かつて『新しい時代の到来』を感じた鉄道車両
小さな頃に乗車して衝撃を受けた新型車両とかありましたか?
技術の進歩や未来を感じたかつての鉄道車両を語るスレです。
デビュー当時の思い出から、現状に至るまで色々と語りましょう。 >>159と全く同じ事を、武蔵野線で感じた。
101-1000ばかりのところへ103の高運が新車で入ってきたことに、正直驚いた。
101の転属だと、A基準化改造が面倒だったからかな? >>164
間合いで青森〜盛岡の50系普通引いてたのはよく覚えてる
8181や95も例外なく投入 俺は北総の7000だね。
開業後間もなく沿線に引っ越したが、あの電車は当時の地元の子供にとって一種の誇りだったw
実際には乗り入れてくる新京成の吊掛車のほうが、乗る機会が多かったが・・・ 113系スカ色の二階建グリーン車
消防の頃、大原で初めて遭遇してショックを受けてからは、データイムグリーン券を使い、よく乗りまくったなぁ。
でも、なぜか特急改造グリーン車の方が好きだった。
まあ千葉では短命に終わったが…。 まあ、二階建グリーン車は始めは物珍しくて乗るが、
天井が低くて圧迫感があり必ずしも快適とい言いがたい。
だから俺はもっぱら車端部の標準高の客室に乗る。 185系
165系と併結してやって来てw
14系サロンエクスプレス東京
鉄道ヤバイ、どんどん何でもアリになってくw、と大興奮。
>>170
そこ、空気バネ台車のエア調整音と軋み音が凄いだろ?
個人的には、真夏に初めて乗った山手線103系冷房車。
集中型のUCと扇風機の最高コンビ。ラッシュ時も完璧だった。 JR四国121系。
私鉄を除いて電化とは無縁だった遂に電車が走り始めたかと子供心に感動したものだ。
民営化直前に営業運転を始めたのは国鉄四国総局の最後の意地だったのだろうか。
そして翌年の瀬戸大橋線開業。
展望グリーン車を連結したマリンライナー、四国に初めて乗り入れるブルートレイン「瀬戸」…。
四国の交通体系が激変し、四国はもはや孤島ではなくなり、まさに新時代の息吹きを感じたあの頃…。 乗る通勤車、すれ違う通勤車のどれを見ても78か、80顔の東武にあって10000系の登場は
東武通勤車の21世紀を予感させる出来事だったなぁ。ステンレスカーは地下鉄用みたいなイメージが
ガキの頃から刷り込まれていたし、東武の新形式なんて生まれて二十数年乗ったことなかったし。
同窓生旅行の行程に10000系乗車を入れたら非鉄の連中にも今で言う“サプライズ”?にもなったw
そんな新しいずくめの心なしか落ち着かない新車の車内で伝統のコロラドオレンジの座席は
“いつもの東武電車ですよ”と言う安心感を与えてくれましたねぇ。 何と言っても209系。
ホームに滑り込んでくる時の近未来的なインバータの音、新装備のドアチャイムや車内LED、空気ブレーキの甲高い音、
コルゲートの無いシンプルな車体、シンプルな内装、
座席間スタンションポール(吊り革に手が届かない小さな子供にはとてもありがたい装備だった)、黒い熱線吸収ガラス、そして未来的な顔のデザイン、
乗務員室には何だか分からなかったけど車両の情報を常時知らせるモニター装置…
園児だった俺は、この電車に未来を感じた。
そして、未来はさらに広がりつつある。 国鉄201系
「省エネ201」の前サボに萌えた
京急2000形
阪急6300、京阪3000に相当する車両に、首都圏でも乗れると
思った。
その前の旧600形は、しょぼかったし。
東急9000系
クロス厨と思われるかもしれないが、まさか東急に、車端部だけとはいえ、
ボックスシートが設置されるとは思わなかった。
(京王はあっても、東急はないと思っていた)
さらにこれが、営団地下鉄や、横浜市交に波及するとは。
俺も国鉄201系。
J誌の、昭和54年の国鉄の事業計画のページに確か
キハ183系とともにアナウンスされていたので出現は予想してた。
ある朝のNHKのニュースで車両輸送途中の「それ」が
映像で紹介されたのは衝撃的だった。 221系。
なんて書いたら西厨呼ばわりされるのかしら?
でも当時はものすごく衝撃的だったよ。
117系よりもインパクトは強かったと思う。
初乗りのときに一緒だった4歳の女の子は、
現在1歳の男の子のママになりました。 185系 特急なのにこの色?
リゾート21 デザインが斬新すぎる!
サロンエクスプレス東京 なんと豪華な!
三陸鉄道36形 車内に自販機!
新幹線100系 新幹線にも二階の時代キタ! やっぱりVVVF車ですかね
関西では大阪市20系か近鉄7000系が嚆矢 関東では新京成8800が、東急の9000より少し先にデビューした。
初日に乗りに行った。平日だったような気がする。
東急ではそれに先立ち、旧6000に試験的にVVVFつけて
大井町線で走らせてた。意外な音を出すものだと思った。 >>181
大阪市の20系の音を聞くと、
TMNのラブトレインを思い出す 285系とか今じゃ黒歴史だからな・・・・・マジで一切のPRをやってない。 >>184
それそれ。
当時は普段乗る電車が中央線西武京王くらいだったから、
全く気付かなかったけどね。鉄でもなかったし。
数年前に大阪で聞いたときはこれだ!!!って思った。 成田新幹線車両のイメージ図なんか見て
コーフンしてたなあ 小学生の頃 >>181
近鉄は1421系とかいう二両編成のが最初でなかったかな >>185
E331系もな。直接駆動は「新しい時代の到来」にふさわしい機構だと思ったが、
結局平行カルダンの安定性を覆すことができず。 300系新幹線だな。
国鉄テイストがだいぶ薄れたのが国鉄型車派として寂しかったが、しかし、新時代到来を痛感したもんだ。
300系のぞみデビューのCMや、運転開始当初のトラブルが昨日の事のようだw 俺は651系スーパーひたちのイメージイラスト見たときだな。 銀座線01系。当時鐘ヶ淵に住んでいた幼稚園児だったが、東武には7800系が健在、
銀座線にも釣り掛け式車両が一部残っていたと思う。そんな時代に銀色に光り輝く
車体、ドア上案内表示、開閉チャイムの01系は本当にすごい電車ができたと思った。
話が飛躍しすぎかもしれないが、当時の日本は世の中が豊かになっていくのが実感できる、
未来に夢を持てる良い時代だったなぁ。 >>193
昭和2年開業以来の規格やシステムに支配され、在来車と新車の混用が当然という状態で、
吊り掛け車のT化でカルダン車への切り替えこそ何とか進めたものの、
古い物だと昭和9年製の車両までが昭和50年代半ばまで往来していて、
しかもそれらのブレーキが電磁直通式(SMEEまたはHSC-D)でなく、すべて電磁弁付き自動ブレーキというアナクロワールド。
そんな銀座線を「現代の普通の地下鉄」レベルにまで引き上げたという点で、01の功績は偉大だな。 単に東北地方在住の人がスレにいないだけかもしれないが、
701系
はやはり対象外なんだなw
遅い客車列車を淘汰したはいいが、長距離乗車には不快な走るんです車輌。 いくつかのレスで挙げられてるけど、209系。
非難するわけじゃなく純粋に「寿命半分コスト半分」のコンセプトに衝撃を受けた。
十数年で廃車することを前提に通勤電車を造るなんて想像もしてなかったから、
誤報じゃないかとなかなか信じられなかった。
好景気に浮かれるように華やかな新型車両がデビューしてた90年代初頭から、
ある意味ではかなりの転換期だったなと今更ながら思う。 >>195
通勤客には座席が減って大不評だったからな
冷房化も遅すぎたくらいだし 秋田〜新庄間のようにロングランする列車でも
2両編成だから想定外で座れないことがある。
クハの1両でも増結してくれればいいのに。
一度不快な思いをした乗客は次回は車利用を
選びますます乗客が減ると思うのだが。 >>198
運賃箱積んで車内収受するタイプのワンマン運転は2両編成まで。
だから、増結車をつないでしまうとワンマン運転できなくなってしまう。
編成減車による座席数減で少々客に逃げられても、車掌を減らせる
メリットの方が大きいんだろうな。
車内収受のワンマン運転、四国だと単行でないと認められないそうだが。 >>200
なるほど、そういう事情があるわけですね。
地方は普通列車の利用客なんて慈善事業で
運んでいるくらいの感覚なんだろうな。 東北民だが一応好きなんだけどな701系…。
客が逃げるって言ったって主な利用客はマイカーを利用出来ない通学客だし、ラッシュ時間帯は田舎とはいえ結構混むから3ドアはありがたいがオールロングシートはそのラッシュ時間帯以外が若干、な…。その分前面展望は良いけど。
ってスレチだなゴメン >>193
便乗させてもらうがあの独特なチョッパ制御(?)のノイズも
何か未来っぽい気がした
アニメとかでよくある宇宙からのメッセージを彷彿とさせるなと
子供心に思いました
01系に乗って渋谷の電力館や青山のこどもの城なんかのこれまた近未来志向の新施設に遊びに行く
今考えるといい時代でしたね 束701系
新しい時代と言うより落日の暗い時代の到来を感じたw >>179
俺はその117系
木目調の落ち着いた内装,斬新な塗装,乗り心地の良い転換クロスシート。
その衝撃たるや阪急6300系の比ではなかった。
初乗りの時一緒だった大学生の姉は
現在2歳の男の子の祖母であり、3月末には二児の祖母になります。 阪急8000系&8300系。
俺は、あの「飾り帯」に新時代到来を感じたんだよ!それが、通過時にホームに乱気流を巻き起こすだか
なんだかという理由で撤去とか…。結局ただのつまらん額縁顔電車になっちまった。
あと、阪急ブレーブスが身売りしたのも、こいつらが出た年の秋でしたよね…。ある意味、新時代到来、か…。 >>206
同志よ!Hマークもよく似合っていたよね。 211系ですな。
鬱飲み屋線は殆んど115系だったけど、たまに当たる
211系の車内放送の音質が物凄くクリアなんでビックリした。
例えるなら115系がAM放送、211系がFM放送みたいな・・・ 223系0番台
コルゲートやビードのないステンレス車体でシンプルな丸目のライト。
北欧製の新型シートに座席を減らした広々と開放感のある車内。
近未来的なVVVF音に重なるチャイム。天王寺の渡り線から空を走るんじゃないかと感じた。
その後の223/225系にはあんなわくわく感はなかった。 なんと言っても24系25型の登場!
B寝台なのに2段式だって!?帯がステンレス!?
本当にびっくらしましたよ。
そして50系レッドトレイン!
普通客車なのに自動ドア!座席も12系並みでこれで鈍行用って、なんと贅沢な〜
客車列車は進化し続け、未来はバラ色と確信しましたねー。 JR四国2000系
旧国鉄系のくせに民鉄、否、いかにもド田舎の三セクみたいな型式には正直萎えたが、乗ってみたら確かに
旧国鉄離れな造りで激しく納得。しかもさりげなく土佐くろしお車まで併結という手法は斬新過ぎて萌えた。 >>208
車内放送の音質といえば、個人的には営団新05系の初期の音質のよさには驚きましたね。
それまでの05系が安物ラジカセ程度の音質だったのに対して、新05系は破裂音まではっきりと聞き取れたからなあ。
でもその後に登場した新05系の後期車や15000系は何故か以前の車両のような音質に戻ってしまって残念。 伊豆急2100「リゾート21」
今まで見たことがないシート配列,塗装にドッキリした。
しかもこれが普通列車用でデビュー。
>>213
俺が初めてリゾート21を見たのは東急東横線渋谷駅の1番線だったので
一瞬東横線にこんな車両が走るのかと勘違いした。 205系&211系
103系オンリーだった山手線とほぼ113系が占めていた東海道本線に、それぞれ
登場した時は衝撃的だった。乗り心地も格段に向上したし 相鉄新7000
デザイン不在だった相鉄にあっては、斬新な顔つきだった。
営団01系のような停車駅表示装置も当時としてはハイテクに思えたものだ
もっとも車内に目をやると、1986年製の車両が扇風機かよと突っ込みたくなる有様だったし、
乗り心地の悪さも相変わらずだった。 新幹線100系とアーバンライナーですね。
国鉄型車両、子供心にダセェと思ってた。
もう5年早くうまれてれば、東武1720系や現役の旧レッドアローに乗れたなあ…。 営団新6000系(6122F以降)
一段下降窓とラインデリアの車内に未来を感じた。 >>218
一段下降窓は関西では戦前からあった。
むしろ関西民にとっては営団6000のフロントは衝撃的だった。
なのに二段上昇窓というアンバランス感も。
>>221
ああJRになったな、という感じがした。
これで113や103もなくなるんだなと思ったが、
後者はwww
>>1
DE10とかいう凸型で赤い塗装の変な形をした機関車が、後ろに蒸気機関車を従えながら牽引する貨物列車を
沿線から見たときの衝撃といったら…
(土讃本線入明-円行寺口間で下り方向にこの奇妙な編成の貨物列車は走り去っていったのだった) かなりネガティブな意味で新時代を感じたのはE217かな。
もはや近郊型という存在すら許されないお先真っ暗な時代の到来。 201系
名門三鷹電車区のそばに住んでたから試運転の頃から毎日のように見に行った。
偶然にも営業開始日は学校が運動会の後かなんかで休みだったので、一番電車に乗れた。
扉の小窓、切り抜き文字、ダブルパンタに新しい時代を感じた。
量産車が出るまで特快や支線に入らないのもよかった。 125系
113系とダブルデッカー車の組み合わせが新鮮だった。
阪急6300系
あんなに美しく上品な車両はない。特別料金を取らない
列車としては未だ自分の中ではこれを超える車両はない。
(但し初期のHマーク付き、中吊り広告無し時代)
国鉄381系
これこそ「機能美」。振り子のメカは勿論だけど
重心下げるために屋根をスッカラカンにしたデザイン
に驚愕した。しかも在来特急のイメージも継承して
いて秀逸な車両。
国鉄キハ66+67
関西私鉄の専売特許のような転換クロスシート!
117系登場の時よりインパクトがあった。 >>183
大阪市20系だと旧の方か?新の方か?
またGTO時代か?IGBTになってからか? 小田急9000系、72年の夏だったか、相模大野(だったと思う)で向かい側のホームに停まっているのを見たときは、あの前面形状に衝撃を感じた。
当時の小学生だった自分にとって、これと、千代田線6000系、それに本で見たアメリカのメトロライナーにBARTが、最先端という感じだった。 ガイショツだが上信1000系、コイツは半端じゃなかったぞ!
まず非鉄の奴らでさえ乗った事を自慢していた件、昭和51年にJR東の特急車と同じ旋律のMH、
鉄道唱歌の車内チャイムをも装備していた事、乗客が増えたこと等々…。
東武線民だが、1720系や1800系をもってしてもこの時だけは負けたと思ったw
子供ながら就職するなら東武ではなく上信にしようと本気で考えたねw 211系中京シティライナー
国鉄最後のダイヤ改正だった61・11
それまで『鉄』の電車ばかりだった名古屋付近の東海道線に
颯爽と現れたステンレスの車体!青帯も斬新だった 振子車の特急しなのと聞いて、とある小学生は591系が小田急NSEの如く走るのを想像した。
実際は、183系モドキだったので、彼の夢は砕かれたw DF50の前に新製投入されたED76が連結されて、訓練運転が始まったのを見た時は衝撃だったなー。
世代交代を肌で感じた瞬間。 しかし、そんな路線もいつしか客車列車も貨物列車も廃止されて電気機関車の出る幕がなくなった始末。
そして、こともあろうに電気式ディーゼル機関車に牽引される旅客列車が走り出そうとしてる。 この手のネタは鉄道趣味に目覚めたのがいつかによって評価も変わってくるよな。
非鉄のときは沿線の変化くらいしか興味ないわけだし。
車両ではないが営団がなくなったのが新時代を感じたわ。
国鉄→JRは私鉄沿線のガキだった私からすれば他人事だったし。
鉄に目覚めてから感動したのは311系新快速かな。首都圏の113や115とは
文化が違うと感じたわ。山手線の103→205はあまりいい印象ないな。
ガキの頃から201のほうが格好いいと思ってたし。231になったのは
確かに新時代を感じたけど。 新幹線100系試作編成グリーン車のレッグレスト。
写真で見て感動していたら量産車では普通のに戻ってしまった。 >>239
100系の試作車でアンケート取ったら「つま先がホールドされないのは嫌」
という意見が多かったそうで、元に戻ったらしい。
つま先さえ支えていれば、ふくらはぎの支えは不要とされたんだとか。 通勤電車ではやはり北総開発鉄道7000。
げんこつスタイル前面,カーテン吊皮なし。
車両だけでなく,駅のピクトサインのデザインなども「デザインポリシー委員会」で一体的にやったのが目新しかった。 キハ54
気動車は鈍重なものという固定観念を破る通勤電車並の加速
田舎に当時不似合いなステンレスボディに東武顔(正直何で東武6050なのと思った)
そのルックスから投入当初は旅行客からは相当の違和感で迎えられていた
しかし特急型をはじめ150やさらに201など高性能気動車の幕開けにふさわしい形式だった 熊本市電8200
VVVFなどという言葉も浸透していなかったあのころ…
情報が少なく、見に行ったらデビューの1日前だった… 江ノ電1000
京急800
国鉄201
この3形式には新時代を感じた。登場時期もみんな近いと思う。 岡山の次に広島、長崎が軽快電車(次世代路面電車)を入れた時でしょ。 東急の3000系改造の、日立製作所のインバータ電車 >>245
江ノ電1000と京急800はデザイン的に似ているものがあると思ったね。
JR201は101系103系の不満点を一挙に解消した贅沢な通勤車だったね。
実際車掌で乗務していたけど、いい車だったよ。 キハ183-500
キハ80を思わせるパノラミックウィンドウにハイデッカG車に、暖かみのある斬新な塗装。
これが北海道の大地を走り回るのかーと感嘆しました。
で、少し経ってから。
あれれ、お顔に特急エンブレムが無い(´・ω・`)
あれれ、側面幕板部にJNRバッジが無い(´TωT`) 女子大生の覚醒剤密輸事件無罪判決と同じ日に、この事件を合わせて、
この事件の耳目を極力低くしようとしている何か政治的思惑を感じるな
再生回数4万回間近!これがこの前問題となっていた顔面蹴り動画です
JR西日本の駅員、てんかん患者の顔面にキック!二回目 恐怖の新今宮
https://www.youtube.com/watch?v=RSmSr2m5VmE
てんかん患者の方、乗車中に発作が起きたようです。
駆けつけた駅員、キックを顔面に入れてますね。 常磐線のE501
子供心に
「奇麗で快適な電車だな」
と思った 根室拓殖鉄道 銀竜号
根室もとうとう札幌を越える時が来たかと思った。
銀竜号の車掌をしとりましたが女にモテまくりでした。 京阪6000系かな
前面の非常口の処理、大きな一段下降窓、戸閉め予告など、
昇圧に向けて新車投入というインパクトは強烈だった 1970年代後半のリニア試作車
21世紀には高速鉄道の主役になると思っていたが
まだ新幹線を造っているとか、カッコ悪い新幹線しかないとか・・・
もう鉄道に未来の希望はないのだろうか。 鉄道どころか日本の未来に希望なんか無いじゃないか。 近鉄1420系電車。
記憶があいまいなのでググってみた。(1984年(昭和59年)9月3日に1250系の1251Fとして製造された。)
たしか、曇天のけだるい喧騒の鶴橋駅で見た。そうそう、昭和59年10月中旬だった。
四角、いや六角形で交流電流を示すデザイン。INVERTERと書かれた銀色のエンブレムを付けた真新しい電車だった。
なんだか、どの通勤電車とも違う晴れやかな姿だった。
先頭車に乗り込んだ。財布には、小銭が少々。車内は混んでおり省エネ電車と書かれた張り紙が貼ってあった。
そして、発車。初めて聞くモーター音。中里停車時の回生ブレーキの音。
そして、今里発車。なんとなく「金欠・きんけつ・キンケツ」と少しずつ大きくなる様に聞こえる。
暫くジョイント音。対向列車の音。
そして、布施停車前「カネナイ、かねない、金無い」と音が少しずつ小さくなり、ブレーキ音の後に停車。ドアが開く。
何駅乗り下車。プラットホームで電気代を節約する為、金欠、金無いと聞こえると変な納得の仕方をした。
20年以上たった現在、新型のインバータ付車両はどれも静かだ。そして、大部分の鉄道会社の経営は厳しいと聞く。
懐かしさを感じる車両でもあります。 新京成8800形は衝撃だったな。インバータ制御に銀縁の一段下降窓のスッキリした外観。
残念ながら新しい時代の現実はそんなに明るくないけど‥。 >>258
初期の京急800は側面方向幕が黒くで銀色で覆われているのがカッコ良く見えた。
途中製造分から銀色はなくなった。 701系電車。
彼のスレにも書いたけど…
忘れもしない1993年6月。
時刻表を見た時、今までは数字だけやDだった普通列車の列番に「M」が付いてたのを見て、マヂで感動した。
「秋田の鉄道の夜明けだぁ!」
と思ったもんだ。
物心ついた時から「普通電車」が走っていた地域の人たちには、この気持ちは分からないだろなw 253系。
航空機がそのまま線路に乗ったようなカラーリングと濃いスモークガラス、フラッシュサーフェス化された車体が国際線に乗る前の高揚感を盛り上げてくれた。 故近鉄3000系
もはや説明不要の、近鉄最初にして、現時点では最後の、孤高のステンレス車両
これが出た当初、乗ったらもちろん、目撃情報を寄せただけでもクラスの自慢ネタだったw キハ181系が四国にお目見えしたときの感動も、なかなか。
(これより少し前、山陽本線の姫路付近で「おき」という愛称で走るキハ181系ならば目撃しているが)