中国山地の特急・急行列車
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今では路線の存続すら危ういところも出てきた中国山地の路線にも輝いていた頃がありました。
陰陽連絡の要、ローカル輸送の花形だった列車たちを語りましょう!
関連スレ
中国山地のローカル線 Part10
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/rail/1247651648/
うちのじいちゃん(当時の石見益田駅長)がちどりを命名したそうです。
一回でいいから夜行ちどりに乗ってみたかったな。
そういやじいちゃん家に急行伯耆のサボもあった気がする。
自分は平成世代ですがなんか懐かしいですね。
スレ違いごめんなさい…
酎ハイのラムネでお馴染みのサンガリアの早希ちゃんはメチャかわいいのに、何でロケみつではブサイクなコスプレしてんの(´・ω・`)? あの格好じゃないとアスカに見えないから。
アスカの格好じゃないと稲垣だと気付いてもらえないから。 昭和50年代 広島800発の客車列車は 830発のちどり1号に
どこかで抜かれました。タブレットとかどういうことになって
いたのか詳しいことおしえてくだされ。 「みまさか」の月田駅発着は、どういった経緯で設定されたのでしょうか?
勝山の商圏だったからとか、駅に留置しておく余裕がなかったからとか…
そういう理由ですかね? ただ単に勝山じゃ置いとけないし、月田まで行って帰ったら時間的もちょうど良かったんじゃないかとオッサンは思う。根拠はないけど 確か急行ちどり、たいしゃくが廃止になってもう10年くらいになるかな?広島行きちどりに接続する木次線の備後落合行きにはよく特改の車掌さんが乗務していて、ちどりの急行券を販売していた。
木次鉄道部にとっては貴重な収入源だったけどなくなってしまったからね〜。
確かにお客さんは少なかったけど0じゃなかったから今思い出すと残念ですね。 急行「たいしゃく」にもグリーン車が併結されていたんだね?
中国山地の鉄道って最初からあまり整備する気が見えないんだよね。
戦前に政府が整備したのは因美・伯備線、山口線程度だし、軍事上も大して重要じゃなさそうだから放置プレイする気だったのだろうか? つわの、みささ、みまさか、砂丘に爺さん婆さんと一緒に旅行で乗せて貰ったなぁ。
その急行もとっくに廃止され、連れてって
くれた爺さん婆さんも去年死んじゃった。
寂しいな。 必要ないものは仕方あるまい。
・・・・といったら身もフタもないけど
智頭急行が昭和40年までに開業していて当初国鉄で後JR西日本だったらどうだっただろうか。
逆に津山線にしろ因美線にしろヤル気があったらかわっていたのだろうか。
このへんが謎なんだな。 もっと前には若桜線を南東に伸ばしてどっかに繋げる
案があったんだよな。 特急誘導路線の草分けといえるのは伯備線といえるだろう。(同時期で房総各線) >>65
月田は中国山地の林業の基地として栄えていました。今でも駅周辺には材木店がたくさんあります。
林業で働く人達で利用客も多かったそうです。それで「みまさか」の始発駅になったのだと思います。
「みまさか」の席取りのために、蒜山や湯原温泉の観光客がわざわざ月田まで来ていたそうです。 >>72
やる気があって複線電化したり、路線を高規格化していたら変わっていたと思うよ。
大阪〜新見に1時間ごとに特急とか、岡山〜津山に快速が15分おきとか。 それだと山陰本線と播但線を電化,高規格化して「はまかぜ」をグレードアップさせたほうが
国鉄としては美味しかっただろうし,そうなれば智頭急行なんて元から不要だったかもだ。複線化は地形的
な理由で難しいだろうが。 >>77
だから津山新見三次の交通自体が不便すぎたの。
まあそれが原因で中国道を作ったのだろうけど。
広島松江はバス鉄道とも夜行があったとか信じられない状況だったしね。 >>78
俺の中のヲタ心では、ついつい鉄道を中心にものを考えてしまうが、
なるほどそういう見地からすれば、今後の交通の中枢としては
高速道路のルート選択は肯んじられるものがありますな。 昔は世間一般も鉄道中心だったからそれでいいんだけどね。 >>79
大切なのは移動手段があるか、それが適正(快適さ、速度、本数など)なものかだからね。
一般道も鉄道もしょぼい、水運は無きに等しい、空港どころかヘリポートもないという田舎でどの交通から整備すればいいのかとなると時代によって変わるだろう。
宅地開発の進んだ岡山・広島界隈なら鉄道の電化複線化も必要だろうし、過疎な山間地ならまずは高速道路で町の病院と往来できるように、となる。
ここで最高速度65kmの単線非電化鉄道を無理に作ってみたり、時速100kmの高速道路がいるのに一般道扱いして時速60kmに制限するのは愚行だろう。 根雨みたいに、中国道ができたおかげで、商店の仕入れが問屋経由ではなく、直接大阪に変わったという例もあった。
今は、地元の商店そのものが廃れ、みんなが直接大阪まで出かけるようになったけど。
