【思い出スレ】旧形国電総合スレッド007【統合】
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>>429
まあ中二病的発想だろうね
三年生ともなれば経済ってもんが大まかにでも分かって来て個々人が自分自身の為に精一杯頑張る事が
最も社会(彼らは地球・世界・市民といった表現が好きなようだが)の為になるって事に気付くもんだけど >>432
原形っていうのが何をさして言うのかわからんが、
モハ63出自で、あまり改造されていない、というのなら、
可部線のクモハ73313あたりではないか?
エンドウは模型の話だけれど、朱色が出るのは、
クモハ73とクハ79の同社三段窓タイプと編成しろ、
という意味でしょ? >>455
朱色のモハ72970は、落成直後2年間くらい鶴見で使用。その後、茶に塗られ廃車まで
引き続き鶴見で使用。
朱色時代の写真どこかにありますか?
可部線の73系は全部2段窓だったような気がする。 >>436
ttp://www.ken-ohashi.jp/contents/2b/dagakki3/06series/72kei.html 可部線73系は、クモハ73はすべて2段窓
クハ79は、鋼体化タイプの79004、旧63形クハの79214はすべて2段窓
72系新製車の300以降に割と三段窓があった 先日、クモニ13併結で走ってた73系の横浜線を少し歩いてみた。
八王子〜相原間は当時は単線だったが、今は複線。沿線がかなり開発され
昔の面影はほとんどない。
併結列車を撮りによく行った京王線とのオーバークロス。まったくべつの場所のように思えた。
こどものころは、クハ55とかクモハ41もいたんだが、まあ、よくここまで発展したもんだなあと
ちょっと思わず苦笑いしてしまった。
>>438 クハ79004は、正面の裾が直線でなくてカーブになっていて、木造鋼体化の跡がしのばれました。
車体はベコベコでよく末期まで生き残っていたものだと感心しました。
あとクモハ73001がいて番号上はトップナンバーなんで、なぜか感動したのを覚えています。 可部線の73系は好きでした。
オレンジの警戒色にウグイス色。とても似合ってました。
宇部・小野田線の黄色の警戒色に茶は、最初は好きになれませんでしたが、
通っているうちに、これもありかなと思うようになりました。
好きなカラーは、新潟色70系。雪景色に映える色でした。 >>440
あれは、雪景色の中で視認性を高める「警戒色」の役目もあったとか>70系新潟色
(新性能化の際、あの色が引き継がれなかったのはなぜだろう) >>441
「ババアの厚化粧」っていわれてたからね。 あれどういう規定であの色にしてたんだろう
国鉄電車は特に規定がない場合は湘南色という規定だったから
特に指定のない新潟の115系は湘南色
スカ色なんかはちゃんと「この色に塗れ」と特記してる >>444
>>スカ色なんかはちゃんと「この色に塗れ」と特記してる
でも微妙に調色ちがったり、ラインまちがったり。
新潟の色は電化当初ぶどう色が配置されてて、雪中視認の悪さから支社の要望で認められたらしいよ。 新潟色金太郎塗りのクハ47改造クハ68はとても好きでしたよ。
模型化した人います?
エンドウの新潟色70系セットは買ったんだけど、純粋な70系セットなので
クハ68が欲しい。
モハ63 復活
ttp://blogs.yahoo.co.jp/takemas21/14783196.html >>447
期待して見てみたら・・・
前に出たことあるブログじゃんか
少しは新しい画像貼れよ 東海博物館に入るモハ63は非運転台側も一応復元したようだね 下回りはしかたがないが、外観・内装だけ戦前型のレトロを造らないものかねえ。 >>452
JRじゃないけど今度出る銀座線の新車とか いや、やはり旧国はあの独特のローロングとピッチングのミックスと軋みと
振動と音と昭和のポマード臭があってのものでしょ。
音もなくいきなり凄いスピードで閉まるドアも忘れちゃ遺憾。 モーターだけでなく、
「スーー、シャァゴオォォォーーーーー、キキッ、スハー、ゴリゴリゴリ、スハー、カラン」
という、鋳鉄自動ブレーキの音もセットでなければならない。
できればATS音があると電車ならではのサウンドになる。 ATS音は旧国と当時の一般型気動車とは同じ
※誤解を招く可能性があるのであえて書き込み クハ55に乗って東中野駅を出発・・カントというものを味わえたんだよな
夢に何度も出てくる光景
つり掛け音響かせながらガタガタすっ飛ばしていた 地下鉄丸の内線と新宿湘南ラインを相互乗り入れさせようと思えば出来る! >>462
あと、ドアが閉まる時の「ガラガラガラッ、ドン!」も。 >>466
いきなり「ゴッガラガラガラ ババン!」とくるんだよなあ。
ローラーが傷んでると「ゴッダダダダダン!」てのや、引き摺り音が混じるもあった。
同じように急行型や113系の中期までのは「掛け声」が無かったよね。 関東の俺は今や103系の派手な「プシュン!」すらなつかすぃよ…。 抵抗制御自体がもはや「旧性能車」だしなぁ。
吊り掛け国電と言わないと通じなくなる日も近いな。 >>470
制御方式と駆動方式は別の問題だからなあ
EH200とかEH500とかは吊り掛けでVVVFだろ? >>471
あれからもう30年か・・・
まるで昨日のことにように思い出される。
今でも、富士電車区に彼らが並んでいるような気がしてならない。 あの時投入された115系だって、今何両残っていることか・・・・。 ワインレッドの115系ね。
置換えの端境期にあれが来るとガッカリだった。
当初クハが背中合わせになってて不思議に思えたりしたのも30年前。
いや、無人駅でのドア扱いのために編成の真ん中に乗務員室を設けた。
それにしてもあのワインレッドが憎く思えた… >>477
下流側にMをまとめたと思っていました。 >>478
横軽みたいだねw
そうか、もう身延の旧国廃止から30年なんだ。
乗りに行って62系に当たると落胆したのも今では懐かしいよ。
列車交換待ちで停車時間があると駅の硬券入場券を買ったりしたけど、
今では無人駅になってしまったケース(芝川とか)も少なくないね。 ↑スマソ
厳密に言えば62系がしばらく生き残っていたので、“身延の旧国廃止から30年”との表現は不正確だった。
(このスレの住人サソなら大目にみてくれるかな…)
>>480
いやいや大丈夫。確かに62・66はしばらく生き残ってはいたが、当時自分も興味の対象外で同じような感覚でした。
フィルム勿体ないと来ても写真撮らなかったり。今となってはアコモももう少し資料写真残しておけば良かったと思うが後の祭り。
っていうか、戦前型でも、当時写真撮りまくったつもりだけど今になってみると全然不足。屋根上とか何でもっと撮らなかったのだろうと今更ながら後悔している。
>>474
JR化前にクモハ側のクハ(偶数向きだっけ?)が何両か新潟に異動したでしょ。
方転やバネブーツ履かせたほか耐寒耐雪強化したから、実質1000番台化して今も使ってる。
東海にあった分は売却もせず、残らず破壊しちゃったっけな。 もったいないなあ。
115系みたいな堅実なツクリの車、欲しがる会社はいくらでもあったろうに。 >>484
酉の初期車置換用にあげちゃえばよかったのにね
国鉄なら当然やってたんだが・・・ >>490
これこれ、若いのをからかっちゃイカン(w
形式の番号に構造上の意味を持たせて3桁にした形式以降を「新性能国電」と云ったな。
それ以前の2桁形式を「旧型国電」というから101、151、401以降は「新性能国電」で、
界磁添加制御&チョッパーあたりから様子が変わり、VVVF化で別物で、何処を新たな境界にするかは諸説可能でまとまってない。
軽量構造をエポックに考えれば205以降だが特急用はそんな軽くないからどうかってのがあり、
交流モータ採用なら209、255、351以降。
「旧国」は
80が湘南型
71が横須賀型
72、73、T78、Tc79は下駄電63系列。
さらに古いのが
40両運、41片運、Tc16短いの・・・・・・・
なんてのが関東の下駄電区間を走ってた。
流線型旧国は関西で東側は関係なかった。 >>489
メカ的には、ツリカケ駆動の電動車とその相棒たちが「旧型国電」だな。「旧性能車」なんて
呼び方をすることもある。 >>493
棺桶に片足突っ込んでそうな爺が良く言うよ(w ウォ〜、ゾンビだぞ〜!
平成のJR厨は食べちゃうぞ〜。 形式は2桁でも、実際の標記が5桁なのが不思議だった。 今やインバータ制御+交流モーターが新性能…いや標準性能だな。
機関車を考えると、吊り掛けだから旧性能カテゴリーとも言い難い。 カルダンの他に国鉄の場合は更に電気ブレーキ付直通ブレーキ、8M1C制御、
さらに編成単位で異系列の混結を認めない、などメカ的にかなりドラスティックな
変革があったからね。
おそらく、運転側にとってもそれまでと考え方の大きな変革を迫るものであったため、
わざわざ「新性能電車」と称したんだろうな >>498
(既出だが)
トップナンバーに0を付番するようになったのは、(旧型)電車では昭和28年6月1日の称号規程改正以後
昭和25年落成のモハ80、モハ70、昭和27年落成のモハ72500〜などはみな1〜の付番(80001〜、70001〜、72501〜)
28-6-1以降は0からの付番になったため、たとえばモハ80の全金車体300番台は80300〜の付番
(ク)モハユニ44も、低屋根化は昭和28年以降であるため、原型は44001〜44004だが、低屋根改造後は44800〜44803(付番順序は種車とは一部異なる)で付番 >>501
でも72系として製造された車両は0から始まっています。
(モハ72500〜、クハ79300〜)、モハ70100番台は101から
始まっているので規程が厳格に守られていなかったと思われます。 「電車のアルバム T」に側面の「モハ10000」表記を手書きで書き終えた
場面の写真が載ってるが、あれこそまさに超職人技・神業だな。 ペンキ屋さん(看板屋さんっていうのかな?)が町の看板を下書きなしで書いてるのを
見たことがある。
そういうすごい技を持った人って、意外なところに潜んでるものだよねえ。(^^) 今は印刷が当たり前のものでも昔は手書きだったのものって多いからねえ
だから昔は潜んでるんじゃなくて普通に技術持った人がそこら中にいた ウム。以前は新しい帳簿(出納簿とか)にすると背表紙や表書きを頼む特定の人
が部署に一人はいたからね。顧客への挨拶状とか、謝罪の手紙なんかもそういう
達筆な人が代筆していた。 >>502
0から始まったのは、最初のが偶数向きだったんじゃなかったっけ? 80型になると1からですね。80001、85001、86001、87001 >>508
そのあとの増備や改造などによる派生番台に関しては、原則0〜となっている
クハ86100〜
サハ87100〜
モハ80200〜
モハ80300〜
サロ85300〜(サハ・クハ化)
モハ86300〜
サハ87300〜
モハ80800〜
クハ77000〜
クハ85100〜
その後、昭和44年の車両称号規程改正のあとに3扉化改造されたサハ85100番台3両は、85101から付番となった
余談ながら、この85101〜85103は上例にもあるクハ85101〜85103と同一番号の同時重複という、旧国にあっては珍しい事態も、あわせてはらんでいた
さらに、クモユニ81004〜81006改造のクモニ83101〜83103も、付番に関しては同様 >>509
85101〜85103はサロ改造車が先だろ。
クハ改造車があとから登場している。
この頃には番号5桁が重複せず、全てを表わすという概念が相当崩れていたのだろう。 その頃って、もう新性能車が出てたんじゃなかった?
80番台までに押し込めるためにやむを得ず、ってことだと思うんだが、どうだろう。 それに新性能車の場合、例えば、103-1の場合クモハ、モハ、サハ、クハがある。
旧型車でも記号があれば重複とは見なさない事になったのだろう。 >>509
クモユニ74とクモハユ74って、どうだったんだっけ?
>>512
34年称号改正(新性能3桁化)から、形式に用途記号のカナが含まれるようになってる。
>>513
クモユニの方は普通の郵便荷物電車。
クモハユは、三段窓クモハ73の1ドアから2ドアまでの間だけ郵便輸送用に改造した
(あと、正面に貫通路をつけてクモヤ90風の顔になった)電車で、房総地区に少数が
いただけの珍車。 >>514
そういう話でなくて、番号重複のことだよw >>513
’77国鉄車両配置表より
クモハユ74001〜74003 千マリ
クモユニ74001〜74003 南チタ
が併存。
当時の千マリには、クモユニ74012〜74014・103・104・107が、
南チタには、クモユニ74000〜74011(上掲車含む)が居た。
これでいいか? サロ、サハ、クハの85、75って重複番号発生してないの? >>516
thx
局区が違うとはいえ、重複してたんだな。 >>517
改番の方法を調べればわかる。一部例外があるが。 >>514
クモハユ74は3両ともモハ72が種車なのでお間違いなく!
→旅客車の都落ち〜短編成化のため、郵便車や荷物車や事業車への改造には、クモハ73よりモハ72を重点的に種車に選ぶ傾向にあった >>521
最後は弘南鉄道だっけ?廃車体もなくなったのかな? >>520
運転台用のMC1マスコンとブレーキ弁は、当時なら17m車の大量廃車後で在庫は幾らでもあったろうから、
改造パーツには事欠かなかったろうな。 旧国は番号を使い過ぎ=統合しなかったことが後の空き番災難を招いたと言っても良い。
40系ならモハ40、モハ41、クハ55、クハニ67、サロハ56、サハ57、出力向上型モハ60とモハ61、
7種類も番号を使った無駄使いだった。
モハ40、モハ41、クハ41、クハニ41、サロハ40、サハ41に統合、モハ60とモハ61もモハ41101〜モハ40101としとけば、
後々の空き番災難などに対応出来た。 >>525
付番ルールを作ったときはそんなに増えると思ってなかったんだろ。 17m車も大改番、モハ10なんて中間電動車が現れたよ。 >>525
61型はモハユニでは?クモハ61は戦後の形式でしょう。
一応、下1けた0〜4が制御電動車、5〜9は付随車という決まりはあったから。
でもサロは46・66はモハ32・モハ42系で共通だったんよね。
>>527
モハ30(クモハ41改造の中間車)やクモハ32が出来た時は17m級国電は10番台に押し込められていたから。 >>529訂正
×サロは
○サロハ
後、カルダン車が出てきて完全に番号が埋まったのが痛かったのではないかと。
特に20代は阪和社型と20系(後の151系)に占拠されたから。
そういや、戦前、20代は木造車の為に取っといたんだっけ。 形式ルールが昭和の始めに大改番してれば以降に、かなり面白い編成が見れたかもな。
さらにIFだけど、昭和34年の称号規程改正(車両の種類を表す記号)も昭和の始め、
同時に行われていて、制御電動車と電動車の区別、クモハとモハ表示が表れていたら、
史実のモハ30もモハ41か40で登場、かなり魅力的な編成などが表れたかも知れないな。
たしか戦前の中央線や横須賀線なんかも40系で4両、5両編成で運行、
中間封じ込め電動車扱いもされていたはずだし。戦前から全貫通編成なんか出たかも知れんし。 主電動機出力で車両形式を分けるのには、それなりに必然性があったのでは…?
出力が高いということは、裏を返せば力行時に消費電力も上がりやすいということ
当時は変電設備なども貧弱だったことだろうし、買収線区などはより貧弱な傾向があったろう。
厳密には、出力が上がって加速力や引張力をより以上に引き出せれば効率は上がるわけだが、それには当然歯数比や当該線区の線形や輸送実態なども勘案されるべきで、それぞれの特性の違いを明確にする意味は大きかったのだと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています