思い出の定山渓鉄道
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
札幌市中心部と定山渓温泉郷を結んでいた懐かしの定山渓鉄道。
右側運転台の電車、国鉄乗り入れ用気動車、湘南スタイルのスマートな電気機関車など、個性豊かな車両が揃っていた定山渓鉄道の思い出や廃線跡のお話などをお願いします。 まあ、キハはやっぱり何故関鉄が引き取らなかった?に尽きるんじゃね?
同じ日に廃止した江若の車を引き取るだけで十分だったのかね?
江若の車を茨交が引きとらなかったところを見ると、茨交にはその頃はまだ茨城線の廃止に手一杯で、
湊線の今後の計画が具体化していなかったのでは?
電車については、346さんのいうとおり長電も地鉄も戦前スタイルの車を4両引き取っても持て余すだけだったろうね。
琴電は「琴平線しか入れない非貫通車はイラネ」だったろう。、
あと6年遅かったら長尾線の昇圧で深刻な車両不足に陥り、なりふり構わぬ車両物色していたので、
間違いなく購入したでしょうが、最も「ロ」の2両は買わなかったろう。
※地鉄は3800はずいぶん重宝したよこのおかげで雑多な戦前車を一挙に廃車できたし、立山線に特急新設したくらいだし、まだ10年たってないクハ90を廃車にしたのが典型例。
戦後江若唯一の新造気動車キハ30(雑多だし1形式1両)を、かってのライバル関東鉄道が引き取ったのは
ある意味 戦国武将が敵陣武将の生首を取ったようなものだな。
完全スレ地 失礼! 最近は、定山渓を観光する人が少なくなった。
ホテルに直接、車で乗り付け、帰りも車で市内に直行。
定鉄があった時代のような、そぞろ歩きをしなくなった。 >>347-348
ちょっとは過去スレくらい読もうよ・・・。
>>351 ストレートに、その問題に触れてないんじゃないか?
たった一言でレスが過疎っちゃったじゃないか。
札幌郊外とは云え、戦前の北海道で何故に軌間以外全てオーバースペックな電気鉄道にしたのだろう?
電気運転による降雪に対するトラブルの不安とか無かったのだろうか? ・譲渡が少なかった背景
そもそもが手回し系で官民合作の廃線だったこともあって、補償額が大きく、また同時に行われたバス事業の移管に際しても
バス33台(諸説あり)と社員70名程度が定山渓鉄道から札幌市に移籍(公務員件付与の破格)しているところに鍵もある。
(その路線のほとんどは2002年の市バス移譲の際に戻っているが、極僅かに残っていた元定鉄職員は戻らなかった)
形としては「札幌市の発展のため諸条件があるが、定山渓鉄道を丸ごと買い上げて札幌をオリンピックのある近代都市にしよう」という号令を出したのが大刀豊とも言われる(伝聞・市長が唱えて大刀が奮い立ったという話もある)
市と交通局で丸ごと買い上げるということであるので、あまり廃線の惨めさはないし、
また余計に定山渓鉄道が資産売却されて太られたと見られてはも困る。・・・ということで基本的に譲渡販売活動は無かった。
譲渡されたのはいずれも五島の懇意系であり、譲渡金品授与の正式書類が見当たらないことから「くず鉄、部品扱い」で譲渡されほとんどロハだったようである。
廃線前に譲渡されたDD4501やC12(のボイラ)などは異なると見て良い。
解体も市の入札歴のある業者に定山渓鉄道が依頼する形が取られており(現在は廃業済み)、部品市場にほとんど流通していないのが実態でほぼ完全滅却させられている。
(3枚ほど車体の銘板と数葉の方向板が出たぐらいである・・・但し切符については未使用品・回収品が大量に流出している。)
・電化について
電化したのは東急以前、更に王子製紙グループ時代の話であるので五島とは関係ないことだが、「電化鉄道としては」それほどオーバスペックでもなかったと考えられる。
設備としてはグループの北海水力電気株式会社の活用のたぐいなので、北海道以外でもよくある事例なのであまり単独的に慎重に電化したというものではないと考えられる。
だから最低限の脆弱な部類であり、それが故に国鉄から苗穂駅構内までの区間においては
「国家財産上に私有設備を設けたまま買収してしまった」ことの悔いはあり(第一回買収時の手際の悪さが原因)
度々撤去要請をしていた。
「脆弱な設備によって国有鉄道が脅かされている、すみやかに撤去を判断して私企業の利益より国有鉄道の公共性を優先すべきである」
というような勧告が国鉄から定鉄に通達されていたという。(著名者からの伝聞)
国鉄としては北海道鉄道買収前の設備、しかも買収背景で一度目の買収時に5私鉄買収疑獄があったことなのでバツも悪く無碍にも出来ず、国有化されたあとに「勧告・要請」しか出来なかったということ。
度々架線断線もあったようで、国鉄目線としも苦い設備、脆弱な設備という判断は理解できる。
ちなみにED500の重連を画作したが変電所がオーバーして断念。SLを残す羽目になったりDD4501を「入れ替え線用名目・・実態は機関車予備兼務」で新製せざる得ないということも起きている。
ちなみに電化資金は北海水力電気株式会社から出たことになっていて、利用金額で償還する方式。
現在でもその方式は法人企業のガス配管などで「設備貸与」という名目で無料でインフラを引き、利用料金相殺で使うことでもあり一般的なことである。
北海水力電気株式会社が安定した売上を得るように定鉄を顧客にするよう王子グループで取り回したという見方で良いと思う。 電化部分の年表。
1929年東札幌-定山渓電化
1931年東札幌-苗穂電化延伸
1942年北海水力電気株式会社は北電に統合
1943年北海道鉄道札幌線は国鉄に買収
1948年GHQより王子製紙が定鉄経営から強制撤退
1956年より東急による買収開始
1957年買収活動中に国鉄苗穂駅乗り入れ廃止。
1957年買収完了。
国鉄線上非電化の動きの中で電車は活発に新製され、電気機関車も発注されている。
車両を発注していたのは浅野氏川の経営陣だが、その頃既に国策企業は撤退しているから、単純に中小民間vs国鉄の饋電設備争議にはなっている。
浅野氏の経営の末期にドタバタと廃止になっていることから、戦後突っぱねていた非電化要求をこの時期に、
浅野氏側が国鉄の強まる要請を飲まざるえない包囲網があったのかもしれない。
脱線しているが、電化はあくまで国策企業のなかの大きな動きだと考えられ、その設備は最小限。
金屏風が外れて一単独地方私鉄になったらあっという間に電化既得権も奪われるような状態だから、
後年の姿だけ見れば「北海道の地方私鉄に豪華な電化設備はなぜ?」となっても不思議ではないかと思う。 ありがとうございます。当時の事情がよくわかりました。
どこかの趣味誌で呼んだのですが、廃止に当たっての保証金が17億円でしたっけ。
ずいぶん手厚い補償だなあ、と思ったものでした。
今回の御解説で納得いきました。 http://www.youtube.com/watch?v=frPov6eYJ-c
「定山渓森林鉄道(昭和11年)」となってるけど、林鉄の営業開始は昭和16年だし、
動画を見ても定鉄だか林鉄だかよくわからんかった。 これは本体。
簾舞駅と思われるカットがある。
藤の沢駅かもしれないが。 ttp://blog.hokkaido-np.co.jp/tamatetsu/archives/2011/11/2_1.html
道新のブログでこんな連載してたのか 石山ギャラリー(札幌市南区石山2条7丁目12−32、2条8丁目バス停すぐ近く、
Tel:011−398−3926)に於いて、
『いにしえの定山渓鉄道パネル展』開催中
今や、定山渓鉄道を知らない人の方が多いだろうな。
バスに表記された「じょうてつ」の「てつ」が何を意味するのか、考えもしない人が圧倒的多数だろう。 九十九里鉄道バスも・・・
中国鉄道バスの標記なら チャイナ資本進出と誤解される。 てんてつが天塩鉄道だって気付いたのは大人になってからだったわ >365
>チャイナ資本進出
それよりもマージャンパイの方が…… >>362
ttp://sakurasite.homeip.net/imgboard/img-box/img20111215185715.jpg 定鉄の高額な廃止保証金は、札幌駅1番線乗り入れ使用立ち退き料の意味もあると思う。 (ここまでの書き込みは、ひととおり読んでいます)
>>369
札幌オリンピックという「国策」のために、廃止しなくても済んだかもしれない路線を廃止させたためでは?
もし定鉄が残っていれば、オリンピック選手村のすぐ横を、みすぼらしい(と思われるかもしれない)電車が通る事になり、
それを各国の選手や報道陣が目にする事になる。
自分が行政の担当者なら、こういう状況は避けたいと思うでしょ?
東急が大投資して、見た目だけでも東横線レベル位にすれば話は別でしょうが、
それならば、廃止して地下鉄を建設した方がいい、ということでしょうね。
ちなみに今日は、地下鉄開業40周年。 >>369 昭和40年代初頭まだまだ欧米文化一辺倒崇拝でパクリ文化全盛の日本だからなあ〜
今の中国の事情を揶揄や批判なんて到底出来たものじゃないな。
しかし現存していれば、恐らく東急グループ内でも有力な交通事業者の定鉄線の廃止は残念だな。
残っていたら上田や伊豆急を凌ぐ車輌水準を維持していたかもしれない?
それとも静鉄や越後交通みたいに系列外で友好的な関係に移行していただろうか? >>371
>残っていたら上田や伊豆急を凌ぐ車輌水準を維持していたかもしれない?
残っていたらって仮定が意味無いと思うんだが 東急の新検測車に数年で廃車になったゲロ電の亡霊の怨霊が、宿居るを感じた。 >>370
定鉄に圧力かけたの、札幌市より寧ろ道警だったんだけどね
当時の警察は、自動車交通優先、それを阻害するような鉄道は邪魔!
という思想だったから 道警が定鉄にドケーか・・・。
単なる偶然かも知れないが、地方私鉄の分際で電車も気動車も電気機関車も湘南で揃えたのは
洒落ていたよな。
昭和30年代の鮮やかの時代つかの間の繁栄を謳歌して走り去った鉄道だな。 >>374
それを30年後にやらかして名鉄岐阜市内線を葬ったのが岐阜県警 県警本部長でも独断で圧力をかけることは不可能
当然行政トップである知事の理解、同意は不可欠 >>379
そう言えばあの頃の知事って町村だったか。 >>138訂正
東豊線は財政関係でリニア地下鉄。
石狩市や屯田を起点にして、豊平公園から違うルートになり、羊ヶ丘通りを走り、札幌ドームや美しが丘を経由して、大曲のアウトレットパークまで。 電車廃止して自動車へ転換させることで
産業界からの献金、天下りと甘い汁吸うことができたからね
国策ぐるみで地方で道路作って自動車
今や地方は年寄りばかりで自家用車なんかは売れない
交通政策なんて名ばかりだったからな
俺はばあちゃんといっしょに小金湯までよく通った >産業界からの献金、天下りと甘い汁吸うことができたからね
具体的に 定鉄と夕鉄が繋がっていれば夕張の観光開発もうまくいったのでは? 定鉄とつながるかどうかじゃなくて札幌まで延ばせるかどうかだろ おっ!久々に盛り上がっているね。
電車とキハの塗装が無関係に(誤乗防止なら色違いで同じ塗分け でもいい筈)別塗装なのは何故?
寧ろキハと電機の塗分けの方が共通性がある。 >387
電機とキハのメーカーの提案じゃね?
どっちも日立だったと思う。
しかしキハが売れなかった理由が気になって(ループ? >389
スマソ恥さらした。少し調べりゃわかることだったのに。
いやあの電機の顔って日立っぽいし。三菱+新三菱とは思わなかった。
(角度がゆるめの湘南系ってやつね)
キハ売れなかったのは二軸駆動が相当に調子悪かったからかも?
あの時代の気動車で二軸駆動って他にはキハ60くらいしか無いよね。
あれも失敗作だし。 >>390
留萌のキハ1000も2軸駆動でこれも日立製
ちなみに日立が戦後に作った私鉄向け気動車は定山渓と留萌だけだそうな
ソースはレイルNo22
留萌は茨城交通に売れたから2軸駆動が失敗だったとは言えないかも 当初は市電の代替とするためには停留所の間隔を詰めなければならないと考えられていて
それには加減速度が高いゴムタイヤ式が不可欠と見なされたんだとさ >札幌の地下鉄 >>394
当初の計画では高架橋は剥き出しの予定だった >>391
定鉄の場合、気動車では日本唯一と思われる右運転台が致命傷だったのでは >>396
そのシェルター自体に積もった雪の始末には苦しめられてるけどねw
素人考えなんだけど軌道が露天だった場合、第三軌条方式だと架空線より集電がシビアになるって事はないのかな?
トンネル断面を小さく出来て建設費が抑えられるってメリットはあるけど。
ところで定山渓鉄道って雪には強かったの?
それとも遅延・運休のオンパレード? >>404
減少傾向にはあった
あと豊羽鉱山の貨物輸送が無くなったのも大きい >>402
第三軌条方式に雪は関係無く、踏切など平面交差で、人がむやみに第三軌条に接触、感電するなどが問題となるだけ。
モスクワ地下鉄のフィリョーフスカヤ線は7駅に渡る地上区間があるし、ブートフスカヤ線は路線の3/2が地上線を走る。
ホイ、モスクワ地下鉄の冬
http://www.youtube.com/watch?v=7PfFTE165HE&NR=1&feature=endscreen
http://www.youtube.com/watch?v=Klqg2Rweoq8&NR=1&feature=fvwp
おまけでウクライナ・キエフ地下鉄
http://www.youtube.com/watch?v=G_dpmZoMaM8&feature=endscreen&NR=1 >>402
定鉄に関する本色々読んだけど特に雪に弱いって記述は無かったような 上信、上毛、国電席巻前の西武(武蔵野系) 着座のままのタブレット交換の都合を考えて
右運転席だったよ。
上信も上毛もプロパー車は他所に売却したことはない!
西武は、周知の通り(但し アフター充実、改造もお手の物だからユーザー希望で左に改めたケースも有るだろ。)
余談だが、着座まま?移動せずタブレット交換可能の為の右運転席だが、
ヒューマンエラーによる信号暴進を誘発しそうで便利なようで危険でもある。
同様の主旨で俺の居る会社では、入換信号の進行現示確認と場内信号が停止現時の場合必ず
起立し車掌台側で進行現時を待ち確認しなくてはいけない規則になっている。 実に面白いスクープな動画です。
この動画に高評価をください。
京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像で
痴漢被害を受けるわけがないようなブスな女が男性客を追い出そうとするという、
なんとも本末転倒な珍事です。
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください ED500形は長野電鉄→越後交通に流れたが解体か… どなたか無知な私に2200・2300形の事を詳しく教えてくださいませ。 >>415
正直な話、個人の方の地方私鉄探訪サイトに掲載されていた写真でしか見た事がありません。
2200形は湘南電車風のマスクで片側2扉、少し腰板部が広い感じがする1段窓の全金車(?)と思しき車体を有し同系車と編成を組んで車庫に停まっているものでした。
これがロマンスカーと呼ばれているものかとは思うのですが車内のスナップは無く、また足回りも黒く潰れ明瞭に写っていないので如何なる台車を履いていたかも解りません。
見た目だけなら初期の高性能車にも見えるのですが、この車両について述べられている文献も私の検索のし方が悪いのか探し当てる事が出来ません。
2300形の方はステンレス車体を思わせるコルゲートの巻かれた固定窓の車両ながら足回りには私の見間違いでなければイコライサー風の台車と極めてミスマッチ。
いくら北海道とはいえ今日のように冷房も装備しないまま窓の開かない構造からゲロ電の異名を賜ってしまったのだろうという事くらいしか察する事が出来ません。
基本的に私の知識は某サイトで見た写真&ここでの書き込みからの類推の域を出ず、はっきり申しまして何も知らないのに等しいという状態なのです。
各車両の概要・車内設備・定山渓鉄道での扱い、また両形式に纏わるエピソードなど御教示いただければ幸いです。
青森に渡った同僚には存命だった頃に対面した事がありますが、その十鉄も今は亡く彼らの事すら今は「かつて在籍していた」で片付けられてしまう今日この頃。
こんな個性的な車両達が北の大地を駆け抜けていた頃に思いを馳せ、彼らの活躍を記憶の中にだけでも留めておきたいと存じます。 >>416
湘南電車風のマスクで十和田行ったやつなら2200じゃなくて1200 お詫び
2200形 ⇒ 2100形
>>417
同僚という単語は同一形式という意味ではなく一緒に働いていた仲間という意味で使わせて頂きました。
十鉄に行ったのは確かに1200形ですが、あれって両運車ですよね?
私が見た2100形の写真は片運車だったように思うのですが車両形式を含め私の見間違いだったという事でしょうかね?
その可能性も私の記憶が曖昧なので充分に有り得るんですけど。 >>418
2100なら片運であってる
2100は電化時に新製されたモ100の車体更新車
2300はモ201とモ301の車体更新車 >>419
ありがとうございます。
すると2100形も2300形と同様にクラシカルな台車を履いていたということですね。
他にも両車に関して何かありましたら思い出されたついでで結構ですので色々と教えてくださると嬉しく思います。 >>420
とりあえずネコパブリッシングの消えた轍をオススメしとく >>422
見たら
2100形は「新潟ボールドウィン系」
2301号は日車 D-16、2302号は汽車 TR-14だったそうです 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&feature=channel&list=UL
http://www.youtube.com/watch?v=RJDXzoXs490&feature=channel&list=UL キハが売れなかったのって保障金のカネ合い以外に、
定鉄線内で電車に牽かれることで気動車の機関やトルコンに余計な負担というか痛みが生じるような問題があったんじゃね? >>426
関係無いと思う。
キハを電機+客車の後尾に付けて牽引、なんて国鉄でもごく普通にやってた。 >>426
定山渓のキハ、右運転台じゃなかったっけ? DCの色が印象に残ってる。
電車がローカル線にありがちな配色だったのに クラッシックプラグマティストアブラカレー
クラッシックプラグマティストアブラカレー
クラッシックプラグマティストアブラカレー ここの車の湘南顔が井笠の軽便気動車の顔とよく似ていた というか湘南顔なんてほとんどが似通ってしまうものでしょう >>433 井笠の類似キハは、遠州奥山→花巻のキハ1803 生まれも一緒(日車製)だから間違いない。 電車がDCを牽引してたんだっけ
重たかっただろうな キハ7000、7500譲渡の件だが、ピクトリアルのキハ20系特集(1995年の方ね)で
さんざん既出な右側運転台と電車併結回路の問題に触れていたわ >>438
物理的に引けないとかじゃなくて、思いから電気をよく食うとか、そんな疑問じゃないの? >>440 津軽の増車は基本 新潟鉄工に委ねていたのでは?・・・過去の経営危機の際の取引対応に感謝して・・・
コレは茨交にも言えたコトだが・・・
で山鹿のクルマの件(マア これも新潟の口利きもあったのだろうが・・・)で中古購入には懲りていたのでは? 廃止日が偶然にも江若鉄道と全く同じなんだよな。
鉄ヲタが北と西に分散して最終日は意外と盛り上がらなかったみたいだ。 豊平駅近くの国道36号線を跨ぐ歩道橋も電線の地中化工事で廃止されてしまった
辛うじて分離帯だけは残っている
定山渓鉄道当時の建物は旧石切山駅舎だけになってしまった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています