【蒸機】同形車を騙る【気動車】
まあレールバスの場合はミャンマーに流れて得体の知れないモノに変じて
更に正体解明が困難となって行くわけだが 夕張のキハ251と三井芦別のキハ100ってそっくりだよね 鹿児島交通のキハ300は、国鉄キハ10の同形ともとらえられるが、
国鉄のヤツより少し早くこの世にお目見えしたという。 >>30 キハ16の両運版の幅狭 エンジン相違
九州の非電化私鉄って島原以外 不思議と国鉄中古が少ないんだよな。 かなり後になって、三セク南阿蘇鉄道にキハ52が、
くま川鉄道にキハ31が入りましたな。
島原のキハ2500は本家キハ125にも無いWCつき… 同形車同士が、めでたく同じ職場でめぐり遭うケースは意外と少ないよな・・・。
多少ニュアンスが違うが、名鉄の3800と東急の3700→名鉄3880くらいか・・・・。 >>33
茨城交通のキハ22もどきの邂逅とか。
伊予鉄の市内電車には、呉市電から自社発注の末期車に
そっくりな1000形がやってきた。
広電に1900形がお輿入れするころには、プロパーの800形は
京都市と違う手法で前中扉化され、似もしなくなっていた… >>33
生き別れが同じところにまた集まるというのはあるんだけどなあ・・・。 >34
でも、どっちも改造で前中扉化されている、という点では共通点あるね。 >>36
そういえば伊予鉄の本来の50形の一部にも、京都市電800形との
同形車があって、広電のそれと同様に前中扉化されて
違う形態になったんでしたっけね、ややこしいこと言って済みません… >>35 すごいのは、戦前に作られた 静岡鉄道の160形だよ 1両は、なんと西武に上京。
(戦前・後に西武鉄道を構成した各社は貧しく他にも武蔵野が長電の木造サハ購入したりしている)
戦後 西武のお家芸となった地方鉄道売却で豊橋渥美線に。
静岡に残った相棒も豊橋渥美線に・・
こちらもどちらかは、途中3Dに改造されて後年まで相違は残った。 秩父デキ100に入れてもらった元松尾
関鉄鉾田の711〜715は三井芦別と夕張
島原の自社発注と元国鉄のキハ20
小湊の自社発注キハ100と41000
上信100/200の一部が西武所沢製で 後に西武車が入ってきたね
伊豆箱根も同様で1000と1100
DD13やDE10タイプならそれこそ沢山ある
東武の英国型蒸機
>>38
帝都電鉄の車両が、戦災を逃れ、完全体で伊予鉄に譲渡。
一方、空襲で焼けてその戦災復旧車の台枠を使ってつくった相鉄の車両も伊予鉄に譲渡。
これも面白い。 >>41 東急の3650と帝都の1700(本来 3650の相棒Mになる筈)は、とうとう遭えないどころか、脚も容姿も違う物にされてしまい生涯を終えるな。 >37
伊予鉄50形は、京都市・2600形の廃車部品を使って間接制御化されたという、京都市との
妙な因縁がもう1つある。
>38
2輌とも3扉、但し一方は中扉が荷物電車のような両開き扉になってたんじゃなかったかな?
>>43
あれは、原形が路面電車みたいに両脇が片開き、真ん中が両開きだった。
渥美線に直接行ったほうは、両開きのままだったんだが
西武にいったほうは、西武時代に片開きに改造された。
だから、渥美線でまた2両揃ったときに形が異なることになってしまった。 末期の京都市電の電車って全廃前で車体の手入れとか悪かった割に不思議と中古売れ行きがよかったよな。
(寧ろN電以外 ソレ以前の譲渡時例が思い浮ばない!)・・・スレチ失礼。
整理すると、京都市電の車両の同形車は、新しいところだと
ヒロデソの800形、伊予鉄のモハ50形の何番 か(番号失念)が
800形のコピーだっていうことですかね。 名鉄5000〜5500
長電2000
地鉄10020等
北鉄6001?
>>46 はとりあえず京都市電に限ってみました。
>>47 さんが挙げてくれたほかにも、もっとあると思います。 >45
広電の場合は、元大阪市電の650形とか元神戸市電の850形が、
使い続けるには限界が見えてきたタイミングだったからかも。 関係ないかもしれないけど、京都市電は旧六大都市最後の
本格的路面電車だし、第一次オイルショックの後で
廃止を惜しむ声も多くて、人気?が高かったのでは。 広島と松山が買ったのはワンマン対応だったことが大きいんじゃ?
京都市電は、まあ政争の具にされてしまったのが悲劇だった。
いかにも京都らしいというかなんというか。 >>51
>>46からの流れで違和感が少ないのも理由でしょうね。 >51
機材、方式は違っても、配線関係埋め込み済みなのは、改造が楽だろうね。
そいえば、長崎の360&370形もプロトタイプは京都市電だそうだ。
計画段階での提案図では、京都市電並みの前面傾斜が付いていた。
昔の路面電車のスタンダード(他社追従のスタンダード)を最も輩出したのは 都電
だが、意外にも その次は、 京都?
大阪市 より 多いのかな?
他 西鉄 >54
そうかもしれん。
あとは、“木南形”とか運輸省規格形のようなメーカー主導形が多数派では? 大阪市電はデカいかヘンな形をしているかのどっちかだから・・・。 >56
本当の意味でコピーと言えるのは、阪堺だけか。
>ヘンな形
800形、900形あたりの事かな?
中古車としては、熊本、鹿児島がやたらと大量に買ったけど。 >>57
鹿児島が買ったのは大阪のでも2601とか3001(700のタネ車)だったかと。
曲線半径が違うのか、先すぼみに改造されたが。
それがプロパーの600形に似てた。 >>59
こりゃどうも失礼しました&叱正ありがとう。
Wikipedia 見たら、801形が4両、901形が6両となっていました(汗 津軽鉄道の気動車の現行色は、50年くらい前のヤツの再現だぬ 私鉄電関
東急3021と山形交通ED1
どちらも保存されてるのが良い
川造型
西武E21.22、小田急デキ1011.1012、岳南501とかあったけど現存するのは岳南だけ。この先生きのこれる?
日車製BLW&WHコピー機
名鉄デキ370や蒲原ED1.。名鉄車は更新されたのも 初期の鋼製電車の川崎造船タイプは、鉄道会社が川造と他社に競合させたケースは無い(少ない?)のに
なぜ奈良電デハボ100形や豊川のヤツなど日本車両が単独(川崎が納入していない)したケースがあるの?
当時は、パクリに対する デザインや意匠の問題視されことがないほど寛容だったの?
マア日車は、頑丈な鋼製電車で川造形を手本にしたが、私鉄向けガソリンカーでは
加藤や逆に川崎に(西大寺のびわこ形キハとか)パクられているが・・・
確か豊川には日車製以外にもパクリの川造形が居たよな。(デザイン傾向は、豊川の希望か?) >67
日車がコピーされたといえば、ナニワ工機が標準型電車のコピーぽいの作ってたね。
京福福井・ホデハ241形の後半2輌、栗原電鉄・M15形とか。 豊川の川造もどき 大阪鉄工所・・・失礼ながら名前からして三流?
大阪鉄道の20m車(のちの近鉄6600系)や武蔵野のクロスシート車とかの全鋼製車も取り上げられないが、川造タイプの流れを汲んだ電車?のような >>70
大阪鐵工所・・・・いまの日立造船のことだよ。 私鉄電車はお上の主導で標準設計が推進されたが、私鉄気動車はお上はタッチしなかったと思った。
でもどちらかというと私鉄気動車の標準設計の方が出来がいいと思う。 私鉄気動車は大量導入するものじゃなかったから、国鉄設計流用したほうが、コスト掛からないしな 零細事業者の多い非電化私鉄の気動車こそ戦前からメーカー(日車、丸山、松井、加藤・・・日車のパクリ)主導で類似規格車の巣窟でしょ。
バス形の単端、びわこ形や特車形、前面F2、C2、C3で荷台の有無や単車、片ボギー、ボギーと微妙な差異のあるガソリンカー
多くの零細私鉄事業者が採用した車が捨石になり、やがて鉄道省がキハ40000,41000を大量導入しスタンダードが確立され
以降ランニングコストを抑えるため零細な地方私鉄は、国鉄型類似車を導入することになる・・・
(但しコレも 新潟鉄工製の津軽鉄道キハ2402,3と山鹿温泉鉄道キハ1,2 運輸工業?製の羽後交通キハ1初代と常磐炭鉱のキハ1003?)とか微妙にメーカーの特色が強い代物に仕上った。
戦前 地方私鉄で完全に 系譜的に他社と独立オリジナルの気動車は相模鉄道の電気式デーゼルカー(後に日立電鉄のハシゴ電車化けたヤツ)だけじゃね? ロシアのリブ付き軽量客車って中国国鉄にも同タイプのがいたけどライセンス料は払ったの? >>76
それなら伊豆箱根の1000にもそんなのがいた 厨房の頃、長岡行115系から見た上信の鋼体化電車群はデハ10以降の第2世代東武電車タイプだったね。 東芝の戦時型電機(西武が所沢工でパクったヤツもあるが)は、
戦時型なのに、しぶといよな。(長寿だし現存も多い) 蒲原のモハ1,2,51と庄内のデハ1,3,5は東武の小型化模倣? >>79
現役では伊豆箱根と名鉄だっけかな。本当に稼働してるか微妙な所では富山地鉄。
過去だと関東だと東武(千住貨物駅)京成 模造品の西武。 >>83
30年くらい前に廃車なっているは>>えんてつ。 >>81
関東だと、ほかに奥多摩電気鉄道(買収時には落成してなかったけど)→国鉄ED29-1も
この手の最初のは三井三池の「17」が最初だったかな。三井三池にはB型にショーティ化した「51」なんてのもあった 樺太に渡れなかったD51 864・865と海南島に渡れなかったD51 1161 >>87 日本敗戦後に新規製造しソ連に輸出したのは皮肉だな。 >>75
中ソ蜜月時代に技術供与されたはず
その類いなら中国国鉄にいた満鉄ミカイや満鉄型客車の設計を流用して製造された解放後製造の解放型やYZ4型なんかも当てはまる? 私鉄に払い下げられたり設計を借用して新造されたりした
キハ04〜07には運転台の窓だけ1枚にされたのが多いが、
国鉄では中桟がある窓で運転しづらくはなかったのだろうか?
電車では1枚窓になっているのがほとんどだったのに… 91で思い出したが、
中桟があるのに中央に運転台があった花巻電鉄デハ57
スマン、全然スレ違いだったな 鹿島参宮が04タイプの正面を似非湘南顔に整形してしまったのには
閉口した。筑波は律儀に守ってたのに。 既出だが
松本モハ10=新潟モハ10=岳南モハ1100=京福モハ251 東武はともかく零細の加越能がこの時期に自社発注とはねえ >>101
中古の出物が無い時期だったんで方々の非電化私鉄で仕方なく新車を作っていました。 >>100
東武と同形なのは後年鹿島に行ったキハ125・126。
昭和30年、32年と庄川町の車庫火災が連続して、生え抜き車や買ったばかりの中古車を焼いちゃったため、
やむを得ず新製。 火事で焼けちゃったからといって新車を買えるのか
なかなかやるなあ キハ04、07の妻窓が細分なのは、電車と違い大型車体にも拘らず軽量化を強いられた(車体強度上)の理由でしょ。
これでも戦後は、横桟は減らしたりしているし・・・。 >>81
名鉄の東芝戦時型は大江〜須ケ口の間を時々早朝5時台に走ってるらしい
その他に夜の22時過ぎに須ケ口の駅で入れ換えしてた
ただどちらも単機で何も牽引していなかったです 長崎電軌200・300は西鉄福岡市内線500形561群の縮小コピー 阪急600と奈良電1000とか、
そういうのを挙げて語ってもイイのかな >>109 大分交通別大線に居た連接車も デザインは、西鉄の軌道線連接車の影響うけているよな。 同形車を“騙る”と言うので、編入車や異端車などで便宜上同形式とされているが実際の仕様がまるで異なる車両のスレかと思った >>112
「騙る」は2chでの「語る」の古い表現、
編入車や異端車の話題でもかまわないですよ >>99
あった。
でも愛知電鉄の方は鬼っ子扱いされて短命に終わった >>116
その生まれ変わりが食パン断面に湘南もどき顔でなかなか萌え要素の高いスタイルだったが
あまり写真が残ってないみたい。名鉄所蔵のものと幾人かの愛好家・研究者の方々所蔵のもののみ ほとんど走ってなかったからシャッターチャンスに恵まれなかったとか
事情があるのでしょうね >>118
清水武氏のものが有名で、あとはwikiに出ているものくらいだが
最近ヤフオクにも出品されてた
これからも掘り出し物があるかも そんな時代に写真を随意に撮れた人なんて
ごく一握りの裕福な家庭だったんでしょう ああ台湾のナロー気動車か。画像よく見返したら紺色だわ、、 ガイシュツだが新潟松本岳南のバス窓車と京福のロマスンカーが兄弟とは長らく知らなかった >>124
俺も同じ
でも言い訳するとコロタン文庫の私鉄全百科も罪作りである
というのも岳南と松本の解説には、「両者は同型」の解説があるのに、
京福は全く触れられずクロスシートを備えた優等用、だけの解説なので
到底同型とは思い至らなかったのだ