そもそも六軒事故のあと、主要幹線に設置された車内警報装置は、
強制的に列車を止める機能は無く、あくまで乗務員の機敏な判断を求めるところに
重点を置いた設備であったが為に、後の三河島事故等では何ら意味を為さなかったのが痛い。

思うに、昭和30年代頃の鉄道現場においては、戦前からの精神主義の風潮がまだ多分に残っており、
事故を起きるのはすべて「乗務員の怠慢」に帰す風潮があったのではなかろうか?
三河島事故の場合、衝突後の駅員・乗務員の列車防護が万全では無かったところは大であり、
これは乗務員教育の徹底が求められたのは当然だが、別の観点から「人間はミスを起こすもの」という
前提に立って、鉄道の安全設備を考えなければならない事態にまで来たのが、この三河島事故だったと思う。
(それだけ高度経済成長期の鉄道輸送需要は逼迫していて、従来の安全に対する設備&思想ではもう無理だということも露見したと言える)

この事故以降、ATSなどの安全設備の拡充と同時に、
人間工学的な観点からヒューマンエラーに対する研究が始められたのも三河島事故の教訓の一つと言える。