【蒸機】同形車を騙る【気動車】
東武はともかく零細の加越能がこの時期に自社発注とはねえ >>101
中古の出物が無い時期だったんで方々の非電化私鉄で仕方なく新車を作っていました。 >>100
東武と同形なのは後年鹿島に行ったキハ125・126。
昭和30年、32年と庄川町の車庫火災が連続して、生え抜き車や買ったばかりの中古車を焼いちゃったため、
やむを得ず新製。 火事で焼けちゃったからといって新車を買えるのか
なかなかやるなあ キハ04、07の妻窓が細分なのは、電車と違い大型車体にも拘らず軽量化を強いられた(車体強度上)の理由でしょ。
これでも戦後は、横桟は減らしたりしているし・・・。 >>81
名鉄の東芝戦時型は大江〜須ケ口の間を時々早朝5時台に走ってるらしい
その他に夜の22時過ぎに須ケ口の駅で入れ換えしてた
ただどちらも単機で何も牽引していなかったです 長崎電軌200・300は西鉄福岡市内線500形561群の縮小コピー 阪急600と奈良電1000とか、
そういうのを挙げて語ってもイイのかな >>109 大分交通別大線に居た連接車も デザインは、西鉄の軌道線連接車の影響うけているよな。 同形車を“騙る”と言うので、編入車や異端車などで便宜上同形式とされているが実際の仕様がまるで異なる車両のスレかと思った >>112
「騙る」は2chでの「語る」の古い表現、
編入車や異端車の話題でもかまわないですよ >>99
あった。
でも愛知電鉄の方は鬼っ子扱いされて短命に終わった >>116
その生まれ変わりが食パン断面に湘南もどき顔でなかなか萌え要素の高いスタイルだったが
あまり写真が残ってないみたい。名鉄所蔵のものと幾人かの愛好家・研究者の方々所蔵のもののみ ほとんど走ってなかったからシャッターチャンスに恵まれなかったとか
事情があるのでしょうね >>118
清水武氏のものが有名で、あとはwikiに出ているものくらいだが
最近ヤフオクにも出品されてた
これからも掘り出し物があるかも そんな時代に写真を随意に撮れた人なんて
ごく一握りの裕福な家庭だったんでしょう ああ台湾のナロー気動車か。画像よく見返したら紺色だわ、、 ガイシュツだが新潟松本岳南のバス窓車と京福のロマスンカーが兄弟とは長らく知らなかった >>124
俺も同じ
でも言い訳するとコロタン文庫の私鉄全百科も罪作りである
というのも岳南と松本の解説には、「両者は同型」の解説があるのに、
京福は全く触れられずクロスシートを備えた優等用、だけの解説なので
到底同型とは思い至らなかったのだ スレタイに電車が入ってないが電車を語ってもいいの? >>131
あの頃に新製された車はバス窓多かったぞ >>124
誰も指摘しないけど
ロマスンカーってなんだ?
ロマンスカーだろ?
タイプミスはお約束なの? 近鉄に引き継がれた伊勢電鉄の車両と、
名鉄に引き継がれた愛知電鉄の車両にも
同形車が、ありました。 セドリックとグロリアはバブル時代の同系車
だった。 バブル時代、洗車場に車ピカピカに
しに来てるフリーターっぽいお兄ちゃんがいた。車のローン払うためのアルバイトで疲れて
るのかため息ついてた。まあバブル男子は
女の子乗せるために必死だったのだ。
そうやって苦労して買った車だからか、その後もずっと乗り続けてる人もいるらしく今でも
たまに見ることがあるな。孫乗っけてるのかも知れん。 >>140
日本車両がそれぞれ同時期に売り込んだのでは(適当) >>16
都電6000タイプは秋田市と川崎市にも居た >>139
顔がそっくりさんだから結構言われるけど、側面は異なるし台車もエアサスだし
いろいろ結構違う 長電2000系は営業権益が被らないから名鉄がOKしたんだよな それは元々は大関鉄時代の発注車を筑波に分割したときに分配しただけでしょ キハ55と島原鉄道キハ55
キハ58と富士急行キハ58
どちらも50番代で両運転台車がある