【冬がくれば】シュプール号【思い出す〜♪】
間もなく本格的な冬がやって来ます
冬のスポーツ言えばスキー
スキーと言えばゲレンデ一直線のやっぱりシュプール号ですね
そんなシュプール号&スキートレインの思い出を語りましょう シュプール号には、スキーが出来ない自分は、1回だけ乗りました。95年頃だと思います。
当時、東日本のホリデーパスの拡大版スーパーホリデーパスを使おうとして、その範囲内に収まる「シュプール草津・万座号」で、大船から万座・鹿沢口までの最大区間を乗り通しました(品川、新宿経由)。
185系の1両に、中学生の自分と、通路を挟んでカップルのみという閑散状態でした。春休みという時期的なものもあると思います。冬だけは避けたかったので(確か)。
新前橋で前の「シュプール上越」を切り離している間、隣に、583系の「シュプール上越」が止まっていました。新前橋では、1時間近く停車したと思います。
万座・鹿沢口からは、渋川から「草津」となる快速で渋川まで行き、高崎から信越本線に入り、横川から「あさま」で小諸まで行きました。横川では、まだ、EF63との連結部分を規制などしていませんでした。
小諸から小海線、中央本線経由で帰りました。大月では、老夫婦っぽい駅弁の売り子さんがいました。
いずれにせよ、今ではできないことだらけで、貴重な体験だったと思います。 神戸→糸魚川→南小谷だっけ?
キハ180のエンジン換装は北陸トンネル対策でもあった訳だな? CMといえばトニー・ザイラーにたどたどしい日本語で「スキー行くならJRよ!」と言わせてたな
世界のトップスキーヤーにそんなことやらせるなよと思ったw はあ?CMなんてそんなもんだろw
高い金払ってんだからw 高岡から姫路までシュプール妙高・志賀8号に乗った。485+583の14両編成 >>104
トニー・ザイラーと行くスキーツアーもあった。最初の年の使用車両は「なにわ」「ゆうゆうサロン岡山」なぜか平岩で昼寝。スキーが上手い酉の社員がスキーを教えるのだがナンパしていた。 この頃のJR西は元気やったな〜。
商人の街、大阪の気質が鉄道にも大きく反映されてた。
新車の投入に限ればJR東に大きな遅れをとってたけど、
その他はアイディアなどなど、西の方が勝ってたし、色々な夢を与えてくれた。
今でも当時のJRに感謝している。 長野五輪1日前に白馬からの帰りに新幹線乗る長野駅で485+583シュプール信越雷鳥号大阪行き停まってたな〜。 山陰在住だった自分には、九州から来てたシュプール大山が懐かしい。レタリングとラインを増やしただけの塗装の12系が何気に好きだった。レタリングが多かったけど、水戸岡デザインだったのかな。 >>108
トニー・ザイラー シュプールで検索するとヒットするかも 仰せの通りにやったらヒットした
当時の世相反映したコマーシャルフィルムといえるね
楽しくなけりゃ○○じゃない、てフジテレビの決まり文句だw 懐かしすぎるそのフレーズ
社会のトレンドの中心にいつもフジテレビがいた >>107
社員もいたのかw知らなかった
当時よく聞いたのは、大学のスポーツサークルでスキーの上手いヤツが
インストラクターとしてついてきていた。
そいつらは、見るからにチャラくて、
そこそこのギャラをもらってカワイイ娘をナンパしてと、
美味しすぎるバイトとして有名だった >>120
ここをのぞいてるような連中はそんなことには興味ないし、羨ましくもないでしょう スキーバスにしてやられたな
スキー場直行の利便性とパックツアー企画の普及
特に後者でJR各社は遅れをとった
パック企画の立案は零細旅行会社だったらしい >>126
零細は生き残りに必死だからな
知恵を絞って大手がまだ始めてないサービスを売りにするしかない シュプールの思い出
たまたま隣の席の女子グループと仲良くなり
帰ってから、数回会った
発展はしなかったが >>129
快速シュプール大山号の開放式B寝台は結構発展していた模様w
エロいあえぎ声が筒抜け。 >>135
まあそう僻むなよ笑
鉄チャンがスキー含むスポーツ全般が苦手でこういうサービスに縁がないのはよく分かる >>126
スキーバス以外にも東日本がスキー輸送を新幹線中心に切り替えたことも大きい 社会人の最初の年にスキーに誘われ、はまってしまい、シュプール号のユーザーになってしまいました。
86-87シーズンからです。
最初は蔵王号で、大宮を出て空いていたら闇寝台車で使用してしまいました。
何回も友人を誘っていきましたが、すいている蔵王号が一番楽、こんな楽なスキーの行き方は初めてだといわれました。
ただ、混む時期はもちろん無理、しょうがないです(これが当然ですが)
当初は全部座席車のみと思いました。
蔵王号にいつか寝台車が設定されて、これが結構人気と記憶。
最後はシュプール号ではなく、ゲレンデ蔵王号に名前が変わっていました。
20年ほど前でしょうか? スキーができたら楽しい思い出の一つや二つ作れたのに
運動音痴だったらそれさえかなわずー 運動音痴には運動音痴なりの冬の過ごし方があっただろうに
今は幸せだな ネットがあるから ところがどっこい今はコロナでスキーも楽しめない時代
毎年こんな調子ならスキーは冬のレジャーではなくなるだろう 楽しいのはスキー場ではなく、
往復の車中なんだろ? >>144
両方楽しめた
蔵王号の例では、品川〜大宮までの貨物線走行に、目が離せなかったです
ちなみに、スキー場では、リフトに全部乗るとかコースを全部滑るとか
少し逸脱してしまいました
怪しいリフトもあって、結構奥が深いです >>147
そうですね、ですので結構あれば乗りたくなりました
1人用/2人用/3人用/4人用は良くありましたが(3人用は少なくなった?)、
6人用もあるそう、ただ6人用はさすがに乗ったことがないです
フード付きリフトや、速度可変の高速リフト、屈曲リフト
海外も含めば、横乗りリフトや複数区間リフト
滑走式がまた怪しい、初心者には厳しすぎるリフトも特に海外ではありました
ご参考 >>148
その気になればみんな鉄道の乗り物になるんじゃない。
路面気動車や無軌条電車もあるから・・・
例えば
バス→無軌条気動車
自転車→無軌条2輪人車鉄道パーソナル車両
航空機→無軌条空中飛行用気動車 人車鉄道、馬車鉄道は実際にあったそうですが、
自転車鉄道はあった?
見たのは、保線用の自転車軌道者ですね スノボも同じ。
スキーは複輪、スノボは単輪と区別する。 雪上車にスキー場で乗ったことがあるけど、凄い揺れ
発車前に、必ず揺れうからつかまって、と言われて多少は構えたけど、
想像以上に揺れて凄かった
岩木山スカイラインスキー場では、雪上車をリフト替わりにしてのツアーがあった。
もちろん1回****円(1500円くらいの記憶)
ということは、この雪上車は緑ナンバーの大型特殊自動車???
よくわかりません 道路ではないから免許は不要だと思う。
因みに日本国内には大型特殊二種免許を必要とする車は存在しないとのこと、 因みにナンバープレートが着いていたとしても「9○○」ではないかな? 牽引二種免許が必要な車両も現在は、東京五日市のつるつる温泉の送迎バスのみだとか。
連接バスは1車体の扱いなので不要とのこと。 空港で飛行機牽引する作業は、道路ではないので免許は不要だと思うけど、大特二種と牽引二種免許持っている人が、空港独自の試験にパスして採用されると聞いたことがあるけど、真相はどうなのかな? 試験場で、大型1種はトラック、大型2種はバスを使う。
大特2種と牽引2種はどんな車両を使うか調べたら、1種と同じ車両で、合格点が上がるだけだそうだ。 >>161
トレーラーバスは終戦直後は大都市で走っていたのが、放火事件が有ってから急速に減ったとか。
前後で完全に分離していたから、客車で何かあっても運転士が気づくまで時間がかかった。
連節バスはその心配がない。 >>164
車掌からの出発合図とかどうしてたんだろうな >>165
つるつる温泉のトレーラーバスの車掌に聞いてみるのが良いかも。 記憶が間違っていなければ、シュプール号がなくなって、ゲレンデ蔵王号、に乗った記憶があります
その時は寝台車でしたね、たまたまですが、パンタ下の特別中段寝台とその下の下段でした
池袋から乗った時は、1時間以上遅れ、しかし山形着はほぼ定時でした 昔の若い人は好んで冬にスキーに行ったもんじゃ。
ご苦労じゃあ。 ゲレンデ蔵王・・・それって、583だったっけ?
戸塚の大きな踏切んとこで撮った記憶があるな・・・ 新大阪駅で、たまたまシュプール号を見た。
14系でなんた牽引はDD51、待っているヤング達から「ウォー」の驚きの声が上がった。 >>176
シーズン中は各列車フル稼働だったからな。
オール電化区間でもDLがかり出されたと思料する。 スポーツ苦手人間が増えたのよ
みんなゲームばかりやってるから フィリピンのセブ島に行ったとき、アイススケートリンクがあってビックリした。 シュプール号の運行時期は、大学受験の時期と重なっていた。
シュプール号を見ると「あっ、滑りに行く列車だ。縁起よくない。」と
がっかりするのが普通の受験生。
シュプール号で受験しに行ける大学をわざわざ志望するのが鉄ヲタの受験生。
妙高エリアに行くシュプール号で受験に行って上越教育大学に入学した人も、
きっといるんだろうな。 シュプール号には乗った事がないが
大学が九州だったので夏に帰省するときはシュプール号の車両、冬は普通の12系客車 外国で復活しても日本は関係ないぞ
スキー列車の復権は永久に無い その昔、新大阪駅でシュプール号を待っている若者達がいた。
14系が入線してきたが牽引機がDD51、あの轟音に勝るとも劣らないどよめきが湧き起こった。