中国道沿いの某路線バス運転手は、自分や家族の長距離外出には、自家用車で伊丹や関西を普通に使うと。
某宅配便では、島根や鳥取に拠点を持たず、三次と津山から山陰をカバーしているところもある。
中国道の存在はそれなりに大きかったと思う。
姫新線や芸備線の三次以東が大したスピードアップも出来ず撃沈されたのもある意味仕方がないかと。
ちなみに、蒜山地区の最寄駅はやくもの停まる根雨や生山だったり(商業圏は倉吉)。
大阪行きのバスもなくなったしね。これは鋳鉄のせいだが。
>>82
田中角栄の新幹線計画にも伯備線と広島〜松江(芸備線+木次線)の縦断線はあるけど中国道に該当する横断線がないんだよね。
三陸と同じで放置するつもりだったのだろう。 >>86
意味がない。それだけ列車本数が多いか?。
宇野線の岡山ー茶屋町間が先だろ。 じゃあ、せめて新見〜生山間を複線しないかなぁ・・・ 俺が子供の頃は、山陰本線に夜行の急行さんべや美祢線にも急行あきよしや急行さんべが走ってたなあ。 夜行バスで中国山地越え。
弁天町から2号線で三宮経由姫路入り、日本モーテルで休憩後
29号線で戸倉峠越え。未明の鳥取から9号線で朝に米子着。
通路部分の補助席が2列という超詰め込みだった。
昼行の場合は新快速で姫路まで行き神姫バスの大原経由で鳥取入りした。
>>83
亀レスだがそれは違うぞ
道路は一本で十分だから背骨の中国道+支線を伸ばす考え方で
鉄道は重要だから山陽新幹線と山陰新幹線の二本立てだったんだ
今では鉄道は山陽新幹線すらさほど重要ではなく
高速道は山陽と中国、そして山陰も伸ばしてるわけだが >>64
超カメレス スマソ
抜かれていたのは、中三田。
タブレットは、急行が走行しながら受け渡しをしていました。
普通列車は、広島方面に停車していました。 >>95
急行さんべ。
途中、長門市で山陰本線をそのまま行く列車と美祢線、山陽本線に回る列車があって下関で
再び連結して博多向かう列車がありました。
西村京太郎氏の小説のトリックに使われたこともあります。 そしてなぜか美祢線経由のほうが主編成(ロザハザ付)だったんだな。
同じようなルートで片方が山口線片方が美祢線ってのもあったな。 ドライブインじゃなく備後落合駅でおでんうどんを食べたいんだよ! 福島県の三瓶【さんぺい】さん
島根県の三瓶【さんべ】山
愛媛県の三瓶【みかめ】町 >>96
んだ、んだ。
…あの列車、もしも片方で極端に運行に遅れが生じた場合なんかは
どう対処してきていたんだろう? 先発させたこともあった
スレちだが東北方面の多層建急行はもっと大変だった この夏「ちどり」が短縮されて再登場? 西のキハ48か…せめて色だけでも堪能? 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&feature=channel&list=UL
http://www.youtube.com/watch?v=RJDXzoXs490&feature=channel&list=UL 「ちどり」なる愛称は、九州出身の父にしてみれば
本家は大分交通だと昔よく言ってたなあ >>93
山陽新幹線は重要だろ。九州への客もいっぱいいるし。
>>84-85
東城は広島県で、岡山県の新見方面の需要がほとんどなく、県内主要都市の三次・福山・広島市へは
鉄道は全く使い物にならない状態だからね。 >>112
九州どころか大分県内でしか通用しないんじゃないの 美祢線は湯本温泉への客向けにグリーン車があったね。
今や幹線系の需要は無いはずだけど地方交通線の運賃体系には変えられないの? >>1で挙げられてる各列車の年代が若いと思う。
急行大社とか無い 三江線など開業時から都市間連絡線として機能したことない だって昭和50年代半ばまで南北に分断されていたんだもん >>119
口羽駅で線路つながってなかったからなあ
CTC化までスタフで済ます為に 口羽駅って島根県なのに広島鉄道管理局だったんだよな
それまでは米鉄 中国山地のせいもあるがこの地方で
鉄路が地域の発展には貢献できずじまいだったのが口惜しい 国鉄時代は本当に列車網が豊かだったなあ。
俺熊本の八代に住んでいるがさんべは熊本からさらに八代まで普通で来ていた。 急行あきよし天ヶ瀬行きってのもあったな。
天ヶ瀬っていったいどこかわからなかった。 急行あきよしの日田・天ケ瀬・東唐津発着列車や急行さんべの熊本発着列車は、
博多発着の特急まつかぜ1・4号と共に山陰西部と北九州地区や九州内陸部との
連絡列車の色合いも濃かったが、島根県西部地方と熊本県・大分県西部や佐賀県が
それだけの強い結びつきやつながりがあったのかどうか疑問に思える >>115
今や長門湯本温泉に美祢線で来る客なんて数えるほどしかないからな。 三江線浜原から大田市までの国鉄線の建設計画もあったが、この線が開通していたら、
広島〜大田市間に三江線経由で急行列車なども運転されていたかもしれない つやまに乗って文句言ってる客がいたっけな
こんなので料金取ってるのかと こんなので料金取りやがって、ボッタクリだろーが!
ってなことかな?
なんか、哀しくなるね >>101
去年12月に備後落合駅80周年イベントで駅売りしたよ。
75周年にもやったみたいだから、5年後に行ってみたら?
それ以外のイベント(地元企画のカラオケ団臨など)で売るときもあるらしいが
現地民でもなければ情報を知りにくいからなあ。
でも今は備後落合駅なんたらというブログ見てりゃ判るか こんど姫新線80周年が走るが、
少なくとも末端の「中国勝山-新見」の区間において
種別臨時を問わず前回最後の指定席連結列車は何?
まさか昭和40年代にみまさかが新見まで行ってた頃まで遡らないよね?
JR化後の平成一桁の行楽臨などは
結構珍しい路線を経由させたり指定席を設けていたりと
結構冒険してたけど、当該区間はどうだったんだろう 生活再生支援ならNPO法人STAで
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詳しくはHPもご覧下さい。 木次線といえば600番台の気動車の思い出。木次ー備後落合間は単行で車内中央でアコーディオンカーテンで仕切りキハユニ状態で運転だった当時は郵便と荷物は沢山積んでた。客もそこそこ乗ってたな。 >>139
スレチだった、ちどりを思い出してたらキハ52や53が出てきた。 なつかしいなあ
アコーディオン仕切りって
どこかの線で荷物が客室に雪崩れ込むトラブルがあって急に廃れたんだよね 伯耆でお世話になった津山駅へ行ってきた。
20分以上かけて転線しながらの解結も今は昔。
木造のホーム上屋も健在だったが、東の跨線橋は
使用不可になっていた。
1・2番線の長いホームの乗車口案内がKまであり、
過去の急行DCの編成の長さに思いをはせた。 伯耆とはまた貴方大先輩だな
俺はみささ+砂丘&みまさかの解結転線しかリアルでは知らん >>125 小倉や博多での折り返しによるダイヤの避けるのには、効果があるのでは?
東北の多層建て急行で、本来ならば盛岡で分割する日本の列車をくっつけて、仙台発で花巻から釜石線、山田線回りで盛岡に出て、さらに花輪線経由で秋田に向かった急行「陸中」に似ている。
こちらも東北本線のダイヤ過密化を避けるためだった。 この懐かし板に「山陽本線」系統筋の懐かしネタを語れるスレがないから困るな
さして重要ではないネタをさらに細分化させたみたいな不要不急スレはたくさんあるのに。 たぶん>>145は「伯耆」でなくて、「みささ」か「砂丘」のことだと思うが。
「伯耆」は昭和50年3月に伯備線の急行として登場し、
すべてが「やくも」に格上げされて消えた列車しか知らない。 >>149
私もその伯備線だけの「伯耆」になってからの世代で
幼児の頃に帰省でそれに乗った記憶と写真があるだけだけど…
模型で再現しようと調べたら
もっと前は4両5両の短い急行ではなくて
大阪発の多層立ての大急行だったのを知ったので
>>145さんは大先輩なのだと思う
津山を経由して伯備線ではなく倉吉へ向かう
「伯耆」の話をされたんじゃないかな
伯備線の「伯耆」は岡山持ちと米子持ちの編成があって
米子持ちは珍しいキロと1000番台のキハ58が使われてたことはわかったんだけど
どうつながってたのかわからずじまい
ご存じの方教えて下さいませ 大阪米子間の急行伯耆です。上りは鳥取止の併結急行
(鈍行DC色だった記憶があるのでキハ20かと思われます)
を解放してました。倉吉駅が上井と名乗っていたころです。 小さい頃、松江行の優等列車って
結構あったような記憶があるのだが
ある時期以降、出雲市・浜田・米子・
倉吉・鳥取・大社行はあっても松江行
というのは何故か見かけなくなった 1980年12月号の時刻表見てるんだけど
最終のやくも11号だけ松江行だね
急行白兎崩れの快速のそのまた崩れた普通に接続してるんで出雲市までは行ける訳だが
翌朝の2号は出雲市始発なのに何で松江止まりだったんだろう? >>154
出雲市までにすると到着時間が遅くなり、
当時の労使協定に反することになるからだったかなー。 >>155
なんで白兎崩れは良いのか説明つかないんだよなあ 京都で「白兎」を見送ったあと普通列車で岡山行ってもその「やくも」に間に合うやんか
山陰本線鈍足すぎ >>155,>>156
41Dは到着後に米子に回送するため。
労使協定よりも、機関区の都合ってのが大きい気がする。
あの列車にはよく乗ってたけど、米子以西はほぼガラガラ。
乗り換えた白兎落ちの鈍行もガラガラ。
いっぺん発車直後に運転台のペダルを思いっきり踏んで、車掌にメチャクチャ怒られた 昔のDC急行は10数両編成で中間に来る運転台がいくつもあるため
誤ってペダル踏んでもバレにくかったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています