相模線の晩年の南橋本までになってしまった貨物列車は、早朝だったよな。
当時南橋本に借りていた部屋からたまに、早起きしたとき訊けたよ。

当時既にディーゼルカーこそなくなり小奇麗なステンレスの電車にとって代わっていたが、
南橋本や上溝は未だ所々「列車の駅」の面影が残っていたな。

南橋本への貨物が廃止になり 暫くは側線もセメント工場も残っていた。
やがて側線は夏草が伸び放題で隠れ秋口には枯れ草となり操業を止め寂れたセメント工場とともに侘しい光景が今でも目に浮かぶなあ〜。