新車投入された。
従来の旧国のスジなら1M2TでもOKとか。
チープな地方路線の電力事情にも対応できるあたりも地方電化路線への本腰と見てとれた。
非冷房?まだ都会でも非冷房車が結構あった時代だったしななw ここにいる人的にアレだけど701系
我が田舎にもついに電車&冷房が…。
初めて209系に乗ったとき「701と同じVVVF音だ!」ってびっくりしたなぁ。
阪急8000系。
2000系から延々と続いた阪急電車の顔を2200系・6300系でマイナーチェンジしたのち、
とうとう大きく変えて来たなと感じた車両。上手に「額縁スタイル」を取り入れた
(初期車の飾り帯は余計だと思ったが)前面デザイン、肩のアイボリー色、
VVVF制御、一部は電動で開く側面の大きな窓とやや濃く落ち着いた木目の内装。
神戸・宝塚寄り2両のクロスシート車から見る、沿線の風景は新鮮に思った。
昨今の5000系ほか更新車の妙な前面デザインや、アイボリー色の安易な乱発は何とも…。 >>137
20世紀においては、左右非対称のアルミ車体、広い貫通路で21世紀を感じさせた。
21世紀においては、中途半端な幅の座席、ドッカンドアで20世紀の遺物だと思った。 381系だ。
屋根に何もない、下膨れの出で立ちに、
進化を見た。
783って、九州特急ではなく九州内特急だよな。
九州特急とは、東京と九州各地とを結ぶ
固定編成客車で組成される寝台特急列車のこと。
>>140は「??」だね。 九州特急、14系が登場するころには
すでに「ブルートレイン」と呼ばれていたね。
やはり20系だね、九州特急は。 阪神8000系
あの阪神が一気に洗練された…気になったwww >>144 阪神新8000系が一枚下降窓になったから山陽5000系があのような窓形状にしたと当時の山陽の社長が語ってたな。
進藤と申します。今年88歳になります。やはりキハ43000にございます。 Max(E1系)はデビュー当時にわざわざ乗りに行った。
だが、あの6列自由席やお世辞にも美味しいとは言えない弁当自販機にはいろんな意味で「新しい時代の到来」を感じた。 >>146
わたしゃ59歳で、トンネルに入っても客車の窓を閉めなくていいDF50。 北総7000形だな
小学校中高学年になって電車の形式とか分かり始めた頃だったし
地元に近かったし
あの買Xタイルのマスクと整然と並ぶ固定窓… キハ66だな。一般型なのに空気バネと転換クロスシートに冷房付。
当時の国鉄としては破格のサービス。製造コストは相当なもの
だったと思うよ。 201系量産車(運転台直後の戸袋窓なし)が登場したとき
中央快速線にもATC化の計画があるのかと一瞬思った。
もし本当に201系のATC車が登場していたら
非ATC車との区別はどうしていたのだろうか。 205系の非ATC車が登場したときは
わざと戸袋窓を復活させるのかと憶測していたな 東京メトロ16000系
PSMS独特の起動音 車内LCDモニター ガラス張りの貫通扉に千代田線も新時代だなと思った
203 6000 新車の233 4000すらも霞んで見えた 椅子は残念だったが… 営団(現東京メトロ)銀座線01系。
ほとんどの車両が黄色い鋼製の停電くんだった昭和59年、眩いばかりの銀色の車体、銀座線内では
聞きなれない音のタイフォン(在来車の警笛は今の万系が装備しているトロンボーン笛だった)、現在の
車両ではほぼ標準装備の車内の駅名表示機etc、当時としてはあらゆる面で斬新な車両でした。 その01系ももうじき引退か。時の経つのは早いな。
だが新1000が登場しても01系を初めて見たときのような衝撃は無いだろうな。 >>91-92
小学生の頃、片町線に103系高運が入った時子供心にものすごくインパクトを感じた。
それまで前面のウィンドウが大きくて何となくボロい101系を見慣れてたから高運で冷房があってピカピカな車両を見て乗りたいと思った。
E501系が登場した頃、複々線区間で06系との併走に遭遇した時は
常磐線新時代を感じたものだ。
どちらも全く増えなかった上にE501系は複々線区間に来なくなってしまったがな… 東急9000系。
大井町線に何食わぬ顔でやって来た。
ボックスシートに停車駅表示に自動放送と、21世紀を予感させる車両だった。
25年経って大井町の最大勢力になるとは思わなかったがなw
池上線にやって来た7200系。
別に新車じゃねえが、吊り掛けオンリー(当時)の池上線にステンレスボディーは衝撃だった。 >>99
銀座線01系に同意。
1984年、タイムスポットのように旧型車だけだった銀座線に満を持しての登場。
この時代に東京のど真ん中で、これほど劇的に新車が登場したのは東海道新幹線の開業以来20年ぶりのの衝撃だったな。
ちなみに登場時は冷房はなかったはず。 >>152
E1の弁当自販機に 蕎麦もあったっけ?
最初のころは冷凍寿司(解凍して出てくる)だったと思ったが…。
開業初日のMaxやまびこ11号2階席に東京→盛岡まで乗ってみたものの、
車内放送でも何一つアピールも無かったのには閉口した記憶が…
個人的には、北斗星運転開始に関連して、東北本線をスルーすることに
なったEF81だったかな。
デビューしてから15年以上たってからの本丸抜擢だったし。
北斗星のダイヤ見て、あまりの速さにびっくりした。
知り合いの運転士が、続行の回送電車乗務の際に目いっぱい追いかけて
みたものの、全然追いつかなかったって言ってた。
あとは、デビュー当時、何度か機関車故障があったんだけど、田端から
青森まで、白昼単機回送で送り込みなんてのもあった。
単回9005レだったかな…。
田端12時→仙台17時→青森22時〜折り返しすぐさま北斗星引いて帰って
きた。
送り込みで来たのが、なんとEF81 95号機で、翌日の北斗星が、81-95+
故障した81-81(無動)の重連で帰ってきた。
>>159と全く同じ事を、武蔵野線で感じた。
101-1000ばかりのところへ103の高運が新車で入ってきたことに、正直驚いた。
101の転属だと、A基準化改造が面倒だったからかな? >>164
間合いで青森〜盛岡の50系普通引いてたのはよく覚えてる
8181や95も例外なく投入 俺は北総の7000だね。
開業後間もなく沿線に引っ越したが、あの電車は当時の地元の子供にとって一種の誇りだったw
実際には乗り入れてくる新京成の吊掛車のほうが、乗る機会が多かったが・・・ 113系スカ色の二階建グリーン車
消防の頃、大原で初めて遭遇してショックを受けてからは、データイムグリーン券を使い、よく乗りまくったなぁ。
でも、なぜか特急改造グリーン車の方が好きだった。
まあ千葉では短命に終わったが…。 まあ、二階建グリーン車は始めは物珍しくて乗るが、
天井が低くて圧迫感があり必ずしも快適とい言いがたい。
だから俺はもっぱら車端部の標準高の客室に乗る。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています