むかし鈍行の寝台車があってな
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急行から普通に変わる寝台車なら十数年前に乗ったことあるなー。
大阪〜出雲市だったっけな。 究極の破格の安さ!詐欺か!?と疑いたくなる安さ
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http://blog.goo.ne.jp/kototo_001_may/ 普通列車の寝台って発車するごとに衝撃で起こされそうな感じがする。
それと置き引きに遭ったら最後。 おきびき(隠岐+くにびき、じゃないよ)は普通列車の寝台車
固有の問題ではないのでは?
俺はカネと切符は枕カバーの中に入れて寝てた。 >>22
特急から寝台付で普通列車にかわる列車もあってだな
>>27
・南海サハ4801
難波→(特急)→和歌山市→(鈍行)→新宮
・国鉄ハネ
天王寺→新宮 なるほどな。
寝台特急が途中から普通列車になる話だったんだけどな。 >>30
普通から寝台特急に変わったのはなかったと思うがな…。
寝台特急から普通に変わったものは、一時期車両基地までの回送を客扱いした「出雲3号」の
出雲市−知井宮というのがあったが。
東京駅で発車案内や車両のサボに表示された「知井宮」というのには、違和感あったけどね。 普通から寝台特急に変えると
通学学生が食い散らかしたマクドのゴミのあとに寝ることになる >>30
オマイはいつも「あったはず」で実例示した験しが無ぇな
妄言乙 >>35
今の西出雲が元は知井宮(ちいみや)だった。 たしかに24系の方向幕には
知井宮ってあったよ。
都城の次に出てくる >>37
シャワースレで負けたのがよっぽど悔しかったんだな。
出雲3号は14系。 たしかに14系の方向幕には
知井宮ってあったよ。
佐世保の次に出てくる
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特急、急行用の寝台車ならまずまずだったとは思うが普通用寝台車はどうだったんだろうね 山陰とかの寝台車の寝台料金は急行・特急と同じ?浴衣とかも付いてた?冷暖房は?車掌室は付随してたのかな?無人ローカル駅とかでも寝台車のドアは開いた?
十年早く産まれていれば乗りに行ったがな。
リアル乗車してないと分からない事ばかりだな >>46
寝台料金は特急急行の3段式B寝台と同じ。
浴衣は付いてなかったんじゃないのかな。
冷暖房は完備(晩年の10系寝台の場合)。
ドアはもちろん開く。ついでに窓も開く。 >>47
サンクス。
今の列車で一番イメージが近いのは「きたぐに」の三段寝台なのかな。新潟行きの末端は快速に変わるし。 客車三段寝台には当初は浴衣はありませんでしたが、後に標準装備になりました。
ただ、ここに出てくる鈍行に連結されていた寝台車に装備されたかは調べてみないとわかりません。
ただ、自分が利用した時には浴衣はありませんでした。
小樽−釧路を走っていた「からまつ」には寝台車が2両ついていました。
うち1両の営業は小樽−池田になっていました。
しかし、車両は池田−釧路は締切扱いになっただけで、分割併合はありませんでした。
十勝地方の利用者と釧路地方の利用者を分ける目的もあったでしょうが、実際はホームが短く、
客扱い上問題があったからです。
ただ、釧路方面には寝台車主体の「狩勝」が時間帯も良く設定されていたので、
寝台車自体は回送列車みたいなものでした。
実際に何回か利用した時にも、ほとんど乗客は乗ってなくて、車内放送も必要ない駅ではカットされていたので、
人気がなく、不気味に静かだったのを覚えています。
寝台車が2両ついていた普通寝台列車は、他には「はやたま」がシーズンを中心につけられていました。
こちらは、大半が釣り客の利用者で賑わっていましたね。 「からまつ 寝台」でググッてみた・・・
ttp://www.karamatsu-train.co.jp/kiroku/kiroku.htm 826レに出雲市から京都まで乗った時は、長方形の列車番号が書かれた
寝台券だったな。
浴衣はなく子供2人なら1枚の寝台券で1つの寝台を利用できるとのこと
だったが、どうやっても52cm幅の10系ハネに子供2人で寝ることが
できなかった。
鈍行の割には各駅の車内放送はなかった気がする。
寝台だけ放送カットできたのかな。 急行でも寝台車と座席車が混ざる編成では寝台車の放送は、
一斉放送と座席車両のみの放送とに分けて放送できるようになっていた。
寝台車連結の普通列車は、始発駅付近では通勤輸送の使命も担っていたから、
当然各駅ごとに放送をする必要があるが、寝台車の乗客には不要であるから、
そのための選択スイッチは備わっていた。
今でも「はまなす」「きたぐに」などでは、そういう機能は使われているはずです。 >>50
結局、宣伝部長乙!
でも知らんかったから、今度のぞいてみるわ!
でも「高杉やろ!」とか言いながら何も買わずに出てきそうw >>51
夜行列車は基本的に車内放送省略だろ。
それに昼行客レ普通列車でも主要駅到着前と発車後くらいしか放送ないことは多い。 昼行鈍行でも確かに放送は適当にはしょっていたね。
大きな駅を発車した時にこれからの停車駅を告げて、あとは交換待ちでもなければ省略。
そして大きな駅になると、例のオルゴールと共に放送が始まる…って感じだった。
夜行だと、夜明け後の大きな駅が近付いた時の“おはよう放送”のオルゴールが、
まさに一夜の終わりを告げたものだったね。 廃止直前の清水港線の放送はすげーウザかった。
いちいち可動橋の説明しなくてもいいよって感じ。
静鉄局にしてみれば、サービスなんだろうけど・・・・。
スレチすまん。 53-10あたりだと、からまつ、山陰、はやたま(旧:南紀)、ながさきの4つ
マルス対応前は列車番号で呼んでなかったかい?
懐かしの10系寝台、当時はまだ旧客急行もあったけど、
急行の末端普通は別だよ。 愛称の付いていない時代にはスハネ30が連結されていたものもあったね。
まだ現役で走っていた時代だったけど、乗る機会がないまま終わってしまった。
いかにも旧態のスタイルは、今なら大騒ぎだろうけど、当時はやっぱり同じ寝台料金払うなら、
新しい車両に乗りたかったからね。
10系寝台車の良かったのは窓が開くこと。
朝起きて、通路側の窓を下ろせば、もたれ掛かるには丁度いい所で止まって、
爽やかな朝の空気を受けるのが良かったね。 10系寝台良かったねえ。
窓が開く。読書灯が蛍光灯じゃない。ドアも手動。ユカタなんかねえ。
「ながさき」に乗った時はまだ子供だったが、乗っておいてよかった。
車掌に「オルゴール好きです」って言ったら、浦上到着前に2回鳴らしてくれたな。
>オルゴール2回鳴らしてくれた
そういう小さな気遣いこそ、真のファンサービスではないかと思う。良い時代であった。 わずか1年間だけ設定され
短命に終わった
寝台車連結の普通列車だ
-64.10 寝台車なし
65.10- 急行列車に格上げ 亀山から「はやたま」に乗った時、乗務員から
「自分たちは『はやたま』を、921列車だから『クニイチ』と呼んでる」
って話を聞いた。
「南紀」と呼べなくなったからだったのかな。
天王寺発は何て呼んでたんだろう。
肥薩線・山陽線・東海道線・磐越西線・池北線・名寄線にも
寝台車連結した普通列車がありましたね
懐かしいですな 父が若い頃、ナハネ10(オハネ12)を出張で時々使っていたみたいです。
私には直接の覚えがないのですが、急行夕月でスハネ16に乗った筈です。
オロネ10は別格。2度だけ乗ったのを良く覚えています。
ナハネ20は子どもには長距離でも十分使えました。
今ならあの幅の3段は遠慮します。
ナハネ10で夏の鈍行の夜を悩まされた父は、寝台車には郷愁とともに怨みを
持っているようですw
富士ぶさの廃止記念に、下りぶさ上り富士に由布院温泉を挟んで乗せてみま
したが、個室A寝台にもかかわらず、あまりご機嫌はよくありませんでした。
サンライズのAかカシオペアなら旧寝台の怨みを晴らしてもらえたかもしれま
せん。ちょっと残念でしたw
小学生のとき阪和線の沿線に住んでいたが、はやたまの存在は知っていた。
ガキだからそんな遅い時間に天王寺の駅とかにいれなかった。
一度実物を見ておきたかったなあ。
大学生ぐらいになると、そのあとの新宮夜行(165系)に何度も乗ったよ。 >>72
「はやたま」の愛称がつく前は、列車番号だけの天王寺―名古屋夜行普通列車があり、
私の知っている時代はED60が阪和線内を牽引していました。
寝台車・合造車・座席車に冬は暖房車と、バラエティーに富んだ編成でした。 門司港〜都城だっけ?
リバイバルやるんだったらそんなのもやってほしい。 カッコつけたがりのJR九州がそんな泥臭い企画やるわけがない。
末期は
ながさき、山陰、はやたま、からまつ
でok 昔大垣号という夜行寝台普通列車があってな
その列車に連結されたオシ16で売っていた
静岡県一色産天然ウナゲを使った弁当は
大変人気があったとな
ミーが言うんだから間違いない ワシは小倉から長崎まで寝台列車「ながさき」に乗った。
車掌さんがまわって来たけど乗車券、寝台券を見ないで行ってしまった。
朝起きたら列車は混んでいた。 >>82
今なら1つ1万円で売れそうな高級品だな。w
昔はビュッフェで寿司食えたし、列車内で食える物も随分劣化しちまった。、 ウナゲ弁当は時価ですた。
ウナゲ弁当は時価ですた。
ウナゲ弁当は時価ですた。
YOUの実力はそれがイッパイイッパイだろ? >>88
自分のネタ切れを他人に押し付けるなウナゲの脳味噌が γ´`ヽ
_ゝ -''` ー- _
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}::::::::::::::::...`ヽ_人,ノ{ `:::、 ノ ...;:;_) ...::ノ ソ ...::ノ
 ̄:::::::::::::::.:::::::::::::::::::..  ̄ ー- _
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::.... \ リバイバル運転が難しいと思われ。
14系寝台車を使えば可能かもしれないが普通列車に6300円のB寝台料金を足すのは現代人にとって抵抗が大きいのでは? 急行【日南】の普通列車として運行する宮崎以南は、時刻表上では寝台車を切り離した様に見えるが、実際にはそのまま西鹿児島まで直通していた時期がある。
一応回送扱いだったが宮崎以北の急行寝台券を持っていれば乗車は可能だった。
20系時代に乗車した事もあるし、旧客時代も対向の気動車急行の車内から目撃した事がある。
時刻表に載っていない寝台車の例も有った、と言う事でご参考まで。 誰だかの書いた本に、
日南のB寝台に乗っていたら宮崎から普通列車になって、
寝台車にも高校生が乗り込んできた。
浴衣姿でトイレに行こうとしたら、きゃーって言われた、
なんてのがあったな。
宮脇俊三のだったかな。 小学生のときに、朝早くに見慣れない列車が走っていた、それが普通夜行列車ながさきだった。 そうはやたまっていわれても・・・。
愛称ない時代に乗ったことあります。 小遣い貯めて乗れるようになった時期には、からまつは消え失せ
はやたま、山陰、ながさきが残るのみだった
中学卒業記念旅行に乗ったのが、ながさきスハネ16 62
次に高2夏休みに、山陰オハネフ12 2094
残るは、はやたま
できればオハネ12に乗りたかったが、受験等で乗れずじまい
でも、中2の夏休みに多気→松阪ながらはやたま崩れには乗っていたし
横川に保存されたのがオハネ12
ちょっと奇遇を感じた
ちなみに、ながさきで乗ったのが俺が最後に乗った開放下段
以後、どんなガラガラの寝台列車でも、上段か中段にしている >>97
そりゃ昭和のJKが悪いんだけどなぁ。
今だと下り「きたぐに」の末端(新津→新潟)で
起こりうるかな。
そういえば15年くらい前、鹿児島線のダイヤが乱れ
香椎に「さくら」が臨時停車して博多まで乗れたが
さすがに浴衣姿は居なかった。 >>104
東京ブルトレは、行きは夕方発、帰りは午前中遅く到着だから
さすがに、浴衣姿の乗客を外から目撃する機会は少なかったね。
ましてや、遅れているときは。
関西ブルトレは、駅で見ていると浴衣姿多かった。
帰りは、皆が起き出す頃、降りる準備を済ませておく必要がある早朝到着。
帰りに「なは」とかに乗っていると大抵、車掌が
「あと15分で博多でございます」と、起こしに来てくれた。
懐かしい。 金がないからデッキで寝てたら車掌に蹴られて起こされたな。 >>107
そりゃ本当ならむごいなぁ
鈍行じゃないけど、旧客八甲田に乗った時は車内通路まで満杯だったから、デッキで寝たよ。
三沢を過ぎてから、やっと座席に座れたなぁ〜 >>96
日南の寝台車はずっと西鹿児島まで行ってたのでは?少なくとも20系時代までは全区間連結してた。
また急行妙高も普通列車になる長野―直江津も寝台車はそのまま連結してた。
その一方で急行きそは長野で寝台車を切り離し、長野―直江津の普通列車区間は座席車だけだった。 東京からの寝台車が1両だけC58のあとに連結され、その次にオハ61系で編成を組んだ普通列車が和歌山線に走っていた。
起点は王子。朝早いので寝台車以外は客はガラガラ。和歌山付近では寝台車にも通勤客が乗ったのかもしれない。 訂正、
それほど朝は早くなかった。
和歌山付近ではすでに通勤客はいない。 >>116
>>114
昭和37年3月10日〜昭和43年9月30日
S42.9時点で
下りで和歌山市着11:44。「大和」の天王寺着9:08なので和歌山市へは
そこから阪和線に乗り換えた方がダントツに早い。
和歌山線内への便宜を図る目的だな。 >>117
大阪着の夜行から環状線天王寺乗り換え、阪和線経由の方がもっと早く着く件 地方都市(奈良・和歌山)は東京からの直通列車がほしかったのだよ。 >119
普通に大半の利用者が近鉄や阪和線使ってるのに馬鹿なやつもいたんだな。 一度10系寝台の上段に乗ってみたかったな…
冷房化後は、夏は冷凍寝台だったらしいしw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています