かつて『新しい時代の到来』を感じた鉄道車両
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小さな頃に乗車して衝撃を受けた新型車両とかありましたか?
技術の進歩や未来を感じたかつての鉄道車両を語るスレです。
デビュー当時の思い出から、現状に至るまで色々と語りましょう。 東の719。
東北にもついに211系と同レベルの新造車が来たとwktkした
>>105
スレ違いだが現状の特急券+寝台特急券を止めて寝台特急券一つにして値段を抑えれば
自分も利用するんだけどなぁ。
高くてあけぼのを利用する気がしない… 500系は度肝をぬかれたなあ…
あれに匹敵する感動というか震えは前にも後にもない
あと地元補正で京成の3700。
地味な車両が多く、割合後年までコルゲートの3600を作ってたのに
205系や東急9000並みの綺麗な車両がきた…と感激した。 E217かな、地元路線待望の新型車両だったし。
当時、夕方の旅番組で横須賀線が取り上げられた時も
「未来感ある電車」として冒頭で扱ってくれた。
賛否両論ある車両だが、東日本の次世代型近郊型の先駆けとなった。 一部の痛いヲタからは東日本終了の始まりとも言われてたな。
その痛いヲタの人達的には近郊車両なのに209系と似たデザイン、4ドア、ロングシートが
気に食わなかったらしいけどどうでもいいなw 215系。子供の時の科学雑誌の未来予想図に出てくる2階電車による着席通勤を実現したしな。
TGVみたく動力を両端に集中させているのも、新しい時代の電車の在り方として映った。
ATCまで付けて増備したし、貨物線通してまでダイヤ組んだし。
こいつはその内東京5方面すべてに入ると思ったねw 小田急VSE
シートが硬いとか言われてるけど外見・内装デザイン共斬新だった 国鉄101系、
営団6000系、
都電7000更新車、
近鉄初代アーバンL、
九州の水戸岡デザインの特急車。 やっぱ京浜東北209だね。
あの当時はもっぱら京急しか乗らなかったので、シンプルで近未来的なデザインはビックリしたよ。 京王5000系
アイボリーホワイトに赤い線(ひげ有り) 深緑や茶色い電車などの他、他社私鉄も濃い色のツートンが主流の時代に
あの白い車体には驚いた! >>116
小田急のケープアイボリーにロイヤルブルーというのも当時では非常に都会的な印象があった 東武のアイボリー1色や名鉄の赤一色は手抜き時代到来を感じた。 >>118-119
ここは阪急のマルーン一色て言わんと。
アレこそ手抜きの極致じゃねーかwww
>>120
いやむしろ阪急マルーンは>>116の
>深緑や茶色い電車などの他、他社私鉄も濃い色のツートンが主流の時代
に入るでしょ >>110
付属の5両編成も絶対にできると思っていた。 基本的に気動車派だから
キハ183 0
キハ183 500
キハ185
JR化後だけど
キハ85
にはいちいち驚かされた。
以外とアルコンの類は驚かなかったな(それを言ったら名鉄のパノラマDXに、になるかな)。
あと新車じゃないけど1983年頃の試験塗装には、本気でこんなんになるのか、と時代の変遷を感じた。 >>121
阪急擁護は結構だが 茶色い電車と阪急マルーンに違いがどうあるのか
小一時間(ry >>124
???
茶色い電車と阪急マルーンに時代の違いがないと言っているこの文から
どこをどう読んだら阪急擁護って出てくるんだ?馬鹿?
185系、117系、201系、203系、183系DC・・・
1980年初頭に続々デビューして、国鉄復活を確信したんだけどな(汗
そのとき買った朝日新聞社「世界の鉄道」はまだ実家にあるw
やっぱり205系/211系かな?
軽量SUS車体、ボルスタレス台車/界磁添加励磁制御・・・
国鉄らしからぬ新機軸を数々採用、当時の中学生にはかなりのインパクトだった。
前後して登場した100系新幹線、名鉄パノDX、ジョイフルトレイン・・・
あの頃の日本の鉄道はリストラの真っ只中ではあったけど、その分夢とか希望を感じさせる新車が多かったよ。
で、今日の新車は
極限まで無駄を削り落とした「薄っぺらな箱」ばっかりで、魅力も糞も感じさせない・・・orz 実体験のある中では、
京阪6000系の交野線時代のインパクトが絶大。
それまでの交野線といえば
1300系や1700系といった、内装が木の陰気な雰囲気の車両ばかりだったから、
6000系の明るい車内には
「これで京阪も片町線並みになったなぁ」
と驚いたものだ。
リアルで知らない中では、
やっぱり国鉄151系じゃないかな。 例えば209系だな。
余計なアコモ修繕せずに、技術と乗客ニーズに対応して、車両のコストダウンと、更新率を上げる。すんばらしい。
これからのJRは飯田線の様な旧型国電の寄せ集めでは無くなるのだ。
実は千葉に209は残り、これからのご奉公をするのだろうが、内房線など、お情けで存続されている路線ならば209でも十分だろう。
多分これから217、231と、投入されるのかも知れないが、沿線住民は感謝すべきだ。
JR東日本が目指した、車両に無駄なカネを掛けない、という思想がある。
この思想の恩恵を真を受けているのは内房線、外房線等の沿線民であろう。陳腐な中古電車でも良い、地元を走ってくれるならば。
いろいろな場面で、感謝の気持ちを忘れててはいけないと思う。 いやでも209系には久々に新たな時代の到来を感じさせられましたよ、
希少価値があった頃までだったかもしれないが…
そのじつ、国電をリスペクトした最後のデザインだったのかもしれないし。 何を最初に見たかはよく覚えてないけど、やはりLEDを使用する車両を見たときは衝撃的だったな。 >>130
>路線毎の雰囲気が
とかよく鉄オタは言うけど正直そんなもんただの懐古だろ
全国どこでも似たようなデザインってなら国鉄時代のほうがひどい 今でこそ爆弾汚物の105系。
中古車が相場の地方電化路線に垢抜けたパンダ顔の新車投入された。
従来の旧国のスジなら1M2TでもOKとか。
チープな地方路線の電力事情にも対応できるあたりも地方電化路線への本腰と見てとれた。
非冷房?まだ都会でも非冷房車が結構あった時代だったしななw ここにいる人的にアレだけど701系
我が田舎にもついに電車&冷房が…。
初めて209系に乗ったとき「701と同じVVVF音だ!」ってびっくりしたなぁ。
阪急8000系。
2000系から延々と続いた阪急電車の顔を2200系・6300系でマイナーチェンジしたのち、
とうとう大きく変えて来たなと感じた車両。上手に「額縁スタイル」を取り入れた
(初期車の飾り帯は余計だと思ったが)前面デザイン、肩のアイボリー色、
VVVF制御、一部は電動で開く側面の大きな窓とやや濃く落ち着いた木目の内装。
神戸・宝塚寄り2両のクロスシート車から見る、沿線の風景は新鮮に思った。
昨今の5000系ほか更新車の妙な前面デザインや、アイボリー色の安易な乱発は何とも…。 >>137
20世紀においては、左右非対称のアルミ車体、広い貫通路で21世紀を感じさせた。
21世紀においては、中途半端な幅の座席、ドッカンドアで20世紀の遺物だと思った。 381系だ。
屋根に何もない、下膨れの出で立ちに、
進化を見た。
783って、九州特急ではなく九州内特急だよな。
九州特急とは、東京と九州各地とを結ぶ
固定編成客車で組成される寝台特急列車のこと。
>>140は「??」だね。 九州特急、14系が登場するころには
すでに「ブルートレイン」と呼ばれていたね。
やはり20系だね、九州特急は。 阪神8000系
あの阪神が一気に洗練された…気になったwww >>144 阪神新8000系が一枚下降窓になったから山陽5000系があのような窓形状にしたと当時の山陽の社長が語ってたな。
進藤と申します。今年88歳になります。やはりキハ43000にございます。 Max(E1系)はデビュー当時にわざわざ乗りに行った。
だが、あの6列自由席やお世辞にも美味しいとは言えない弁当自販機にはいろんな意味で「新しい時代の到来」を感じた。 >>146
わたしゃ59歳で、トンネルに入っても客車の窓を閉めなくていいDF50。 北総7000形だな
小学校中高学年になって電車の形式とか分かり始めた頃だったし
地元に近かったし
あの買Xタイルのマスクと整然と並ぶ固定窓… キハ66だな。一般型なのに空気バネと転換クロスシートに冷房付。
当時の国鉄としては破格のサービス。製造コストは相当なもの
だったと思うよ。 201系量産車(運転台直後の戸袋窓なし)が登場したとき
中央快速線にもATC化の計画があるのかと一瞬思った。
もし本当に201系のATC車が登場していたら
非ATC車との区別はどうしていたのだろうか。 205系の非ATC車が登場したときは
わざと戸袋窓を復活させるのかと憶測していたな 東京メトロ16000系
PSMS独特の起動音 車内LCDモニター ガラス張りの貫通扉に千代田線も新時代だなと思った
203 6000 新車の233 4000すらも霞んで見えた 椅子は残念だったが… 営団(現東京メトロ)銀座線01系。
ほとんどの車両が黄色い鋼製の停電くんだった昭和59年、眩いばかりの銀色の車体、銀座線内では
聞きなれない音のタイフォン(在来車の警笛は今の万系が装備しているトロンボーン笛だった)、現在の
車両ではほぼ標準装備の車内の駅名表示機etc、当時としてはあらゆる面で斬新な車両でした。 その01系ももうじき引退か。時の経つのは早いな。
だが新1000が登場しても01系を初めて見たときのような衝撃は無いだろうな。 >>91-92
小学生の頃、片町線に103系高運が入った時子供心にものすごくインパクトを感じた。
それまで前面のウィンドウが大きくて何となくボロい101系を見慣れてたから高運で冷房があってピカピカな車両を見て乗りたいと思った。
E501系が登場した頃、複々線区間で06系との併走に遭遇した時は
常磐線新時代を感じたものだ。
どちらも全く増えなかった上にE501系は複々線区間に来なくなってしまったがな… 東急9000系。
大井町線に何食わぬ顔でやって来た。
ボックスシートに停車駅表示に自動放送と、21世紀を予感させる車両だった。
25年経って大井町の最大勢力になるとは思わなかったがなw
池上線にやって来た7200系。
別に新車じゃねえが、吊り掛けオンリー(当時)の池上線にステンレスボディーは衝撃だった。 >>99
銀座線01系に同意。
1984年、タイムスポットのように旧型車だけだった銀座線に満を持しての登場。
この時代に東京のど真ん中で、これほど劇的に新車が登場したのは東海道新幹線の開業以来20年ぶりのの衝撃だったな。
ちなみに登場時は冷房はなかったはず。 >>152
E1の弁当自販機に 蕎麦もあったっけ?
最初のころは冷凍寿司(解凍して出てくる)だったと思ったが…。
開業初日のMaxやまびこ11号2階席に東京→盛岡まで乗ってみたものの、
車内放送でも何一つアピールも無かったのには閉口した記憶が…
個人的には、北斗星運転開始に関連して、東北本線をスルーすることに
なったEF81だったかな。
デビューしてから15年以上たってからの本丸抜擢だったし。
北斗星のダイヤ見て、あまりの速さにびっくりした。
知り合いの運転士が、続行の回送電車乗務の際に目いっぱい追いかけて
みたものの、全然追いつかなかったって言ってた。
あとは、デビュー当時、何度か機関車故障があったんだけど、田端から
青森まで、白昼単機回送で送り込みなんてのもあった。
単回9005レだったかな…。
田端12時→仙台17時→青森22時〜折り返しすぐさま北斗星引いて帰って
きた。
送り込みで来たのが、なんとEF81 95号機で、翌日の北斗星が、81-95+
故障した81-81(無動)の重連で帰ってきた。
>>159と全く同じ事を、武蔵野線で感じた。
101-1000ばかりのところへ103の高運が新車で入ってきたことに、正直驚いた。
101の転属だと、A基準化改造が面倒だったからかな? >>164
間合いで青森〜盛岡の50系普通引いてたのはよく覚えてる
8181や95も例外なく投入 俺は北総の7000だね。
開業後間もなく沿線に引っ越したが、あの電車は当時の地元の子供にとって一種の誇りだったw
実際には乗り入れてくる新京成の吊掛車のほうが、乗る機会が多かったが・・・ 113系スカ色の二階建グリーン車
消防の頃、大原で初めて遭遇してショックを受けてからは、データイムグリーン券を使い、よく乗りまくったなぁ。
でも、なぜか特急改造グリーン車の方が好きだった。
まあ千葉では短命に終わったが…。 まあ、二階建グリーン車は始めは物珍しくて乗るが、
天井が低くて圧迫感があり必ずしも快適とい言いがたい。
だから俺はもっぱら車端部の標準高の客室に乗る。 185系
165系と併結してやって来てw
14系サロンエクスプレス東京
鉄道ヤバイ、どんどん何でもアリになってくw、と大興奮。
>>170
そこ、空気バネ台車のエア調整音と軋み音が凄いだろ?
個人的には、真夏に初めて乗った山手線103系冷房車。
集中型のUCと扇風機の最高コンビ。ラッシュ時も完璧だった。 JR四国121系。
私鉄を除いて電化とは無縁だった遂に電車が走り始めたかと子供心に感動したものだ。
民営化直前に営業運転を始めたのは国鉄四国総局の最後の意地だったのだろうか。
そして翌年の瀬戸大橋線開業。
展望グリーン車を連結したマリンライナー、四国に初めて乗り入れるブルートレイン「瀬戸」…。
四国の交通体系が激変し、四国はもはや孤島ではなくなり、まさに新時代の息吹きを感じたあの頃…。 乗る通勤車、すれ違う通勤車のどれを見ても78か、80顔の東武にあって10000系の登場は
東武通勤車の21世紀を予感させる出来事だったなぁ。ステンレスカーは地下鉄用みたいなイメージが
ガキの頃から刷り込まれていたし、東武の新形式なんて生まれて二十数年乗ったことなかったし。
同窓生旅行の行程に10000系乗車を入れたら非鉄の連中にも今で言う“サプライズ”?にもなったw
そんな新しいずくめの心なしか落ち着かない新車の車内で伝統のコロラドオレンジの座席は
“いつもの東武電車ですよ”と言う安心感を与えてくれましたねぇ。 何と言っても209系。
ホームに滑り込んでくる時の近未来的なインバータの音、新装備のドアチャイムや車内LED、空気ブレーキの甲高い音、
コルゲートの無いシンプルな車体、シンプルな内装、
座席間スタンションポール(吊り革に手が届かない小さな子供にはとてもありがたい装備だった)、黒い熱線吸収ガラス、そして未来的な顔のデザイン、
乗務員室には何だか分からなかったけど車両の情報を常時知らせるモニター装置…
園児だった俺は、この電車に未来を感じた。
そして、未来はさらに広がりつつある。 国鉄201系
「省エネ201」の前サボに萌えた
京急2000形
阪急6300、京阪3000に相当する車両に、首都圏でも乗れると
思った。
その前の旧600形は、しょぼかったし。
東急9000系
クロス厨と思われるかもしれないが、まさか東急に、車端部だけとはいえ、
ボックスシートが設置されるとは思わなかった。
(京王はあっても、東急はないと思っていた)
さらにこれが、営団地下鉄や、横浜市交に波及するとは。
俺も国鉄201系。
J誌の、昭和54年の国鉄の事業計画のページに確か
キハ183系とともにアナウンスされていたので出現は予想してた。
ある朝のNHKのニュースで車両輸送途中の「それ」が
映像で紹介されたのは衝撃的だった。 221系。
なんて書いたら西厨呼ばわりされるのかしら?
でも当時はものすごく衝撃的だったよ。
117系よりもインパクトは強かったと思う。
初乗りのときに一緒だった4歳の女の子は、
現在1歳の男の子のママになりました。 185系 特急なのにこの色?
リゾート21 デザインが斬新すぎる!
サロンエクスプレス東京 なんと豪華な!
三陸鉄道36形 車内に自販機!
新幹線100系 新幹線にも二階の時代キタ! やっぱりVVVF車ですかね
関西では大阪市20系か近鉄7000系が嚆矢 関東では新京成8800が、東急の9000より少し先にデビューした。
初日に乗りに行った。平日だったような気がする。
東急ではそれに先立ち、旧6000に試験的にVVVFつけて
大井町線で走らせてた。意外な音を出すものだと思った。 >>181
大阪市の20系の音を聞くと、
TMNのラブトレインを思い出す 285系とか今じゃ黒歴史だからな・・・・・マジで一切のPRをやってない。 >>184
それそれ。
当時は普段乗る電車が中央線西武京王くらいだったから、
全く気付かなかったけどね。鉄でもなかったし。
数年前に大阪で聞いたときはこれだ!!!って思った。 成田新幹線車両のイメージ図なんか見て
コーフンしてたなあ 小学生の頃 >>181
近鉄は1421系とかいう二両編成のが最初でなかったかな >>185
E331系もな。直接駆動は「新しい時代の到来」にふさわしい機構だと思ったが、
結局平行カルダンの安定性を覆すことができず。 300系新幹線だな。
国鉄テイストがだいぶ薄れたのが国鉄型車派として寂しかったが、しかし、新時代到来を痛感したもんだ。
300系のぞみデビューのCMや、運転開始当初のトラブルが昨日の事のようだw 俺は651系スーパーひたちのイメージイラスト見たときだな。 銀座線01系。当時鐘ヶ淵に住んでいた幼稚園児だったが、東武には7800系が健在、
銀座線にも釣り掛け式車両が一部残っていたと思う。そんな時代に銀色に光り輝く
車体、ドア上案内表示、開閉チャイムの01系は本当にすごい電車ができたと思った。
話が飛躍しすぎかもしれないが、当時の日本は世の中が豊かになっていくのが実感できる、
未来に夢を持てる良い時代だったなぁ。 >>193
昭和2年開業以来の規格やシステムに支配され、在来車と新車の混用が当然という状態で、
吊り掛け車のT化でカルダン車への切り替えこそ何とか進めたものの、
古い物だと昭和9年製の車両までが昭和50年代半ばまで往来していて、
しかもそれらのブレーキが電磁直通式(SMEEまたはHSC-D)でなく、すべて電磁弁付き自動ブレーキというアナクロワールド。
そんな銀座線を「現代の普通の地下鉄」レベルにまで引き上げたという点で、01の功績は偉大だな。 単に東北地方在住の人がスレにいないだけかもしれないが、
701系
はやはり対象外なんだなw
遅い客車列車を淘汰したはいいが、長距離乗車には不快な走るんです車輌。 いくつかのレスで挙げられてるけど、209系。
非難するわけじゃなく純粋に「寿命半分コスト半分」のコンセプトに衝撃を受けた。
十数年で廃車することを前提に通勤電車を造るなんて想像もしてなかったから、
誤報じゃないかとなかなか信じられなかった。
好景気に浮かれるように華やかな新型車両がデビューしてた90年代初頭から、
ある意味ではかなりの転換期だったなと今更ながら思う。 >>195
通勤客には座席が減って大不評だったからな
冷房化も遅すぎたくらいだし 秋田〜新庄間のようにロングランする列車でも
2両編成だから想定外で座れないことがある。
クハの1両でも増結してくれればいいのに。
一度不快な思いをした乗客は次回は車利用を
選びますます乗客が減ると思うのだが。 >>198
運賃箱積んで車内収受するタイプのワンマン運転は2両編成まで。
だから、増結車をつないでしまうとワンマン運転できなくなってしまう。
編成減車による座席数減で少々客に逃げられても、車掌を減らせる
メリットの方が大きいんだろうな。
車内収受のワンマン運転、四国だと単行でないと認められないそうだが。 >>200
なるほど、そういう事情があるわけですね。
地方は普通列車の利用客なんて慈善事業で
運んでいるくらいの感覚なんだろうな。 東北民だが一応好きなんだけどな701系…。
客が逃げるって言ったって主な利用客はマイカーを利用出来ない通学客だし、ラッシュ時間帯は田舎とはいえ結構混むから3ドアはありがたいがオールロングシートはそのラッシュ時間帯以外が若干、な…。その分前面展望は良いけど。
ってスレチだなゴメン >>193
便乗させてもらうがあの独特なチョッパ制御(?)のノイズも
何か未来っぽい気がした
アニメとかでよくある宇宙からのメッセージを彷彿とさせるなと
子供心に思いました
01系に乗って渋谷の電力館や青山のこどもの城なんかのこれまた近未来志向の新施設に遊びに行く
今考えるといい時代でしたね 束701系
新しい時代と言うより落日の暗い時代の到来を感じたw >>179
俺はその117系
木目調の落ち着いた内装,斬新な塗装,乗り心地の良い転換クロスシート。
その衝撃たるや阪急6300系の比ではなかった。
初乗りの時一緒だった大学生の姉は
現在2歳の男の子の祖母であり、3月末には二児の祖母になります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています