むかし鈍行の寝台車があってな
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>>258
またおまえかよ
しかしよくもまあそこまでくだらないこと考えつくな >>258
そうそう、まだ鈍行列車の寝台が指定制じゃなかった頃は
金を入れる前に電球の玉をひねって点くかどうか試したな。
運が良ければ、前の客のおこぼれに与ったしな。
客の中には、残った時間が悔しくて電球のカサの部分を苦労して
玉を外して持ち帰ったそうだ。
しかし、その電球は48Vなので家庭でも自動車でも使用できなくて
がっかりだったとかね。 260です、すみません つい合いの手を入れてしまいました。
しかし、寝台の枕元灯が電球式の頃は
夏休みなんかで上や隣が子供だと、スナップスイッチの
パチンパチンと言う音がうるさかったですね。
面白いんだろうが、何回も何回もパチンパチンパチンパチン… >>262-263
おいおい
もういい加減にしてくれよ >>264
まあまあ、sageておくので許してくださいませ・・・
>>263
パチンパチンワロタ >>265
いい加減な嘘書く奴を許すとか無いだろ?
sageておくので許してってのも意味分からん
書きこまなきゃいいだけだ >>266
キチガイと会話しても無駄って気付けよ・・・
【テニス/全豪オープン】錦織圭、フルセットの末に再び第6シードのツォンガを破り自身初の四大大会ベスト8!テニス男性日本史上初の全豪4勝★6
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1327323725/
そういえば、ハネ以前にはマロネロ38繋いでた夜行普通列車もあったんだっけ?
マロネロ自体が地方路線の準急行・普通列車での木造寝台車置き換え用だったという
ツーリスト寝台の旧C寝台車の場合、夏以外は寝心地はいいだろうが、昼間は座席に移らないと退屈しそうだな 停車駅は乗降のニーズだけやなくて朝刊の降ろしの
関係もあったのでは
逆に、夜行特急で寝台セットしない全座席のゆうづるや
明星ってのもあったわな
木の芽時だね。
冬の間おとなしくしてた(病気が安定してた)
基地外が騒ぎだした。(病気が増悪してきた)
精神病院は患者にネット繋げないでくれ。 >>270
深夜2時ころ敦賀駅前に新聞輸送のトラックが到着し、複数の地元販売店が
小分けした新聞を引き取っていた。
わざわざ駅前でそんな事をするのは客レきたぐにの頃の名残だろうか?
ながさき・・・
懐かしい肥前山口に住んでいましたので
佐賀市の友人宅で遅くまで遊んでいた時の帰宅便でした
寝台には乗った事が有りませんが
B寝台の明かりが羨ましかった〜
まあ、佐賀→肥前山口では寝台利用は意味が有りませんが・・・ 良いなぁ、そういう利用の仕方。
今は終電逃すと、大枚払ってタクシー乗るか、
安くするならマンキツとかだもんなぁ。 亀レスですが
>>98サン
当時大村市に親戚がいるが絶賛義務教育中の佐世保市民のあっしには憧れのままでした
線路沿いではなかったので見かけたことも無く…
>>278
あぼーん済
首都圏だとあとは上野口だけ? そういや夜行「日南」も急行になったのはかなり遅かったような。
>>279
スレの趣旨から離れるけど、近鉄名古屋線でもやってる 寝台鈍行のリバイバル運転は難しいんじゃないか?
14系のB寝台車を使えば可能だが普通運賃+6300円は鉄ヲタでも躊躇するレベル 鈍行の寝台車って、18きっぷ+寝台券で乗れたのかな。18きっぷが発売開始したときは、まだ山陰やながさきは走ってた。 >>285
はやたまもねむろもあったが青春18きっぷでは無理だ 寝台車でなければ18きっぷで乗れたんだね。10系客車乗ってみたかったな。現存数が旧客より少ない。 前から気になっていたが10系って旧客に含まれないの? 山陰に寝台車が付いてたのは新幹線接続の使命もあったからと思う。
特に上りは京都で朝一番の東京行きひかりに接続してたからな。 >>289
ワイド周遊券で「狩勝」に乗った…とあるが、いつの話だろう。
「からまつ」の走っていた時代は、昼行ならともかく、夜行の「狩勝」には自由席が連結されていなかった。
A寝台、B寝台、グリーン指定、普通指定の全車両指定席の列車だった。
だからワイド周遊券で乗るには、最低でも急行券+普通指定席券が必要になるからワイド周遊券の旨みがなく、
どうしてもという時以外は「からまつ」を使ったもんだ。
余談だが、「からまつ」が発着する釧路で接続する釧路−根室の列車(441、444列車)は、
この夜行の「狩勝」の普通指定席車両が充当され、
本州から継走されたコンテナ貨車も連結した「混合列車」としても知られた列車だった。 いい席を確保しようと早い時間から札幌で並んでる客がいましたね
小樽からくるのに >>294
想像上の懐かしの北海道旅行なんだよきっと
からまつの列車名知らなかったわけだし
からまつ廃止で代替のために夜行狩勝に自由席ついたんだよね >>293
北海道にスハネ16が保存されていますね。かなり状態良い筈。 青春18ができたころからまつってまだあったっけ…
日本国有鉄道旅客局が増収策の一環として企画し、1982年3月1日に「青春18のびのびきっぷ」として発売を開始。1983年春季発売分から現名称に改称した。
昭和57年春から設定だから、からまつはもう無かったはず
>>299
その話の発端は>>285だけど
>まだ山陰やながさきは走ってた
で、からまつは含まれてない 寝台鈍行には、18きっぷ+寝台券では乗れなかったんですね。グリーン指定券では使えないのと同じ考え方なのかな。 >>301
昔は特別車両は一切不可だったからな
普通車だけ グリーン車乗れるようになったのは結構最近なんだよね。 青春18で指定券が併用できるようになったのと、普通列車のグリーン自由に乗れるようになったのはいつだったっけ >>304
指定券併用可は最初から
グリーンは2004年の冬期から
だったと思う 共産党北海道比例区の はたやま和也
が
はやたま に見えて困る >>308
そりゃまあ、重なって使えば幅は一人分だもんな。 なぜか白糠線の国鉄バスを往復したあと白糠から小樽まで「からまつ」に乗った
スハネ16だったんだろうか
薄暗くなった鄙びたホームにDD51が寝台車付きで威風堂々と入ってくる
ああ、これで1週間ぶりに横になって都会までいけるのか
う〜ん贅沢すぎる、極楽だ
上段に登って巨大クーラーに圧倒されつつも冷房の効きと上段特有の揺れが
心地よく小樽までスコッと寝てしまった もったいない >>311
からまつの寝台も何度か利用したけど
座席車両も含めて冷房つきの車両には当たった事なかったです。 10系寝台って、最後は夜行鈍行にしか使われてなかったのかな?JRには引き継がれなかったよね。 >>311
上段、嫌いじゃなかったな
隔離されてるようで荷物も置けたし
昔のことだなあ >>317
9月の「ながさき」だったけれど気にならなかったなあ
おととしの11月、「きたぐに」下段はやや暑かった記憶あり はやたま無き後に12系の夜行に乗ったけど、運転士がものすごいヘタクソで、
発車の度に物凄い振動があり眠れなかった。
もうそれが途中から、発車の度にまた振動が来る、と恐怖に変わって行った。 >>318
ナハネ10登場時は、イネ・ロネは戦前の車両が残っていたけどハネは戦時中に全廃されており、
庶民向けの寝台車がなかったという事情があった。
そのため、横になれると言うだけで当時は十分高級だった。
だから完全新造のナハネ10、11だけでは足りずに旧客の足回りを流用した
オハネ17も作られた。(数は後者の方が多くなったんだが) >>313,314
急行の10系寝台車の運用が終了したのは昭和58年6月。(最後は「まりも」)
「きそ」は前年11月に14系化されている。
10系寝台車の運用が終了したのは昭和60年3月のダイヤ改正の「山陰」の廃止をもって。
JRに引き継がれた10系客車は事業用車代わりのナハフ11が2両だけ。(尾久配置だった) >>324
ああ、天井からシャワーが降ってくるやつなww 自由席寝台車には、さすがに温水暖房は無かったな
あの温水式暖房のお湯(水)は再循環されてたのかね? 「きそ」は57年11月改正で、寝台無しの12系座席車オンリーに変わったんじゃなかったかな?
寝台使用で、という話なら>>314さんの、最後まで10系寝台使用で、合ってると思います。 10系寝台車、乗ってみたかったな。横川にあるのか最後の生き残りかと思ったら、新潟の守門村という所にもあるようですね。 >>330
ttp://seichiro0.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2012/07/14/tou1q3.jpg >>329
事実関係はあってても
>>313へのレスとしてはズレてるんだけどな 高校生のころ「山陰」に乗りに行ったが
昼間に乗りまくった旧型客車のほうが印象強い >>339
荷棚はD寝台、背骨が痛くなるから「ホネ」と何かにかいてあったな…落ちるなよ… A寝台=ロネ、B=ハネから推測すると
C=ニネ、D=ホネ じゃね? 大阪〜青森の長距離鈍行は2夜行する奴あったな
現代の水準だと拷問に近いが 10系客車は最初冷房が無かったので夏は暑苦しかったのでは?
鋼板が薄く断熱もいい加減だったような気がする 山陰なんて乗ってみたかった。あの時代に5000円は捻出出来なかった。当時小6 昭和50年代だと3500円くらいじゃなかった? B寝台って。
どっちにしろ、そんな料金払わなくても「はやたま」とか田辺過ぎた頃には
ボックス2人分くらいは占領でけた。 「な」で始まる夜行列車が早岐・長与経由で時間稼ぎ。 「な」は荷物や郵便輸送の役割もあったからっつぅのもあるんでないの? 関係ないがよく長与経由の線路は無くさなかったな。不思議。 >>357
まあ、長与までは沿線に団地もあって旅客需要が結構あるから。
あと、新線区間の途中駅は肥前古賀駅を除いて実質信号所で、
開業当時はほとんど乗降客がなかったと言うのもある。
(当初は普通列車の設定も少なかったし) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています