思い出の定山渓鉄道
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札幌市中心部と定山渓温泉郷を結んでいた懐かしの定山渓鉄道。
右側運転台の電車、国鉄乗り入れ用気動車、湘南スタイルのスマートな電気機関車など、個性豊かな車両が揃っていた定山渓鉄道の思い出や廃線跡のお話などをお願いします。 >>195
昭和30年代〜40年代は、国策としてもゴムタイヤ式を推し進めた時代。
輸出も含め国の基幹産業として自動車産業を育てようとしていた時代な訳で、
その中において「自動車産業と一定の融和を図れる」ゴムタイヤ式の車両は
当時の将来像としては必須だったから、大量輸送機関としての札幌方式に、
中量規模向け(路面電車代替)のモノレール各方式が編み出されたんでしょ。
大量輸送機関については既存鉄道との融和が必要な都市が多かったので
札幌以外に採用事例がなかったけど(札幌の場合は定鉄置き換えが前提)、
モノレールは国裁定の標準規格としてゴムタイヤ式が選定されてるしね。 更にまた札幌市としてはオリンピック開催の見栄もあったことは事実。
オリンピックに向けて運動施設以外にも
・市電の大量整理(時代遅れだという風潮)
・市役所庁舎の新築
なんて湯水のように公共事業をやっていた(からね。
>>まぁあの時代の「無茶苦茶さ」
確かにすさまじい勢いだったそうだわ。
毎日街が変わっていったと、医大前に住んでいた母曰く。
>>今は存亡を問われるような状態になってた
今もそう感じられると思うけど、定鉄廃止が無ければ藤野の団地一体全部もなかったんだよね。
南区はジリ貧どころか本当にモエレの方面のような僻地で終わっていたと思う。
今でさえ、札幌市の過疎地域だがww
>>これが、ありえない。
たーだ、これの冷静さは欲しかったもんだなぁ。
ま、「意欲的な」市交通局の某部長の所為でもあるがw
>>そんな風潮があったんよ。
そういう文献がきちんとあるものな。
(当時の道新連載記事など)
>>時代背景を考えれば順当な判断
時代の仇花の貧乏くじを率先して引いたと、いうことには違いないんだけどな。
順当と言うより「しょうがない」
>>札幌以外に採用事例がなかったけど
南北線はともかく、東西線は違う事情あり。
昭和49年には、見直しが掛かったのに札幌は突き進んじゃったからなぁ・・・。 札幌市営地下鉄とJR線の直通って
妄想垂れ流してるヲタが多いのに辟易してるんだが、
基本的に、函館本線と市営南北線では利用者層がほぼ分離しているだろうに
JR利用者にとってせいぜい一駅、二駅の大通、すすきのまでにしか用は無い
それぞれ各方面からの需要は、
地下鉄とJR線の結節点である札幌都心(含む大通、すすきの)に
集中してるのであって、
真駒内ー手稲、真駒内−千歳、麻生−etcという需要はかなり少ない
そもそも地下鉄ベースで考えるとJR線の各方面列車が少なすぎて、
待ち時間考えたら、さっぽろ駅でおとなしく乗り換えるのと変わらないだろう JRと市営地下鉄の直通って、函館本線や千歳線じゃなくて
札沼線のほうだと思うんだが。 >>155 超遅レスですまん。
夕張は札幌乗り入れを熱望していた。車両を国鉄に提供しようと働きかけたくらい・・・
それ故の遺恨からか、夕張は国鉄を凌ぐ車両サービスに血道を注いできた。
当初は定鉄を介して国鉄札幌駅1番線乗り入れ やがて 両社の合資で発足の札幌急行が独自で札幌にターミナル新設で
後に電化の国鉄線と競合とかね。
定鉄の 日立製デーゼルカーや札幌市営地下鉄の(特に初期)独特のデザイイン意匠の車両って
ソ連の鉄道車両や サハリンの帝国車両製湘南型ディ−ゼルカー 妙に近似性を感じるよな。
ひょっとして当時の社会党や共産党がソ連の北海道占領計画を見越して関与したのか?(笑)
札幌ー夕張間を結ぶ鉄道とし >>200
おいおい
中途半端に切れてるけど大丈夫か? スレちがいですが、夕鉄の急行、無料だと思っていたのですが、
急行料金とった時代があったのですね。
あるサイトで栗山から野幌行きの急行乗車券の切符(硬券)
を見つけたもので。 >>201 ゴメン では続き
札幌ー夕張間を結ぶ鉄道として発達して夕張(迄とは云わないが夕鉄沿線が札幌の通勤圏内)になり
札幌急行鉄道と国鉄が競合するようになっていなかったかな?と・・・
少なくとも夕張市の破綻は回避できたような・・・
嫌な話だが、北海道道内の土地・街としての発展だけを考えたら。
ソ連が侵攻していた方がソ連邦の極東最南端の比較的温暖な地域として発達していたのかな?
★無論 我々日本人の(勿論 北海道民も含めて)には無縁か奴隷的な扱いの状況下だろうが・・・
>204
その後半の妄想は面白いし個人的には大好きだけど、問題が多すぎる。
ここより他スレのほうが。
ここのほうが未だ関連性あるかも。
【台湾朝鮮】外地総合スレ【樺太南洋】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220883238/
ただ、この種の議論というか想定って得てして北朝鮮的悲劇を想定されることが
多いんだよなぁ。せめて東ドイツくらいを前提にして欲しいのだが。
分断国家と云っても西から東に行くことは出来る程度の分断ねw >>138に追加
そして、北海道新幹線が札幌まで延伸すると、定鉄が三線軌条化し、北海道新幹線が定鉄に乗り入れる。
要するに博多南線や越後湯沢〜ガーラ湯沢と同様の新幹線規格在来線扱い。
北海道新幹線の定鉄乗り入れ区間の停車駅は南平岸、真駒内、藤の沢、定山渓
これにより、首都圏から定山渓温泉に行けるようになる。 >>207 東急は東亜国内航空→日本エアシステム→JAL統合 抱えていたからソレは早期に航空会社を手放さなかった限りありえない。 それにしても何故キハ7000と7500は関東鉄道と茨城交通に売れなかったんだろう?
同日に廃止した江若鉄道の戦前のキハが7両も売れたのに・・・
湯口徹さんじゃないけど、どうしても解せない。 >>209 以前鉄ピクに、関東鉄道(当時常総?)の関係者の鹿島参宮とのキハ04払下獲得競争とか
の話や廃業私鉄からの中古車購入の際、「私鉄車両めぐり」の記事が、大変参考になった旨書いてあったな〜
(加越能15001が売れなかったのはこの辺が理由かな?)
今なら当時中古買い付けに地方行脚した人にまだ訊けるかもね。
俺は、江若廃業時の熊延からきた湘南形キハが売れなかったことも不可解。 rmライブラリーで近いうちに定山渓鉄道、旭川電軌、札幌市電、湧別鉄道
根室拓殖鉄道、花巻電鉄、仙台鉄道、秋保電鉄、秋田市電のどれか1つをやるそうです。
又今書いたすべての鉄道や全ての国鉄客車や全ての廃止された市電を数年以内にやる
事が決定した。以上
>>210
加越能15001は論外だったからなあ
実態知ってれば誰も買わないだろう >>212
電車用の重い車体と台車に機械式変速機つけて機関はパワー不足、おかげで車体は変形したという、凄まじい代物だからな。 売るとか買うとか言う以前に廃止を待たず潰しているしw >>209
あれは右側運転台だった・・・んじゃなかったっけ?
似たり寄ったりの世代や状態で改造不要(左側運転台)の車両があればそっちを買うわな。 加越能15001は、もしかして規格型? 親会社地鉄や長野電鉄、定鉄に日本車両が昭和20年代半ばにばら撒いた規格型に似ているのだが・・・
まあこの車の発想そのものは、企画モノだが・・・故に日本車両製ではなく輸送機工業なる会社製なのか。 豊平駅前の酒屋さんがまだ健在なのを最近知りました。
観楓会などで団体で定鉄電車に乗り込む時、
若手社員がそこで酒やビールを買い込んだものでした。 >>215
定鉄は中古の再販を基本的にしてはあんまり良くない雰囲気であったんだよ。
中古で流れた会社の、それぞれのオーナーの名前を調べ、
東急グループの啓蒙バイブル「小説・東急王国」を読めば謎は解けるぞ。 >>219
ああ、五島慶太―小佐野賢治つながりだな>>十和田。
長野電鉄はなんだろう? 定山渓EDもながの東急も赤蛙も神津―五島のラインだろうね。
で、更に転売した越後交通もこれまた五島繋がりで・・・
それはそうと、定山渓の様なしがらみの無かった筈の北海道拓殖鉄道キハ301が転売されなかったのは、
客車改造名目と言うのが引っ掛かったのだろうか? >>221 所詮 旧型客車台枠流用で国鉄型のパチ物(古いし重い!オマケに三流(泰和)メーカー改製)をはるばる道東から1両引っ張るのは、
不合理だよね。 出来も悪いけど規格外の小型車なのも痛かった>キハ301。
まあ道内メーカー製というだけで大抵の会社は引くだろうけど。
あと極端に予備車の少ない会社だったんで、酷使がかなり響いてた。
(あれが入線した時点で、元佐久の中古気動車2両と鋼体化中型客車1両が
旅客車の全てだったはず。日車レールカーは早い時期で事業用車状態だったし。)
>>216
下回りは栗原M151と同系列の初期の軽量ツリカケ用軸バネ台車。
>>210
あれは工作とかアコモ、材料がかなり粗悪だった。
同系列車を使ってた茨交や有田も車体の歪みとか老朽化に相当苦労してる。 >>222
現車は桑園の泰和車両に引き込まれて3年ほど放置されていた。
結局、粗悪品と言うのは売れにくかった理由になったと考えるのは自然なことだろうと思う。 中小メーカーや自社工場製の車輛は品質的に下と見られたと言うことか。
西武所沢や南海天下茶屋は別格として。
近江のクハ1212も車齢は若かったのに譲渡話はキャンセルされているし。
それを考えると、静鉄の中型車が良く売れたのは奇跡的か。 定山渓駅は温泉街よりも高い位置にあったから、帰りは坂を上るのがキツかったよ。 もう黴が生えた経験だが、父と北海道行きの時に豊平からモロ1100?青帯の
2等車に乗ったら道新の夕刊を呉れた。転換クロスだったが扇風機か無かった?
当時鉄では無かったので撮影しなかったのが惜しい。
断って措くが年齢とかの個人情報は開示御断。
>>216
加越能キハ15001は富山‐金沢間私鉄電車計画の車両で電車型車体で台車が
FS13鋳物台車で全体に重く、DMH17のギアチェンジに無理があった。
ギア欠損やクランク折れ故障が多く、乗り心地は良かったが乗務員が嫌っていた。
部内からトルコン取り付け希望が強かったが、親会社の富山地鉄がゼニを出さず、
最後にはDHM17がバテたうえに車体が歪んだので廃車になった。
廃車直前に車庫で見たがそれは酷い状態だった。
>>日本車両が昭和20年代後半にばら撒いた-----とは運輸省私鉄標準型車両の
A規格型か?地鉄14750、名古屋3800、定鉄1000か?それなら昭和23年-25年頃だが。
若し間違って居たら御免。
>>227 ご親切に有難うございます。 A規格型の事です。書籍「日本の内燃動車」を観た
あくまで見た目の印象ですが(・・・・コレ規格型電車みたいなじゃない?)
もしトルコンを載せても今度は、重すぎてトルコンの滑り、故障に悩んで結局散財では?
>>223 アゲ取りじゃないのですが、 熊延は、帝車 有田&茨城(ケハ401)は山鹿キャンセルでそれぞれ富士重と新潟 製とメーカーが違うと思うのですが・・・
キハ10系以前の国鉄型湘南キハの図面流用で似たりよったりで、初期のカルダン電車が短命なのと同じで耐久、腐食配慮不足と云う事でしょうか・・・? >>229
続レスで御免
キハ15001は自重28.8トン、キハ07が27.8トン、トルコン付のキハ10が
30トンだからそう重量超過ではないだろう。形態的には地鉄14750系統だ
けれど。現場もその辺を理解しての上でTC2A取り付け要求だったと----
A規格型には長野の1000も富山と同じ車体だった。 旭川電気の1001が売れなかったのも、1両だけ引っ張る手間(しかも電車は内地で好いタマが探せる)からかな? 地方私鉄事業者は一部を除いて、保守的なところが多いから、
新機軸を盛り込んだ特殊な電車は嫌う向きもあったのでは>旭川1001
既に類型車を使用していた会社でも、1輌だけ仕様が違うのは面倒だろうし。
1輌だけ回送する手間は、当時は甲種鉄道車輛でも1輌単位で一般貨物併結は
良くあったから、大した問題では無いと思う。
新しい車輛でも売れないのにも、何でこんなボロを掴んだんだ、と言う場合も、
それなりの理由と背景がある場合がほとんどだから、
そのあたりを色々推察してみるのもこれまた面白いかと。
例えば、名鉄は何故東急が提示した蛙5000を蹴って
ボロボロの規格型3700を買ったのとか。 >225
> それを考えると、静鉄の中型車が良く売れたのは奇跡的か。
しかしその実、海に近いので塩害により車体の痛みは酷かった、
とピクの譲渡先に関する記事で見た気がする。 日立だったたか熊本だったか、車体が歪んでドア開かなくなったって聞いたことがある。
普通の貨物列車に甲種輸送ぶら下げたのは、山形交通からコトデンへの写真を見たことがあるな。 静鉄の自作新車は、確かに(特に湘南型は)空調配慮とか工作が未熟な感じがする。
それでも売れたのは、同レベルの地方鉄道相手で価格等以外にも表に出ない配慮があったのだろうか?
>>233 3700形第二次譲渡の時ですか?
確か長電が東急に手頃な中古車供給を打診した時(つまり名鉄が第一次3700を譲り受けた後)は、まだ3450形を東急は長電に推奨してきた。
にも拘らず、相手が名鉄なら5000系とは、長電に失礼だな。
妥協する事なく5000系を東急から交渉で引っ張ったりパノラマ電車構想や2000新造の際
名鉄5000を参考に話を進めるなど長電の車両の人は賢いというか優秀だな。
>>237
名鉄に蛙提示は第一次の時だったと思った。
最初は東急が某業界紙に3700系を譲ります、という広告を出したことで始まり、
しかし、直ぐに一旦これを引っ込め代わりに蛙を出した。
ところが、名鉄は5000系の使用実績から直角カルダンに
余り良い印象を抱いていなかったのと、
3700系はMMが他のAL車と同じTDK528で保守上好都合だったから、だったはず。
廃車時も発生品を他のAL車に流用でしゃぶり尽せて二度美味しかったし。
静鉄の譲渡先で、日立電鉄と熊電は、日立と東急と言う共通項で
何となく類推できるのだけど、福鉄とはなかなか繋がらない…
当時合致するスペックの電車ってこれ位しか無かったのかな? >>239
架線電圧が600Vというのがあるんでは? >238併用軌道があり、車両限界(車両長と車両幅)の問題が決定的な要素では?
当時、もう大手私鉄には適当な小型車なかったしね。静鉄長沼と福鉄西武生といえばどちらも自社工場で車両を作る器用なところだったね。 >>241
いや、静岡鉄道のやつは全長17,8mだから、小型車ってわけじゃないよ。
当時(1986年)の大手私鉄で廃車になっていた18m級程度の車両を見ると、
東急の3000番台と、京急の600くらい。
車齢も若く、電気関係の改造も最小限で済む静岡鉄道車は魅力的だったんじゃないか? >>242
京王井の頭線のG車とか西武351、小田急2200に新京成100もあるな。
結局直角カルダン以外の新性能車でそのサイズで1Mで冷改済というのが効いた気が。
1M運用OKな小型冷房車って京王重機商法のない当時はかなり貴重だった。
京急600は冷房は乗ってるけど、オールMで定格速度が高すぎて電気食いすぎた。
あと路面区間での運用性に関してはむしろ劣悪だった。
併用軌道では中ドアしか客扱いできず、急行専従と諦めてたしステップの出来も悪かった。 >244
1986年ってのが、微妙なんだね。
京王井の頭のグリーン車は1984年全滅。京王線は伊予鉄にみんな取られちゃった。
西武の351は多摩湖線用の最低限のヤツを残して既に全滅。
小田急の2200は選択肢としてありえたかも。製造年が10年差があるけど。 >>244
300型は福鉄入線時に冷房化したんじゃなかったっけ? 延々スレ脱で申し訳ありませんが、こういう楽しい話が出来るところがないので続けさせてください。
静鉄や地鉄は、もとも大所帯で資本も技術もそれなりだけど、福井鉄道は自作は南越線の小型2両だけで後は連接改造実績のみ
福井の二代目140形連接車に種車は名鉄&長電と凄まじいものだった。
どういう理由か知らないが予算的に車両導入が相当厳しかったのかな?
親会社名鉄もアテにならあないし(他の子分達もあまり面倒見てもらえない、寧ろ支配下に収めようとし系列外の地鉄、琴電を厚遇散財!!)
涙ぐましい努力だよな。
>>246
そう。
しかし、路面電車用じゃなくて普通の東芝製集約分散クーラーを載せたけど
車体強度は大丈夫だったのかな? >>247
小林宇一郎さんは良い人だったよ。
OSカーを見たいと長野駅から電話したら、須坂まで一緒に行ってくれた。
そのとき阪急の1002がつけて居たアルストーム型のFS102?だったかの
「狭軌タイプが欲しい」と話されていた記憶がある。
当時は何か新しい事をやりたいお気持ちだと--------。 鉄ピクの私鉄車両めぐりに元定山渓の珍車載ってたの思い出した。
豊羽鉱山専用線で木造客車を動力化して通勤&入換に使ってたヤツ。
ゲテさ加減じゃ根室拓殖の銀龍号とイイ勝負なんだが、
これの詳細知っている人いませんか?
若葉の香り高き新緑の野に山に、陽光を浴びての郊外散策、そして綺麗な温泉の一浴こそ
什?にか心身を甦らせて、溌々の元気を養ふことでせう。殊に学校の遠足や休日を利用して
の一泊、或いは日帰りの団体旅行地は先ず山水絶勝の北耶馬渓行きをお奨めいたします。
弊社鉄道沿線は、已に已に御存知の景勝地ですが、温泉場の奥の原始林、青葉若葉に風
薫る山路を(良道にて婦人にても容易なり)北耶馬渓、大爺淵、千丈瀑、炭酸泉等へ歩を延
さるれば、北海唯一の仙境が今や淡緑、淡紅の色彩もて、自然を好愛する人々の来訪を期
待いたして居ります。
弊社はこの幽勝を探らるる五十名以上の団体には、御要求により、案内者を附して其の便を
図りますから、若しそうした修学御旅行の計画がありました節は、本社なり、停車場なり、市内
営業所なりに御相談下さい。必ず御意に叶ふやうに、列車の便はもとより、遊覧地の推薦、温
泉宿等万事に御助言申し上げます。
次に会社直経営の鉄道ホテル温泉場は五月一日より開業しました。大広間あり、食堂あり、
大浴槽は定山渓一にして遊泳も出来得て一時に三百名内外を収容し料金も頗る低廉、学生
団体には特に割引をいたします。尚且つ、他の温泉宿と遠ざかり、清楚にして眺め佳き静かな
る場所なれば、学生の浴場として是非に御利用下さい。
大正十二年五月
定山渓鉄道株式会社 >>251 私鉄車両めぐりの、写真図面 アレ以上のブツは、文献ではもう無いんじゃないの?
それこそ地元関係者の個人レベル。 >>252
昔の地方私鉄って、力があったんだなーとつくづく感じられる宣伝文句ですねぇ。
>御要求により、案内者を附して其の便を図ります
>必ず御意に叶ふやうに、列車の便はもとより、遊覧地の推薦、温泉宿等万事に御助言申し上げ
>会社直経営の鉄道ホテル温泉場 やはり鉄道って自動車が普及する以前は、旗艦産業だから・・・
まして地元有力者が出資している訳だし。
路線長こそ買収された私鉄に敵わないが、高速電車の定鉄は運炭鉄道台頭前の戦前は、それこそ道内随一では・・・。
地方では斜陽とはいえ、いまだにその土地土地の地方鉄道はそれなりの地位(一流企業としての扱い)を得ている処が多いよ。
マア他にさしたる産業が芽生えない事情もあるが・・・。
>>252
>会社直経営の鉄道ホテル温泉場
これがどのあたりにあったのか気になる 定山渓ホテルと章月グランドホテルは大株主ではあったけどたぶん違うな。
>>261
なるほど、確かに「他の温泉宿と遠ざかり、清楚にして眺め佳き静かなる場所」だww でもあれ駅構内なんじゃないの?
まだ鉄道線が残ってたら鉄ヲタ絶賛の宿になってたろうなw >>263
定山渓駅の車庫の横に確かに大きな宿が見える写真がある。 定山渓の遊客が車で旅館に直行する現代、
旅館の外の美しい原生林や渓谷を散策する人は少なくなった。
鉄道があった時代には、定山渓に来る人々はよく散策した。
昔の定鉄のパンフレットの名文を読むと、
身近な場所に、文人墨客が愛した絶景があることに
ハッと気付かされる。
【定山渓の舟遊び(大正15年ごろのパンフレットより)】
定山溪温泉の絶景錦橋の下流に電氣會社が大堰堤を築いてより、溪流忽ち淀んで
紺碧静寂の深淵となり舞鶴瀞の稱あり。浴後など舟を■ふて探勝せんか奇■並び連なりて
碧水回る處緑樹影相映じて、静かなること鏡の如く舟行往復にて約三十丁半日の清遊には
頗るよい。
【豊平峡(同上)】
温泉附近の溪山は豊平川を遡るにつれ愈々奇にして今や豊平峡は北海唯一の仙境として
膾炙せらる豊平峡とは青崖國分先生の命名である。往年大町桂月先生此の地に遊び
定山溪山水大観に記して曰く「十数の樓臺直に豊平川の清溪に接す。水清くして
断崖深く且つ奇なり。二里の上流溪畔に炭酸泉湧出す。一掬しれば清風腋下に生ず
途中溪を見卸せば深しとも深し。巌峰を仰げば高しとも高く。飛流天より落つ(後略)」
とあり以て如何に其奇勝たるかを伺ひ知るに足るべし。 >>267
おお!画像サンクスです。
やはり位置的に山渓苑か瑞苑ですね。 あの公園になってる敷地が鉄道施設の跡か。
上手くやればホテルの建物に取り込む形で1階に駅、改札出てロビーでチェックイン
とか出来そう。 ミリオーネはつぶれたホテルあけぼのの跡。
まさか万世閣になるとはね。
ちょっと前まで残ってたときわ旅館も今は無いし、
当時を知る建物は章月の宴会場くらい? かっぱがすむとこいい所
山と川とがあるところ
かっぱ好きだという人は
いいとこある人もてるひと このスレを読んでたら、久しぶりに定山渓に行きたくなった。 >>274定山渓スレにいろいろレジャースポットがでてたな。
結構面白そうだな。 >>251
以前、サッポロファクトリーにあった、
札幌市写真ライブラリーに、
その車両のモノクロ写真が、2枚あった(色がわからん)。
真横からの写真と、斜め前から「ワ」らしき貨車を1両牽いている写真。 >>276
って事は、札幌市文化資料室収蔵写真のHPで検索できるはずと思ったら、
出てきましたよ
定山渓鉄道ロ10形だね
こいつは、あやしぃ・・・
後ろ半分と台枠は明らかに木造2軸客車だけど、
運転台より前は割と新しげかつ怪しげなボンネットスタイルに改装されとる >>277
札幌市文化資料室ですか、
札幌市写真ライブラリーにあった写真はここに移っていたのですね。
昔の定山渓鉄道の貴重な写真がたくさんありますなぁ。
札幌市写真ライブラリーが閉鎖になると聞いて、沢山、複写に通いました。
>>279
太美温泉ならその内できるようになるな。
あ、今でも江部乙温泉は電車で行けるか。 定山渓電鉄 本当に廃止すべきでは無かった。
せめて真駒内から定山渓までは存続して欲しかった この区間は近年人口が増えているので
だから鉄道がないと不便
そして近い時期にRMライリブラリーで定山渓鉄道 旭川電軌 夕張鉄道
花巻電鉄のいずれかを紹介するみたいなので、楽しみにしています >>281
鉄道が無いのに人口が増えているんだから
鉄道がないと不便ってのは違うと思うなあ >281
懐かし板のあちこちで妄想書き散らすな馬鹿。 RMライブラリーで定山渓電鉄を今年か来年やることは100パーセント確実
旭川電軌や湧別鉄道 夕張鉄道も同じ >>286
RMライブラリーであれやる、これやるって毎月妄想撒き散らしに出てくるお客さんだから
ほうっておきましょう >>288
青木護〜堀川素人と連代での地元市議の主張からもついに外れたから、もうナッシング。 昭和63年第1回定例市議会
社会党富田新一
南北線約29キロに対して,北は麻生から花畔までと,南は真駒内から藤の沢までの区間約15キロメートルがカットされた状態のままなのであります。
ただし,第2南北線,すなわち元町地区から山鼻地区までの約11キロメートルは,現在,路線を変えて,東豊線として約16キロの建設計画が推進されております。
なぜ,私がこのようなことを持ち出すかと言いますと,この長期総合計画が初めて市民の前に示されたとき,現在5期目の板垣市長が最初の選挙を展開しながら,
市長が各地の演説会で長期総合計画を訴え,その結果選挙に勝利したものであります。しかし,そのわずか5年後に,市長は新たな長総を示し,
この時点で,当初の長総で示した地下鉄の建設の基本計画を大きく変更させてしまったのであります。
さらに指摘しなければならないことは,新長期総合計画の中でも,なお南北線南方面の真駒内・藤野間の交通計画が触れられていないという点であります。
このことは,その計画対象から外された地域に昔から住んでいる人たちはもちろんのこと,板垣市長になってからその地域に土地を求めた人,あるいは家を建てた人たちは,
一日千秋の思いで交通計画が示されることを願っているのであります。
私は,地下鉄の当初計画から取り残されたこの南地域に対し,当初計画にかわる具体策を早急に示しつつ,地域住民の協力を得ることこそ市長の取るべき責任ある態度だと思いますが,
この点についてのご所見をお伺いしたいのであります。 市長・板垣武四の回答
本市におきましては,新年度から2ヵ年をかけて,総合都市交通体系調査の一環として,新交通システム調査を実施する予定でございます。
この結果,実用化が可能であるとの結論が出た場合には,札幌市総合交通対策調査審議会にお諮りをして,その意向を,
北海道運輸局長の諮問機関である北海道地方交通審議会に反映させたいと考えております。
したがいまして,今後,新交通システム調査の結果を踏まえて開催されます札幌市総合交通対策調査審議会におきまして,前にもいろいろとご要望がございましたが,
それらもろもろの要望の趣旨を含めてご審議をお願いしたいと考えております。
要約 「知らんがな」 昭和63年 第4回定例市議会
公明党 春原良雄
南北線真駒内駅と自衛隊前駅間に中間駅とバスターミナルの新設を強く望まれるわけであります。
ご承知のとおり,地下鉄南北線は,昭和47年冬季オリンピック大会を目標に,工事着工から開業までわずか33ヵ月間という短期間で札幌市が建設した東京以北初の地下鉄であり,
昭和46年12月に開業して以来約18年間を経たところでありますが,これを契機として,札幌市のまちづくりは急テンポで整備されてきたのではないかと考えております。
特に,南北線の平岸駅以南の高架周辺地域は新市街地の形成が進み,その傾向は,駅勢圏のみならず,周辺地区にも拡大している現状にあります。
その中にあって,藻岩地区及び西岡地区からの交通手段は,真駒内駅からのバス短絡が主流となっておりますが,地下鉄とのアクセスに都心部からやや逆戻りという不備な点が見受けられるのであります。
この要因として考えられることは,現在の真駒内駅と自衛隊前駅の区間距離が1,747メートルと,普通の駅間の2倍弱に相当する,本市地下鉄全線の中で最長区間となっているため,
バス短絡便が藻岩地区及び西岡地区からの場合,合理的かつ便利な接続となっていないこと,及び真駒内駅にこれらの短絡バスが集中していることが大きいのではないかと考えております。
仮に,現在南車両基地のある平岸街道と道道清田真駒内線の交差する場所に中間駅とバスターミナルが設置されれば,五輪橋経由のさきに述べました藻岩地区及び西岡地区への重要な交通中継拠点となり,
地域に果たす役割はきわめて大きなものになるとともに,近隣地域の活性化が図られ,ひいては乗客の増にもつながるものと考えまずが,いかがなものでしょうか。
また,この財源についてでありますが,昨今の厳しい交通事業の財政状況を勘案いたしますと,交通局単独での新設は非常に難しいことだと思います。
そこでお尋ねしますが,現南車両基地の整備工場施設は,年数の経過とともに当然のことながら旧式化し,作業効率の観点からも,更新はいずれ必要なものと考えられますので,
交通局側としては,南車両基地のうち,西側にある重要部全般検査用工場棟を東側に移築し,この跡地を含めた約1万平方メートル程度を一体的に再開発するよう,
当用地を第三セクターに提供し,中間駅,バスターミナル,さらには工場棟を新設してはいかがなものでしょうか。
なお,第三セクターは民間活力の導入を図り,中間駅バスターミナルも一体化した高層建築物を建設し,その中の住宅,店舗スペースを販売することで資金をつくれるのではないかと考えますが,
いかがなものでしょうか,簡潔にお答えをお示し願いたいと思います。
市長・板垣武四の回答
地下鉄中間駅の設置の問題でございますけれども,これにつきましては,建設に要する多額な費用,営業を続けながらの工事の問題,
さらには,関係諸官庁との調整等,一朝一タには解決できない多くの問題がございます。
また,ご提案の前提となる南車両基地の工場の移築でございますが,これは建設以来18年程度たっておりますけれども,
なお相当期間の使用に耐え得る状態でございます。さらに,現時点では,建設当時の財源である企業債の償還がまだ半分程度でございまして,
企業債の繰上償還,さらには,国庫補助金の返還が必要になること等,非常に難しい問題がございます。
要約 「金がないって言うとろうが」 平成2年第 3回定例会市議会
社会党富田新一
地下鉄真駒内駅の朝ラッシュ時には,約90本ものバスが発着しているのを考えると,
これ以上バスを短絡させることは,駅周辺の交通混雑,環境の悪化を招くおそれがあることから,地下鉄を石山方面に延長し,
新たな端末駅にバスを効率的に短絡させ,バスターミナル等の乗り継ぎ施設を整備することで利用者の利便性の向上を図ることが重要だと考えます。
また,現在真駒内駅へ至る真駒内通,平岸通といった幹線道路の交通混雑のため,バスの乗車時間はかなり長時間を要しておりますが,
地下鉄を延長することによって通勤通学の定時性が大きく確保され,また時間も短縮されることから,大幅な公共交通の利用推進と市民生活の向上が可能になってくるのであります。
地下鉄の延長については,免許取得に当たり,これまで経営収支がネックであるということは,一つの理屈として十分承知しておりますが,南方面の交通の現状と市民生活を考えたとき,
この問題は,地下鉄事業の採算性という問題だけではなく,都市の社会基盤の整備という観点からも,将来を見越してしっかり考えることが最も重要であると言わなければなりません。
さらに,この地下鉄延長については,地域住民から過去何度も要望が出されており,まさに住民の悲願であります。
また,地下鉄延長にかかる建設費については,すでに購入取得して20年にもなるじょうてつ跡地を利用し,
高架構造を延ばすことにより,これまでの東西線,東豊線などに比べ,かなり経費を軽減できるのはいまさら言うまでもありません。
そこで伺いますが,この地下鉄延長については,その必要性について十分ご認識いただいているものと思いますが,
市長としては,この実現化についてどのようにお考えなのかお伺いしたいのであります。
最後に去る9月27日夜,南北線で発生した地下鉄車両のシャフト落下の問題であります。
これは,信号機の故障をもたらし,利用客には思わぬ大きな混乱と迷惑を及ぼしたのでありますが,
これは,施設が古くなったことによるのか,製品上の欠陥なのか,それとも何か技術的に問題があったのかどうか。
その原因を明らかにすべきと思います。また,今後の未然防止のためにどのような検討がなされているのかお伺いします
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