思い出の定山渓鉄道
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札幌市中心部と定山渓温泉郷を結んでいた懐かしの定山渓鉄道。
右側運転台の電車、国鉄乗り入れ用気動車、湘南スタイルのスマートな電気機関車など、個性豊かな車両が揃っていた定山渓鉄道の思い出や廃線跡のお話などをお願いします。 rmライブラリーで近いうちに定山渓鉄道、旭川電軌、札幌市電、湧別鉄道
根室拓殖鉄道、花巻電鉄、仙台鉄道、秋保電鉄、秋田市電のどれか1つをやるそうです。
又今書いたすべての鉄道や全ての国鉄客車や全ての廃止された市電を数年以内にやる
事が決定した。以上
>>210
加越能15001は論外だったからなあ
実態知ってれば誰も買わないだろう >>212
電車用の重い車体と台車に機械式変速機つけて機関はパワー不足、おかげで車体は変形したという、凄まじい代物だからな。 売るとか買うとか言う以前に廃止を待たず潰しているしw >>209
あれは右側運転台だった・・・んじゃなかったっけ?
似たり寄ったりの世代や状態で改造不要(左側運転台)の車両があればそっちを買うわな。 加越能15001は、もしかして規格型? 親会社地鉄や長野電鉄、定鉄に日本車両が昭和20年代半ばにばら撒いた規格型に似ているのだが・・・
まあこの車の発想そのものは、企画モノだが・・・故に日本車両製ではなく輸送機工業なる会社製なのか。 豊平駅前の酒屋さんがまだ健在なのを最近知りました。
観楓会などで団体で定鉄電車に乗り込む時、
若手社員がそこで酒やビールを買い込んだものでした。 >>215
定鉄は中古の再販を基本的にしてはあんまり良くない雰囲気であったんだよ。
中古で流れた会社の、それぞれのオーナーの名前を調べ、
東急グループの啓蒙バイブル「小説・東急王国」を読めば謎は解けるぞ。 >>219
ああ、五島慶太―小佐野賢治つながりだな>>十和田。
長野電鉄はなんだろう? 定山渓EDもながの東急も赤蛙も神津―五島のラインだろうね。
で、更に転売した越後交通もこれまた五島繋がりで・・・
それはそうと、定山渓の様なしがらみの無かった筈の北海道拓殖鉄道キハ301が転売されなかったのは、
客車改造名目と言うのが引っ掛かったのだろうか? >>221 所詮 旧型客車台枠流用で国鉄型のパチ物(古いし重い!オマケに三流(泰和)メーカー改製)をはるばる道東から1両引っ張るのは、
不合理だよね。 出来も悪いけど規格外の小型車なのも痛かった>キハ301。
まあ道内メーカー製というだけで大抵の会社は引くだろうけど。
あと極端に予備車の少ない会社だったんで、酷使がかなり響いてた。
(あれが入線した時点で、元佐久の中古気動車2両と鋼体化中型客車1両が
旅客車の全てだったはず。日車レールカーは早い時期で事業用車状態だったし。)
>>216
下回りは栗原M151と同系列の初期の軽量ツリカケ用軸バネ台車。
>>210
あれは工作とかアコモ、材料がかなり粗悪だった。
同系列車を使ってた茨交や有田も車体の歪みとか老朽化に相当苦労してる。 >>222
現車は桑園の泰和車両に引き込まれて3年ほど放置されていた。
結局、粗悪品と言うのは売れにくかった理由になったと考えるのは自然なことだろうと思う。 中小メーカーや自社工場製の車輛は品質的に下と見られたと言うことか。
西武所沢や南海天下茶屋は別格として。
近江のクハ1212も車齢は若かったのに譲渡話はキャンセルされているし。
それを考えると、静鉄の中型車が良く売れたのは奇跡的か。 定山渓駅は温泉街よりも高い位置にあったから、帰りは坂を上るのがキツかったよ。 もう黴が生えた経験だが、父と北海道行きの時に豊平からモロ1100?青帯の
2等車に乗ったら道新の夕刊を呉れた。転換クロスだったが扇風機か無かった?
当時鉄では無かったので撮影しなかったのが惜しい。
断って措くが年齢とかの個人情報は開示御断。
>>216
加越能キハ15001は富山‐金沢間私鉄電車計画の車両で電車型車体で台車が
FS13鋳物台車で全体に重く、DMH17のギアチェンジに無理があった。
ギア欠損やクランク折れ故障が多く、乗り心地は良かったが乗務員が嫌っていた。
部内からトルコン取り付け希望が強かったが、親会社の富山地鉄がゼニを出さず、
最後にはDHM17がバテたうえに車体が歪んだので廃車になった。
廃車直前に車庫で見たがそれは酷い状態だった。
>>日本車両が昭和20年代後半にばら撒いた-----とは運輸省私鉄標準型車両の
A規格型か?地鉄14750、名古屋3800、定鉄1000か?それなら昭和23年-25年頃だが。
若し間違って居たら御免。
>>227 ご親切に有難うございます。 A規格型の事です。書籍「日本の内燃動車」を観た
あくまで見た目の印象ですが(・・・・コレ規格型電車みたいなじゃない?)
もしトルコンを載せても今度は、重すぎてトルコンの滑り、故障に悩んで結局散財では?
>>223 アゲ取りじゃないのですが、 熊延は、帝車 有田&茨城(ケハ401)は山鹿キャンセルでそれぞれ富士重と新潟 製とメーカーが違うと思うのですが・・・
キハ10系以前の国鉄型湘南キハの図面流用で似たりよったりで、初期のカルダン電車が短命なのと同じで耐久、腐食配慮不足と云う事でしょうか・・・? >>229
続レスで御免
キハ15001は自重28.8トン、キハ07が27.8トン、トルコン付のキハ10が
30トンだからそう重量超過ではないだろう。形態的には地鉄14750系統だ
けれど。現場もその辺を理解しての上でTC2A取り付け要求だったと----
A規格型には長野の1000も富山と同じ車体だった。 旭川電気の1001が売れなかったのも、1両だけ引っ張る手間(しかも電車は内地で好いタマが探せる)からかな? 地方私鉄事業者は一部を除いて、保守的なところが多いから、
新機軸を盛り込んだ特殊な電車は嫌う向きもあったのでは>旭川1001
既に類型車を使用していた会社でも、1輌だけ仕様が違うのは面倒だろうし。
1輌だけ回送する手間は、当時は甲種鉄道車輛でも1輌単位で一般貨物併結は
良くあったから、大した問題では無いと思う。
新しい車輛でも売れないのにも、何でこんなボロを掴んだんだ、と言う場合も、
それなりの理由と背景がある場合がほとんどだから、
そのあたりを色々推察してみるのもこれまた面白いかと。
例えば、名鉄は何故東急が提示した蛙5000を蹴って
ボロボロの規格型3700を買ったのとか。 >225
> それを考えると、静鉄の中型車が良く売れたのは奇跡的か。
しかしその実、海に近いので塩害により車体の痛みは酷かった、
とピクの譲渡先に関する記事で見た気がする。 日立だったたか熊本だったか、車体が歪んでドア開かなくなったって聞いたことがある。
普通の貨物列車に甲種輸送ぶら下げたのは、山形交通からコトデンへの写真を見たことがあるな。 静鉄の自作新車は、確かに(特に湘南型は)空調配慮とか工作が未熟な感じがする。
それでも売れたのは、同レベルの地方鉄道相手で価格等以外にも表に出ない配慮があったのだろうか?
>>233 3700形第二次譲渡の時ですか?
確か長電が東急に手頃な中古車供給を打診した時(つまり名鉄が第一次3700を譲り受けた後)は、まだ3450形を東急は長電に推奨してきた。
にも拘らず、相手が名鉄なら5000系とは、長電に失礼だな。
妥協する事なく5000系を東急から交渉で引っ張ったりパノラマ電車構想や2000新造の際
名鉄5000を参考に話を進めるなど長電の車両の人は賢いというか優秀だな。
>>237
名鉄に蛙提示は第一次の時だったと思った。
最初は東急が某業界紙に3700系を譲ります、という広告を出したことで始まり、
しかし、直ぐに一旦これを引っ込め代わりに蛙を出した。
ところが、名鉄は5000系の使用実績から直角カルダンに
余り良い印象を抱いていなかったのと、
3700系はMMが他のAL車と同じTDK528で保守上好都合だったから、だったはず。
廃車時も発生品を他のAL車に流用でしゃぶり尽せて二度美味しかったし。
静鉄の譲渡先で、日立電鉄と熊電は、日立と東急と言う共通項で
何となく類推できるのだけど、福鉄とはなかなか繋がらない…
当時合致するスペックの電車ってこれ位しか無かったのかな? >>239
架線電圧が600Vというのがあるんでは? >238併用軌道があり、車両限界(車両長と車両幅)の問題が決定的な要素では?
当時、もう大手私鉄には適当な小型車なかったしね。静鉄長沼と福鉄西武生といえばどちらも自社工場で車両を作る器用なところだったね。 >>241
いや、静岡鉄道のやつは全長17,8mだから、小型車ってわけじゃないよ。
当時(1986年)の大手私鉄で廃車になっていた18m級程度の車両を見ると、
東急の3000番台と、京急の600くらい。
車齢も若く、電気関係の改造も最小限で済む静岡鉄道車は魅力的だったんじゃないか? >>242
京王井の頭線のG車とか西武351、小田急2200に新京成100もあるな。
結局直角カルダン以外の新性能車でそのサイズで1Mで冷改済というのが効いた気が。
1M運用OKな小型冷房車って京王重機商法のない当時はかなり貴重だった。
京急600は冷房は乗ってるけど、オールMで定格速度が高すぎて電気食いすぎた。
あと路面区間での運用性に関してはむしろ劣悪だった。
併用軌道では中ドアしか客扱いできず、急行専従と諦めてたしステップの出来も悪かった。 >244
1986年ってのが、微妙なんだね。
京王井の頭のグリーン車は1984年全滅。京王線は伊予鉄にみんな取られちゃった。
西武の351は多摩湖線用の最低限のヤツを残して既に全滅。
小田急の2200は選択肢としてありえたかも。製造年が10年差があるけど。 >>244
300型は福鉄入線時に冷房化したんじゃなかったっけ? 延々スレ脱で申し訳ありませんが、こういう楽しい話が出来るところがないので続けさせてください。
静鉄や地鉄は、もとも大所帯で資本も技術もそれなりだけど、福井鉄道は自作は南越線の小型2両だけで後は連接改造実績のみ
福井の二代目140形連接車に種車は名鉄&長電と凄まじいものだった。
どういう理由か知らないが予算的に車両導入が相当厳しかったのかな?
親会社名鉄もアテにならあないし(他の子分達もあまり面倒見てもらえない、寧ろ支配下に収めようとし系列外の地鉄、琴電を厚遇散財!!)
涙ぐましい努力だよな。
>>246
そう。
しかし、路面電車用じゃなくて普通の東芝製集約分散クーラーを載せたけど
車体強度は大丈夫だったのかな? >>247
小林宇一郎さんは良い人だったよ。
OSカーを見たいと長野駅から電話したら、須坂まで一緒に行ってくれた。
そのとき阪急の1002がつけて居たアルストーム型のFS102?だったかの
「狭軌タイプが欲しい」と話されていた記憶がある。
当時は何か新しい事をやりたいお気持ちだと--------。 鉄ピクの私鉄車両めぐりに元定山渓の珍車載ってたの思い出した。
豊羽鉱山専用線で木造客車を動力化して通勤&入換に使ってたヤツ。
ゲテさ加減じゃ根室拓殖の銀龍号とイイ勝負なんだが、
これの詳細知っている人いませんか?
若葉の香り高き新緑の野に山に、陽光を浴びての郊外散策、そして綺麗な温泉の一浴こそ
什?にか心身を甦らせて、溌々の元気を養ふことでせう。殊に学校の遠足や休日を利用して
の一泊、或いは日帰りの団体旅行地は先ず山水絶勝の北耶馬渓行きをお奨めいたします。
弊社鉄道沿線は、已に已に御存知の景勝地ですが、温泉場の奥の原始林、青葉若葉に風
薫る山路を(良道にて婦人にても容易なり)北耶馬渓、大爺淵、千丈瀑、炭酸泉等へ歩を延
さるれば、北海唯一の仙境が今や淡緑、淡紅の色彩もて、自然を好愛する人々の来訪を期
待いたして居ります。
弊社はこの幽勝を探らるる五十名以上の団体には、御要求により、案内者を附して其の便を
図りますから、若しそうした修学御旅行の計画がありました節は、本社なり、停車場なり、市内
営業所なりに御相談下さい。必ず御意に叶ふやうに、列車の便はもとより、遊覧地の推薦、温
泉宿等万事に御助言申し上げます。
次に会社直経営の鉄道ホテル温泉場は五月一日より開業しました。大広間あり、食堂あり、
大浴槽は定山渓一にして遊泳も出来得て一時に三百名内外を収容し料金も頗る低廉、学生
団体には特に割引をいたします。尚且つ、他の温泉宿と遠ざかり、清楚にして眺め佳き静かな
る場所なれば、学生の浴場として是非に御利用下さい。
大正十二年五月
定山渓鉄道株式会社 >>251 私鉄車両めぐりの、写真図面 アレ以上のブツは、文献ではもう無いんじゃないの?
それこそ地元関係者の個人レベル。 >>252
昔の地方私鉄って、力があったんだなーとつくづく感じられる宣伝文句ですねぇ。
>御要求により、案内者を附して其の便を図ります
>必ず御意に叶ふやうに、列車の便はもとより、遊覧地の推薦、温泉宿等万事に御助言申し上げ
>会社直経営の鉄道ホテル温泉場 やはり鉄道って自動車が普及する以前は、旗艦産業だから・・・
まして地元有力者が出資している訳だし。
路線長こそ買収された私鉄に敵わないが、高速電車の定鉄は運炭鉄道台頭前の戦前は、それこそ道内随一では・・・。
地方では斜陽とはいえ、いまだにその土地土地の地方鉄道はそれなりの地位(一流企業としての扱い)を得ている処が多いよ。
マア他にさしたる産業が芽生えない事情もあるが・・・。
>>252
>会社直経営の鉄道ホテル温泉場
これがどのあたりにあったのか気になる 定山渓ホテルと章月グランドホテルは大株主ではあったけどたぶん違うな。
>>261
なるほど、確かに「他の温泉宿と遠ざかり、清楚にして眺め佳き静かなる場所」だww でもあれ駅構内なんじゃないの?
まだ鉄道線が残ってたら鉄ヲタ絶賛の宿になってたろうなw >>263
定山渓駅の車庫の横に確かに大きな宿が見える写真がある。 定山渓の遊客が車で旅館に直行する現代、
旅館の外の美しい原生林や渓谷を散策する人は少なくなった。
鉄道があった時代には、定山渓に来る人々はよく散策した。
昔の定鉄のパンフレットの名文を読むと、
身近な場所に、文人墨客が愛した絶景があることに
ハッと気付かされる。
【定山渓の舟遊び(大正15年ごろのパンフレットより)】
定山溪温泉の絶景錦橋の下流に電氣會社が大堰堤を築いてより、溪流忽ち淀んで
紺碧静寂の深淵となり舞鶴瀞の稱あり。浴後など舟を■ふて探勝せんか奇■並び連なりて
碧水回る處緑樹影相映じて、静かなること鏡の如く舟行往復にて約三十丁半日の清遊には
頗るよい。
【豊平峡(同上)】
温泉附近の溪山は豊平川を遡るにつれ愈々奇にして今や豊平峡は北海唯一の仙境として
膾炙せらる豊平峡とは青崖國分先生の命名である。往年大町桂月先生此の地に遊び
定山溪山水大観に記して曰く「十数の樓臺直に豊平川の清溪に接す。水清くして
断崖深く且つ奇なり。二里の上流溪畔に炭酸泉湧出す。一掬しれば清風腋下に生ず
途中溪を見卸せば深しとも深し。巌峰を仰げば高しとも高く。飛流天より落つ(後略)」
とあり以て如何に其奇勝たるかを伺ひ知るに足るべし。 >>267
おお!画像サンクスです。
やはり位置的に山渓苑か瑞苑ですね。 あの公園になってる敷地が鉄道施設の跡か。
上手くやればホテルの建物に取り込む形で1階に駅、改札出てロビーでチェックイン
とか出来そう。 ミリオーネはつぶれたホテルあけぼのの跡。
まさか万世閣になるとはね。
ちょっと前まで残ってたときわ旅館も今は無いし、
当時を知る建物は章月の宴会場くらい? かっぱがすむとこいい所
山と川とがあるところ
かっぱ好きだという人は
いいとこある人もてるひと このスレを読んでたら、久しぶりに定山渓に行きたくなった。 >>274定山渓スレにいろいろレジャースポットがでてたな。
結構面白そうだな。 >>251
以前、サッポロファクトリーにあった、
札幌市写真ライブラリーに、
その車両のモノクロ写真が、2枚あった(色がわからん)。
真横からの写真と、斜め前から「ワ」らしき貨車を1両牽いている写真。 >>276
って事は、札幌市文化資料室収蔵写真のHPで検索できるはずと思ったら、
出てきましたよ
定山渓鉄道ロ10形だね
こいつは、あやしぃ・・・
後ろ半分と台枠は明らかに木造2軸客車だけど、
運転台より前は割と新しげかつ怪しげなボンネットスタイルに改装されとる >>277
札幌市文化資料室ですか、
札幌市写真ライブラリーにあった写真はここに移っていたのですね。
昔の定山渓鉄道の貴重な写真がたくさんありますなぁ。
札幌市写真ライブラリーが閉鎖になると聞いて、沢山、複写に通いました。
>>279
太美温泉ならその内できるようになるな。
あ、今でも江部乙温泉は電車で行けるか。 定山渓電鉄 本当に廃止すべきでは無かった。
せめて真駒内から定山渓までは存続して欲しかった この区間は近年人口が増えているので
だから鉄道がないと不便
そして近い時期にRMライリブラリーで定山渓鉄道 旭川電軌 夕張鉄道
花巻電鉄のいずれかを紹介するみたいなので、楽しみにしています >>281
鉄道が無いのに人口が増えているんだから
鉄道がないと不便ってのは違うと思うなあ >281
懐かし板のあちこちで妄想書き散らすな馬鹿。 RMライブラリーで定山渓電鉄を今年か来年やることは100パーセント確実
旭川電軌や湧別鉄道 夕張鉄道も同じ >>286
RMライブラリーであれやる、これやるって毎月妄想撒き散らしに出てくるお客さんだから
ほうっておきましょう >>288
青木護〜堀川素人と連代での地元市議の主張からもついに外れたから、もうナッシング。 昭和63年第1回定例市議会
社会党富田新一
南北線約29キロに対して,北は麻生から花畔までと,南は真駒内から藤の沢までの区間約15キロメートルがカットされた状態のままなのであります。
ただし,第2南北線,すなわち元町地区から山鼻地区までの約11キロメートルは,現在,路線を変えて,東豊線として約16キロの建設計画が推進されております。
なぜ,私がこのようなことを持ち出すかと言いますと,この長期総合計画が初めて市民の前に示されたとき,現在5期目の板垣市長が最初の選挙を展開しながら,
市長が各地の演説会で長期総合計画を訴え,その結果選挙に勝利したものであります。しかし,そのわずか5年後に,市長は新たな長総を示し,
この時点で,当初の長総で示した地下鉄の建設の基本計画を大きく変更させてしまったのであります。
さらに指摘しなければならないことは,新長期総合計画の中でも,なお南北線南方面の真駒内・藤野間の交通計画が触れられていないという点であります。
このことは,その計画対象から外された地域に昔から住んでいる人たちはもちろんのこと,板垣市長になってからその地域に土地を求めた人,あるいは家を建てた人たちは,
一日千秋の思いで交通計画が示されることを願っているのであります。
私は,地下鉄の当初計画から取り残されたこの南地域に対し,当初計画にかわる具体策を早急に示しつつ,地域住民の協力を得ることこそ市長の取るべき責任ある態度だと思いますが,
この点についてのご所見をお伺いしたいのであります。 市長・板垣武四の回答
本市におきましては,新年度から2ヵ年をかけて,総合都市交通体系調査の一環として,新交通システム調査を実施する予定でございます。
この結果,実用化が可能であるとの結論が出た場合には,札幌市総合交通対策調査審議会にお諮りをして,その意向を,
北海道運輸局長の諮問機関である北海道地方交通審議会に反映させたいと考えております。
したがいまして,今後,新交通システム調査の結果を踏まえて開催されます札幌市総合交通対策調査審議会におきまして,前にもいろいろとご要望がございましたが,
それらもろもろの要望の趣旨を含めてご審議をお願いしたいと考えております。
要約 「知らんがな」 昭和63年 第4回定例市議会
公明党 春原良雄
南北線真駒内駅と自衛隊前駅間に中間駅とバスターミナルの新設を強く望まれるわけであります。
ご承知のとおり,地下鉄南北線は,昭和47年冬季オリンピック大会を目標に,工事着工から開業までわずか33ヵ月間という短期間で札幌市が建設した東京以北初の地下鉄であり,
昭和46年12月に開業して以来約18年間を経たところでありますが,これを契機として,札幌市のまちづくりは急テンポで整備されてきたのではないかと考えております。
特に,南北線の平岸駅以南の高架周辺地域は新市街地の形成が進み,その傾向は,駅勢圏のみならず,周辺地区にも拡大している現状にあります。
その中にあって,藻岩地区及び西岡地区からの交通手段は,真駒内駅からのバス短絡が主流となっておりますが,地下鉄とのアクセスに都心部からやや逆戻りという不備な点が見受けられるのであります。
この要因として考えられることは,現在の真駒内駅と自衛隊前駅の区間距離が1,747メートルと,普通の駅間の2倍弱に相当する,本市地下鉄全線の中で最長区間となっているため,
バス短絡便が藻岩地区及び西岡地区からの場合,合理的かつ便利な接続となっていないこと,及び真駒内駅にこれらの短絡バスが集中していることが大きいのではないかと考えております。
仮に,現在南車両基地のある平岸街道と道道清田真駒内線の交差する場所に中間駅とバスターミナルが設置されれば,五輪橋経由のさきに述べました藻岩地区及び西岡地区への重要な交通中継拠点となり,
地域に果たす役割はきわめて大きなものになるとともに,近隣地域の活性化が図られ,ひいては乗客の増にもつながるものと考えまずが,いかがなものでしょうか。
また,この財源についてでありますが,昨今の厳しい交通事業の財政状況を勘案いたしますと,交通局単独での新設は非常に難しいことだと思います。
そこでお尋ねしますが,現南車両基地の整備工場施設は,年数の経過とともに当然のことながら旧式化し,作業効率の観点からも,更新はいずれ必要なものと考えられますので,
交通局側としては,南車両基地のうち,西側にある重要部全般検査用工場棟を東側に移築し,この跡地を含めた約1万平方メートル程度を一体的に再開発するよう,
当用地を第三セクターに提供し,中間駅,バスターミナル,さらには工場棟を新設してはいかがなものでしょうか。
なお,第三セクターは民間活力の導入を図り,中間駅バスターミナルも一体化した高層建築物を建設し,その中の住宅,店舗スペースを販売することで資金をつくれるのではないかと考えますが,
いかがなものでしょうか,簡潔にお答えをお示し願いたいと思います。
市長・板垣武四の回答
地下鉄中間駅の設置の問題でございますけれども,これにつきましては,建設に要する多額な費用,営業を続けながらの工事の問題,
さらには,関係諸官庁との調整等,一朝一タには解決できない多くの問題がございます。
また,ご提案の前提となる南車両基地の工場の移築でございますが,これは建設以来18年程度たっておりますけれども,
なお相当期間の使用に耐え得る状態でございます。さらに,現時点では,建設当時の財源である企業債の償還がまだ半分程度でございまして,
企業債の繰上償還,さらには,国庫補助金の返還が必要になること等,非常に難しい問題がございます。
要約 「金がないって言うとろうが」 平成2年第 3回定例会市議会
社会党富田新一
地下鉄真駒内駅の朝ラッシュ時には,約90本ものバスが発着しているのを考えると,
これ以上バスを短絡させることは,駅周辺の交通混雑,環境の悪化を招くおそれがあることから,地下鉄を石山方面に延長し,
新たな端末駅にバスを効率的に短絡させ,バスターミナル等の乗り継ぎ施設を整備することで利用者の利便性の向上を図ることが重要だと考えます。
また,現在真駒内駅へ至る真駒内通,平岸通といった幹線道路の交通混雑のため,バスの乗車時間はかなり長時間を要しておりますが,
地下鉄を延長することによって通勤通学の定時性が大きく確保され,また時間も短縮されることから,大幅な公共交通の利用推進と市民生活の向上が可能になってくるのであります。
地下鉄の延長については,免許取得に当たり,これまで経営収支がネックであるということは,一つの理屈として十分承知しておりますが,南方面の交通の現状と市民生活を考えたとき,
この問題は,地下鉄事業の採算性という問題だけではなく,都市の社会基盤の整備という観点からも,将来を見越してしっかり考えることが最も重要であると言わなければなりません。
さらに,この地下鉄延長については,地域住民から過去何度も要望が出されており,まさに住民の悲願であります。
また,地下鉄延長にかかる建設費については,すでに購入取得して20年にもなるじょうてつ跡地を利用し,
高架構造を延ばすことにより,これまでの東西線,東豊線などに比べ,かなり経費を軽減できるのはいまさら言うまでもありません。
そこで伺いますが,この地下鉄延長については,その必要性について十分ご認識いただいているものと思いますが,
市長としては,この実現化についてどのようにお考えなのかお伺いしたいのであります。
最後に去る9月27日夜,南北線で発生した地下鉄車両のシャフト落下の問題であります。
これは,信号機の故障をもたらし,利用客には思わぬ大きな混乱と迷惑を及ぼしたのでありますが,
これは,施設が古くなったことによるのか,製品上の欠陥なのか,それとも何か技術的に問題があったのかどうか。
その原因を明らかにすべきと思います。また,今後の未然防止のためにどのような検討がなされているのかお伺いします
要約・「延長どうなのよ」 市側回答 助役
独立採算を建前とする地下鉄事業でありますので,
街づくりを目的とした駅舎建設事業に巨額の費用・経費を投入することは,一般会計・高速電車会計とも,いささか無理があるのではなかろうかと考えます。
当該事故車は昭和50年に購入したものであり,一般的には老朽化が原因と考えにくいところであります。
抜本的な対策は事故原因を解析をした上で対応いたしますが,当面の緊急対策としましては,
同型式の車両のすべてについて,色素を利用しました浸透深傷及び磁気を応用した磁粉探傷検査を実施しているところでございます
要約・「話にもできん。金がない」 平成3年 第3回定例会
社会党西村茂樹
延長工事が進められておりますが,さらに地下鉄延長を望む市民の気持ちとは裏腹に,
本市の交通局財政の中でも特に高速事業会計の累積欠損金が約1,085億円を生じ,
また,企業債においても4,800億円にも上っており,
一般会計にも大きな影響を与えているのであります。このような状況にある高速事業会計であるがゆえに,一日も早い財政の立て直しと
地下鉄延長工事をスムーズに進めるためにも,超過課税の役割も大きく,35億4,000万円もの減収になるような改正案は市民の期待を裏切るものと考えるのであります。
したがって,超過課税については,現行の基準で地下鉄建設事業を目的として施行すべきものと考えますが,いかがでしょうかお尋ねいたします。
市長・桂信雄の回答
次に,交通事業並びに高速電車事業会計についての質問にお答えいたします。
まず,交通事業の財政問題に対する基本的な考え方についてでございますが,交通事業の健全化につきましては,
現在,健全化対策委員会の中で全庁を挙げて取り組んでおりますが,種々の方策を講じたとしてもなお財政収支に見通しが立たない場合には,
一般会計からの財政支援をしていかなければならない,このように考えております。
要約・「なんとかしろ・・・!」
「がんばっているんだけどねー、やる気ないの」 平成3年 第3回定例市議会
自民党 丹野勝
南北線の車両について,ほかの2線に比べ騒音や車内温度が高いなどの問題があるが,改良及び更新の計画はどうなっているのか。
市側回答
サラっとなし。 平成4年第 3回定例会市議会
社会党富田新一
わが党は,従来から,地下鉄延長については,東豊線の苦い経験もあり,需要喚起策については,国も納得する具体的な計画を立てるよう委員会等でたびたび申し上げてきたところであります。
その意味で,いままさに手稲東のまちづくり計画の実現性が問われているところであり,12月の大蔵内示までの限られた期間内で,札幌市のまちづくり計画実現へのかたい意思をあらためて強く訴えていく必要があると存じます。
質問の第2点目は,地下鉄計画等の将来的なあり方と見直しについてであります。
ご存じのように,現在の札幌の地下鉄計画であるいわゆる50キロ計画は,1979年に出された札幌市総合交通対策調査審議会の答申によるものであります。
この計画は,当時のパーソントリップ調査のデータをもとに,1995年を目標年次として地下鉄需要の見込みなどの検討を行い,策定されたものとして,議会の承認を求めてきたものであります。
その後,交通事情の変化を伴いながら10数年も経過し,JR中間駅の設置,東豊線北方面の開通,鉄道高架の完成,周辺市街地開発の進展などがあったことを考え合わせると,
人と車の流れは,当時と比べ大きく変貌しているものと言わざるを得ません。
また,1995年を目標に地下鉄50キロ構想の建設が続けられてきたわけですが,
現在工事中の東豊線豊水すすきの駅から福住間が完成すれば,50キロ計画のうち約45キロ,すなわち全体の約9割が達成されたことになり,計画はまさに仕上げの時期に来ているものと考えられます。
そこでお伺いしますが,本市では,これまで大半の5年計画が4年で終結し,1年繰上げ,新しい計画に入ったように,
現在の地下鉄50キロ計画の目標年次である1995年が迫ったいま,桂市長の手による新しい計画に着手すべきと思いますが,いかがでありましょうか。
また,1979年の段階では,南北線真駒内駅から石山方面への延長は,将来必要があるとして,議会に提出をされました請願が趣旨採択をされてきておりますが,
地下鉄を建設する場合の国の補助制度が,これからの新免許認可事業から,従来の運営費補助から建設費補助に改められ,キロ当たり建設費の借入れが少なくて済むこと,
そのことにより,当然支払利息が小さくて済むことなどから,大幅に改善されたと言えます。
そこで,東西線延長計画においても,従来のキロ当たり2万人を必要とした需要客が,1万3,800人の需要客を見込むことでよくなったように,
この石山方面への延長を望む市民の立場に立って,新しい制度に適合させて利用人員を割り返した場合,十分実現性が出てくると同時に,
必要な土地は,以前の地下鉄延長計画がオイルショックで白紙撤回となったとはいえ,20年も前に取得していることから,
延長は高架の継続でもあり,いまでも十分実現の可能性があると思うのですが,いかがでありましょうか。
要約・「昭和54年に撤回になった石山延長なんとかしてよ」 市長・桂信雄の回答
地下鉄計画等の見直しについてでございますが,
まず,新たな地下鉄等の大量輸送機関の計画策定につきましては,現在の計画策定時の交通状況,社会環境,その後の変化を考えますと,
都市圏レベルでの人や車の流れを把握する必要がありますので,
平成6年度から3ヵ年をかけて,国や道など関係機関と共同で第3回目の
道央都市圏パーソントリップ調査を実施する予定であります。
したがいまして,これらの調査結果や地下鉄50キロ計画の達成の見込み,さらには地域の交通動向,輸送需要の見込み等を踏まえ,
新たな計画の必要性について検討してまいりたいと考えております。
また,地下鉄南北線の石山方面への延長につきましても,ただいま申し上げましたとおりの状況でございますので,
全市的な視点で検討してまいりたいと考えております。
要約 「やる気ない・今度一応調査をするけどね、それは全市レベルで個別じゃないよ」 平成8年 予算委員会
自民党 堀川素人
南区の真駒内駅なのですけれども,真駒内駅というのは,地下鉄南北線ができたときに,真駒内で終わるのではなくて,藤の沢,今の藤野なのですけれども,そこまで地下鉄が延長する予定になっておりまして,
そのために,あそこはターミナルの機能を持った駅になってないわけでございます。
一方,230 号線というのは,皆さんもご存じのように,大変渋滞がひどい線の一つでございます。そのために,あの地域というのは,もう朝の7時前後から渋滞が始まる。
特にことしの大雪には,もう大変な状態でございまして,車で出かけてもなかなか街に着かないから,バスに乗ろうとする。
バスに乗ろうとしても,そういう人がたくさんいるので,今度バスにも乗れない。たくさんの人が,バスに乗れないで,苦情が私のところにもたくさん入っていたわけでございます。
それで,僕の友人で,交通量調査なんかやっている友人がいるのですけれども,230 号線の渋滞を称しまして,都市の機能を既に破壊していると,そういう断定の仕方をしております。
例えば,バスに乗れないということもそうなのですけれども,子供方が,一つは就職なんかにしましても,定時性が確保できないので,就職に大変不利な条件になっている。
それから,子供方が通学するにも,時間が間に合わなくて大変だと,こういう状態になっております。
先ほどの,地下鉄南北線ができて,藤野まで延びるというそういう構想,それでもって,実際に役所で出した図面の中に,その線が入っていたのです。
ところが,もう既にそれがいつの間にか消えていっている状態。それを当てにいたしまして,あの藤野地域に家を求めて,そこに住んでいる方々がたくさんおります。
もう一つそこで問題なのは,先ほどから話題になっていました,行政の連続性という意味で,いつの間にかその線が消えていって,そして,今,渋滞ということで,大変厳しい状況にあります。
それと,今言うパーク・アンド・ライド構想のことを考えますと,あの地下鉄を一駅延ばしまして,あそこに警察学校のグラウンドがございますし,旧定鉄の跡地があります。
そして,そこにパーク・アンド・ライドの駐車場をつくったならば,今,冬は大変な状態,夏ももちろん大変でございますけれども,
そこに車を置いて街に出てくる人たちが,あそこの地域ではたくさんおりまして,今まで渋滞によっていらいらしながら通勤をする,
そして,そこにとまりながら排気ガスをまき散らす,そしてむだなガソリンを使う,こういう状況がパーク・アンド・ライドの駐車場をあそこにつくりますと,僕は一気に解決をするのじゃないかと。
そしてまた,ちょうどいいことに,駒岡にはごみの処理場があります。そのごみの処理場の熱を使って,あそこに雪の積もらない駐車場が可能になる,そう思っております。
そうするならば,なお一層あそこに駐車場をつくっておくことによって,幾つもの問題が解決できるような気がしております。
それで,ぜひともパーク・アンド・ライド構想というものの積極的な政策,それに重点を移していただいて,
今の真駒内のパーク・アンド・ライドの駐車場を大きくつくり変えると,そして,地下鉄の一駅延長をしていただくという形の中でできないかどうか。
また,それに対して取り組む意思があるかどうか,このことを,先ほど言いました行政の整合性との関係の中でどうかしっかりとお答えになっていただきたいと思います。まず,そこで一つ質問を終わります。
要約・「いつの間にか消えた藤野延長だが、その延長を見越して家を買った人のためにも、(緑が丘周辺まで)一駅延長して大駐車場付ターミナルはどうよ」 藤林総合計画部長の回答(既に市長でも事務方トップでもない)
地下鉄の問題といいますのは,非常にお金がかかる割には,
実際に供用化してみますと,残念な現象ではありますけれども,期待したほど利用されていない面があるというのが現状でありまして,
平成9年 第一回定例市議会
自民党 堀川素人
石山−定山渓沿線がこのような状況に今日あることに,札幌市は大きな責任を負っております。かつて,この地域は,定山渓鉄道が走り,観光客とともに地域住民の足として大きな役割を果たしてまいりました。
ところが,昭和40年の札幌市都市交通機関計画により,札幌市は定山渓鉄道を廃止し,その線路跡地を札幌市が購入し,藤の沢まで地下鉄を建設することを決めました。
ところが,それから30年間,札幌市は定山渓鉄道を廃止したまま地下鉄は延長せず,公共交通機関としての住民の足を民営バスに任せたまま今日に至っております。
札幌市は,市営交通事業会計に一般会計から多額の繰り入れを行っております。市営交通事業からの恩恵が少ない沿線地域住民は,そのことを一体どのように思っておりますでしょうか。
不公平な行政と思っているのであります。私が札幌市からいただいた資料の中に,市は,昭和51年に藤の沢までの地下鉄南北線延伸計画を白紙化としたと記した資料をいただきました。
白紙というのは,藤の沢までの延長計画をやめたということなのか,やるかやらないかまだ決めていないから白紙ということなのか,白紙の内容を明確にしていただきたいと思います。
何となれば,平成8年1月17日付で,地元町内会からの地下鉄延長要望に対し,
桂札幌市長名の回答文書では,白紙化などとは一言も言っておらず,「将来的な地下鉄等の大量輸送機関の計画については,今後,地域の開発動向や財政事情を十分勘案しながら全市的な観点で検討してまいりたい」と回答しております。
これは,真駒内以遠の地下鉄延長要望に対し,引き続き検討していくとの回答であります。
そもそも地元住民は,札幌市が藤の沢までの地下鉄南北線延伸計画を白紙化していたことについて,一度も市から説明を受けていないのであります。
板垣前市長は,選挙のたびに,地下鉄延長は困難な課題でありますが頑張りましょうと言っていたそうであります。桂市長が板垣市政を継承する者として,沿線住民は一日も早く地下鉄が来ることを待ち望んでいるのであります。
ところで,昭和51年に藤の沢までの地下鉄南北線延伸計画を白紙化との決定は,本当にあったのでありましょうか。
地下鉄南北線の真駒内以遠の延長について,札幌市の決定の経過を私なりに調べてみました。一番最初に地下鉄建設を決めたのが,
先ほども言いました札幌市都市交通機関計画,昭和40年7月の7日です。昭和44年10月,定山渓鉄道を廃止し,札幌市交通局が藤の沢までの跡地を買収いたしました。
昭和46年に札幌市長期総合計画が発表され,そこには地下鉄南北線藤の沢までの建設が昭和65年度を目標に建設する計画であることは,きちんと述べられております。
昭和51年12月に新しく誕生した板垣市長のもとで,昭和70年を目標とした新札幌市長期総合計画が決定されます。まさに,札幌市が白紙化を決定したその年であります。
そこでは,地下鉄の整備について,土地利用との整合性に配慮して新たな路線を計画し,その建設を推進すると述べております。
藤の沢までの地下鉄南北線延伸計画を白紙化したとは,どこにも書いていないのであります。
札幌市が決めた計画や構想,これは,市民に対する行政の公約であると思うのであります。
それらの文書では,藤の沢までの地下鉄南北線延長は取りやめにしたとは,先ほども言いましたが,一言も言っていないばかりか,推進,検討と言っており,
住民は,地下鉄の採算がとれる地域になるように発展に努力をしているのであります。
市長は,地下鉄南北線の真駒内以遠の延長について,現在どのようにお考えになっているかをお聞かせ願います。
堀川素人 続き
採算の問題について触れたいと思います。
この沿線地域には南区の人口の31.6%,4万 9,000人が住んでおります。地元町内会が行いましたアンケート調査をもとに計算しますと,
現在,自家用車を主たる交通手段としている人が約2万人おります。地下鉄が延長された場合に,自家用車をやめて,はっきりと地下鉄にかえるという人が 7,000人,バスから地下鉄にかえるという人がやはり 7,000人います。
そのほかに,かえるかもしれないという人が,自家用車で 8,000人,バスで 2,000人もいます。全部合計しますと,この地域だけで2万 4,000人の新規需要を見込めるのであります。
そのうち,通勤・通学の数字は1万 1,000人です。この需要見込みは,既に札幌市が用地を取得している定山渓鉄道跡地を生かし,
シェルターで地上を走らせるならば建設費も少なくて済み,十分に採算のとれるものと考えるのでありますが,いかがでありましょうか。
それこそ,きちんと検討をしてみるお考えがありませんか,このことについて,前向きなご答弁をお願いしたいのであります。
もし地下鉄が延長されたならば,自家用車の使用が2万台から, 7,000から1万 5,000台減少して,これは,交通渋滞を解消し,排気ガスによる公害の防止にも役立つと考えるのでありますが,市長はいかがお考えでしょうか。
最後に,定山渓鉄道跡地を生かして地下鉄の延長を求める声に,沿線一帯は固まっておりますが,最近,定山渓鉄道跡地を都市公園にする計画が持ち上がり,地域住民を驚かせております。
堀川素人の要約
「聞く耳持たないんだろうけど、あえてもう一度言う。出来るできると言い続けて嘘ついたようになっているから白黒つけろ。ダメと言わないで違う計画立ててんじゃねーよ」 桂信雄市長の回答
地下鉄南北線の問題でありますが,地下鉄南北線の真駒内以遠の延長とその採算性等につきましては,一括してお答えをさせていただきます。
地下鉄南北線の延長につきましては,昭和46年の長期総合計画の中で藤の沢地区までの計画がございましたが,
昭和51年の札幌市長期総合計画審議会の答申を受けて,昭和54年の札幌市総合交通対策調査審議会において具体的な検討をいただいた結果,
地下鉄を必要とする需要が見込まれないことなどから,真駒内駅までの区間に計画を縮小したものであります。
そこで,新たな地下鉄計画につきましては,現在,長期総合計画の改定に向けて,審議会の中で,地域の開発動向や採算性等に加え,地域環境などの視点から審議を進めていただく予定でありますので,
本市としては,この答申を踏まえ,全市的な観点から検討してまいりたいと考えております。
次は,定山渓鉄道跡地の利用計画についてであります。
定山渓鉄道跡地利用計画につきましては,これまでも地域の方々との話し合いを行いながら進めてきたところであります。
今後とも,南区の交通問題のうち,緊急性の高い石山陸橋五差路の渋滞緩和を図るためのバイパス道路整備や,地域に身近な近隣公園整備など,
定山渓鉄道跡地の活用を住民の方々と話し合いをしながら進めていきたいと考えております。
以上です。
要約・「今頃グダグダ言うな、諦めろって言ってるじゃないか」 急に伸びたと思ったら詳細d
まぁ石山陸橋辺りが道路になったりしてたからほぼ諦めてたが 初めて俺でも嫌になる長文レス(政治屋の詭弁だからというのが、濃厚な理由だが)
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