中国山地の特急・急行列車
根雨みたいに、中国道ができたおかげで、商店の仕入れが問屋経由ではなく、直接大阪に変わったという例もあった。
今は、地元の商店そのものが廃れ、みんなが直接大阪まで出かけるようになったけど。
中国道沿いの某路線バス運転手は、自分や家族の長距離外出には、自家用車で伊丹や関西を普通に使うと。
某宅配便では、島根や鳥取に拠点を持たず、三次と津山から山陰をカバーしているところもある。
中国道の存在はそれなりに大きかったと思う。
姫新線や芸備線の三次以東が大したスピードアップも出来ず撃沈されたのもある意味仕方がないかと。
ちなみに、蒜山地区の最寄駅はやくもの停まる根雨や生山だったり(商業圏は倉吉)。
大阪行きのバスもなくなったしね。これは鋳鉄のせいだが。
>>82
田中角栄の新幹線計画にも伯備線と広島〜松江(芸備線+木次線)の縦断線はあるけど中国道に該当する横断線がないんだよね。
三陸と同じで放置するつもりだったのだろう。 >>86
意味がない。それだけ列車本数が多いか?。
宇野線の岡山ー茶屋町間が先だろ。 じゃあ、せめて新見〜生山間を複線しないかなぁ・・・ 俺が子供の頃は、山陰本線に夜行の急行さんべや美祢線にも急行あきよしや急行さんべが走ってたなあ。 夜行バスで中国山地越え。
弁天町から2号線で三宮経由姫路入り、日本モーテルで休憩後
29号線で戸倉峠越え。未明の鳥取から9号線で朝に米子着。
通路部分の補助席が2列という超詰め込みだった。
昼行の場合は新快速で姫路まで行き神姫バスの大原経由で鳥取入りした。
>>83
亀レスだがそれは違うぞ
道路は一本で十分だから背骨の中国道+支線を伸ばす考え方で
鉄道は重要だから山陽新幹線と山陰新幹線の二本立てだったんだ
今では鉄道は山陽新幹線すらさほど重要ではなく
高速道は山陽と中国、そして山陰も伸ばしてるわけだが >>64
超カメレス スマソ
抜かれていたのは、中三田。
タブレットは、急行が走行しながら受け渡しをしていました。
普通列車は、広島方面に停車していました。 >>95
急行さんべ。
途中、長門市で山陰本線をそのまま行く列車と美祢線、山陽本線に回る列車があって下関で
再び連結して博多向かう列車がありました。
西村京太郎氏の小説のトリックに使われたこともあります。 そしてなぜか美祢線経由のほうが主編成(ロザハザ付)だったんだな。
同じようなルートで片方が山口線片方が美祢線ってのもあったな。 ドライブインじゃなく備後落合駅でおでんうどんを食べたいんだよ! 福島県の三瓶【さんぺい】さん
島根県の三瓶【さんべ】山
愛媛県の三瓶【みかめ】町 >>96
んだ、んだ。
…あの列車、もしも片方で極端に運行に遅れが生じた場合なんかは
どう対処してきていたんだろう? 先発させたこともあった
スレちだが東北方面の多層建急行はもっと大変だった この夏「ちどり」が短縮されて再登場? 西のキハ48か…せめて色だけでも堪能? 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&feature=channel&list=UL
http://www.youtube.com/watch?v=RJDXzoXs490&feature=channel&list=UL 「ちどり」なる愛称は、九州出身の父にしてみれば
本家は大分交通だと昔よく言ってたなあ >>93
山陽新幹線は重要だろ。九州への客もいっぱいいるし。
>>84-85
東城は広島県で、岡山県の新見方面の需要がほとんどなく、県内主要都市の三次・福山・広島市へは
鉄道は全く使い物にならない状態だからね。 >>112
九州どころか大分県内でしか通用しないんじゃないの 美祢線は湯本温泉への客向けにグリーン車があったね。
今や幹線系の需要は無いはずだけど地方交通線の運賃体系には変えられないの? >>1で挙げられてる各列車の年代が若いと思う。
急行大社とか無い 三江線など開業時から都市間連絡線として機能したことない だって昭和50年代半ばまで南北に分断されていたんだもん >>119
口羽駅で線路つながってなかったからなあ
CTC化までスタフで済ます為に 口羽駅って島根県なのに広島鉄道管理局だったんだよな
それまでは米鉄 中国山地のせいもあるがこの地方で
鉄路が地域の発展には貢献できずじまいだったのが口惜しい 国鉄時代は本当に列車網が豊かだったなあ。
俺熊本の八代に住んでいるがさんべは熊本からさらに八代まで普通で来ていた。 急行あきよし天ヶ瀬行きってのもあったな。
天ヶ瀬っていったいどこかわからなかった。 急行あきよしの日田・天ケ瀬・東唐津発着列車や急行さんべの熊本発着列車は、
博多発着の特急まつかぜ1・4号と共に山陰西部と北九州地区や九州内陸部との
連絡列車の色合いも濃かったが、島根県西部地方と熊本県・大分県西部や佐賀県が
それだけの強い結びつきやつながりがあったのかどうか疑問に思える >>115
今や長門湯本温泉に美祢線で来る客なんて数えるほどしかないからな。 三江線浜原から大田市までの国鉄線の建設計画もあったが、この線が開通していたら、
広島〜大田市間に三江線経由で急行列車なども運転されていたかもしれない つやまに乗って文句言ってる客がいたっけな
こんなので料金取ってるのかと こんなので料金取りやがって、ボッタクリだろーが!
ってなことかな?
なんか、哀しくなるね >>101
去年12月に備後落合駅80周年イベントで駅売りしたよ。
75周年にもやったみたいだから、5年後に行ってみたら?
それ以外のイベント(地元企画のカラオケ団臨など)で売るときもあるらしいが
現地民でもなければ情報を知りにくいからなあ。
でも今は備後落合駅なんたらというブログ見てりゃ判るか こんど姫新線80周年が走るが、
少なくとも末端の「中国勝山-新見」の区間において
種別臨時を問わず前回最後の指定席連結列車は何?
まさか昭和40年代にみまさかが新見まで行ってた頃まで遡らないよね?
JR化後の平成一桁の行楽臨などは
結構珍しい路線を経由させたり指定席を設けていたりと
結構冒険してたけど、当該区間はどうだったんだろう 生活再生支援ならNPO法人STAで
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詳しくはHPもご覧下さい。 木次線といえば600番台の気動車の思い出。木次ー備後落合間は単行で車内中央でアコーディオンカーテンで仕切りキハユニ状態で運転だった当時は郵便と荷物は沢山積んでた。客もそこそこ乗ってたな。 >>139
スレチだった、ちどりを思い出してたらキハ52や53が出てきた。 なつかしいなあ
アコーディオン仕切りって
どこかの線で荷物が客室に雪崩れ込むトラブルがあって急に廃れたんだよね 伯耆でお世話になった津山駅へ行ってきた。
20分以上かけて転線しながらの解結も今は昔。
木造のホーム上屋も健在だったが、東の跨線橋は
使用不可になっていた。
1・2番線の長いホームの乗車口案内がKまであり、
過去の急行DCの編成の長さに思いをはせた。 伯耆とはまた貴方大先輩だな
俺はみささ+砂丘&みまさかの解結転線しかリアルでは知らん >>125 小倉や博多での折り返しによるダイヤの避けるのには、効果があるのでは?
東北の多層建て急行で、本来ならば盛岡で分割する日本の列車をくっつけて、仙台発で花巻から釜石線、山田線回りで盛岡に出て、さらに花輪線経由で秋田に向かった急行「陸中」に似ている。
こちらも東北本線のダイヤ過密化を避けるためだった。 この懐かし板に「山陽本線」系統筋の懐かしネタを語れるスレがないから困るな
さして重要ではないネタをさらに細分化させたみたいな不要不急スレはたくさんあるのに。 たぶん>>145は「伯耆」でなくて、「みささ」か「砂丘」のことだと思うが。
「伯耆」は昭和50年3月に伯備線の急行として登場し、
すべてが「やくも」に格上げされて消えた列車しか知らない。 >>149
私もその伯備線だけの「伯耆」になってからの世代で
幼児の頃に帰省でそれに乗った記憶と写真があるだけだけど…
模型で再現しようと調べたら
もっと前は4両5両の短い急行ではなくて
大阪発の多層立ての大急行だったのを知ったので
>>145さんは大先輩なのだと思う
津山を経由して伯備線ではなく倉吉へ向かう
「伯耆」の話をされたんじゃないかな
伯備線の「伯耆」は岡山持ちと米子持ちの編成があって
米子持ちは珍しいキロと1000番台のキハ58が使われてたことはわかったんだけど
どうつながってたのかわからずじまい
ご存じの方教えて下さいませ 大阪米子間の急行伯耆です。上りは鳥取止の併結急行
(鈍行DC色だった記憶があるのでキハ20かと思われます)
を解放してました。倉吉駅が上井と名乗っていたころです。 小さい頃、松江行の優等列車って
結構あったような記憶があるのだが
ある時期以降、出雲市・浜田・米子・
倉吉・鳥取・大社行はあっても松江行
というのは何故か見かけなくなった 1980年12月号の時刻表見てるんだけど
最終のやくも11号だけ松江行だね
急行白兎崩れの快速のそのまた崩れた普通に接続してるんで出雲市までは行ける訳だが
翌朝の2号は出雲市始発なのに何で松江止まりだったんだろう? >>154
出雲市までにすると到着時間が遅くなり、
当時の労使協定に反することになるからだったかなー。 >>155
なんで白兎崩れは良いのか説明つかないんだよなあ 京都で「白兎」を見送ったあと普通列車で岡山行ってもその「やくも」に間に合うやんか
山陰本線鈍足すぎ >>155,>>156
41Dは到着後に米子に回送するため。
労使協定よりも、機関区の都合ってのが大きい気がする。
あの列車にはよく乗ってたけど、米子以西はほぼガラガラ。
乗り換えた白兎落ちの鈍行もガラガラ。
いっぺん発車直後に運転台のペダルを思いっきり踏んで、車掌にメチャクチャ怒られた 昔のDC急行は10数両編成で中間に来る運転台がいくつもあるため
誤ってペダル踏んでもバレにくかったな。 >>162
連結部にバカでかいタイホォン音が響きわたったあと列車は緊急急停止
車掌がやってくる >>165
緊急停止する云々が無知な部分
現代脳が現代視点で想像で述べると、そうなる。
実際は「誤って」1回吹鳴してしまったくらいではそんなことにはならない
運転中はそのまま。車掌も来ない。片町線長尾-木津で俺も実体験している。
なぜなら、当時は助手席側は開放されてたし、当然ウテシやレチも知ってる
鳴らないようにする固定ツメがついてなかったり、連結時にきちんと下げられないままの
場合もあった。
仮に、数人の悪ガキ学生が鳴らしまくったとしても、減速やら車掌が注意やらには来るだろうが
叱られるだけで、始末書だの連行だのとはならない。
叱った側の経験談が、国鉄時代のレチ経験者のブログに書いてあった。 >>165
中学の時に紀勢線のトンネルの中で30秒ぐらい鳴らしっぱなしにしたことがある
知らなかったので、自分がペダルを踏んだことで鳴ったと思ってなかったから
車掌がすぐに来たのは確かだが、来たときは鳴らしてなかったので、チラッと見られただけで、
何も言われなかった
>161 さんが書いているように
紀勢線の急行も6〜7両編成だったから、どの車両か特定できなかったからかもしれないけど 出雲坂根駅とスイッチバック C56107貨物 昭和46年 カラー映像(何かの番組から抜粋)
https://www.youtube.com/watch?v=DC2Y5skl3vc
(02:47〜06:10ラスト) 特急が走ってたのって福知山線と播但線と伯備線と山口線だけだったよね >>170
国鉄時代ならそうだが、JRも含めてよいのなら因美線。
(福知山と播但を含めるのなら宮津線と舞鶴線を挙げそうになってしまうな) 出雲(17万)、松江(20万)、米子(15万) と、広島(120万)を結ぶ要衝の筈だった備後落合の息の根 事実を知らずにさも知ってるかのように虚偽を書き込む人の心理はなに?
>>163以降の応酬で気になった >>179
おまいさんが虚偽と思うのはどのレス?虚偽の根拠は?
体験談を述べて虚偽扱いされたらどうすればいいの?世の中には虚偽しか存在しないことになるよ? たしかに、書き込みには虚偽もあるだろうけど、
すべてが真実ではないかわりに、すべてが虚偽でもないよね。 虚偽っていうよりは記憶違いじゃないの?
何十年も前のことを正確に記憶している人の方が少ないよ ずいぶんと前のレスを今頃掘り返すとは
しかし3年以上経っているのに返信があるのかよw
通りすがりより >>166
元オフコースの鈴木康博が少年時代に列車の中での警笛鳴らしのイタズラをする悪ガキ小田和正との出会いが初めてだったとBSテレ東の歌番組『よみがえれ!青春フォークポップスパート2』で語っていた
車掌にめちゃくちゃ怒られたという話はしなかったから、車掌は運転士が鳴らしていると思ってて、よほどの異変がなければ犯人捜しになんかこなかったでしょ このスレを見て落合の「おでんうどん」の登場する昔のビデオ
を思い出し探してみたら出てきた。NHKの「中国路のどこかで」
という番組で大雪の中キハ58の急行が行き違いをしており、
ホームで湯気の出るうどんにどんぶりから転げ落ちそうなくらい
おでんを3ヶ乗せてくれておっさんがそれをうまそうに食べてい
た。ホームの端には湧き水みたいな場所があり冬でも凍らずに
湧き出ていてひしゃくで乗り換え客が飲んでいた。本物のおでん
うどんを食べたいな。 おでんうどんなら近所のドライブインで食えるみたいだが >>185
それは>>165へ言ってくれないか?
俺は実体験を165へ書いたわけで貴方の返信スタンスと同じ側。 ゆのやま、に乗っていたことが判明
津山→三次
しかし、広島までの需要って、あったのかな?? >>191
昨今の「長距離移動手段の概念」をそのまま当てはめては駄目。
「A・・B・(閑散区間)・C・・D」
カンタンに言うと、現代的にはA-B、C-Dという設定になる。
が、国鉄当時は「A-Dの直通客が必ずしも多くなさそうな列車」でも
A-Dが通しになっているような列車は、単にその両者をつなげて
通しで運行していただけ、と捉えればよい。 そうだなあ…中国山地の急行でイメージするのはやっぱり
ちどり やまのゆ だなぁ やまのゆはスーパー銭湯に同名の店舗が各地にあって印象深い 中国山地と言えば中国自動車道だもんな
鉄道はあまりなじみがなかったかもしれない 中国道ってよく通したものだよね
1本通すなら瀬戸内沿い一択(+フィーダー線数本)だとボクは思うのだけれども 最初は中国道だけの建設で、そこから山陰山陽へ枝を伸ばしていく方式にするつもりだった
が、結局需要に負ける形で山陽道の建設が行われた結果、中国道は二級路線になってしまった ちどりは今やお笑いコンビの名前で定着したが
元はれっきとした優等列車の名前
もっと言うと大分交通のディーゼルカーの愛称でもある 移住してきて月田駅のそばを車で時々通ります
長いホームにキハ120がポツンと停まったりしてるのを見ると時代の流れを感じます >>205
急行ちどりに乗車中に聞いた親子の会話がなんでちどりって名前なのって質問に父親らしき人が千鳥足云々って会話してて笑った記憶がある
まだ備後落合に駅そばがあった頃ね >>207
月田も00年代までは簡易委託だったのにな
もっと過去は急行発着の時代もあったね有名だけど この列車は松江城の別名である千鳥城にちなんで「ちどり」と命名された。