むかし鈍行の寝台車があってな
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「からまつ」の寝台車に乗って釧路まで行った時、朝になってふと気がついたら、
寝台車に自分以外誰も残っていない!
列車は池田を出て朝もやの中をトコトコ走っては停まり、走っては停まりしているが、
何の車内放送もないし、車掌さんも回って来ない!
札幌を発車した時はそれなりに乗客はいたはずだが、池田まででみんな降りてしまったようだ。
人気がなく、列車の走行する音だけの釧路までの時間が長く感じたもんだよ。 >>192
・廊下を歩く人のコツコツ音が気になって仕方なかった
・頻繁にいる通路を歩く人の股より下に頭があると考えると嫌だった
・今まで座っていた所に階段も使わずに寝るのは変化に乏しく、単純につまらなかった
その後、山陰で初めて上段寝台を利用し
・寝台車で「寝る」に関して、下段に比べ圧倒的な安心感
・下段に比べ静か
・枕元に荷物置き場のある安心感
・階段の昇降がある事による「寝る」に関するメリハリ
もう、下段なんて利用したく無い ながさきでスハネ16 62に乗り
山陰でオハネフ12 2094に乗車
残るはオハネ12だが
はやたま乗車も、再度のながさき乗車も果たせずに消えた
ところが
横川でながさきに使われていたオハネ12 29が保存
列車としては無理だったが、曲がりなりにも念願(?)は果たせた
はやたまは乗車できなかったが、はやたま崩れには多気→松阪で乗車した
車番は失念したが、茶色いオハフ33
実質的保存車を除き、俺の唯一の茶色い旧客乗車
からまつは全く縁が無かった >>187
826レ(山陰なんて愛称がない頃)のB寝に乗ったが
寝台は当然指定。
恥ずかしい書き込みはやめよう。
>>197
> 普通列車の寝台が指定席になったのは国鉄末期の数年だけだったしね。 南紀とか山陰とかいった愛称が付く前は
第▽◇△列車寝台券という形で、地元程度でしか寝台券は買えなかったらしい
全国から買えるよう
マルスに入れるために愛称が付けられた
という訳で
普通列車の寝台車も指定だった訳で
自由席では無く>>187>>198はガセ >>201
間違った事を書くのが問題じゃないかと。 >>202
心病んでるからしかたない。
同一人物かどうかわからないが、東北スレで急行同士の待避(一方は通過)で
車掌が急ぐ客に先発列車への乗り換えを案内したと書いてるやつがいた。
車掌が飛び込み奨めるわけないのに。
でも普通に考えたら、寝台の自由席なんかありえない。
途中から乗った人は、空席見つけるの大変だよ。 >>201
放っておくと>>198のように引用されて
まるで事実かのように一人歩きされても困るからね マルスにはいっていない指定は枠付マークだったね。
定期列車で枠付指定の最後は上り急行「ときわ」の普通列車区間の平〜水戸間だったかなー。 >>205
懐かしいですね。
今から35年ぐらい前になりますが、
その列車(ときわ4号だったかな?)に関することを雑誌に投稿したことがあります。
(雑誌の方は、水戸鉄道管理局からの回答で、水戸での停車時間が短いから、平より指定席として営業している。と掲載)
平から乗車したのですが、水戸から座席指定となる1号車、外見は車体に指定席のサボが差し込まれていて、デッキから車内にあるドアにも指定席の表示、車内に入ると、車掌さんが1人ぽつんと座席に座っており、開口一番
車掌さん
”お客さん、水戸より先まで行くんですか?この車は座席指定なんですが”
私
えっ!水戸までですが、時刻表には水戸までの普通列車として運転する区間に指定席のマークがついていませんでしたけど?
車掌さん
それでも指定なんですよ。 私
普通列車として運転されている水戸までの乗車はできないのか?
車掌さん
お客さんには悪いんですが、
この車(1号車)は水戸より先まで行く(乗り通す旅客であって、水戸より先の急行券を含む指定席券が必要。ただし、座席の指定は普通列車区間からの乗車であっても、乗車駅から指定する。加えて、普通列車として運転する区間のみの指定席券は販売しない。)
お客さん専用の車で、それ以外のお客さんは利用できないんですよ。済みませんが・・・。
と、まぁ、こんな感じでしたね。 そこで可笑しいと思い、後日、雑誌に投稿するとともに、
自分からも当時、国鉄本社に問い合わせました。
(問い合わせ内容は、Q1.この列車には、時刻表で普通列車として運転する区間に普通車の座席指定表示がないにもかかわらず、
現実には、水戸よりも先まで乗車する旅客専用の指定席として営業されており、
当該区間のみの利用をする旅客を締め出すのは可笑しい。
Q2.このままの状態で営業するならば、普通列車として運転される区間のみの乗車(指定席券が必要)を認めた上で、時刻表にもその旨表示してほしい。)
国鉄本社からの回答はすぐにありました。
回答内容は、
A1.水戸駅での停車時間が僅かであるため自由席とした場合、利用するお客様が混乱を起こす恐れがあるために、始発駅から座席指定車で運用しています。
A2.時刻表への表示はすぐにさせていただきます。
このような内容で、問い合わせから2ヶ月後の時刻表より、平〜水戸間についても普通車の指定席が連結されている旨表示されるようになりました。(記憶ですと、表示されるようになってから、その後、1年ぐらいでこの列車は無くなりましたね。) >>207-208
俺だと、説明を受けた段階で「あ、そっか。なるほどしゃーない」となるかなぁ。 昔はあちこち乗り鉄をしていた経験から書くが、急行で発車した列車が末端区間で快速や普通に変わる場合、
時刻表上では快速や普通区間に指定席表示がなくなっても、マルスでは終着駅まで指定券が出せるケースが多かった。
例えば、急行「はるな」は末端区間の前橋→小山は快速になったが、指定券は上野→小山で発券できた。
時刻表上では快速区間は全車両自由席で、実際もそのように運用されていた。
しかし、逆の場合は指定券は急行列車となる前橋→上野でしか発券出来なかった。
このような扱いが全国でも一般的だったが、全てがそうだともいう訳でなかったので、
どういう基準なのかは定かではないが。
なお、始発の快速や普通区間から指定席が生きている場合には、時刻表上にもマークが表記されていたし、
扱いもそうなっていた。 囲みが付いた指定席を連結した列車だけれど、
165系を使用した列車で、普通車自由席、指定席、※グリーン車指定席を連結した、
夏季の臨時快速くじらなみ号の指定券は乗車日前日までの販売で、
乗車日当日の駅での販売はしなかったね。
※当時、普通列車や快速列車のグリーン車指定席に乗車する場合は、
普通列車用グリーン券の他に指定席券が必要だった。
つまり、グリーン車指定席を利用する場合、
乗車距離によっては、急行や特急のグリーン券より高額だった。 国鉄時代に、両毛線から直通して
小山から上野行き急行になる普通電車に乗ったが、
時刻表にはグリーン車に関する記載が無かったので
グリーン車に座ったら、車掌に追い出された。 天王寺から新宮までの寝台車ありましたね。
別名を釣り列車だそうで、寝台に乗る乗客の全てと言って良いのが釣り客。
寝台車の中で仕掛けをチェックするのが常識だったとか聞きますがどうなんでしょ? 仕掛けをチェックする・・・中段の仕切り壁の上げ下げ うちの親父も常連でしたが、仕掛けの準備は家を出る前にやっておき、車内では
早朝からの釣りに備えて寝ていたと聞きました。
片道は普通列車で、帰りは「くろしお」や「きのくに」というのが、いつものパターン
でした。 >>210
多かったというかそれが基本。指定券の着駅が旅客の下車駅でないと混乱するからな
今でも下りきたぐにがそうだろ。当然亀田や新潟まで買える 「きたぐに」は寝台・グリーン車は新潟までが「指定」だから買えるのは当然。
座席解放はもともと自由席の部分だからこの主旨とは違う。 >>219
時刻表を見てから言いましょうね。スレの趣旨がどうとかじゃなくて俺は>>210のレス内容に対して返してるの。
新津→新潟だけの寝台券やG券は買えませんので。 よくよく読み返したら「普通車指定席」の話だったな。
その点のみたしかに趣旨に反してるから謝る。 無指定の寝台なんか寡聞にして聞いたことがない
現在にでも過去にでも本当に実在したなら、ぜひ詳しいお話を伺わせていただきたい もしかして、夜行普通列車の通称C寝台を
勘違いしてるんじゃね? >>187
>普通列車の寝台が指定席になったのは国鉄末期の数年だけだったしね。
どうしても意味がわからん。
「自由席寝台券」 みたいな切符があって、寝台券を購入して乗車しても
満席だと利用できなかったのか?
また、途中で「ここで下車するんですか?」 なんて聞いて
若い女性が「ええ、この駅で降りますわ」 なんて答えたら
まだ体の温もりが残る寝具や毛布を、そのまま利用出来たんですかねぇ。 >>227
多分、昭和51年3月に普通列車の寝台をマルスに組み込む為に愛称を付けたのを間違って解釈してるんだろうな
それでも「国鉄末期の数年だけ」はおかしいけど
しかし、寝台の割り当てをどうしていたかっていうのは歴史的によく分からんね
特急の場合は最初から全車指定だったけど
急行以下で座席指定って戦後になってからだよね?
寝台も最初は座席指定と言うか寝台を指定して発行してないんじゃないか?
定員分販売して車内で寝台を割り当てだったと推測してるんだけど
どうなんだろう? マルス以前の、昭和30年頃の指定席管理は、対象列車の始発駅の
管理局で簿冊による閲覧書き込みじゃなかったかな?
東北本線の上野→釧路の指定券だと、「東京鉄道管理局」と「青函(船)鉄道管理局」
この上りだと「釧路鉄道管理局」と「盛岡鉄道管理局」
だから愛称の無い、同じ列車番号でも管理局が違うから発券できてたんだと思うな。 >>228
深夜の普通寝台列車
温もりのある寝床
訳ありそうな女が峠の駅で暗いホームへ一人列車を降りる
改札の向こうは未明の夜道
吹雪が舞っている・・・
寝台列車では先程まで女の寝ていた寝台の取り合いで色餓鬼共が争奪戦w >>230
そして彼女に>>1ことシマウイビール小僧上永谷ボボの魔の手が… >>222
高木ブーの持ちネタだな。
そういやドリフのコントで寝台列車の車内のセットを見ると、
プルマン式の2段寝台が多かったな。
コントのやりやすさから言って開放A寝台車がちょうどよかったんだろう。 昼ネは別として 一晩で同一の寝台を区間の違う別の客に売ることあったの? >>228
マルス導入以前の指定席の発売の様子、プロジェクトXで見たことない?
「100万座席への苦闘 みどりの窓口・世界初鉄道システム」としてDVD化されてる >>206
実はあのときの旅鉄の記事をみて平〜水戸間の指定席券が買えるかと思って
平駅で「前売り」を頼んだら,最初は助役らしき人呼んでその人がどこかに電話して
あれやこれやででてきた券はオレンジ地の補充券で1号車1番A席。
あとで聞いた話によると始発駅ではなく車掌区管理だったみたい。
でも本当に水戸からマルス券買って利用する人がいたらかえって混乱しただろう。 鈍行夜行の山陰とか長崎にのったことある人いる?
ほぼ各駅停車だから、しょっちゅう加減速して寝にくいように思うけど、
実際のとこはどうだったんだろ。 ながさきは二度ほど乗ったかな。確かに寝にくかったよ。
まあ寝台車なんて眠るもんじゃない、座るよりマシくらいに思ってた方がいい。
といいつついびきをかいて熟睡している人がうらやましいけどな。 >>240
サンクスコ。
時刻表で鈍行寝台を見つけて、「大きくなったら乗りに行ってみるんだ」、
なんて思っていたら、一人旅が出来る頃には廃止www
ちまちま停まられると、やっぱ寝づらいもんだったのね。
昔は寝台でも熟睡できたけど、最近はどうにも寝付けなくてね。
年だな。
>>242
交通公社時刻表1980年1月号
門司港2242発421レ「ながさき」
通過駅は新中原、水巻、東福間、箱崎、白木原、水城、田代、肥前麓、伊賀屋、東園、本川内のみ。
ほとんど全ての駅に容赦なく停車してるw
しかしこの頃は長崎本線の普通列車にグリーン車が付いてたんだなあ( ゚д゚)ポカーン >>243
急行の間合い運用だな。>長崎本線の普通列車にグリーン車
そのころは全国的にけっこう多かったよね。
G車扱いせず普通車扱いで開放だったところも多いけど。 > ほとんど全ての駅に容赦なく停車してるw
終発乗り遅れの救済じゃなかろうか。新幹線もよく遅れたし。
夜行急行でも臨時停車・急行券不要になるケースがあった。 山陰には乗りましたが、結構熟睡した記憶があります。廃止前年でしたが、夏休みでもあって
満員でした。
寝台灯として使われていた、小さな白熱灯のやわらかな明かりが、今は懐かしいです。 山陰の826レ寝台車に乗った際、大駅以外車内放送がなかった気がする。
38年前なので記憶があいまいだ。 夜行列車の寝台車は深夜は原則として車内放送は休止していた。
もっとも、山陰の鈍行列車は、大きな駅以外は車内放送を省いていたことが多かった。 からまつにはよく乗った。
帯広から広尾線に乗り換えるのに時間が良かった。 山陰に何回か乗ったけど
寝台なんかに乗れる身分じゃなかった。 昔の鈍行寝台には賄いが付いていて
朝になるとおにぎりと味噌汁を配ってくれたな
鈍行寝台の醍醐味だった >>252
何しろまだ鈍行寝台が指定制になる前の話だから
この賄い(急行ではボーイと言われた)のじいさんと懇意になっていると
多客期でもどうしてか寝台が取れたもんだよ
じいさんは鰤が好物だったので、氷見の寒鰤を自宅で押し寿司にして差し入れたものさ
もうだいぶん昔の話だけんどな・・・ >>253
はいはい
いい加減嘘八百並べるのは止めにしようね
迷惑だからさ >>243
長崎編成も早岐から大村線・長与経由だった。なかなか寝つけなかったが、目覚めると大村湾にそってのんびり走ってた。
本川内に停まるためにはスイッチバックが必要ということも車窓から確かめた。 >>249
あれは広尾線組と士幌線組に分かれたんだよな。 鈍行列車に連結される様になった頃の10系寝台車の枕元灯は100円コインで3時間点灯だったな
スイッチを消しただけだと消灯していても3時間で点灯しなくなるから、旅慣れた人は電球を外していたね
これだとタイマーが作動しないから、まるまる3時間寝台灯が利用できたな >>258
またおまえかよ
しかしよくもまあそこまでくだらないこと考えつくな >>258
そうそう、まだ鈍行列車の寝台が指定制じゃなかった頃は
金を入れる前に電球の玉をひねって点くかどうか試したな。
運が良ければ、前の客のおこぼれに与ったしな。
客の中には、残った時間が悔しくて電球のカサの部分を苦労して
玉を外して持ち帰ったそうだ。
しかし、その電球は48Vなので家庭でも自動車でも使用できなくて
がっかりだったとかね。 260です、すみません つい合いの手を入れてしまいました。
しかし、寝台の枕元灯が電球式の頃は
夏休みなんかで上や隣が子供だと、スナップスイッチの
パチンパチンと言う音がうるさかったですね。
面白いんだろうが、何回も何回もパチンパチンパチンパチン… >>262-263
おいおい
もういい加減にしてくれよ >>264
まあまあ、sageておくので許してくださいませ・・・
>>263
パチンパチンワロタ >>265
いい加減な嘘書く奴を許すとか無いだろ?
sageておくので許してってのも意味分からん
書きこまなきゃいいだけだ >>266
キチガイと会話しても無駄って気付けよ・・・
【テニス/全豪オープン】錦織圭、フルセットの末に再び第6シードのツォンガを破り自身初の四大大会ベスト8!テニス男性日本史上初の全豪4勝★6
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1327323725/
そういえば、ハネ以前にはマロネロ38繋いでた夜行普通列車もあったんだっけ?
マロネロ自体が地方路線の準急行・普通列車での木造寝台車置き換え用だったという
ツーリスト寝台の旧C寝台車の場合、夏以外は寝心地はいいだろうが、昼間は座席に移らないと退屈しそうだな 停車駅は乗降のニーズだけやなくて朝刊の降ろしの
関係もあったのでは
逆に、夜行特急で寝台セットしない全座席のゆうづるや
明星ってのもあったわな
木の芽時だね。
冬の間おとなしくしてた(病気が安定してた)
基地外が騒ぎだした。(病気が増悪してきた)
精神病院は患者にネット繋げないでくれ。 >>270
深夜2時ころ敦賀駅前に新聞輸送のトラックが到着し、複数の地元販売店が
小分けした新聞を引き取っていた。
わざわざ駅前でそんな事をするのは客レきたぐにの頃の名残だろうか?
ながさき・・・
懐かしい肥前山口に住んでいましたので
佐賀市の友人宅で遅くまで遊んでいた時の帰宅便でした
寝台には乗った事が有りませんが
B寝台の明かりが羨ましかった〜
まあ、佐賀→肥前山口では寝台利用は意味が有りませんが・・・ 良いなぁ、そういう利用の仕方。
今は終電逃すと、大枚払ってタクシー乗るか、
安くするならマンキツとかだもんなぁ。 亀レスですが
>>98サン
当時大村市に親戚がいるが絶賛義務教育中の佐世保市民のあっしには憧れのままでした
線路沿いではなかったので見かけたことも無く…
>>278
あぼーん済
首都圏だとあとは上野口だけ? そういや夜行「日南」も急行になったのはかなり遅かったような。
>>279
スレの趣旨から離れるけど、近鉄名古屋線でもやってる 寝台鈍行のリバイバル運転は難しいんじゃないか?
14系のB寝台車を使えば可能だが普通運賃+6300円は鉄ヲタでも躊躇するレベル 鈍行の寝台車って、18きっぷ+寝台券で乗れたのかな。18きっぷが発売開始したときは、まだ山陰やながさきは走ってた。 >>285
はやたまもねむろもあったが青春18きっぷでは無理だ 寝台車でなければ18きっぷで乗れたんだね。10系客車乗ってみたかったな。現存数が旧客より少ない。 前から気になっていたが10系って旧客に含まれないの? 山陰に寝台車が付いてたのは新幹線接続の使命もあったからと思う。
特に上りは京都で朝一番の東京行きひかりに接続してたからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています