むかし鈍行の寝台車があってな
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門司港〜都城だっけ?
リバイバルやるんだったらそんなのもやってほしい。 カッコつけたがりのJR九州がそんな泥臭い企画やるわけがない。
末期は
ながさき、山陰、はやたま、からまつ
でok 昔大垣号という夜行寝台普通列車があってな
その列車に連結されたオシ16で売っていた
静岡県一色産天然ウナゲを使った弁当は
大変人気があったとな
ミーが言うんだから間違いない ワシは小倉から長崎まで寝台列車「ながさき」に乗った。
車掌さんがまわって来たけど乗車券、寝台券を見ないで行ってしまった。
朝起きたら列車は混んでいた。 >>82
今なら1つ1万円で売れそうな高級品だな。w
昔はビュッフェで寿司食えたし、列車内で食える物も随分劣化しちまった。、 ウナゲ弁当は時価ですた。
ウナゲ弁当は時価ですた。
ウナゲ弁当は時価ですた。
YOUの実力はそれがイッパイイッパイだろ? >>88
自分のネタ切れを他人に押し付けるなウナゲの脳味噌が γ´`ヽ
_ゝ -''` ー- _
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}::::::::::::::::...`ヽ_人,ノ{ `:::、 ノ ...;:;_) ...::ノ ソ ...::ノ
 ̄:::::::::::::::.:::::::::::::::::::..  ̄ ー- _
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::.... \ リバイバル運転が難しいと思われ。
14系寝台車を使えば可能かもしれないが普通列車に6300円のB寝台料金を足すのは現代人にとって抵抗が大きいのでは? 急行【日南】の普通列車として運行する宮崎以南は、時刻表上では寝台車を切り離した様に見えるが、実際にはそのまま西鹿児島まで直通していた時期がある。
一応回送扱いだったが宮崎以北の急行寝台券を持っていれば乗車は可能だった。
20系時代に乗車した事もあるし、旧客時代も対向の気動車急行の車内から目撃した事がある。
時刻表に載っていない寝台車の例も有った、と言う事でご参考まで。 誰だかの書いた本に、
日南のB寝台に乗っていたら宮崎から普通列車になって、
寝台車にも高校生が乗り込んできた。
浴衣姿でトイレに行こうとしたら、きゃーって言われた、
なんてのがあったな。
宮脇俊三のだったかな。 小学生のときに、朝早くに見慣れない列車が走っていた、それが普通夜行列車ながさきだった。 そうはやたまっていわれても・・・。
愛称ない時代に乗ったことあります。 小遣い貯めて乗れるようになった時期には、からまつは消え失せ
はやたま、山陰、ながさきが残るのみだった
中学卒業記念旅行に乗ったのが、ながさきスハネ16 62
次に高2夏休みに、山陰オハネフ12 2094
残るは、はやたま
できればオハネ12に乗りたかったが、受験等で乗れずじまい
でも、中2の夏休みに多気→松阪ながらはやたま崩れには乗っていたし
横川に保存されたのがオハネ12
ちょっと奇遇を感じた
ちなみに、ながさきで乗ったのが俺が最後に乗った開放下段
以後、どんなガラガラの寝台列車でも、上段か中段にしている >>97
そりゃ昭和のJKが悪いんだけどなぁ。
今だと下り「きたぐに」の末端(新津→新潟)で
起こりうるかな。
そういえば15年くらい前、鹿児島線のダイヤが乱れ
香椎に「さくら」が臨時停車して博多まで乗れたが
さすがに浴衣姿は居なかった。 >>104
東京ブルトレは、行きは夕方発、帰りは午前中遅く到着だから
さすがに、浴衣姿の乗客を外から目撃する機会は少なかったね。
ましてや、遅れているときは。
関西ブルトレは、駅で見ていると浴衣姿多かった。
帰りは、皆が起き出す頃、降りる準備を済ませておく必要がある早朝到着。
帰りに「なは」とかに乗っていると大抵、車掌が
「あと15分で博多でございます」と、起こしに来てくれた。
懐かしい。 金がないからデッキで寝てたら車掌に蹴られて起こされたな。 >>107
そりゃ本当ならむごいなぁ
鈍行じゃないけど、旧客八甲田に乗った時は車内通路まで満杯だったから、デッキで寝たよ。
三沢を過ぎてから、やっと座席に座れたなぁ〜 >>96
日南の寝台車はずっと西鹿児島まで行ってたのでは?少なくとも20系時代までは全区間連結してた。
また急行妙高も普通列車になる長野―直江津も寝台車はそのまま連結してた。
その一方で急行きそは長野で寝台車を切り離し、長野―直江津の普通列車区間は座席車だけだった。 東京からの寝台車が1両だけC58のあとに連結され、その次にオハ61系で編成を組んだ普通列車が和歌山線に走っていた。
起点は王子。朝早いので寝台車以外は客はガラガラ。和歌山付近では寝台車にも通勤客が乗ったのかもしれない。 訂正、
それほど朝は早くなかった。
和歌山付近ではすでに通勤客はいない。 >>116
>>114
昭和37年3月10日〜昭和43年9月30日
S42.9時点で
下りで和歌山市着11:44。「大和」の天王寺着9:08なので和歌山市へは
そこから阪和線に乗り換えた方がダントツに早い。
和歌山線内への便宜を図る目的だな。 >>117
大阪着の夜行から環状線天王寺乗り換え、阪和線経由の方がもっと早く着く件 地方都市(奈良・和歌山)は東京からの直通列車がほしかったのだよ。 >119
普通に大半の利用者が近鉄や阪和線使ってるのに馬鹿なやつもいたんだな。 一度10系寝台の上段に乗ってみたかったな…
冷房化後は、夏は冷凍寝台だったらしいしw 10系ハネは空調機の突起があるので、上段はかなり圧迫感があった >>123
でも中段よりまし。と思ってたのは俺だけか? 暖房使用時は下段もロクなもんじゃなかったぞ。
電暖の10系B寝台はヒーターが真ん中あたりにあって、クッションも薄いから背中がやたら熱かった。
蒸気暖房ならこれが足元に変わる。
こっちは足元にヒーターが有る20系B寝台も大差無かったが、いずれにせよ10系電暖車よりはマシだった。 >>65
列車番号ではないが、学生のころ合宿(もちろん鉄研の)に南紀に行ったとき
天王寺発の「たやたま」は「天たま」、反対方向は「亀たま」(亀山からフリー
区間だからかな)と言っていた。
新宮で寝台切り離しか。5時杉着。朝、早すぎ。 >>125
そうだね、俺は10系寝台は中段がいいかと。
冬の電暖中の下段は凄かったらしいね。
友人と2人で真冬に北陸へ行ったが、下段の友人は「暑くて死ぬかと思ったプンスカ」、暖房だなと直感してそれ以来10系下段は避ける様にしました。
後刻、(坂本衛氏の本かな?)知ったけど、10系電暖寝台は寝台列毎に電暖回路が2系統あって、
1.途中駅からの乗客が寒いと言うから電暖は切れない
2.猛烈に暑いので乗客から苦情がくると、系統AをOFFしてBをONする
3.暫くすると系統Bから(ry、で系統Aに切替
4.以降繰り返し
と、知りました。
もっとも知った時には10系寝台車は全廃してましたが。 寝台ネタでは無いのですが…。
下り『ながさき』号に乗ったとき、車内を見て回ったら長崎行きの車内はガラガラなのに、
後ろ2両の佐世保行き車内は原水力船『むつ』の過激派で満席になっていて肝を潰した事がある。
>>128
大垣夜行から鈍行乗り継ぎだと「ながさき」に余裕で乗れるからな。
おかげで公安関係者も大垣夜行には散々お世話になったと警察庁OBの書いた物にあった。 さっき椎名町で見たライオンズラッピングの電車が旧客に見えて一瞬自分が天に召されたかと思った…
いやちょうどロゴの部分が隠れててさ… >>121
鉄道が繋がっている本州と九州の県庁所在地都市の中で、
東京(上野・新宿)からの直通列車がなかったのは山口と
和歌山の2市だけ。和歌山県はその解消にこだわったが、
当時の天王寺駅は頭端式で他線への直通が不可能なため、
時間がかかっても和歌山線経由で、最後は現在廃止された
短絡線(本来の和歌山線)を使って和歌山(現紀和)へという
経緯だったはず。
天王寺の短絡線は1989年供用だから使えない。「あすか」の
ような阪和貨物線経由だと東和歌山(現和歌山)で方向転換
しないと和歌山へ入れない。ならば、湊町編成との解結と
同時に処理できる王寺で、という選択だったんじゃないか? >>132
当時すでに電車と準急・急行気動車メインで構成されてた阪和線の高速ダイヤに、
客車つっこもうとしたら、かなりメドかったんじゃないのかね。
電機にしても蒸機にしても貨物線回りでは手配や機関車交換が面倒そうだし、
C57もDF50も山中渓を越えるのは苦労するだろう。
阪和線はその生い立ちからして、今も昔も、かなり特殊な条件の路線だ。
スハネフ1両ごとき、王寺で切り離して鈍行にくっつけてC58牽引で和歌山線転がしていくのが無理ない、という判断も
それなりに妥当だと思うよ。 信じられないだろうが、鈍行の寝台車は、自由席だったからな。
寝台で寝れるか否かの賭けをもった寝台争奪戦だったな。
下段なんか狙っていたらハブられるので上中段狙いだったよ。
もっとも冬の10系寝台車は、下段はヒーターが暑くて、寝られたものでは無かったが。 >>135
え、そうなの?寝台券とか無かったの?
「はやたま」とか「ながさき」が愛称を付けられたのは、
寝台券をマルス売りする為みたいな事を聞いたことがあるのだけど、
それって予約をしていたって意味ではないの? マルスに入ってない時代の寝台車が自由席て…訳ないよ(笑)
ちゃんと地元の駅売りだったり車掌が車内で販売していたりしていたんだよ。
それをマルスに入れて全国発売するために愛称を付けたんだ。
寝台車が“自由席”だったのは、網棚を使った俗に言う“C寝台”の話じゃないのか?
真面目な話として、繁忙期に車両が足らず、寝台車を座席使用にして走らせた臨時急行はいくつかあったけどな。 寝台券の愛称欄には826列車とスタンプが押してあり
寝台も指定されている。
1枚の寝台券でおとな一人、子供一人使用可能とのことだったが
10系ハネ中段でどうすれば2人が寝られるのかわからなかった。 問題:C寝台は次のうちどれですか?
@ あみだなの上で
A 4人掛けクロスシートを1人で占領して
B 床に新聞を敷いて >>141
オハフ50のロングがC寝台で網棚は混雑時は無理、 >>141
オハフ50やオハ41のロングがC寝台で網棚とボックス占拠はDクラスだな。床に新聞は山男、洗面所に体育座りの俺は…コジキ
夜行鈍行なんて貧乏だから乗るもんだと思っていたが。
だから、寝台車を連結した奴にも何度も乗ったが、いつも自分は座席車。
そういえば、宮脇俊三も鈍行寝台を「ぜいたく寝台車」とか称した文章を書いていたっけ? 山陰には何回か乗ったけど
貧乏学生には寝台なんか縁がなかった。
旧型の寝台一回乗っとけばよかった。 山陰だけど、Bネ不連結の日があったね。
鈍行でないがきたぐにのA・Bネ不連結の日程とも近い。
捻出した寝台車は定期列車の増結にでも用いたのだろうか。 >>146
検査や修理時に代替え車がなく
欠車になったのかも? >>147
1976/11小型時刻表より
山陰は12/25〜1/1発、きたぐには12/26〜12/31の間が対象となっている。
年末輸送の只中にあって、逆にハ車をつなげたとか? 定期列車には寝台車の代わりに普通車を繋げて輸送力増強
捻出した寝台車を繋げて臨時列車増発や定期列車に増車
76年という時期だと、東北方面に使われたんじゃないかと思う すいてるこだまの3人掛けで、肘掛け上げて、横になりたいと思ったことはないかい?ノシ ■_I_■_I_■_
=<X>○
Π⌒⌒⌒Π
こんな感じで… 「山陰」の下り寝台は高校生に頃に乗った。
到着が遅いので「はやたま」と違い起きてからも旧型寝台を楽しめると思ったから。
6人区画に俺一人だったので起きてから勝手に寝台を解体して座席を堪能。
夜の白熱電球照明が良い感じで、
窓が開くのと、天井にポッコリ突き出たクーラーも印象的だった。 2歳と6歳(幼稚園年長)と10歳の時にB寝台に乗ったことがありB寝台のことはわかるのですが
A寝台が座席状態から寝台に切り替わる瞬間がわからず子供のころからの疑問でした。
今日思いついてネットで探して
とりあえず下段のメカニズムはわかったのですが
上段やカーテン・仕切りなどがどのように切り替わるのかがわかりません。
そのあたりが分かるサイトがあれば教えてください。
お願いいたします。 追加
私は1962年生まれです。
幼稚園の時まではまだ1等寝台、2等寝台の呼び名でした。
それで3回とも、B寝台は片側3人掛×2のクロスシート、
A寝台は座席状態しか見たことないのですが通路が中央で両側にクロスシートという
いわゆる普通の座席でこれが何で寝台車なのか?と思ったものでした。
続く それで先ほどこれを見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=_em7cUZ06qY
かつて見たA寝台の型が3段だったとはじめて知りました。
カーテンと梯子は分かりませんが、仕切りまでは分かりました。
そして新たな疑問が生まれました。
自分が経験したB寝台は3人×2で3段なので人数はいいのですが
当時のA寝台やつべのタイプは2×2=4人掛けですよね。
これで3段だと1人はどうなるのですか?
下段だけ2人で寝るということですか?
それともはじめから3人しか座らせないということですか? 書き忘れましたが
>>154
のB寝台は片側がシートで、片側が通路です。 >>157
昨晩はお騒がせしました。
確かに寝台車が「鈍行から特急に切り替わる」話題はありでも
「座席から寝台に切り替わる」のはスレチのようですね。
寝台について小学校のころから知識も時代認識も変わってないまま
急に疑問が呼び覚まされて書いてたもので・・
その後もサイトを漁ってだいたいわかりました。
最初にA寝台と書いたのは、開放式・中央通路式・ブルマン式寝台のことで
でもまあ当時のA寝台はこのタイプが多かったようですね。
未だにのこる疑問は
>>155の犬吠号が
座席の時は1ボックス4人掛けなのに寝台になると3段になり
1人はどこに逝ってしまうのかということだけです。 >>160
583系の話題なら583系のスレに書けばいいだろ >>160
そんなものはこの板の住人の大半には珍しくも何ともないようなことなので、わざわざ貼るには及ばない
最初は仕方ないとはいえ、スレチとわかっても、なお書き込み続ける頑迷さ
年寄りは手に負えないものだ “鈍行の寝台列車”というものとは微妙に違うが、一応「快速」も普通列車と見れば、
定期列車以外に臨時列車として走った“寝台快速列車”(寝台料金だけで乗車できる列車)もあった。
「ムーンライト八重垣」や、列車ホテルとして運転された「エキスポドリーム」「エキスポ鷲羽」
「唐津くんちトレイン」「ナインドリーム甲子園」なんかが思い出す。 タイ国鉄の旧型客車に乗ったとき、短尺レール特有の騒々しいジョイント音が延々と何時間も続いたのは印象的だったな。
当然、路盤が弱いことが災いし、今に台車が壊れてしまうほどの揺れだったそうだ。 甲子園の特別列車は毎年新聞やNHKのニュースに取り上げられてたので
記憶に残ってます。 「ムーンライト八重垣」ってこのスレの年齢層と微妙にズレるような気がするけど、
2段寝台まで進化した、鈍行寝台の最後をかざる列車・・・とも言える。 >>157
敢えてマジレスすると…
寝台使用時の583系列車は1ボックス3人で使用。上中下段。
翌朝ヒルネになったら更にD席を売る場合はあった由。
たぶんA席下段B席中段C席上段…の扱いだったのでは? >>168
ヒルネって立席特急券だから席の指定はしないでしょ さてスレッドの趣旨に合わせて寝台車付きの鈍行列車に戻ると…
乗車経験のあるのは2種。「ながさき」と「山陰」。しかしいずれも利用は座席車のみ。
とうとう寝台車は利用出来なかった。
(20系・14系・24系25型そして583系は乗車経験があるが10系寝台車及び在来型寝台車は未経験)
また、「山陰」号は出雲市〜京都間乗り通したけど(出始めの青春18のびのび切符=当時は2日券があった=使用)、
「ながさき」号は門司〜香椎間と筑前新宮(現福工大前)〜門司港間(あ?筑前新宮〜遠賀川間の利用もあった)の
途中区間のみ。もっと体験したかった…
(ナハフ1117は良く揺れた。ナハフ102002・2003はそうでもなかったが床は傷んでいた。オハ46は揺れなかった。スハフ42301は…
青塗アルミサッシのクセに車内はニス塗りそれもどす黒いこげ茶色だった。茶塗りのままのスハフ42302の方がまだ明るかった…)
四半世紀〜30年前の話。当時の若造も今やロ―トル(笑)。 ナイトドリーム甲子園ってのは駅のホームに停めっぱなしなの? >>171
そう。停めっぱなし。大阪駅に約6時間、甲子園口駅に約2時間半。 「列車ホテル」があった時は、さすがに“垂れ流し”の時代じゃないよ!
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