かつて『新しい時代の到来』を感じた鉄道車両
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小さな頃に乗車して衝撃を受けた新型車両とかありましたか?
技術の進歩や未来を感じたかつての鉄道車両を語るスレです。
デビュー当時の思い出から、現状に至るまで色々と語りましょう。 201系。宇宙船みたいなチョッパの音には心底おどろいた。 日比谷線3000系
まだ旧型車両が幅を利かせていた中、あの銀色をピカピカ光らせて走る姿に未来の電車を感じ
憧れたもんだ
あれから40年、果たしてそのとおりになったが、今は逆に昔の鋼製車が懐かしい 新幹線500系
これほんとに鉄道車両?という感じがした。 浅電のモハ3501だったかなぁ
ドア窓に「自動扉」と書いてあるのを見て感動した。 >>8
>>9
651系も500系も初めて見たときは心底ぶったまげた。
子供の頃絵本で見た「未来の電車」が目の前を走っていたのだから。
鉄道車両を見てワクワクしたのはあの頃までかな。
最近の新車はトヨタのミニバンを見ているようでむしろがっかりする。 旧カラーの400系
200系や485に見慣れていたせいか衝撃的だった
>>13
>トヨタのミニバン
コスト削減(デザイン費含む)と整備性の共有を図る為とじゃないのかな。
私にとって、初めて10系軽量客車を見た時、その斬新なヨーロピアンスタイルの新型車に驚いたものだ。また、スポークのない車輪にも当時の国鉄の御自慢をかんじた。
いまでも私にとっては10系軽量客車は新型客車のイメージがある。 ここの板ではまだ新しい方やろうけど、南海50000系。
本気であんな車両をつくるとは思わなかったw 若造で申し訳ないが、201系がそうだった。103系ばっかりだった中であの黒い顔は斬新だった。 すでに鬼籍に入っている祖父が生前にD51のボックス動輪を太鼓焼きと言っていたのをなっかしく思い出した。
蒸気機関士だった祖父にはそれまで大口径のスポーク動輪を見慣れた目にはD51の新型のボックス動輪がとても奇妙な物に見えたらしい。 583系。
窓ガラスにブラインドが仕込まれてるとか斬新だった。 仙台市交1000系
ファジー理論を採り入れたATO運転 205系
201系よりスペックダウンしているとは知らず
ただ「国鉄にも本格的にステンレス車の時代か」と感心した。
他励界磁制御なるのも斬新だったし。(近鉄や京阪では普通の技術とは後で知った) >>6
新聞記事で見たとき、なんでこんな強い影が映りこんでいるんだろう?
と思った。 東海道新幹線をはじめて見た時は驚いた。まるで飛行機が線路の上を走っている様だった。
また、それまでの列車種別が普通、急行、特別急行であったのに対し、新幹線は超特急と駅の掲示板に表示されていて如何にも新しい世代の列車の感が強かった。 山形新幹線400系
いよいよ新在直通時代の幕開けかと思ったが、これ以降は秋田新幹線が開業しただけでちょっと残念。 北総開発鉄道7000形
フランスの電機を彷彿させるΣ型の前面、ステンレス無塗装にフィルム張りの外観、固定窓
吊り革が無いすっきりした車内など、通勤型車輌としては当時非常に斬新で垢抜けた印象があった
しかし、親会社京成には当時最新鋭だった3500形も赤電3300形ですら生き残っているのに
それよりも新しいこの車両が既に廃形式なのは大変残念だと思う 営団地下鉄の6000系、7000系。
コルゲートのない銀色の車体、左右非対称の前面で、21世紀の電車はみんなあんな風になると思った。
「チョッパ制御方式」も、何が何だかわからないけど凄い方式だと思った。 京急2000形
それまでの京急車両のイメージを覆す外観・車内。 201系な
あの国鉄が、「やれば出来るジャン」
と、感じた電車でしたね。
JRだと、西の221だな 国鉄205系 ついに国鉄がステンレス採用に加えて、大きな側面窓が、通勤型なのに特急型の窓かとインパクトが大きかった。
西武6000 西武にも来たビートステンレスの波だが、前面デザインと青のカラーは、人目で判る新型の存在感ですごかった。また、当時のインバータではかなり静かなのも良かった。
昔の横浜市営地下鉄
当時は珍しかった自動改札
汽笛のような警笛を鳴らして到着した
つうか最近千葉都市モノレールを初めて見て未来を感じたわ 相鉄の6021
今までのベタ塗りからシンプルに銀と赤になって、びっくりした。 銀座線の01系
デザイン云々より車内に案内表示機が搭載してあるのに驚いた 東武9000系
当時セイジクリームの8000と73/78,貨物しかなく
ホントに野暮ったかった東上線に
彗星のごとく現れた紅一点
道行く人々みんなが振り返って注目を浴びてたっけ
名鉄6000系
あの異様にサイズの小さい固定クロスに未来を感じた。 >>27
分かるよ分かる、俺もスペックダウンに気づかずに騙されていたことがあったなあ。
205とは違うけど、後日普及したバケットタイプのロングシートもわざわざ手間暇かけて座り心地の向上のために頑張ってくれたんだって素直に感激していたもの。 京阪6000系
半鋼製車ばかり走っていた交野線に
いきなりこれが投入されたときはびっくりした。
105系。
扉部ブツ切りの帯シールにショックを受けた。
コスト最優先とはいえ、これからの時代は見た目を完全に無視した車両を
送り出すようになっていくのか、と。
そしてその通りになった。 大阪市交10系。
左右非対称の前面、屋根のR、冷房付き、座席のモケットと、
それまで自分が抱いていた大阪市営地下鉄の車両のイメージを覆すものだった。 上信1000系
前面一枚窓に側面のカラーリングのデビウ姿を初めて見たとき(関西なので
「鉄道ファン」のグラビアだけどw)は
消防の俺には「おーっ出たか・・」って感じで眩しく印象に残ったな。 寝台車14系
寝台幅も10系、20系の52aから70aになったけど、20系のような夢がなくなった客車だと思った。
これも時代の流れかと。
後日乗車したら寝台幅70aは快適だったw
もちろん個人的に一番好きで印象に残っているのは10系急客寝台ですが。 20系客車の末期に同じブロックに乗車してきたヤンキー女が
なにこれー!メチャンコ狭いじゃん!とキレていたのを思い出したw 近鉄8810系で新時代を感じ
3200系で未来を感じた自分には
今のシリーズ21に至っては違う世界に来たような気分 北総7000形の登場にはなんてかっこいい新車なんだと衝撃を覚えた
次作の9000形にはなんてカッコ悪い新車なんだと衝撃を覚えた アーバンライナー
内装もスピードも何もかもが変わった気がした。 C-Flyer
あれがアクセス特急、というなら誰もが納得しただろうなw >>63
あーわかるわ。
オレも鉄道にワクテカしたのは厨房までだったが、651系ひたちがデビューしたときは
わざわざ乗りに行ったわ >>7
つりかけ車が未だ幅を利かせていたあの頃、起動音「ひゅい〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」に萌えた。
未だ「萌え」の流行の欠片もない頃だったが、おいらは萌えた。 冷房車かなあ
片ミンデンの空気ばねかなあ
自動の方向幕のような気もするな〜 新幹線(東海道のみ0系のみの頃だけど)だなやっぱり。
柵(確か熱海にはあった)とかも無かったけど、
やっぱ在来線と一線を隔する違いを感じたし、同じ印象を持った方も多かったと思う。 EF200-901や、EF500-901だな
1軸1,000kWは衝撃的だった
…EF210や510、EH500などが増殖している今の状況を見るにつけ、
『新しい時代』が到来しなかったことを痛感しているがw 実感した、に重きをおけば冷房車(普通列車の)だなぁ。
毎日の事だけに。
昔の電車はよく冷えとったなぁ〜 221系のカラーリング
従来のツートンや単純帯じゃない、
色も変な茶色なのに、すごく洗練されて見えた。
12系客車
昔、バアチャンが信仰してた某宗教団体の催しへの波動輸送で仕立てた
団体専用で初めて目にしたとき、今まで古臭い客車しか見たことない
(地方なのでブルトレなんて・・w)幼い俺の目には、鮮やかな青20号に
白帯、冷房完備の近代的なたたずまいに、遠い異国からやってきたかのような
ときめきを覚えたっけなw (幼稚園の年長位の頃やしなー) >>72
富士宮に行ったんか?
ま、信仰は自由だし、いい経験ができたね。
俺は横須賀総武地下線が出来て列車(113系1000番台)の集中配置で、一気に冷房化100%達成が嬉しかったよ。
停車駅は東海道より多いけど、夏の快適さは横須賀線が一枚上だったなあ。 旧国鉄では、やっぱり80系湘南型。それから151系こだま型。
私鉄では、東急/5000系(あおがえる)。それから小田急/3000系(SE)。
1985年の夏、初めて18きっぷで全国を回ったが
常磐線いわき仙台、東北線仙台盛岡、北陸線直江津敦賀、鹿児島本線八代鹿児島が冷房車100%の空気バネには驚いた
首都圏はまだ非冷房がいっぱいあったのに地方の方に未来を感じた 205系&209系の6ドア車は「混雑緩和になる」とデビュー時は嬉しかったが、
いざ乗ってみると椅子無しは辛いし、9時になって椅子を解放しても209系以外は他の車両より椅子固いし・・・ 東武1800系りょうもう。
赤&白、東武一大きな側窓、パノラミックウインドなど東武の中でも異色中の異色。
当時の伊勢崎線、桐生線、佐野線を考えるとまさしく“はきだめに鶴”!
ホームからデッキに足を踏み入れる瞬間、心なしかワクワクしたね… >>70
俺は50系が登場した時、もう客車列車もダメだ、ってひどく落胆したけど。
人それぞれですね。 ・東海371系
まるで新型のミニ新幹線のようなフォルムで本当に在来線やさらに小田急線にまで走るのかと、従来車との違いがありまくりだった
・京阪800系
今まで、古い車両しか走ってなかった路線に、オリジナル塗装で、本線にすらないLED表示やシングルアームパンタは何もかも新鮮すぎた。
今となっては新幹線並の高価な車両だったんだな…
・新幹線N700系
何もかも完璧だけどシンプルな車両がついに登場したんだなと時代の進歩を感じた。 相鉄3000。
とある本に「VVVF制御試験の予定。」とあって、子供心に意味もなく凄そうと思ってた。
実際に動いてるのを見たら、妖しい音立てて走ってる姿に、凄い感動した。 285系電車とE26系客車。あの時は夜行列車新時代を感じたのだか・・・ 117系新快速シティライナーだな。
あの当時の国鉄近郊型電車にしては内外装とも垢抜けた印象で、
当時現行型の153系が古臭く思えたもんだ。
けど、今どっちに乗りたいか聞かれたら圧倒的に153系だな。 キハ110かな?
今まで存在したキハの系列とは違ったスタイルと内装。
新しいローカル線の時代がきたのかと思わされたが、
これからコレがキハ40や28から置き換わってしまうと思うと寂しくもなった。 >>89
キハ110は初めて乗った時に、その加速にびっくりした思い出がある。
気動車といえば、モソモソのろ〜っと加速して上り勾配にかかると、
途端に速度が落ちて、エンジン唸らせてようやく上るのが普通だったのに、
20パーミル上り勾配でもグイグイ加速して自動車をぶち抜いていくものだから。 鴻池新田のホームで初めて207系を見た時は驚いた。
オレンジ一色の片町線に、シルバーで大きな窓。車内に乗り込めばドア上LEDにチャイム。走りだしたらVVVFの心地よいサウンド。
親に早速207系の載った雑誌買ってもらったっけな。 207系は新鮮だったな、
向かいの席に座る人がなんか遠い、
とにかく広く感じたよ。 小田急9000系と京王6000系
60年代後半までに一応、私鉄の新性能車の顔ぶれはそろってたけど、
この両形式はなんか違う、都会的なイメージが感じられた(個人的な印象だけど)。
何だろうと思ってたが、たいしたことないw、黒地に白抜き文字の表示幕が
洗練された印象があったってだけ。(でも東京の私鉄ってわしら関西とは
また違う色合いがあるんよな、とは思ってたけどね・・) 東急8000のワンハンドル運転台。ステンレスカーはすでに珍しくなかったが。 京急800
初めて横浜駅で800の急行を見たとき
すごい感動して
家と逆方向の新町までつい乗ってしまった 国鉄電車80系。
客室輸送の廃止の切札。
アコモも客室並、加速にいたっては。 300系新幹線
270キロ運転
これまでにないフォルム
大型パンタカバー
「のぞみ」という愛称
名古屋飛ばし
度重なるトラブル
0系、100系という従来型の新幹線の中で、この車両は明らかに異彩を放っていた 銀座線の01系。上野のホームで「フォン!」という聞きなれない警笛音とともに
これが颯爽と現れた時、在来車(停電野郎2000形)がものすごくオンボロに見えた。 そりゃあもちろん京急2000形ですよw
初めての両開きドア、密着連結器…。
萌えたな〜。
ほんでもって100ゲット。 >>101
(´つω・`)101系って書いて欲しかった。 >>102
103系はちょっと無理があるかw
でも101系に新しい時代を感じたとしたら、そいつは60くらいのジジイなんじゃね? 西武6000。
それまでの黄色一色からよくあそこまで変わったなと。 >>84
どちらも増備の構想はあったけど、結局行われず。
その後JRは夜行列車縮小・廃止へまっしぐら・・・。 東の719。
東北にもついに211系と同レベルの新造車が来たとwktkした
>>105
スレ違いだが現状の特急券+寝台特急券を止めて寝台特急券一つにして値段を抑えれば
自分も利用するんだけどなぁ。
高くてあけぼのを利用する気がしない… 500系は度肝をぬかれたなあ…
あれに匹敵する感動というか震えは前にも後にもない
あと地元補正で京成の3700。
地味な車両が多く、割合後年までコルゲートの3600を作ってたのに
205系や東急9000並みの綺麗な車両がきた…と感激した。 E217かな、地元路線待望の新型車両だったし。
当時、夕方の旅番組で横須賀線が取り上げられた時も
「未来感ある電車」として冒頭で扱ってくれた。
賛否両論ある車両だが、東日本の次世代型近郊型の先駆けとなった。 一部の痛いヲタからは東日本終了の始まりとも言われてたな。
その痛いヲタの人達的には近郊車両なのに209系と似たデザイン、4ドア、ロングシートが
気に食わなかったらしいけどどうでもいいなw 215系。子供の時の科学雑誌の未来予想図に出てくる2階電車による着席通勤を実現したしな。
TGVみたく動力を両端に集中させているのも、新しい時代の電車の在り方として映った。
ATCまで付けて増備したし、貨物線通してまでダイヤ組んだし。
こいつはその内東京5方面すべてに入ると思ったねw 小田急VSE
シートが硬いとか言われてるけど外見・内装デザイン共斬新だった 国鉄101系、
営団6000系、
都電7000更新車、
近鉄初代アーバンL、
九州の水戸岡デザインの特急車。 やっぱ京浜東北209だね。
あの当時はもっぱら京急しか乗らなかったので、シンプルで近未来的なデザインはビックリしたよ。 京王5000系
アイボリーホワイトに赤い線(ひげ有り) 深緑や茶色い電車などの他、他社私鉄も濃い色のツートンが主流の時代に
あの白い車体には驚いた! >>116
小田急のケープアイボリーにロイヤルブルーというのも当時では非常に都会的な印象があった 東武のアイボリー1色や名鉄の赤一色は手抜き時代到来を感じた。 >>118-119
ここは阪急のマルーン一色て言わんと。
アレこそ手抜きの極致じゃねーかwww
>>120
いやむしろ阪急マルーンは>>116の
>深緑や茶色い電車などの他、他社私鉄も濃い色のツートンが主流の時代
に入るでしょ >>110
付属の5両編成も絶対にできると思っていた。 基本的に気動車派だから
キハ183 0
キハ183 500
キハ185
JR化後だけど
キハ85
にはいちいち驚かされた。
以外とアルコンの類は驚かなかったな(それを言ったら名鉄のパノラマDXに、になるかな)。
あと新車じゃないけど1983年頃の試験塗装には、本気でこんなんになるのか、と時代の変遷を感じた。 >>121
阪急擁護は結構だが 茶色い電車と阪急マルーンに違いがどうあるのか
小一時間(ry >>124
???
茶色い電車と阪急マルーンに時代の違いがないと言っているこの文から
どこをどう読んだら阪急擁護って出てくるんだ?馬鹿?
185系、117系、201系、203系、183系DC・・・
1980年初頭に続々デビューして、国鉄復活を確信したんだけどな(汗
そのとき買った朝日新聞社「世界の鉄道」はまだ実家にあるw
やっぱり205系/211系かな?
軽量SUS車体、ボルスタレス台車/界磁添加励磁制御・・・
国鉄らしからぬ新機軸を数々採用、当時の中学生にはかなりのインパクトだった。
前後して登場した100系新幹線、名鉄パノDX、ジョイフルトレイン・・・
あの頃の日本の鉄道はリストラの真っ只中ではあったけど、その分夢とか希望を感じさせる新車が多かったよ。
で、今日の新車は
極限まで無駄を削り落とした「薄っぺらな箱」ばっかりで、魅力も糞も感じさせない・・・orz 実体験のある中では、
京阪6000系の交野線時代のインパクトが絶大。
それまでの交野線といえば
1300系や1700系といった、内装が木の陰気な雰囲気の車両ばかりだったから、
6000系の明るい車内には
「これで京阪も片町線並みになったなぁ」
と驚いたものだ。
リアルで知らない中では、
やっぱり国鉄151系じゃないかな。 例えば209系だな。
余計なアコモ修繕せずに、技術と乗客ニーズに対応して、車両のコストダウンと、更新率を上げる。すんばらしい。
これからのJRは飯田線の様な旧型国電の寄せ集めでは無くなるのだ。
実は千葉に209は残り、これからのご奉公をするのだろうが、内房線など、お情けで存続されている路線ならば209でも十分だろう。
多分これから217、231と、投入されるのかも知れないが、沿線住民は感謝すべきだ。
JR東日本が目指した、車両に無駄なカネを掛けない、という思想がある。
この思想の恩恵を真を受けているのは内房線、外房線等の沿線民であろう。陳腐な中古電車でも良い、地元を走ってくれるならば。
いろいろな場面で、感謝の気持ちを忘れててはいけないと思う。 いやでも209系には久々に新たな時代の到来を感じさせられましたよ、
希少価値があった頃までだったかもしれないが…
そのじつ、国電をリスペクトした最後のデザインだったのかもしれないし。 何を最初に見たかはよく覚えてないけど、やはりLEDを使用する車両を見たときは衝撃的だったな。 >>130
>路線毎の雰囲気が
とかよく鉄オタは言うけど正直そんなもんただの懐古だろ
全国どこでも似たようなデザインってなら国鉄時代のほうがひどい 今でこそ爆弾汚物の105系。
中古車が相場の地方電化路線に垢抜けたパンダ顔の新車投入された。
従来の旧国のスジなら1M2TでもOKとか。
チープな地方路線の電力事情にも対応できるあたりも地方電化路線への本腰と見てとれた。
非冷房?まだ都会でも非冷房車が結構あった時代だったしななw ここにいる人的にアレだけど701系
我が田舎にもついに電車&冷房が…。
初めて209系に乗ったとき「701と同じVVVF音だ!」ってびっくりしたなぁ。
阪急8000系。
2000系から延々と続いた阪急電車の顔を2200系・6300系でマイナーチェンジしたのち、
とうとう大きく変えて来たなと感じた車両。上手に「額縁スタイル」を取り入れた
(初期車の飾り帯は余計だと思ったが)前面デザイン、肩のアイボリー色、
VVVF制御、一部は電動で開く側面の大きな窓とやや濃く落ち着いた木目の内装。
神戸・宝塚寄り2両のクロスシート車から見る、沿線の風景は新鮮に思った。
昨今の5000系ほか更新車の妙な前面デザインや、アイボリー色の安易な乱発は何とも…。 >>137
20世紀においては、左右非対称のアルミ車体、広い貫通路で21世紀を感じさせた。
21世紀においては、中途半端な幅の座席、ドッカンドアで20世紀の遺物だと思った。 381系だ。
屋根に何もない、下膨れの出で立ちに、
進化を見た。
783って、九州特急ではなく九州内特急だよな。
九州特急とは、東京と九州各地とを結ぶ
固定編成客車で組成される寝台特急列車のこと。
>>140は「??」だね。 九州特急、14系が登場するころには
すでに「ブルートレイン」と呼ばれていたね。
やはり20系だね、九州特急は。 阪神8000系
あの阪神が一気に洗練された…気になったwww >>144 阪神新8000系が一枚下降窓になったから山陽5000系があのような窓形状にしたと当時の山陽の社長が語ってたな。
進藤と申します。今年88歳になります。やはりキハ43000にございます。 Max(E1系)はデビュー当時にわざわざ乗りに行った。
だが、あの6列自由席やお世辞にも美味しいとは言えない弁当自販機にはいろんな意味で「新しい時代の到来」を感じた。 >>146
わたしゃ59歳で、トンネルに入っても客車の窓を閉めなくていいDF50。 北総7000形だな
小学校中高学年になって電車の形式とか分かり始めた頃だったし
地元に近かったし
あの買Xタイルのマスクと整然と並ぶ固定窓… キハ66だな。一般型なのに空気バネと転換クロスシートに冷房付。
当時の国鉄としては破格のサービス。製造コストは相当なもの
だったと思うよ。 201系量産車(運転台直後の戸袋窓なし)が登場したとき
中央快速線にもATC化の計画があるのかと一瞬思った。
もし本当に201系のATC車が登場していたら
非ATC車との区別はどうしていたのだろうか。 205系の非ATC車が登場したときは
わざと戸袋窓を復活させるのかと憶測していたな 東京メトロ16000系
PSMS独特の起動音 車内LCDモニター ガラス張りの貫通扉に千代田線も新時代だなと思った
203 6000 新車の233 4000すらも霞んで見えた 椅子は残念だったが… 営団(現東京メトロ)銀座線01系。
ほとんどの車両が黄色い鋼製の停電くんだった昭和59年、眩いばかりの銀色の車体、銀座線内では
聞きなれない音のタイフォン(在来車の警笛は今の万系が装備しているトロンボーン笛だった)、現在の
車両ではほぼ標準装備の車内の駅名表示機etc、当時としてはあらゆる面で斬新な車両でした。 その01系ももうじき引退か。時の経つのは早いな。
だが新1000が登場しても01系を初めて見たときのような衝撃は無いだろうな。 >>91-92
小学生の頃、片町線に103系高運が入った時子供心にものすごくインパクトを感じた。
それまで前面のウィンドウが大きくて何となくボロい101系を見慣れてたから高運で冷房があってピカピカな車両を見て乗りたいと思った。
E501系が登場した頃、複々線区間で06系との併走に遭遇した時は
常磐線新時代を感じたものだ。
どちらも全く増えなかった上にE501系は複々線区間に来なくなってしまったがな… 東急9000系。
大井町線に何食わぬ顔でやって来た。
ボックスシートに停車駅表示に自動放送と、21世紀を予感させる車両だった。
25年経って大井町の最大勢力になるとは思わなかったがなw
池上線にやって来た7200系。
別に新車じゃねえが、吊り掛けオンリー(当時)の池上線にステンレスボディーは衝撃だった。 >>99
銀座線01系に同意。
1984年、タイムスポットのように旧型車だけだった銀座線に満を持しての登場。
この時代に東京のど真ん中で、これほど劇的に新車が登場したのは東海道新幹線の開業以来20年ぶりのの衝撃だったな。
ちなみに登場時は冷房はなかったはず。 >>152
E1の弁当自販機に 蕎麦もあったっけ?
最初のころは冷凍寿司(解凍して出てくる)だったと思ったが…。
開業初日のMaxやまびこ11号2階席に東京→盛岡まで乗ってみたものの、
車内放送でも何一つアピールも無かったのには閉口した記憶が…
個人的には、北斗星運転開始に関連して、東北本線をスルーすることに
なったEF81だったかな。
デビューしてから15年以上たってからの本丸抜擢だったし。
北斗星のダイヤ見て、あまりの速さにびっくりした。
知り合いの運転士が、続行の回送電車乗務の際に目いっぱい追いかけて
みたものの、全然追いつかなかったって言ってた。
あとは、デビュー当時、何度か機関車故障があったんだけど、田端から
青森まで、白昼単機回送で送り込みなんてのもあった。
単回9005レだったかな…。
田端12時→仙台17時→青森22時〜折り返しすぐさま北斗星引いて帰って
きた。
送り込みで来たのが、なんとEF81 95号機で、翌日の北斗星が、81-95+
故障した81-81(無動)の重連で帰ってきた。
>>159と全く同じ事を、武蔵野線で感じた。
101-1000ばかりのところへ103の高運が新車で入ってきたことに、正直驚いた。
101の転属だと、A基準化改造が面倒だったからかな? >>164
間合いで青森〜盛岡の50系普通引いてたのはよく覚えてる
8181や95も例外なく投入 俺は北総の7000だね。
開業後間もなく沿線に引っ越したが、あの電車は当時の地元の子供にとって一種の誇りだったw
実際には乗り入れてくる新京成の吊掛車のほうが、乗る機会が多かったが・・・ 113系スカ色の二階建グリーン車
消防の頃、大原で初めて遭遇してショックを受けてからは、データイムグリーン券を使い、よく乗りまくったなぁ。
でも、なぜか特急改造グリーン車の方が好きだった。
まあ千葉では短命に終わったが…。 まあ、二階建グリーン車は始めは物珍しくて乗るが、
天井が低くて圧迫感があり必ずしも快適とい言いがたい。
だから俺はもっぱら車端部の標準高の客室に乗る。 185系
165系と併結してやって来てw
14系サロンエクスプレス東京
鉄道ヤバイ、どんどん何でもアリになってくw、と大興奮。
>>170
そこ、空気バネ台車のエア調整音と軋み音が凄いだろ?
個人的には、真夏に初めて乗った山手線103系冷房車。
集中型のUCと扇風機の最高コンビ。ラッシュ時も完璧だった。 JR四国121系。
私鉄を除いて電化とは無縁だった遂に電車が走り始めたかと子供心に感動したものだ。
民営化直前に営業運転を始めたのは国鉄四国総局の最後の意地だったのだろうか。
そして翌年の瀬戸大橋線開業。
展望グリーン車を連結したマリンライナー、四国に初めて乗り入れるブルートレイン「瀬戸」…。
四国の交通体系が激変し、四国はもはや孤島ではなくなり、まさに新時代の息吹きを感じたあの頃…。 乗る通勤車、すれ違う通勤車のどれを見ても78か、80顔の東武にあって10000系の登場は
東武通勤車の21世紀を予感させる出来事だったなぁ。ステンレスカーは地下鉄用みたいなイメージが
ガキの頃から刷り込まれていたし、東武の新形式なんて生まれて二十数年乗ったことなかったし。
同窓生旅行の行程に10000系乗車を入れたら非鉄の連中にも今で言う“サプライズ”?にもなったw
そんな新しいずくめの心なしか落ち着かない新車の車内で伝統のコロラドオレンジの座席は
“いつもの東武電車ですよ”と言う安心感を与えてくれましたねぇ。 何と言っても209系。
ホームに滑り込んでくる時の近未来的なインバータの音、新装備のドアチャイムや車内LED、空気ブレーキの甲高い音、
コルゲートの無いシンプルな車体、シンプルな内装、
座席間スタンションポール(吊り革に手が届かない小さな子供にはとてもありがたい装備だった)、黒い熱線吸収ガラス、そして未来的な顔のデザイン、
乗務員室には何だか分からなかったけど車両の情報を常時知らせるモニター装置…
園児だった俺は、この電車に未来を感じた。
そして、未来はさらに広がりつつある。 国鉄201系
「省エネ201」の前サボに萌えた
京急2000形
阪急6300、京阪3000に相当する車両に、首都圏でも乗れると
思った。
その前の旧600形は、しょぼかったし。
東急9000系
クロス厨と思われるかもしれないが、まさか東急に、車端部だけとはいえ、
ボックスシートが設置されるとは思わなかった。
(京王はあっても、東急はないと思っていた)
さらにこれが、営団地下鉄や、横浜市交に波及するとは。
俺も国鉄201系。
J誌の、昭和54年の国鉄の事業計画のページに確か
キハ183系とともにアナウンスされていたので出現は予想してた。
ある朝のNHKのニュースで車両輸送途中の「それ」が
映像で紹介されたのは衝撃的だった。 221系。
なんて書いたら西厨呼ばわりされるのかしら?
でも当時はものすごく衝撃的だったよ。
117系よりもインパクトは強かったと思う。
初乗りのときに一緒だった4歳の女の子は、
現在1歳の男の子のママになりました。 185系 特急なのにこの色?
リゾート21 デザインが斬新すぎる!
サロンエクスプレス東京 なんと豪華な!
三陸鉄道36形 車内に自販機!
新幹線100系 新幹線にも二階の時代キタ! やっぱりVVVF車ですかね
関西では大阪市20系か近鉄7000系が嚆矢 関東では新京成8800が、東急の9000より少し先にデビューした。
初日に乗りに行った。平日だったような気がする。
東急ではそれに先立ち、旧6000に試験的にVVVFつけて
大井町線で走らせてた。意外な音を出すものだと思った。 >>181
大阪市の20系の音を聞くと、
TMNのラブトレインを思い出す 285系とか今じゃ黒歴史だからな・・・・・マジで一切のPRをやってない。 >>184
それそれ。
当時は普段乗る電車が中央線西武京王くらいだったから、
全く気付かなかったけどね。鉄でもなかったし。
数年前に大阪で聞いたときはこれだ!!!って思った。 成田新幹線車両のイメージ図なんか見て
コーフンしてたなあ 小学生の頃 >>181
近鉄は1421系とかいう二両編成のが最初でなかったかな >>185
E331系もな。直接駆動は「新しい時代の到来」にふさわしい機構だと思ったが、
結局平行カルダンの安定性を覆すことができず。 300系新幹線だな。
国鉄テイストがだいぶ薄れたのが国鉄型車派として寂しかったが、しかし、新時代到来を痛感したもんだ。
300系のぞみデビューのCMや、運転開始当初のトラブルが昨日の事のようだw 俺は651系スーパーひたちのイメージイラスト見たときだな。 銀座線01系。当時鐘ヶ淵に住んでいた幼稚園児だったが、東武には7800系が健在、
銀座線にも釣り掛け式車両が一部残っていたと思う。そんな時代に銀色に光り輝く
車体、ドア上案内表示、開閉チャイムの01系は本当にすごい電車ができたと思った。
話が飛躍しすぎかもしれないが、当時の日本は世の中が豊かになっていくのが実感できる、
未来に夢を持てる良い時代だったなぁ。 >>193
昭和2年開業以来の規格やシステムに支配され、在来車と新車の混用が当然という状態で、
吊り掛け車のT化でカルダン車への切り替えこそ何とか進めたものの、
古い物だと昭和9年製の車両までが昭和50年代半ばまで往来していて、
しかもそれらのブレーキが電磁直通式(SMEEまたはHSC-D)でなく、すべて電磁弁付き自動ブレーキというアナクロワールド。
そんな銀座線を「現代の普通の地下鉄」レベルにまで引き上げたという点で、01の功績は偉大だな。 単に東北地方在住の人がスレにいないだけかもしれないが、
701系
はやはり対象外なんだなw
遅い客車列車を淘汰したはいいが、長距離乗車には不快な走るんです車輌。 いくつかのレスで挙げられてるけど、209系。
非難するわけじゃなく純粋に「寿命半分コスト半分」のコンセプトに衝撃を受けた。
十数年で廃車することを前提に通勤電車を造るなんて想像もしてなかったから、
誤報じゃないかとなかなか信じられなかった。
好景気に浮かれるように華やかな新型車両がデビューしてた90年代初頭から、
ある意味ではかなりの転換期だったなと今更ながら思う。 >>195
通勤客には座席が減って大不評だったからな
冷房化も遅すぎたくらいだし 秋田〜新庄間のようにロングランする列車でも
2両編成だから想定外で座れないことがある。
クハの1両でも増結してくれればいいのに。
一度不快な思いをした乗客は次回は車利用を
選びますます乗客が減ると思うのだが。 >>198
運賃箱積んで車内収受するタイプのワンマン運転は2両編成まで。
だから、増結車をつないでしまうとワンマン運転できなくなってしまう。
編成減車による座席数減で少々客に逃げられても、車掌を減らせる
メリットの方が大きいんだろうな。
車内収受のワンマン運転、四国だと単行でないと認められないそうだが。 >>200
なるほど、そういう事情があるわけですね。
地方は普通列車の利用客なんて慈善事業で
運んでいるくらいの感覚なんだろうな。 東北民だが一応好きなんだけどな701系…。
客が逃げるって言ったって主な利用客はマイカーを利用出来ない通学客だし、ラッシュ時間帯は田舎とはいえ結構混むから3ドアはありがたいがオールロングシートはそのラッシュ時間帯以外が若干、な…。その分前面展望は良いけど。
ってスレチだなゴメン >>193
便乗させてもらうがあの独特なチョッパ制御(?)のノイズも
何か未来っぽい気がした
アニメとかでよくある宇宙からのメッセージを彷彿とさせるなと
子供心に思いました
01系に乗って渋谷の電力館や青山のこどもの城なんかのこれまた近未来志向の新施設に遊びに行く
今考えるといい時代でしたね 束701系
新しい時代と言うより落日の暗い時代の到来を感じたw >>179
俺はその117系
木目調の落ち着いた内装,斬新な塗装,乗り心地の良い転換クロスシート。
その衝撃たるや阪急6300系の比ではなかった。
初乗りの時一緒だった大学生の姉は
現在2歳の男の子の祖母であり、3月末には二児の祖母になります。 阪急8000系&8300系。
俺は、あの「飾り帯」に新時代到来を感じたんだよ!それが、通過時にホームに乱気流を巻き起こすだか
なんだかという理由で撤去とか…。結局ただのつまらん額縁顔電車になっちまった。
あと、阪急ブレーブスが身売りしたのも、こいつらが出た年の秋でしたよね…。ある意味、新時代到来、か…。 >>206
同志よ!Hマークもよく似合っていたよね。 211系ですな。
鬱飲み屋線は殆んど115系だったけど、たまに当たる
211系の車内放送の音質が物凄くクリアなんでビックリした。
例えるなら115系がAM放送、211系がFM放送みたいな・・・ 223系0番台
コルゲートやビードのないステンレス車体でシンプルな丸目のライト。
北欧製の新型シートに座席を減らした広々と開放感のある車内。
近未来的なVVVF音に重なるチャイム。天王寺の渡り線から空を走るんじゃないかと感じた。
その後の223/225系にはあんなわくわく感はなかった。 なんと言っても24系25型の登場!
B寝台なのに2段式だって!?帯がステンレス!?
本当にびっくらしましたよ。
そして50系レッドトレイン!
普通客車なのに自動ドア!座席も12系並みでこれで鈍行用って、なんと贅沢な〜
客車列車は進化し続け、未来はバラ色と確信しましたねー。 JR四国2000系
旧国鉄系のくせに民鉄、否、いかにもド田舎の三セクみたいな型式には正直萎えたが、乗ってみたら確かに
旧国鉄離れな造りで激しく納得。しかもさりげなく土佐くろしお車まで併結という手法は斬新過ぎて萌えた。 >>208
車内放送の音質といえば、個人的には営団新05系の初期の音質のよさには驚きましたね。
それまでの05系が安物ラジカセ程度の音質だったのに対して、新05系は破裂音まではっきりと聞き取れたからなあ。
でもその後に登場した新05系の後期車や15000系は何故か以前の車両のような音質に戻ってしまって残念。 伊豆急2100「リゾート21」
今まで見たことがないシート配列,塗装にドッキリした。
しかもこれが普通列車用でデビュー。
>>213
俺が初めてリゾート21を見たのは東急東横線渋谷駅の1番線だったので
一瞬東横線にこんな車両が走るのかと勘違いした。 205系&211系
103系オンリーだった山手線とほぼ113系が占めていた東海道本線に、それぞれ
登場した時は衝撃的だった。乗り心地も格段に向上したし 相鉄新7000
デザイン不在だった相鉄にあっては、斬新な顔つきだった。
営団01系のような停車駅表示装置も当時としてはハイテクに思えたものだ
もっとも車内に目をやると、1986年製の車両が扇風機かよと突っ込みたくなる有様だったし、
乗り心地の悪さも相変わらずだった。 新幹線100系とアーバンライナーですね。
国鉄型車両、子供心にダセェと思ってた。
もう5年早くうまれてれば、東武1720系や現役の旧レッドアローに乗れたなあ…。 営団新6000系(6122F以降)
一段下降窓とラインデリアの車内に未来を感じた。 >>218
一段下降窓は関西では戦前からあった。
むしろ関西民にとっては営団6000のフロントは衝撃的だった。
なのに二段上昇窓というアンバランス感も。
>>221
ああJRになったな、という感じがした。
これで113や103もなくなるんだなと思ったが、
後者はwww
>>1
DE10とかいう凸型で赤い塗装の変な形をした機関車が、後ろに蒸気機関車を従えながら牽引する貨物列車を
沿線から見たときの衝撃といったら…
(土讃本線入明-円行寺口間で下り方向にこの奇妙な編成の貨物列車は走り去っていったのだった) かなりネガティブな意味で新時代を感じたのはE217かな。
もはや近郊型という存在すら許されないお先真っ暗な時代の到来。 201系
名門三鷹電車区のそばに住んでたから試運転の頃から毎日のように見に行った。
偶然にも営業開始日は学校が運動会の後かなんかで休みだったので、一番電車に乗れた。
扉の小窓、切り抜き文字、ダブルパンタに新しい時代を感じた。
量産車が出るまで特快や支線に入らないのもよかった。 125系
113系とダブルデッカー車の組み合わせが新鮮だった。
阪急6300系
あんなに美しく上品な車両はない。特別料金を取らない
列車としては未だ自分の中ではこれを超える車両はない。
(但し初期のHマーク付き、中吊り広告無し時代)
国鉄381系
これこそ「機能美」。振り子のメカは勿論だけど
重心下げるために屋根をスッカラカンにしたデザイン
に驚愕した。しかも在来特急のイメージも継承して
いて秀逸な車両。
国鉄キハ66+67
関西私鉄の専売特許のような転換クロスシート!
117系登場の時よりインパクトがあった。 >>183
大阪市20系だと旧の方か?新の方か?
またGTO時代か?IGBTになってからか? 小田急9000系、72年の夏だったか、相模大野(だったと思う)で向かい側のホームに停まっているのを見たときは、あの前面形状に衝撃を感じた。
当時の小学生だった自分にとって、これと、千代田線6000系、それに本で見たアメリカのメトロライナーにBARTが、最先端という感じだった。 ガイショツだが上信1000系、コイツは半端じゃなかったぞ!
まず非鉄の奴らでさえ乗った事を自慢していた件、昭和51年にJR東の特急車と同じ旋律のMH、
鉄道唱歌の車内チャイムをも装備していた事、乗客が増えたこと等々…。
東武線民だが、1720系や1800系をもってしてもこの時だけは負けたと思ったw
子供ながら就職するなら東武ではなく上信にしようと本気で考えたねw 211系中京シティライナー
国鉄最後のダイヤ改正だった61・11
それまで『鉄』の電車ばかりだった名古屋付近の東海道線に
颯爽と現れたステンレスの車体!青帯も斬新だった 振子車の特急しなのと聞いて、とある小学生は591系が小田急NSEの如く走るのを想像した。
実際は、183系モドキだったので、彼の夢は砕かれたw DF50の前に新製投入されたED76が連結されて、訓練運転が始まったのを見た時は衝撃だったなー。
世代交代を肌で感じた瞬間。 しかし、そんな路線もいつしか客車列車も貨物列車も廃止されて電気機関車の出る幕がなくなった始末。
そして、こともあろうに電気式ディーゼル機関車に牽引される旅客列車が走り出そうとしてる。 この手のネタは鉄道趣味に目覚めたのがいつかによって評価も変わってくるよな。
非鉄のときは沿線の変化くらいしか興味ないわけだし。
車両ではないが営団がなくなったのが新時代を感じたわ。
国鉄→JRは私鉄沿線のガキだった私からすれば他人事だったし。
鉄に目覚めてから感動したのは311系新快速かな。首都圏の113や115とは
文化が違うと感じたわ。山手線の103→205はあまりいい印象ないな。
ガキの頃から201のほうが格好いいと思ってたし。231になったのは
確かに新時代を感じたけど。 新幹線100系試作編成グリーン車のレッグレスト。
写真で見て感動していたら量産車では普通のに戻ってしまった。 >>239
100系の試作車でアンケート取ったら「つま先がホールドされないのは嫌」
という意見が多かったそうで、元に戻ったらしい。
つま先さえ支えていれば、ふくらはぎの支えは不要とされたんだとか。 通勤電車ではやはり北総開発鉄道7000。
げんこつスタイル前面,カーテン吊皮なし。
車両だけでなく,駅のピクトサインのデザインなども「デザインポリシー委員会」で一体的にやったのが目新しかった。 キハ54
気動車は鈍重なものという固定観念を破る通勤電車並の加速
田舎に当時不似合いなステンレスボディに東武顔(正直何で東武6050なのと思った)
そのルックスから投入当初は旅行客からは相当の違和感で迎えられていた
しかし特急型をはじめ150やさらに201など高性能気動車の幕開けにふさわしい形式だった 熊本市電8200
VVVFなどという言葉も浸透していなかったあのころ…
情報が少なく、見に行ったらデビューの1日前だった… 江ノ電1000
京急800
国鉄201
この3形式には新時代を感じた。登場時期もみんな近いと思う。 岡山の次に広島、長崎が軽快電車(次世代路面電車)を入れた時でしょ。 東急の3000系改造の、日立製作所のインバータ電車 >>245
江ノ電1000と京急800はデザイン的に似ているものがあると思ったね。
JR201は101系103系の不満点を一挙に解消した贅沢な通勤車だったね。
実際車掌で乗務していたけど、いい車だったよ。 キハ183-500
キハ80を思わせるパノラミックウィンドウにハイデッカG車に、暖かみのある斬新な塗装。
これが北海道の大地を走り回るのかーと感嘆しました。
で、少し経ってから。
あれれ、お顔に特急エンブレムが無い(´・ω・`)
あれれ、側面幕板部にJNRバッジが無い(´TωT`) 女子大生の覚醒剤密輸事件無罪判決と同じ日に、この事件を合わせて、
この事件の耳目を極力低くしようとしている何か政治的思惑を感じるな
再生回数4万回間近!これがこの前問題となっていた顔面蹴り動画です
JR西日本の駅員、てんかん患者の顔面にキック!二回目 恐怖の新今宮
https://www.youtube.com/watch?v=RSmSr2m5VmE
てんかん患者の方、乗車中に発作が起きたようです。
駆けつけた駅員、キックを顔面に入れてますね。 常磐線のE501
子供心に
「奇麗で快適な電車だな」
と思った 根室拓殖鉄道 銀竜号
根室もとうとう札幌を越える時が来たかと思った。
銀竜号の車掌をしとりましたが女にモテまくりでした。 京阪6000系かな
前面の非常口の処理、大きな一段下降窓、戸閉め予告など、
昇圧に向けて新車投入というインパクトは強烈だった 1970年代後半のリニア試作車
21世紀には高速鉄道の主役になると思っていたが
まだ新幹線を造っているとか、カッコ悪い新幹線しかないとか・・・
もう鉄道に未来の希望はないのだろうか。 鉄道どころか日本の未来に希望なんか無いじゃないか。 近鉄1420系電車。
記憶があいまいなのでググってみた。(1984年(昭和59年)9月3日に1250系の1251Fとして製造された。)
たしか、曇天のけだるい喧騒の鶴橋駅で見た。そうそう、昭和59年10月中旬だった。
四角、いや六角形で交流電流を示すデザイン。INVERTERと書かれた銀色のエンブレムを付けた真新しい電車だった。
なんだか、どの通勤電車とも違う晴れやかな姿だった。
先頭車に乗り込んだ。財布には、小銭が少々。車内は混んでおり省エネ電車と書かれた張り紙が貼ってあった。
そして、発車。初めて聞くモーター音。中里停車時の回生ブレーキの音。
そして、今里発車。なんとなく「金欠・きんけつ・キンケツ」と少しずつ大きくなる様に聞こえる。
暫くジョイント音。対向列車の音。
そして、布施停車前「カネナイ、かねない、金無い」と音が少しずつ小さくなり、ブレーキ音の後に停車。ドアが開く。
何駅乗り下車。プラットホームで電気代を節約する為、金欠、金無いと聞こえると変な納得の仕方をした。
20年以上たった現在、新型のインバータ付車両はどれも静かだ。そして、大部分の鉄道会社の経営は厳しいと聞く。
懐かしさを感じる車両でもあります。 新京成8800形は衝撃だったな。インバータ制御に銀縁の一段下降窓のスッキリした外観。
残念ながら新しい時代の現実はそんなに明るくないけど‥。 >>258
初期の京急800は側面方向幕が黒くで銀色で覆われているのがカッコ良く見えた。
途中製造分から銀色はなくなった。 701系電車。
彼のスレにも書いたけど…
忘れもしない1993年6月。
時刻表を見た時、今までは数字だけやDだった普通列車の列番に「M」が付いてたのを見て、マヂで感動した。
「秋田の鉄道の夜明けだぁ!」
と思ったもんだ。
物心ついた時から「普通電車」が走っていた地域の人たちには、この気持ちは分からないだろなw 253系。
航空機がそのまま線路に乗ったようなカラーリングと濃いスモークガラス、フラッシュサーフェス化された車体が国際線に乗る前の高揚感を盛り上げてくれた。 故近鉄3000系
もはや説明不要の、近鉄最初にして、現時点では最後の、孤高のステンレス車両
これが出た当初、乗ったらもちろん、目撃情報を寄せただけでもクラスの自慢ネタだったw キハ181系が四国にお目見えしたときの感動も、なかなか。
(これより少し前、山陽本線の姫路付近で「おき」という愛称で走るキハ181系ならば目撃しているが) 【不買運動】集英社(ママレード・ボーイ)は男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的企業です
集英社(ママレード・ボーイ)は女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女のみの状態となた場所に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。
「集英社(ママレード・ボーイ)の女性専用車両広告」
http://www.youtube.com/watch?v=BSM5UxQrWSE&feature=channel&list=UL
<女性専用車両にはこんな女が生息しています>
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi 681系サンダーバード厳密スーパー雷鳥w
2011年まで485系が雷鳥で現役で今でも北越で現役だがコンセントがついている
683系4000番台と比べると矢張かつてだ 211系0番台
未だに、これが出た時の感動が忘れられない 103系高運転台の非ATCクハ
小窓とはいえ再び運転台と客室を隔てる窓が三つになりかぶりつきを楽しめるようになった >>269
“新しい時代”とまではいかないけど、今まで走ってたのが前面窓のでかい
101系だったのが、同系統デザインとは言え小型化した前面窓とその真下に置いた
ステンレス細帯が今までになかった精悍さを感じさせたな>103系高運転台
ええ、自分、40年以上に渡る片町線ユーザーです 片町線だとそうなりますか
関東だと103の低運冷房車は乗務員室と客室の間の窓が三枚から二枚に減り、これが高運ATCだと一枚になり、特にATC化直前だと品川に何本か残っていた低運非冷房は貴重でした
それからしばらくして中央総武緩行に非ATC高運が入った時は、この窓のカーテンを開けるかどうか、それで組合活動の方向性が見えるバロメーターだな、と思いました >>271
関西圏でそれまで走っていたのが、路線の違いはあれど、どの路線も
101系か103系の低運転台車両で、高運転台車両は当時の鉄道雑誌や書籍の中で
しか見られない車両だったからな…。かぶりつき云々は関係なしで。
この板の片町線スレでも“他線からの転用でない純粋な新車”って
書かれてたし、長尾〜四条畷間の複線化完成ダイヤ改正のシンボルマークが
高運転台103系のイラストだったしね。
(デビューして5年位は運転手側の窓は全部カーテンでシャットアウト状態
だったな・良くて運転台反対側の1枚のみ>かぶりつき) JR九州783系ハイパーサルーンと787系特急つばめ(当時) かって伯備線に試験的に導入されたガスタービン車!
米子駅構内に長く放置されていたと思うが…今は? キハ181系化された「あさしお」、「はまかぜ」、「まつかぜ3、2」号
それまで使用されていたキハ80系よりも強力になり、またシートもキハ80系よりも
掛け心地が良くなり、背ずりの裏側にもモケットが貼られて温かみを感じるようになった。 池田小学校の児童八人を殺害した宅間守
宅間守の社会に対する被害者意識は
子供の頃に体験した招集ストーカーによって培われた
当時宅間守の親は近所の創価学会に批判的な人物を
子供を襲う危険な性犯罪者とし
宅間守とその友人に危険人物の顔をお覚えされるなどとして
再三に渡って招集ストーカーを行っていた
宅間守は遊び半分で嫌がらせを楽しみながらも
親からは「お前はいつ襲われるか分からない被害者なんだ」と言われる
こうして犯罪を繰り返しながらも被害者面する生き方を教え込まれた 500系
まだガキの頃亡くなった爺さんに駄々こねて乗りに連れてってもらった
N700系
これ以上完璧な新幹線は生まれないだろうと思った車両
813系
811系快速をスルーしてまで乗った車両
GTOの音に感動した 同じく500系新幹線。
CMの「新大阪??小倉1時間59分、新大阪??博多2時間17分」
石坂浩二のナレーションにシビれた。
1時間台で九州に行けるなんて!
「キャベツ5万個、鳥肉3000kg」ぐらい凄いと思った。 >>280
>「キャベツ5万個、鳥肉3000kg」ぐらい凄いと思った。
どこのギョーザチェーン店だよwww >>282
スレチなツッコミで悪いが。
ギョーザに鳥肉使うか? 591系だな、近未来なデザインで後の201系に窓配置が採用された。 VVVF車の登場の時にはそれを感じたなあ
ただ起動音を聞きたいが為に、休みの日になったら
ターミナル駅のホームで過ごしたものだ。 >>274
西武沿線民だったが初めて東横線に乗ったとき8000系の先頭かぶりつきして初めてワンハンドルの運転台見て
なんだこれはと衝撃を受けた。同じ音がする西武2000系はツーハンドルだったし。 雑誌で見た小田急9000系
少し未来的なご面相
後年実際に乗ったときは内装にがっかりだった 初めて乗った時はすでに古かったが、
ATOやステップレス制御を備えていた営団3000系にはオーパーツ感を感じた 100系新幹線
新幹線といえば団子鼻だったからあのシャープな顔に衝撃
それに二階建てもびっくりしたわ 東急8500系
いまでこそ汚物扱いだが、前面の赤帯ひとつで何か特別な感じがした。
8000系と中身同じなのにね。 リゾート21
ポンコツばかりのしがない田舎線伊豆急が突如踊り子185をも大きく上回る
クオリティの車両を普通電車として投入してきてたまげた。
今思えばご当地特化型観光電車の先駆け。
>>284
アルミシルバー、フェイス、チョッパ音、ホーン音、ぶっとい貫通路
小田急沿線住民だが、8000系辺りが出るまで小田急全ての車両が
古臭く感じられた。しかし乗ってみると前面展望極狭の凶悪車両だったw
>>286
あの音は痺れるよな。
苦情が云々とかの話が出てきた時には「はぁ? スルー汁」とか思ったわw 371が沼津のボロホームに来た時は未来を感じたな。
すぐに高架化するから、当時の発展途上な光景も貴重なもんだと思ってた
まさかボロホームなままあさぎり撤退+371廃車になるとは >>294
あれかっこ良かったな。色使いもスタイルも小田急20000より上。
小田急線に新幹線カラーが走ってて不思議な感じだった。
古車SEからの入れ替えってのも鮮烈だったなぁ。
今思えばSEはSEであの古さでいながら113系と並ぶと異次元を感じさせる佇まいで
それはそれですごかった。
http://www.yomiuri.co.jp/local/shizuoka/news/20141120-OYTNT50352.html >>286
その気持ちよく分かります。
通学で利用していた大阪市交中央線に20系が登場した時、乗り合わせるために何本も電車を見送ってました。
遅刻寸前になるまでw
でも待てども待てども来るのはロートル化した50系・30系ばかり…… >>249
京急800と江ノ電1000は窓周りや右手操作式ワンハンドルマスコンなど共通点が多い。
東急車輌が設計した意欲作。
800もリバイバル塗装やんないかな? >>286>>296
俺は平成14年に大阪市営地下鉄66系のIGBT車が登場したときに感激したな
それまではGTO車の発車時にグングン上がっていく感じの音が新しい車両の音だと
認識していたからIGBT車のキーーンという発車時の音に新しい時代を感じた
IGBTの車両自体は他社にはもう少し前から存在したけど
当時の俺は大阪市営地下鉄と阪急くらいしか知らなかったからな 東急電鉄にとって初の全長20メートル&幅2.8メートルの大型車である東急8000系
界磁チョッパ制御&全電気指令式ブレーキ&ワンハンドル操縦桿&静止型SIV導入(まだ小出力だったけど)を言うことなし! 静岡鉄道1000系
大手私鉄顔負けのオールステンレスカーの導入は見事だった。 JR西日本207系
片福線、なんていうヘンな仮称がついてるせいで完成パースもヘンな電車にしか見えなかったが、
実物(試作編成)がついに現れた時は「ついにJR西日本も、国鉄チックを脱却したか」と思った。
ドアの窓がD(逆D)形というのもまた意欲作だと思ったが、結局普通の形に改められたね。
コーポレートカラーとはいえステンレス車体に青帯はスマートというよりちょっと冷たい気がしたが、
まさか、2005.4.25があって、巨人色になってしまうとはね…。 1980年代に入ってからのアルナ工機による「軽快電車」シリーズ
斜陽ながらも完全に日没を迎えていない日本の路面電車車両の在り方に一石を投じた改心の一撃作。
直線主体のスマートな造りが話題となり、広島700系や長崎2000系、車体更新ながら都電7500形から、
やがてはこれらに影響を受けて札幌や岡山に熊本、国鉄の工場製で函館や鹿児島にまで波及。
(伊予鉄は軽快電車の波には乗れなかったものの、20世紀終盤に路面軌道に新時代を到来させる
見た目はレトロながら新機軸満載のあの列車を投入する事になる) JR北海道721系
北海道の鉄道の明るい新時代の幕開けが始まったと
あの時は本気で思ってた JR九州305
まさかはしるんですと同じドア開閉音になるとは。 >>302
軽快電車車体の始祖ともいえる都電7000形更新車は1977年の登場ですよ
というか、長崎の2000形を引き合いに出すなら広電は3500形だと思うがなぁ 山手線で初めて205系を見たときの衝撃は忘れられない。 >>306
運転室の後ろに窓が有ったもんな
ATC床下搭載とか今更な気がした やはりキハ35のステンレスでしょう。
染谷市太郎と申します。102才になります。
昔、木更津機関区で気動車運転士をしておりました。
これに乗ると女にたいへんモテまして、乗務が終わりますと機関区の前にサインを求める女性の列ができ、
これはかなわぬと、風呂敷をかぶり、裏口から逃げるようにして帰りましたw 近鉄の10100系ビスタ2世に衝撃を感じましたな。
ある意味、私鉄版新幹線と言う意味で。
100系のフォームを20年近く先どってたと言うのはすごいが。 岐阜住みだから小学校の校庭から見た
キハ85ワイドビューひだかな
ボロいキハ82ひだ、キハ58のりくらと比べて
かっこいい未来の特急に見えた 三鉄36-200型
小学校時代 ビッグコロタン 南正時 自販機付き未来のディーゼルカー
高校時代 鉄道ジャーナル 種村直樹 ユニット窓は国鉄そのものとモソモソ
2013年 あまちゃん 宮藤官九郎 かわいい「電車」 昭和50年、それまでマルーンだけだった阪急電車の塗色に、シルバーの帯が加わった
6300系を初めて見た時。 東京駅の東海道新幹線ホームから初めてガンメタの400系を見た時はすげぇかっこいいと思ったもんだった 京急新600形。当初の前面ガンメタ塗装は京急の新しいイメージを象徴
していた。ツイングルシートは最初から無理があると思っていたら、
やはり無くなった。 近鉄奈良駅でL/Cカーが座席の方向転換やってるところを見た時。
でも、シートが固くて坐り心地良くないんだよね
ラビットカーとか奈良線800の頃はフカフカだったのにな >>310
私の時代だと30000系ビスタV世に衝撃を感じました。
特に中間車の大胆なデザインは当時としてはかなり斬新に思えたものです。 211系
あの不細工な113顔ばかりの中で新鮮だった 京成3150形更新車。
窓下にライトが移った真っ赤な正面、寒い位に良く効くクーラー、衝撃だったな。 国鉄最後のダイヤ改正で登場した、キハ183系500番台は
国鉄色の0番台と同系とは思えないほど軽快な印象だった
実際は0番台も塗り替え混結されて両者の印象は
変わらなくなっていくのだが
今も183系は青塗色とあいまって、カッコよい車だなと思う >>326
うわー格好いいなー国鉄も変わって行くんだなーと思いつつ眺めていたら
JNRマークも特急エンブレムも装着されていなくて(´TωT`) 小田急8000
京急2000
当時の車両製造界を牽引していたのは私鉄 大手私鉄にJRのOEMが走るようになるとは想像だにしなかったな。 社の看板=独自設計が当たり前だったな
(この辺りは船も同様) >>325
パタパタがなくなったので物足りない感じはした
あんまりかっこよくもない3600に無理やり合わせやがって的な >>332
↑
キミ!キミだよ!そうキミ! そんな時間にカキコしてるということは無職非国民だね?このスレはそういう輩の巣
つまり…
児童福祉法違反で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em
この過疎スレのキミたちはちょっとは社会のために役にたつ気はないのかな?
視野が狭いね、このスレはw
ったく…ええ? 画期的な車両
・ホハ12000 (初の基本型) 明治最末期、直後に大正時代に
・オハ31 (初の鋼製一般客車) 昭和初期
・211系電車(初の普及型ステンレス電車) 昭和末期 スペーシアは「見た目の新しさ」が全く劣化しないな。
福岡地下鉄のアルミ車だっけ?
あのデザインも長らくそう思ってきたけど、
最近、未更新時代の姿を見たら、やっぱりちょっと古臭い。 東急5000も福岡市交1000も窓が途中で小さくなっちゃったのが残念 https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTeOp0(パトカーサービス不足ウソ製作費定義)
https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算me-ka-
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ピク底ファンド
頭皮成分不透明ベンチスタートドナルドストラテジエイトパクリスホテル(40代弥勒ソフト 山手線の205系
♪ま〜るいみどりのやまてせん
ああそれは過去のことだヨとなってしまった。 >>339
ヨドバシのCMももうじきE235になるのかな?
特徴がなさ過ぎて表現が難しいかも。 209系の寒々しいバラックみたいな車内はまさに今の没落日本そのものを感じさせた 小学生の時、神戸ポートピア博に先駆けて営業を始めたポートライナーに乗った時だな。 たしかに日本に原発持ってきて広めた犯人は大勲位だな。 京急2000・小田急8000
当時は国鉄が地味で、車両製造業界は私鉄が支えてた。 新京成8800形、京成グループ初のVVVF車。
1986年当時、新京成は、親会社の京成より1歩進んでいた。 >>347
国鉄はようやく103を作り終えた頃だな >>349
1982年だよね?
103系1500番台と同期なんだな
1983年-1984年製造が最終だけど
埼京線乗ってて妙に新しいのがいて不思議だったわ 初めて松戸駅で651系を見たときの衝撃は忘れられない 東北新幹線。
各駅の案内放送はチャラくさい自動放送。
ただし日本語の後には英語がでてきたりして。
We will soon take a brief stop at Koriyamaなんて感じだったかな。 新特急185系だな
国鉄特急と言えば電気釜に国鉄色という常識を打ち破った >>353
兄弟車の117系も。
近郊型といえばカボチャ型にミカン色という常識を打ち破った。
というより全国に標準型を配置するのでなく、地域独自の設計が認められた点で、
のちの分割民営化の予兆でもあった。 親戚のおじさんが藤沢で151系を初めて見た時の驚きは忘れられないって言ってた
すごくかっこよく見えたらしい ここ30年程では国鉄では100系、私鉄ではアーバンライナーだろう。 >>356
そのおじさんは、ボンネットのなかに、
運転士の旅行カバンが、積んであるとか、言ってなかったか。 東武100系
「新幹線かよ!」の突っ込みはナシでw 5年前、221系と書きました。
現在の221系リニューアルは無惨で、
乗降時間短縮の目的は分かりますが、
長編成の列車が多くなったので、
座席配置はオリジナルのままでも良かったのでは?
初乗りのときに一緒だった4歳の女の子は、
現在、30歳になっており、
息子が小学生になっていますが、
221系ってそんなに登場から年月が経過したかな?
という気持ちです。
JR西日本車って、ベースを変えないから、
221系も225系新型も類似に見えるんですね。 昭和49年ごろ金沢駅で見たピカピカの485系。
ボンネットタイプを見慣れた北陸人には貫通式のクハ481は新鮮で、当時東京
や大阪の103系の冷房車に乗っていた人たちからは笑われそうだが、金沢(運)
に回送される前の側面方向幕も見慣れないもので斬新だった。
方向幕には「しらさぎ・名古屋」「はくたか・上野」「北越・新潟」の他、
「つばめ・西鹿児島」「日向・宮崎」「なは・西鹿児島」等が入っていて
コマ送りを見ているだけで飽きなかった。
この頃、有明やひたち等200km強くらいの列車を除き、ほとんどの列車が
食堂車を連結,営業していて(当然グリーン車も)485系が一番輝いていた
時期だったと思う。 笑われそうだが、側面方向幕も見慣れないもので斬新だった。
金沢(運)に回送される前に見た方向幕には「しらさぎ・名古屋」(以下略)
に訂正 209系0番代(浦和区)
南浦和で古い武蔵野線103系から降りて
京浜東北線に乗り換える時はいつも209系を選んでいた
ドアチャイム、次駅表示LED、グレートーンの車内…
武蔵野線には無いモノが全て揃っていて近未来的だな〜と思っていた子供時代 東武野田線3000系。素人には最後までバレてなかったようだ。 >>364
2080系もな。
屋根上のファンデリアをクーラーと勘違いしてぬか喜びした人も多かった。 >>361
その頃の金沢とか北陸本線エリアだと、475系の快速電車が人気だった様ですね
(新車の457系電車は急行立山に投入で、急行立山のお古の475系が快速投入で、純然たる新車ではなかったがそれでも、旧型客車ばかりだった北陸でインパクト
北陸本線の快速電車を初めて見たのは、1974年昭和49年のちょうどその頃で、初めて見たのは米原回り時代の雷鳥から(当時湖西線は既に開業はしてたけど、153系新快速113系普通電車専用だった
快速電車はその後富山まで急行立山号、富山から糸魚川行き快速電車が加わり、こちらは急行立山が快速になったので、新車の457系電車が快速になっていた。
この急行立山を最後に457系電車製造、いや急行型電車の製造ストップしたが、せめてもう少し製造が続けられてたら、急行しらゆきも電車になってたろうか?
そう思うと実に残念だとしか言えない。 >>365
そんなwikipedia丸だしの書き込みされても 小学生のころ、多扉車にそれを感じていたなあ
将来はもっと通勤通学ラッシュが激しくなる・・なんて
人口が減るのも知らずに暢気にそう考えていたw 国鉄301系
新車時のアルミ軽合金の輝きもさる事ながら
その軽量車体の恩恵か異次元の発進加速を感じた
知り合いの営団運転士が「すごく力がある」と言っていた
これが西船橋を発車してまもなく飛行機のごとく地平線を傾けて加速するのだ
あのカーブ付近は当時は畑しかなかったからそう見えたのだった 新時代の到来を感じた開業当初の小田急多摩線に、新時代の到来を感じる小田急9000に営団6000が日中も走っていると思って見に行ったら、走ってたのは旧時代を感じる1900だった・・ 東武100系(スペーシア)
JR北のSWAとともに、特急専用車両としては最も早い時期のVVVF制御、
東武初のオールアルミ製車体、ハイフンを使用した新しい付番方法。
特に、150kwオールMという新幹線並みの化け物スペックには度肝を抜かれた。 一方、りょうもうの新車がDRCの足回り使い回しなのが泣ける >>374
>ハイフンを使用した新しい付番方法。
あの付番方法は京急800形をパクったものw >>374
デラでも、編成内順位は最後のケタで示す番号の付け方だったりする。
ハイフンを使うか使わないかの違いはあるけどね。
優等車と通勤車で番号の付け方が違うのは東武の伝統なのかも。 北大阪急行8000系ポールスター
貫通扉の自動ドアに新時代の息吹を感じたバブル前夜。
早くも引退しつつあるとは…
ポールスター登場時にすでに老朽感があった阪急3300系はまだまだ元気なのに。 特定の形式というわけではないが、ワンハンドル・マスコン、冷房付き、側面方向幕付き、という車両に新時代を感じたものだった。
例えば東急8500。 新しい時代といっても良い意味じゃないんだが、211系。
あのステンレス車体見て、つまらない時代になるんだな、と思った。 1975生れだが、昔の人の20系寝台に匹敵するほど本当にスレタイだったのは
新幹線の500系くらいかな。
まさにニューエラ(新時代)や未来を感じた。
本当の意味でスレタイってのは
なかなか無いもんだなと。 でも、かっこいいのは
やっぱり100系。永遠だと思う。 >>381
211系と同期の205系の顔のデザインのつまらなさは、なんとかならなかったものかと思ったな。
211系の顔はかっこいいと思ったけど。 100系・キハ183-500・キハ185
普通車のリクライニングシートは画期的だった。 >>379
東急に10年弱遅れるが、阪急2200系は新時代を感じたな。 >>385
211系は小田急9000系が既にあったから、それほどインパクトはなかったぞ。 新しい時代というか、度肝を抜かれたのはラピート
愛称募集だったか、イメージパースを見たときはギャグかと思った リニアMLX01 愛地球博の展示て中に入ったが、まさか10年後にさらにカッコよくなるとは思ってもいなかった。てか、あれがそのまま東海道新幹線を爆走する映像を思い浮かべていた。 227系。
新車がなかなか投入されず「國鉄広島」「段ボールとガムテープで直した電車」とネットで散々ネタにされましたが、227系が導入されて「やっと地元広島もJRになった」って思いましたよ。 黒ではない貨車。
黒ではない理由を知らなくて、センスの問題だと思っていたから。
フツーに新しい時代なんだなぁ…と思った。 谷津遊園にあったVONA。実物見たわけではないが新聞記事などで報じられ、無人運転やループ式の折り返しなど、その辺の通勤電車もやがてこうなるんだ!と思った。 ラピートは側面の丸窓に新しい息吹を感じた
何も四角に拘る必要なかったんだ・・ DMV。道路と鉄道を直通することが新鮮だった。JR北海道が断念したことは残念だが、阿佐海岸鉄道に期待したい。 >>395
機関車だったら丸窓は意外とある。西武の電機とかDF91とか。 昭和46年生まれ、大阪在住。
・・・なので、小さな頃ではないが、やはり205系1000番台、221系、223系0番台、新幹線100-300-500系かな。
他にブルートレインの個室化、グレードアップにも衝撃を受けた。ここまで進化したのかと。
500系の時なんか登場前は完成予想図があまりにも斬新すぎたので「こんなん夢のもの、空想のもの、でけへんでけへん」と
バカにしていた。。。それが現実のものへ。初めて500系の本物を見た時、素直に美しいと思った。
小さな頃限定では幼少の頃に当時住んでいた名古屋で乗った名鉄のパノラマカーくらいか。
幼稚園の頃だが、新名古屋の手前で地下に入る光景が未だに脳裏に焼き付いている。 おれも201系かな。103系に見慣れていたもんでね。
ところで、この201系は別の意味でもっと衝撃を受けた人がいたようで、
藤野駅の近くに「風里」という飲み屋があるんだが、
そこのママさんなんぞ、藤野駅に初めて201系の電車が現れたときには
UFOの到来くらいに地元では話題になったそうだ。
なんたって101系や103系での免疫(?)もない人たちだったから
その衝撃たるや・・・・ >>399
演歌歌手の山本譲二が上京して驚いたのは、ディーゼル機関車のような色の電車という乗り物を見たこと。
と、いうのを以前徹子の部屋で聞いたが、そんな驚きなんだろうな。 >>400
中3の時に山陽本線電化してるんだがなあ 近鉄1420系。デビュー当時は1250系と呼ばれてた。
あのVVVFサウンドを聞くと、まさに未来の電車と思った。 >>375
「機器類使い回し」は東武の得意技。逆に東急の得意技は「車体使い回し」です。 >>399-401
非鉄な人には4扉の電車は都会の象徴なんだろう
「青電を土浦に!」って直流電化を叫んでた茨城人もE501系導入で完全に黙らせたし >>403
「車体使い回し」西では京阪に一票。
その京阪の新しい時代の到来言うたら,やっぱり6000系。 神戸に住んでいる。小学生の頃、それまで茶色ばかりだった東海道線の普通電車に、
きれいなブルーの103系電車が混ざりだした時。 東京港区に住んでた幼少期
→山手線205系、新幹線100系
神戸で過ごした小学生の頃
→221系 スーパー雷鳥
鉄道に全く興味ない大学生
→新幹線500系
予備知識なく、現物を見た時のインパクトって記憶に残るね 681は今に続くデザインスキーム確立
したのは偉大だと思う 651系は481ボンネットの系譜だろうけど
681非貫通は運転台飛び出てないし貫通は完全に電気釜だし 681系の非貫通先頭車のノーズを思いっきり前に延ばすと新幹線500系になる。 681→ナマズっぽい、けど車内と走りに感動
683→ライトレンズ一体化、連結器剥き出しのコストダウンのお陰で男前に
西日本ならアーバンライナーもかっこよかった。
80〜90年代のパノラマ車両の原点ではないかね。 223-1000かね
被災から復興に至る過程とともにある ちょっと違うけどE231にグリーンがついた時
賛否両論あるが東は優良着席を推進していくのを感じた。
実際神奈川と北関東の移動ルートが楽になったと思う。
中央快速でネットワークはほぼ完結か? そら117系が新快速ばかりで乗る機会が少なく快速はカボチャ色の113系の中、真っ白な221系が颯爽と走り出した頃…マジビビった。私鉄の車かよと思った。快速に転換シートが信じられなかった。 南海の1000、50000辺りかな?
色の是非はともかく、1000は新時代到来を感じた 色々後発に影響与えたのはアーバンライナーだろう。
白主体のデザインもそうだがDX車で2-1座席を採用とか。
時代的にも昭和から平成に切り替わる時期だしな。 キハ201+731系協調運転
高価ながらも
都市圏各停でも使えるディーゼルカー やはり九州もん としては783だな
特急が485ばかりだった時代に現れたハイパーサルーンは逆に485の価値も再認識させてくれた EF66
これ以上のインパクトがあった車輌は、後にも先にもなかったな 阪急8000
当時鉄道趣味からしばらく離れていて、なかなか電車に乗ってなかった。
久しぶりに電車に乗り、乗り換える高速神戸駅で発車する8000系の音を聞いて、「なんだこれは!」って思った。
vvvfなんてモノが実用化されてたなんて全く知らなかった。 最近後継車投入が発表されたJR東海のキハ85系。
1次車は「ひだ」に投入され、好きだった急行「のりくら」を全廃に追い込んだ
にっくき車両(笑)で、頑なに乗ることを拒否していた。
82系時代の「ひだ」に乗った時の印象(薄暗い車内とせんべい布団のような座席)が
悪かったことも乗りたくなかった要因かも。
その後2次車(キロ85などの後期車)が地元(三重県)を走る「南紀」に投入
されることになり、投入直後の日曜日に冷やかし半分?で名古屋から松阪まで試乗してみたところ
「目から鱗が落ちる」思いだったのを記憶している。
新製直後なので、車内がきれいで音が静かなのは当然としてカーペット敷きの室内とハイデッキ構造
の座席から大きな窓を通して見る車窓が素晴らしかった。
また近鉄との並行区間では偶然ながら近鉄急行を軽く追い越すシーンがあり
車内からどよめきが起こったのもはっきり覚えている。
当時、新幹線300系や名鉄1000系(パノラマスーパー)、さらには近鉄21000系(アーバンライナー)が
登場し、その都度試乗をしていたが、85系との衝撃的な出会いを上回ることはその後もない。
その後、これまでに数えきれないくらい乗ったのは言うまでもなく、今でも最も好きな車両である。 やはり500系かな
新幹線の既成概念を根底から覆したよ
もちろん試験車両あっての事だけど
在来線ならEF200とDF200かなぁ、前者は結果的に?だったけど 新京成8800形だな。
聴いたこともないインバーター音に阪急のようなアルミの窓枠、触り心地の良いシート、不思議な形の台車、カバーで一体化されたクーラー。
京成では有り得ない、上品で美しい電車に感動した。
あれから30年。
下品なピンクに塗られて、地元の京成線を爆走しているが、新型車よりも余程上等な電車であり続けている。 >>419
余談だけど学園都市線暫定電化開業時も
キハ201運用便はそのまま残っていた >>426
俺も85に一票
ひだが85に統一されてからしばらくたった頃、高山からパノラマ普通車の先頭座席をgetしたけどその視界の良さにびっくり仰天。通路を挟んだ隣の座席にいた土建屋の社長というおっさんが
車掌に「これはグリーン車か?」としきりに聞いていた。85も登場からそろそろ30年か。 >>430
賛同ありがとう。
自動車メーカーでもヒット作のあとのモデルチェンジは難しいと聞いたことがあるけど
評判のよかった85系の後継車開発も苦労するんじゃないかな。やりがいはあると思うけど。
クルマは4年サイクル(最近は延びているけど)だけど、鉄道車両は30年使わなきゃいけないもんな。
金持ちのJR東海だから、評判悪かったらすぐに次に車両を開発すると思うけど(笑)
スレ違い スマン。 >>431
だから新幹線ではN700、在来線では313を延々と作り続けるのなw 中日新聞に85系代替車のイメージイラストが出ていたが、内装など詳しくはわからん 倒壊だろ
しかも在来の新車だもんな。期待していいのか313の二の舞覚悟か
イマイチなんだかなぁ… 全部の会社が同じことをする必要はない
東海はリニアに全身全霊を傾ければいい >>437
それが倒壊の本音だろうな
在来線なんて・・・ つか、本当は新幹線すらやりたくないんじゃね?
まあ、在来線利用者としては、倒壊みたいな会社にはリニアでも新幹線でも好き放題やってもらって在来線からは手を引いてもらいたい
在来線は別会社に専念してやってもらいたいもんだ しかし東海の在来線部分だけを切り取ったら3島会社並だからどこもやりたがらないだろうw どの道、老害爺の臭い息がかかっとるうちはアカンやろ、倒壊はw >>439
新幹線がなかったら確実に名松線は廃止になったんじゃないかな。
キハ85もリニューアルでお茶を濁してあと20年は使う。
新幹線サマサマだよ。 ワロタ
懐古板にも倒壊信者っているんだなって(笑) いやーでも東海道線全部の駅に「JR全線きっぷうりば」置いてるのは大したもんだと思うよ
他社ではこうはいくまい 別にアンチじゃないけど、火災帝国のうちはやっぱり抵抗あるよ。あの会社は
個人的に、いい人がいることを知ってるだけに口惜しい… >>445
倒壊信者って、こんなのばっかだな
だから嫌われるんだよ。信者も倒壊もw >>447
と言うことは、醜い内情も知っていると言うことだね(笑) 二人とも出てって!
もう来なくていいよ
そもそもスレチだから他所でやって! どうして鉄道関係はこうも荒れやすいのか。板を自動ワッチョイにしてもらうくらいしなきゃダメか。 いい年しても、鉄オタはコミュ障
また言われそう・・・・(/_;) いい年になっても、鉄オタはコミュ障
また言われそう・・・・(/_;) 阪国人の叩き対象
東:阪国人の東京コンプレックスが炸裂w
東海:東海道新幹線取られた(笑)と被害妄想w こういうイタい人ね・・・ザンネン┐(´д`)┌ヤレヤレ こうなってくるとカルト信者だなw
今日は阪国人いないのに一人ファビョって、どっちが被害妄想だかw しつけえ倒壊カルト信者は、もう要らねえ!
,,、,、、,,,';i;'i,}、,、
ヾ、'i,';||i !} 'i, ゙〃
゙、';|i,! 'i i"i, 、__人_从_人__/し、_人_入
`、||i |i i l|, 、_)
',||i }i | ;,〃,, _) 汚物は消毒だ〜っ!!
.}.|||| | ! l-'~、ミ `)
,<.}||| il/,‐'liヾ;;ミ '´⌒V^'^Y⌒V^V⌒W^Y⌒
.{/゙'、}|||// .i| };;;ミ
Y,;- ー、 .i|,];;彡
iil|||||liill||||||||li!=H;;;ミミ
{ く;ァソ '';;,;'' ゙};;彡ミ
゙i [`'''~ヾ. ''~ ||^!,彡ミ _,,__
゙i }~~ } ';;:;li, ゙iミミミ=三=-;;;;;;;;;''
,,,,-‐‐''''''} ̄~フハ,“二゙´ ,;/;;'_,;,7''~~,-''::;;;;;;;;;;;;;'',,=''
;;;;;;;;''''/_ / | | `ー-‐'´_,,,-',,r'~`ヽ';;:;;;;;;;, '';;;-'''
''''' ,r'~ `V ヽニニニ二、-'{ 十 )__;;;;/ せめて新幹線くらい
まともに走らせろや糞倒壊
5時間も止めんじゃねぇよ!
胡座かいてる間にしっかり仕事しろ!! 185系と117系
良くも悪くも国鉄型車両の既成概念を変えた やっぱE231だな
こんなにカチカチのボックスシート、びっくりしたわ
日本版「硬座車」
ラッシュ以外の乗客は一切考えていない設計で
平成のロクサン型 それでもオールロングシートの211系2000番代や113系の改造車に比べれば確実にロングシート連結というのはよかった 環状線の冷房付き103系
玉造まで通学していた時、中二の春に関西線の電化用として投入された。
環状線初めての冷房車である事はもちろんだが、ユニット窓にシールドビーム
二灯式のヘッドライト、側面の方向幕、全てが斬新だった。
後に片町線旧型車置き替え用として関東から下りてきたセコハンのクハには著し
く幻滅したが・・・・・ >>464
汎用車両から地域限定車両という点では民営化以降を先取りするものだったが、機器は国鉄の汎用品そのものだった。 40代適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル株式会社)30代好評人気連載漫画「ヒカルの碁」
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員稲田籠池豊田
40代社会人集団ストーカー対策ーhondasouichirouー 横浜マドリッドスペイン上西フライングスカイウイングドライブシュート
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース いつものくっさいトンキン、とうに正体バレてるもんな。
悪あがき続けたいみたいだが。笑 VVVFが出てきたときって釣りかけが復活したのかと思った キハ40系気動車
当時、鉄道の本を読んで、新型エンジンと言う割には、
加速は重めで、走りは遅い。
おまけにクーラーもないから、スバル360、黎明期のパブリカなどの
旧車みたいに、夏場はめちゃくちゃに暑いし…。
冬場はヒーターが強化されているので、あったかキハ40だったな。 ここで敢えてキハ75を推したい、ステップの一切ないディーゼルカーもさることなら
発車も到着も電車並み。
それまでディーゼルカーは35系列しか地元に無かったからそれが当たり前すぎた。
ムーンライト(大垣夜行)から名古屋での関西線の接続がこれだったから愛着がある。
電車ならリゾート21
一般の人でも驚く座席配置だったらしく、リゾート踊り子の時「みんなホーム側に座ってて変だよ」
と興奮気味に話していた。 >>465
カチコチシートの元祖は、今はなき、大阪市営30系でしょう。 扉の開閉が静粛になったとき。
扉開閉はうるさいのが当たり前だったところにスーと開閉する扉の車両ができたことに感動した…
がその後、ワンマンカーでもないのにピンポーンピンポーンと鳴らすようになって興ざめした 四国民だがキハ185系
この車両が登場してからこれが量産されてボロく見えたキハ181系が
淘汰されていくんだろうなと思った
でも今から考えるともうちょっと四国から淘汰される時期を
遅らせてほしかったなと思う 東日本のキハ110シリーズ
国鉄型の気動車の性能で引いたダイヤを走らせると、飛ばしてるわけでもないのに各駅1分以上の
早着とかマジかよみたいな? キハ45系
大都会の通勤電車の専売特許だった両開ドア付車両が,田舎にも来てうれしかった。 >>413
681系は、当時流行っていたプロジェクターヘッドライト(セフィーロやシルビア)っぽい顔つきだった。 >>484
今の西の225、227あたりの釣り目ライトは、車の後追いだからかもしれないが新味を感じないな。 第三世代NDC
21世紀の初めにローカル線向けにこんな高機能を載せる時代がきたのかと驚愕
しかし現実は買えるところはさほどなく… 701系
それまでの719系よりも薄暗い車内,おまけにロングシートだけ。
ポイント渡るときの「ガッツン」という酷い乗り心地。
経営上のお荷物の東北にはこれで充分だよ,と言われた感じの車両だった。 >>489
>東北にはこれで充分だよ
でも東京と同じ仕様なんだぜ 京浜東北線ユーザだけど、901系に初めて乗ったときの絶望感はたしかに半端なかったな。
コストカット、安普請の他に感想はなかった。
座面のデザインと袖仕切りは良かったが。 EF66(庇なし)
新幹線500系
今でも写真見てほれぼれする >>492
デフレ時代の到来を告げるという意味で、新しい時代の到来ではあるなw 山手線に投入されたE231-500
E231自体は既に総武線や宇都宮高崎線にいたが、
それらとは一味違うLCDの車内案内や自動放送が画期的だったな。 通勤型路線と近郊型路線とでほぼ同じタイプの車両が走るってのは当初変な感じがした 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 西武の101系と5000系が相次いで登場したころは、秩父線の開通と併せて西武新時代の到来を感じた。
実際、池袋や高田馬場から乗ってみると、1411形など古めかしい吊りかけ車が相当数走ってたし、入間から先はど田舎で、所沢も本川越も田舎の駅という感じだったが。 京阪ユーザーだが、新3000系が登場した時は驚いた。やけに静かだし、さわやかな青色だし >>404
山ゲタ「・・・。」
101系800番台「・・・。」 >>503
色はともかくあまりにも西武2000にそっくりで驚いたな。 >>505 全然似てないんだけど
共通点は前面中央にドアがあること位 おでこの3連ライトは微妙にE217系をパクってると思った。 201系
103系や113系とは段違いに車内放送が聞き取りやすくて、初乗りの時は感激した 417系がデビューした時は印象強かったなぁ。
新製時は方向幕に「宇都宮」とか「上野」とか入ってて、幕回しに興味津々だった。
結局黒磯から南では営業運転せずに終わってしまったけどね。 地下鉄で車内冷房が使えるようになったのに感激した記憶がある
それまでは地下鉄構内を冷やしているから窓が全開で、車内での会話は大声で話していた
逆に今は一部の駅構内では冷房が効いてなくて、待っている間に汗だくに 512(σ´∀`)σ ゲッツ!!
512キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
512(・∀・)イイ!! キハ181。
ターボ音と加速の良さ、電車と並走しても負けない。
ヒゲ4本にしてやれよと思った。 >>492
車内の暗さとかね。
まさかあれが関東のデフォルトになるとは。 静鉄1000系はステンでピカピカで、音も100系や350系の釣り掛けと違ってスマートで、
車内は化粧板で綺麗だし、幕式の電照広告がクルクル回ってて、すごく新しい感じがした 101系151系153系あたりをリアルタイムで見たら感動しそう >>518
90系電車、20系電車、91系電車をリアルタイムで見たら
だろうな 今から30年くらい前
東京駅行き最終の博多駅発が17時13分
現在は18時59分
ずいぶんと遅くなったね
その分福岡県の滞在時間が長くなった
でも今の博多駅行き最終の新幹線って新大阪駅から出る最終を博多駅まで引き延ばした形
1997年、JR西日本でも、500系新幹線車両の運用開始当時は
500系のぞみ号は新大阪駅発車出発から岡山駅、北九州市の小倉駅停車だけでも、新神戸と広島は通過する速達列車が構想されていた。
この、途中駅が岡山駅と北九州市の小倉駅だけの停車だと、新大阪から博多まで2時間10分程度での到着を目標にしていた。
また、東京駅から博多まで最速で4時間40分前後の到着を見込んでいたそうである。
また、新大阪、新神戸を発車したら北九州市の小倉駅まで通過する速達の500系のぞみ号が構想されていた。
この最速達の500系だと、新大阪駅から博多まで1時間55分前後、東京駅から博多駅まで4時間30分前後を見込んでいた構想があった。
特に、大阪府内から福岡県内は山陽新幹線と航空路線が競争関係にあったから理解可能である。
1997年、JR西日本でも、500系新幹線車両の運用開始当時は
山陽新幹線でも、500系のぞみ号を運用するに当たって、航空路線の乗客獲得競争の観点から鑑みて
岡山、広島、新山口駅の3駅は名古屋駅と東京駅方面に主眼に置かれていた。 大阪市交6000系は万博輸送にも活躍したので、新時代を予感
させましたね。阪急3300系に比べると斬新さに瞠目しました
が、座席の格差は外観と真逆でした。コチコチシートは悪評でし
たが、当時は非冷房だったので汗が残るのも無理はなかった気が
します。 6000試作車は特に斬新で宇宙から来た電車かと思った
その頃月面がどうとかあったし ごめんなさい大阪市のが上に書かれてた営団のほうです >>524
そのアポロブームに乗って登場したアポロチョコレートが現代まで売られるとは思ってもいなかったろう >>526
明治製菓の中の人が、アポロチョコレートにふざけてクラッカーを付けたのが
きのこの山誕生のきっかけ >>522
市営交通80年の記念パンフレットにも、悪評の原因としてコチコチと、夏は前に座ってた客の汗がベットリ残ってる、など
想定外の事態で苦情が多く、早々に撤去したとか
新機軸として意気込んでいた交通局は落胆したというはなし >>62
たまたま乗ったこいつで家に帰るコールしたな 江ノ電1000形が登場したときのインパクトはすごかった
108と短い期間新旧共存してた。今や305の次に古くなるとは >>533
正直登場時よりコカコーラ塗りの方がインパクトあったわ >>533
でも吊り掛け駆動だったので乗った時に「あれっ?」と思った ベタでスマンがVVVF車
起動音は未来を感じさせてくれた >>536
当時まだ半地下構造(?)だった日吉駅で聞いたGTOインバータ音
このまま宇宙にでも行くのかと思った昭和のおわり 201系
登場時は持て囃されたが、製造は比較的少数にとどまり、廃車も早かった
地味に203系の方が長生きしてる >>541
201系ってまだ現役だろ?
JR東日本に限ったって201系と203系は同じ年に全廃じゃん
3ヶ月203系のほうが遅いけど 外観も制御装置も斬新な営団6000と小田急9000に混ざって新設の地下線を運行する旧態依然の国鉄103-1000の悲しさよ >>544
利用客が見込めなくて儲からない路線の建設を都営地下鉄に押しつけられたから。
都営三田線が6両編成で高度成長期を乗り切れたんだもの。 201系より203系の方が新時代到来の感覚を味わえた
地域限定は惜しかったが 5700系 高速急行向き車両
でも2扉クロスは後が続かなかった。 >>549
雑誌からの刷り込みかも知れないが新時代の電車というよりも
高価な電車のイメージが強かったね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています