思い出の定山渓鉄道
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札幌市中心部と定山渓温泉郷を結んでいた懐かしの定山渓鉄道。
右側運転台の電車、国鉄乗り入れ用気動車、湘南スタイルのスマートな電気機関車など、個性豊かな車両が揃っていた定山渓鉄道の思い出や廃線跡のお話などをお願いします。 華麗に2get!
個性豊かと言えば、廃止前に導入した固定窓の車両が一番だなw 真駒内以南だけでも残すわけにはいかなかったのだろうか…
ま、無理か。
今でも残ってたら、近代化されて新車が(あるいは東急のお古のステンレスカー?)定山渓へ向かう鉄路を走っただろうか? 定山渓鉄道の事を土かかの出版社で9月21日に販売するみたいです。
本の名はRMラ・・ 廃線後他社で生き延びた車両って長野電鉄へ行った電機2両と、十和田観光へ
行ったMT各1両、他に何かあったっけ?
国鉄乗り入れ用のDC、もし右側運転台じゃなかったら、それこそ茨城交通や
関東鉄道辺りがウハウハ言いながら買ったんだろうな。。。 あの定鉄のステンレスもどき固定窓電車に似た車体の車両が、東急車輌の入替車になってたような… 国鉄乗り入れ用気動車といい、固定窓車といい、短命に終わって勿体なかった… >>10 ちがうよ。ゲロ電(固定窓車)は、日立製 デイーゼルカー共にこの地で絶命!
東急車輛の入換え車 101だったかな?は、木造院電の鋼改車。
東急から行った3600形が一番ボロかったのかもね。
3600形の国電台枠流用車って早くから伊豆急に貸し出されたり使用線区制約の兼ね合いとかで、結構持余してたのかな?
本家より先に線路もろとも消滅したのは、移民労働者の強制労働、野垂れ死みたいで可哀相だな。
本家より先に 定山渓鉄道の車両で、譲渡車も含めて現存する車両は皆無なのか? 札幌市がSSトラム(ゴムタイヤ地下鉄)なんて独自規格やらかさなきゃ、
地下鉄(DC1500V架空線)相互乗り入れで生き残れたのになぁ。末端は
廃止されたかもしれないし、気動車はお役ごめんだろうけど。
>13
湯口氏が「なぜ譲渡されなかったのか理解に苦しむ」とか書いてたなぁ。
ニ軸駆動だったっけ? そこが嫌われたのか?
案外右側運転台が嫌われただけなのかもしれないけど。
>>18 廃止になるなら、もう少し早く廃止になり青息吐息の寿都や北海度拓殖に二束三文
で出してあげればよかったのに・・・と思うのは、俺みたいな鉄オタのお節介だろうか・・・
話は、変わるがゲロ電と東急車輛の入換え車 資料が乏しいのか余り知られてないみたい
だけど結構違うよ
ゲロ電・・・ヘッドライト埋め込み二灯・・・福島交通タイプ?
尾灯 埋め込み
側窓 その名の通り固定!!
入換車・・・屋根上 チョン付け?一灯
尾灯・・・旧型電車に多い引っ掛けタイプ
窓・・・・とりあえず開く(二段上昇?)
他に全長とかも入換車は、院電ベースだからゲロ電(2ドア)よりデカイと思う。
>>18
> 案外右側運転台が嫌われただけなのかもしれないけど。
実はそこが致命傷だった希ガス
>>18>>21
確かに、同時期に廃業した道内の炭鉄各社 = 留萌、羽幌、雄別など = の
店仕舞い品の車齡の若いのは茨城交通や関東鉄道が買い漁っていったのに…
定鉄キハには両社とも見向きもしなかった(?)のはやはり構造上の問題か。
あと、廃線に至った事情が札幌市の地下鉄建設に伴う『補償買収』という点も
関係あるかも。何せ公共事業だし地下鉄の場合は国から札幌市に対し補助金も
出ているはずなので、定鉄としても『中古車』として積極的に売りに出すほど
銭に困ってなかったのかもね。 琴電から玉野に里帰りした電車みたいに、
十和田観光への譲渡車が札幌に里帰りしてたら… そこでゲロ電のレプリカ作って定山渓温泉に設置ですよ 私も、小学校入る前に乗ったことあります。
豊平駅から慈恵学園前駅に行ったと思いますが。 そういえば、最近出た鉄道データファイルに定山渓鉄道の記事が載ってるね。 ここも有名な割には保存車とか一切無いねえ。
痕跡と言えばお決まりの廃線跡と、
駅舎がひとつ残ってるのが奇跡みたいなもんか。
ちょっと前まではもうひとつあったんだよね。あと子供のころには0番ホームがあったっけ。
資料も散逸してしまって、忘れられて歴史の中に埋もれていく運命なのかもね。 此処って、戦後は道内最有力民鉄だと思うけど、
戦後一時盛況していた。道内車両メーカー(運輸・泰和・釧路製作所・旭川鉄道同志社・・・田井自動車・・・大穴!)と用品・工事等でも一切取引なかったの? ゲロ電、初めて知りました
鉄ピクに現車の写真が「解説付きで」載ってら (゚д゚) ゲロ電こと2300形を、更新製造した時はひょっとして既に この鉄道の将来に暗雲が立ち込めはじめていたのだろうか・・・
夕張鉄道と共に道内でも、羽振よく優秀な車を購入してきたのに・・・・
でも、将来に明るい見通しがないなら東急から更に中古車供給を受けてもよさそうだし、
(最初の3600形譲受は、東急グループ入りにあたっての、お付き合い程度ものかなと・・・)
何故にこのような、安っぽい車を作ったのだろう・・・
そもそも、ゲロ電作成時 部品供給源として絶命した在来車の車体が、更新を受けお隣の旭川市街鉄道に
出向いたりしている位だ(丈夫だという事だ・・・)。
それと単なる偶然だろうが、この時期東急車輛が 地方鉄道向けに製造した
車は、みんな 短命だ・・・栃尾・仙北・札幌市等
・・・当時は、東急車両も駆出しメーカーで条件の悪い仕事でも積極的に請け負っていたのかな?
>>34
当時経営が傾きかけていたのは確かですけどゲロ電の種車は100じゃないし
東急車輛の短命車は路線や用途が無くなっただけですがな。
東急からの出物が無くて系列の割に入っていないのは上田丸子電鉄も一緒ですしね。 定鉄が残ってたら、東急5000から7000、現在は1000に置き換えが進行中、かな、
あおりを食って長野電鉄や福島交通などの車両にも変化があったかも。
長野や豊橋には西武の中古が走ってたりして。
ターミナルの立地は悪いが、並行路線が無いから西鉄宮地岳線以上にはなってたんじゃないかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています